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今日はお休みします New! さえママ1107さん

2020.01.23
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カテゴリ:母の教え
こんばんは。
大寒を過ぎても 
どうなっているのか?北陸の冬?です


雨が降っていても寒くないとは・・・雪は当分降りそうもないです


42年前の昭和53年1月23日
夕方私の母は40歳の若さで
45歳の父と
18歳の私
15歳の弟を残してすい臓がんで亡くなりました

12月23日秋ごろから体調不良を感じて
近くの国立病院へ通っていましたが
病名がわからず腹水がたまり
検査の為に入院しました

正月頃が一番良くない状態が続き
8人兄弟の母の弟や姉二人が関東から見舞いに来てくれました
それから暫くしてから状態が安定してきて
腹部に何かあるようなので
開腹手術が1月25日に決まっていました
それで手術目の個室に移動して
22日は一緒に泊り
手術後は早く元気になって
お見舞い返しは何にしょうか
そんなことを話したのでした

当時私は高校卒業の前に試験勉強していました

23日の朝、
弟と父の食事の用意をするため自宅に戻りました
のんきに前日ご近所さんからもらった
大根を玄関先で洗ったりしていました

病院から電話で
母の容態の急変の知らせでした
父の会社に連絡して
慌てて自転車で病院へ行きました

私が帰って暫くしてから心不全の軽い発作が起きたのでした
私がついたときには話も出来て
でも足が冷たくなってきていて
息が荒かった。
父が病室に着き
友人がきてくれました

父は転勤族で両親の親戚は皆遠いので
頼れませんでした
この地へ来て12年目
沢山の友人たちが私達の力になってくれました

病室から出るように言われ
その時隙間から母を見ると
私に心配をさせまいと笑ってくれました

昼頃には意識が無くなり
あれよとあれよという間に・・・
心臓が止まり心マッサージをされて・・・

弟を中学校へ迎えに行き
私と父と弟と揃った時間に母は逝きました

それからは弟と父の為に
決まっていた大阪の職場は辞めて
地元に残ることになりました


人生のターニングポイントがあるとしたら
私にとって母との別れです

そして母は私が幼い頃から何かあったら
祈るということを教えてくれました

母の親は新潟の佐渡島で漁師の網元をしていました
だから常に生と死が隣り合わせでした
漁師の子どもは幼い頃から
親や兄弟が海へ出る時
後悔の安全と無事に帰ってくるのを祈るのです


そんな母に育てられた私は
何時も仏壇の前で祈っていた

「今お母さんはどうしていますか?」と。
答えは出ませんでしたが
祈っていると心が落ち着いてきました


45歳で奥さんを失った父
15歳で母を失った弟

それぞれの人生の節目が42年前の1月23日




60年前の私と両親





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最終更新日  2020.01.23 22:57:28
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