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湖の彼岸 -向こう岸の街、水面に映った社会、二重写しの自分-

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2006年05月05日
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カテゴリ:政治・社会学文献
THE RETREAT OF THE STATE
~The Diffusion of Power in the World Economy
(国際経済におけるパワーの拡散)
by Susan Strange
Fisrst published 1996
by Cambridge University Press

日本語訳 1998 岩波書店



1部 理論的基礎


第1章 衰退しつつある国家権威
 社会科学者は、時代遅れの概念や不適切な理論に執着している。それは国境が明確で、今よりもっと秩序だった時代の理論である。しかし、今、かなりのペースで世界は変化している。再考すべき問題は(1)政治の限界(2)パワーの性質と源泉(3)市場経済における権威の必要性と不可分性(4)国際社会のアナーキー的性格と国家の合理的な振る舞いである。
 「世界市場」という非人格的な勢力が国家よりも今では強力になっている。国家の「パワー」が衰退しつつあるというのが私の主張だ。今や、国家の役割は、安全保障・通貨・法体系・公共財といった分野に限定されてきた。このようなグローバルな変化の主要因として無視されてきたものが二つある。「技術」と「金融」である。
 本書の主張の前提は以下の三つである。(1)政治は、政治家や政府高官に限定されない全般的な活動である。(2)「結果に対するパワー」が市場によって非人格的に、しばしば意図せずに行使されている。(3)社会・経済における権威が国家以外の機関によっても正統的に行使されている。
 国際政治経済学において現在展開しつつある正統的権威のパターンについては、三つの一般的仮説がある。(1)主権国家間で、行使される権威における非対称性が増大しつつある。(2)すべての国家の政府の権威は、弱まりつつある。(3)アダム・スミス的な市場経済における国家の基本的責任のいくつかを今、国家に代わって何者かが適切に果たすことはない。よって国際政治経済の中核には空白がある。



第2章 パワーのパターン
 私は、パワーと政治をより幅広いものとして定義する。パワーと政治に関する通説的概念の拡張は、グローバル政治経済学にとって必要な政治と経済の真の統合を達成可能なものとさせるだろう。
 私の定義はこうだ。パワーとは、単に個人が、あるいは個人のある集まりがもつ能力であって、それによって自らの選好を他者の選好より優先させるよう、結果に対して影響力を及ぼすことのできるものをいう。
 ジョセフ・ナイはパワーを「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」に区分した。これはほぼ、私の言う「強制的で関係的なパワー」と「間接的で構造的なパワー」に相当する。今重要なのは後者のほうである。なぜなら国家権威は衰退しているからである。しかしアメリカの学者たちは依然として前者のパワーに注目し、後者を軽視している。「構造的なソフトパワー」は、純粋経済学の分析に取り込めないからであろう。つまり、経済学は、ハーバート・サイモンの言う「限定された合理性(bounded rationality)」のみを扱うのであって、パワーの非対称性や、パワーの目的・意志あるいは変動といったものは対象外である。
 経済学の限界とともに、パワーが表象的に理解されてきたもう一つの理由は、政治学におけるヘゲモニーへの妄執にある。ロバート・ギルピンに代表されるようなパワーの理解は、ヘゲモニーを重視するあまり、結局そこではパワーは依然として国民国家の属性ということになり、私のパワーの定義と相容れない。
 それに比べて、グラムシアンの視角は、「世界がいかに成り立っているか」という構造主義に依っているため、まさにわたしが「生産構造」「金融構造」とよぶところの「関係性としてのパワー(構造的なパワー)」を説明している。
 (1)パワーを考える際、問題なのは「~からのパワー」よりも「~に対する(及ぼす)パワー」である。(パワーとは、諸制度に対する支配力とか力能のたんなる保持にとどまらず、結果に対する影響力によってはかられるものだ(p.94)。)(2)パワーには、意識的なものではなく、そこに存在するだけで影響を及ぼす無意識的なパワーがある。
 私が強調したいのは、構造的パワーによって、国家から市場へとパワーバランスがシフトしたという点である。そして現在の社会科学の分析枠組みは、この変化を捉え切れていない。市場は、非人格的で実体がなく、同一の場所で見出されるとは限らないし、合理的な選好は持たず、動向は予測不可能で、へそまがりだからである。これらに対処する理論的基礎を提供することが本書の目的である。







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最終更新日  2006年05月08日 00時22分25秒
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