どこまでがしつけなのか?
今日は赤ちゃん本舗に行ってきましたが、そこで何人かの親子と遭遇しました。その何人かの親子と言うのは、私的にはとても腹の立つ親子でした。(正確に言うと親かしら?)なぜかって??まず、子供が「おもちゃを買って~」と泣き叫んでいましたそしたら、その子のパパが来てその子をバシンッって平手打ち!!!そしてその子はさらになく。。。ママに助けを求めるようにママのところへそしたらママは??「ギャ~ギャ~泣いても何にも買わないよ。。。ほんまにいやな子やなぁ~」と冷たくはき捨てる子供は「ほしい!ほしい!」と泣き叫んでいるもうこうなったら意固地になってやるっ~!ってな感じ「これあげるし食べときな!」おやつを手渡す。そしておやつがなくなるとまたおもちゃをせがむ子供そしたら今度はママさんが「もうあんたなんかどっかいったらいいんや!!!うっと~しい!もううちの子じゃない!」と大きな声でヒステリックにいってさらに平手打ちそしてそんなことをされて泣いているわが子にパパが走ってきて首根っこを捕まえて「ごらぁ~!ええかげんにせぇ~よぉ~!!!なくなっ!!!」と床に子供を引きずった感じで(引きずりまわしの刑みたいな感じ)かえっていったそんな感じの光景を一人だけではなく5家族ほど見た気がする。。。私は悲しくなってしまった。その親子にはその親子のライフスタイルがあると言えど大人の権力や力でしつけをしても子供は納得がいくはずがあるまい。。。そしてまた次来たときも同じことをするでしょう。。。私はたたいてしつけをすることには絶対に反対です。子供は訳もなくぐずったりしないと思いますし、おとなにとってなんでこんなことくらいでぐずるんや!何でこんなに言うことをきかないんや!なんでこんなにいたずらばかりするんや!なんでこんなにいやなこなんや!とおもう訳の分からない行動にも必ず理由があると思います特に3歳までは、たたいてはいけないと思います。子供がそういうことをしたときは今までの生活、そして、自分がやってきたことをまずはみなおすべきですその子の元からの性格もあるでしょうがその子をそう育てた責任は自分にあるのですから。。。それをその子のせいにして暴力で話をそらせるというのはどういったものなのでしょうか??それはしつけとは言いません。単なる虐待です。子供がどうしてそこまでそのおもちゃにこだわるのか??そしてどうして何度言っても聞かないのか??そんなことを考えたことがあるのでしょうか??先に出した両親は、子供がなく=おやつをたべさせるということをしていました。一概には言えませんが、ぐずればおやつがもらえるという公式を親が作っていた可能性もあります。今はおやつはダメといった。→泣いてみた→さっきはダメだと言ったのにおやつをくれたこんな公式を作ってしまっていたとしたら子供の中ではきっとほしいものがある→ダメと言われる→泣く→ダメといったのに一変、ほしいものを手に出来るといった考えになってしまうのではないでしょうか?1歳代でそれがきちんと理解できなかった子は2歳3歳となるとほしければ地団太を踏み泣きじゃくって訴えると言うことを覚える。保育園ではそう親に指導していましただから、おやつは時間を決めてあげるそれ以外はぐずってもあげないママがダメと言えばだめなときなんだと教えないといけないと。。。ママはダメといってもぐずればなんでもしてくれるとしつけたのは親ではないですか?しつけってたたくことじゃなくそういうことなんじゃないでしょうか?その親子がそうとは限りませんきちんとだめなものはダメと教えてもそうなることもあるのかもしれません。でも、そういった何らかの原因は親にもあるのではないか?と思い直して考えてみれる、そんなときに子供と同じレベルで感情的にぶつからずゆっくりと一呼吸のおける親にはなれないものなのでしょうか??私自身未熟で、そりゃ~人間ですから正直育児に疲れてイライラすることはあります偉そうなことがいえる人間ではない。でも、両親ともが子供をたたくなんて。。。いったい子供はこの先苦しいことがあってもどこに逃げればいいのか分からなくなってしまうのではないか?と思ってしまいます「誰にもどうせ分かってもらえない」と思わざるをえないのではないでしょうか??人事ながら悲しくて怒りを隠せませんでした。そして、おもちゃを安易に買い与えないというしつけとたたいてあきらめさせるということは違うと思います。おもちゃを買い与えない。→おもちゃよりも魅力的な遊びに親が誘導してやる。もしくはぐずりつかれて、もう買ってもらえないとあきらめるまで付き合ってやることは出来ないんでしょうか?そのときママは子供に「あんたはみんなが見てるのに恥ずかしい子や!」と言い放ちました。でも私はみんなが見ている目の前で自分より小さな、そして無力な何よりも自分がおなかを痛めて産んだ愛するわが子をひっぱたいて,ののしりたくって、引きずってかえるその親のほうがよっぽど恥ずかしい親だと思いました。いいじゃないですか!自己主張をして自分のほしいものをはっきりと告げられるそこまでして意思を通そうとする。子供の当たり前の姿ではないでしょうか?だって子供には世間体なんて理念は頭にないんですから。。。恥ずかしくなんてないじゃないですか!落ち着くまで待ってやってあきらめることが出来れば「あきらめられていいこねぇ」とほめてやればいいじゃないですか!(時間的に余裕がないとしても何もそこまでののしり虐待じみたことをしなくても・・・)その経験が何度も重なってママがダメといったらいくら泣いたってダメなんだと言うことが子供に伝わるのではないでしょうか?誰がなんといおうと私はそう感じます。親は子供に親切で思いやりのあるやさしい子供に育ってほしいと願うでしょう。でも今日の何人かの親子のように無力で自分よりも弱い人間は暴力で言うことを聞かせればよいと身をもって教えている親・・・子供への願いだけで自分はそのお手本となっていないのに子供はそうは育たないと私は思います。矛盾している・・・子供は初めて接する人間=親から人をいたわる心、思いやりとは?相手の気持ちになって考えるってどういうことなのか?まずは教えてもらって初めて、他人に思いやりを持てる優しい子に育つのだと私は思っています。たった一日の限定した時間、場所の中でそんな親子に何人も遭遇したのはなんだか悲しくてそしてなんだか腹が立つ出来事でした。なんだか怒り任せに書いてしまって訳の分からない文になってしまいましたが誰にだってあると思います。わが子がなんだかすごく自分を困らせる存在だしんどいと感じるときが。。。育児ってほんとうに思うよりもたいへんですものねそれにましては働いていたりしたら時間もない中でどうわが子と向き合うか?悩んだり。。。いろんなことがあります。でも、子供のことをたたきそうなくらいイライラしたときは子供だけのせいじゃないかもしれないと思えば少しは楽になるような気がしますそして、間違ったことをしたなぁ~あんな怒り方をしなければよかったと思うならば素直に反省して次に活かしていける親になれればよいのだと思います私自身今日の出来事を見てあらためて最近「いや!」というのが口癖で、だんだんと私の言うことを素直には聞いてくれなくなってきた反抗期のわが子を、イライラしないで受け止めて、わが子の気持ちになって、対応できる親になれるように悪戦苦闘しながらも成長したいと思いました