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ここの、テーマで日記を書くのが一年半ぶりになります。 最近、ブログ仲間のかひまこさんが職場で初めての夜勤を経験されてて、 その奮闘ぶりに触発され、私も初めて夜勤をした頃を思い出しまして・・・ ここのテーマで書いてみようって思い書いてます。 私も、長らく、うつと付き合ってきました。 6年にもなりました。 仕事の量、責任の高さ、人間関係が原因で、初めは帯状発疹を発症しました。 当初は、はっきりした原因は分かりませんでしたが、仕事上のストレスだったと思います。 帯状疱疹は、二週間ほどで治りましたが、ここから、うつとの闘いが始まりました。 日々仕事のストレスで眠れない日が続き、毎晩30分おきに時計を見る。 そんな事の繰り返しで朝が来る・・・ だるい、頭痛い、会社に行きたくないって思い始めました。 ずる休みもしょっちゅうでした。 そして、何をするにも気力が無くなり、何をしても楽しくない。 休みの日でも仕事の事を考え、焦り、苛立っていました。(詳細は過去の日記をご覧下さい) そして、どうにもならなくなって、初めて精神科に行きました。 帯状疱疹発症から一年後でした。 それから、5年は通院したと思います。 その間、休職、復職を繰り返しました。 でも、病状は一向に回復しませんでした。 本当に、辛かった・・・ 何も考えず、ずっと眠っていたい。 この世の中から、いっそ消えてしまえば楽になるのか・・・ 最悪な時は、死も考えた事もありました。 やがて、休職中に処方されてた薬が劇的に効いてきて、気分は持ち直して来ましたが 一進一退の繰り返し。 考えるのは、復職の不安ばかり。 元の職場、上司の元でやって行けるのか? 不安は募りました。 会社側の方針として、復職後の職場は、原則、元の職場という事で、休職から半年後に 一回目の復職になったのですが、案の定、うつが酷くなって二回目の休職。 復職から二回目の休職まで、わずか一ヵ月でした。 元の職場関係、特に上司との関係は改善される事なく、当時は職場の人間、上司を恨みました。 二回目の復職に際して、もう元の職場で仕事は無理だと思い、退職も考えました。 ただ、会社側から、別工場に転勤か、今の工場に残るのなら、夜勤もある現場作業 の二つを提示されました。 精神科の通院もあるので、選択肢は必然として後者になりました。 今までの約15年の事務職から一転して、初の現場作業、30代後半にしての肉体労働。 とても不安でした。 15年の事務職のキャリアにもちょっと誇りに思っていました。 転勤で都内の関連会社に出向していた頃には、いろんな仕事を任され、 数種のプロジェクトの立ち上げ、軌道に乗せませた。 頑張って、キャリアアップ、昇進も夢見ていました。 現場作業に移るという事は、そんな、ちっぽけなプライドも夢も一切、諦めなくてはなりませんでした。 現場作業に移った頃は、そんな事を考えている余裕もなく、ただただ慣れる事に 一生懸命でした。 ところが、半年も過ぎると慣れてきて、過去を振り返り、どうしょうもない事を考えるように なりました。 今の現場を辞めて、また関連会社にもどりたいな。なんて。 それどころか、いろんな会社が「隣の芝生は青く見える」ようになってきました。 そんな感じで悶々としてた頃、あるTV番組を見て、大変感銘をうけた事がありました。 それは、「人それぞれに価値観が違う」、「自分の幸せは自分で決める」 「人の幸せも人それぞれによって違う」・・・・ 目から鱗でした。何か吹っ切れた気がしました。 また、この病になってから思った事があります。 うつになって良かったなんて、100歩譲っても思いたくありませんが、 うつにならなければ、気がつかなかった事です。 それは、人の痛みがちょっと分かるようになった事です。 妻からも、以前に比べて、優しくなったねって良く言われます。 私も、妻にありがとう、とかご飯が美味しいとか、感謝の言葉がすんなり言える様になったと思います。 夫婦の会話も増えたような気がします。 お互いの事を気遣い、思いやれる様にもなった気がします。 うつの6年間は本当に辛かった。 でも、その辛さも糧になって帰ってきた気がします。 今でも、「隣の芝生が青く見える」事はたくさんあります。 その時は、「価値観は人それぞれ違う、自分の幸せは自分で決める」 って言い聞かせています。
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