テーマ:楽しい子育て(47)
カテゴリ:子ども
昨日は凹むこと(↓*わたしのこと*)があって、 大切なひともホビットさんもいないときに、ひとりで泣いて。 泣きながら、ふと見たテレビの内容に大興奮。 それはNHK教育番組「わくわく授業~わたしの教え方~」の小学生5年生の英語の授業。 学生の頃の一番嫌いな、苦手な教科が「英語」。 最近は小学校から英語を取り入れるというから、猛反対のわたし。 自分が教える立場だった頃、 「絶対、無理!!!」 それしか思わなかった。現場の空気もそういう感じ。 それがこの授業に、食いついてしまった。 京都教育委員会の先生の授業。 担任の教師ではなく、専門の先生による授業。 その先生は「英語」を通して、「言葉」の持つ力に気づかせたいらしい。 日常使っている「母語」だと、意識をして使うことは先ずない。 「言葉」の素晴らしさ、コミュニケーションの大切さ。 授業を進めるにしたがって、子どもたちは身体全体で話し、聞くという姿勢になる。 「プリーズ」と「サンキュー」という簡単な単語を、確実に身に付けさせる授業。 先生は全て英語で話し、子どもたちはそうではない。 それが、授業の中ではそのふたつの言葉を使う「仕掛け」がたくさんある。 使わずにはいられなくなる「楽しい仕掛け」が、いっぱい。 先生の使う英語のほとんどは、簡単なもの。 分からなくたって、間違ったって、「ヘルプ、プリーズ」で大丈夫。 後には「サンキュー」と言えば、先生の満面の笑み。 たとえば、これが「英語」でなくてもいいと言う。 ただ、どうせやるなら「英語」なのかなって。 子どもたちは「英語」と出会うことで、 ・「言葉」(英語だけではない)を意識的に使う。 ・「見る」「聞く」「話す」という基本的な姿勢が自然とできる。 ・人とのつながり「コミュニケーション」能力が身に付く。 ・表現することの楽しさを知る。 これはあくまでも、わたしが受け取った印象だけれど、 これがこの授業の目的。 決して「英語のできる子」にするためではない。 いいなぁと思った。 こんな授業をうけてみたい。 こんな先生になりたい。 子どもを持つ親になってから、自分の中の「先生観」が変わった。 もともと、授業に「仕掛け」を作るのは大好き。 教科書を机に広げての授業は嫌い。 子どもたちには身体全体で感じ取って欲しいと、常に思っていた。 学校では、くったくたになって欲しいと思った。 (でも実際は、教室で昼寝をさせてあげなきゃならなかった…) ゆとり教育には反対。もっともっと時間が欲しい。 ここのところ、採用試験の倍率が一気に下がったらしい。 団塊世代の退職が増加しているからだろう。 (採用試験には何度落っこちていることか。バカだからなぁ、わたし。) 勉強しなおして、頑張ってみるのも悪くないなぁ。 今の子どもたちに必要な力って、何だろう。 「生き抜くこと」「食べること」「学ぶこと」「知ろうとすること」「自分を表現すること」 何より「楽しむこと」全てにおいて。 全身でぶつかれる、思いっきり甘えられる家族に包まれているということ。 その上で、学校という小さな社会の中に飛び込んでいく。 すっかすかのスポンジのような、子どもたち。 どんどん吸い込んでいく力を思う存分に発揮させられる授業。 「手段」が「目的」になってしまうことの多い、世の中。 ときどきは「何をしたいのか」「何が大事なのか」を見つめ直すってことが必要なのかも。 NHK教育番組「わくわく授業~わたしの教え方~」は再放送がある。 2006/06/03(土)24:40~25:30 録画しようっと。 *うららのこと* 昨日は薬をもらうために病院へ。 いつものとおり、十日分。 頭をよく振っているけれど、元気。 *ホビットさんのこと* 先日公園で、二人の子どもたちに出会った。 それぞれ母親といっしょ。 ふたりがケンカをして、そのとき、 ひとりの子は、母親にぴったりと寄り添った。 もうひとりは、あっちに行っててと母を遠ざけた。 それを見て、すぐに後者の母親になりたくないと思った。 いかにもきっちりとしつけをしていそうな、母親。 きっと母親の枠が窮屈なんだろう、その子は。 ホビットさんにはそんな思いをさせたくない。そう。 …でも、違った。 ここのことろのホビットさん、わたしを遠ざけようとすることがある。 ショック。わたし。 でもよく考えてみると、これは子どもの成長かも。 「じぶんでやってみたい」「じぶんでできるよ」 そう言っているのかもしれない。 「じゃあ、ママ、あっちにいってるね」 そう言うと泣いちゃう、ホビットさん。 公園にいたふたりの子どもは、 前者が2歳半くらいで、後者は3歳半くらい。ほぼ一年違う。 「甘え」たい時期、「自立」したい時期。 「自立」の一歩は「反抗」という厄介な(笑)モノなのかもしれない。 *わたしのこと* 昨日は親類の方の出産祝いに。 その席で、ホビットさんが大泣き、大暴れ。 その場にいることが辛くて、はずかしくて。 手足をバタバタさせて泣きじゃくるホビットさんを抱きかかえて外へ。 車の鍵さえ持って出てきていれば、帰りたかった。 ホビットさんはみんなの前で、思うようにできないことがあって、 その恥ずかしさを、わたしのせいにして、 「ママ、あっち行きー!!!」泣き叫んで。 みんなの目が冷たく、刺さりそうだった。 (本当はそんなことないのに…) 家の中なら平気なことでも、外出先だと困る。 親ってすごいな。みんな平気な顔してる。 (…ように見える。) つらかったぁ。はずかしかったぁ。これって愚痴ってるよなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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