今日は朝、電車で昼寝して目が覚めたら自分の視点(視野)が広がっているような気がした。
「恋は雨上がりのように」を見て感動したせいか。
自分を後ろから見ているような感覚。客観視。主人公のアキラが店長の背中を見ているような視点だ。店長の境遇が自分に似すぎているとことろもあるんよ。怖いわ。
今までの自分の視野がいかに狭いものかという感じがした。同じ道を行ったり来たりしてれば狭くもなるな。
考えたら、ゲームはどんなに映像が進化しても自分の視点からしかものを見ていない。
対して、文芸・映像作品は、悩める(恋する)女子高生の視点になったり、枯れ果てた(思いを秘める)中年男性の視点になる。また、鳥のような(第三者)視点にも容易になる。
視野が広がるように感じるのは当然なのか(普段、小説や漫画、ドラマさえほとんど見ないのもあるか)。
この当事者、あるいは第三者視点の切り換えが文芸、映像作品の最大の強みなのだろうか。深い。深すぎるな。
そんな感動する「恋は雨上がりのように」でも、アニメには退屈するようなシーンもある。シナリオ、映像がいかに難しいものか、ということだな。
特にテレビアニメは時間が余ることがある。映画だったらまた違っただろう。
しかし、うまく作られたものには20分ほどで、映画の最高のシーンを見たような感動がある。奥深い。