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カテゴリ:その他
ワシントン州に住んでいた頃、息子がPの通う教会で
P兄弟と一緒にモーツァルト・カノン「アレルヤ」を トランペットで演奏した事がある。 なんで教会でトランペットの演奏なんだろう?と 当時漠然と思っていた。 先日あるお寺で護摩焚きの業(行?)に付き合った。 これも何かの縁なのだろう。 護摩焚きとは護摩札という薄い木の札に願い事を書き、 寺の住職が燃え盛る火の中に投げ入れ燃やす。 一見単純な作業に見えるが、仏教的な意味合いはとても深い。 燃やす順番を待っている護摩の木の多さにびっくりした。 願い事がある人がこんなにいるのか! その場に居合わせた人のみならず遠方に住む人々も その寺に札を送って来るらしい。 全ての護摩札を焚くのに1時間半以上かかり お堂は煙ですすけ、目が沁み、喉も痛くなった。 火柱を囲む修行僧たちは炎の暑さで顔が真っ赤だ。 業の間ずっと同じ調子で太鼓を叩く僧侶がいたが 腕が痛くないのだろうか。これも一つの修行なのか。 その場に居合わせた人々は業の間絶え間なく みな床に座り手を合わせお不動さんの呪文?を唱えながら 一生懸命祈り続けていた。 何かに悩み、苦しみ、願い事があるのだろう。 世の中には色々な宗教があり、 唱え方、信じ方に違いはあれど 皆手を合わせて考えることは同じなのかな。 (それで戦争してたりするから全く意味がわからん、、、) 煙で一杯になったお堂の中で沢山の祈る人々の姿を見ていてふと、、、 人の心をフルートで癒せたらいいなぁ なんて、大胆な考えが脳裏をよぎった、、 音楽で悩みの解決は出来ないし 苦しみの最中にいる人は音楽どころではないだろうけど 一瞬でもホッとする瞬間を提供できたら。 教会で吹く演奏はそう言うことだったのかもしれないな。 人の為に何かをする。 そのためにはまず、自分が強くならないと駄目なのかもね、、、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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