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(下和泉の鯖神社・・・朝の散歩で撮影) ご近所に「鯖神社」という、お魚の「鯖」の名前を冠した神社があります。朝の散歩でも、調子が良いときは歩いていける距離です。こじんまりしていて、なかなか静閑な お社ですが、海から十数キロも内陸の山の中に「鯖」とはどうして?と常々疑問でした。 そう言えば、この近くにも「サバ」神社があります。「鯖神社」は、横浜市と藤沢市の境の河である境川の支流である和泉川のそばにありますが、町内地図などを見てみると、この流域に鯖神社、サバ神社、、佐婆神社、左馬神社がありますし、更に調べると大和市あたりまで境川中心に類似の名称の神社が点在していました。更に調べると、なんと町内のHPがあり、鯖神社についても詳しい情報がありました。 瀬谷区にある左馬社を筆頭に、境川の東西に6社づつ、合計12の神社があり、特に境川東岸の6社と西岸の1社は「相模七鯖」と呼ばれ、昔は七鯖詣りをすれば悪い病気を防げるといった民間信仰があったようです。ご近所の鯖神社は、この七鯖の一つで、最も南にある神社です。 私のご近所の鯖神社は、400年くらい前に地元の一族の清水さん、鈴木さん(どちらも直系のご子孫がいらっしゃる・・・というか、私も存じ上げている方々・・・)が氏神として勧請したそうです。地元の人のお話では、「氏神」にふさわしく数年前までは境内に町内会館(自治会館)もあり、町内会の中心でした(写真の向って左側に町内会館があった)。数年前に町内会館が火事で消失してからも、境内には町内会(自治会)の倉庫があります。普段は静かな神社に戻りました。 普通はこれらの「サバ」神社の祭神は源頼朝(左馬頭)ですが、ご近所さサバ神社を含め近隣の3社だけは何故か源満仲(左馬権頭)が祭神だそうです。名前の「鯖」は、一応さしあたっては「サマ」が「サバ」になまった、と考えてよさそうです。 どうやら、サバ神社には長い歴史と由来が有りそうですね。最初に注目したのは柳田国男先生の『石神問答』だそうですが、今に至るまで歴史や何故「鯖」なのかは解明された訳ではなさそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/06/22 09:10:41 AM
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