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湖の彼岸 -向こう岸の街、水面に映った社会、二重写しの自分-

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2006年12月13日
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カテゴリ:政治・社会学文献
Sociology
SAGE 2002

より要約



社会資本と政治社会学――政治を再・想像すること?

William Walters


1 「社会資本」は、現代社会の問題に立ち向かう新しいパラダイム探求の一部であり、アメリカ・イギリスにおける議論の中で顕著である。健全な政治経済は、共同参加の密な網の目を保持している。そのことが「社会資本」の主眼である。

2 Robert Putnumの社会資本解釈は、「トクビル回帰」のひとつとみられており、それは市民社会議論の復興に貢献した。そこでは様々な議論がなされているが、私は2つのことを問題提起したい。

3 新・トクビル派には政治を想像することについての理解が欠けている。私は「政治文化セオリー」と呼ばれる60s、70sの分析と比較しながら、「政治的想像力」を論じることにする。

4 「社会資本」は社会システムをすべて包含するような統治の戦略から離れて、グループや国家の関連と市民的志向を計算可能にする。

5 「社会資本」という概念は最初に社会学者によって用いられたが、彼らによれば、社会資本とは「行為者が、社会的ネットワークやその他の社会組織において、その一員であることの利点によって、利益を守ることの能力」(Colman,Portes)である。一方政治学者は社会資本を、「コミュニティーと国家の特徴」として扱う。

6 これはRobert Putnumのケースで明らかだ。Putnumは社会資本を「対等の行為を促進することによって社会の効率性を改善することのできる、信託、基準、そしてネットワークなどの特徴」と述べる。彼が理論化するのは、社会資本の創造と破壊の部分よりも、共同体としての特質であり、社会資本の主題は、社会の諸問題が市民参加の基準とネットワークを利用することで、より容易に処理されることである。しかし、南イタリアでは、「horizontal水平の、対等の」伝統が弱いため、公共選択が失敗しやすい。

7 Putnumは連帯の行為を自然なものとして捉えたのではなく、むしろ、自己の利益を最大化させる個人を想定し、そのために連帯的な行為が可能と考えた。

8 イタリア研究のあと、Putnumはアメリカの社会資本を研究したが、各種指標を用いて「アメリカの社会資本蓄積は4半世紀の間減少した」と主張した。戦後生まれはテレビなどの影響で、市民的な従事をあまりしなくなったとの彼の指摘は、アメリカ人を不安にさせた。

9 しかし、Portesは個人よりも街や国家の所有として社会資本を扱うべきことを主張した。

10 Putnumにまつわる論争が示すのは、社会資本はリベラル・デモクラシーにおける政治刷新についてはあまりかかわりがないことである。

11

12 Putnumに対する批判として、社会を中心におきすぎるというものがある。そこでは、政治の構造そのものが政治生活や統治を形成するという視点が欠けている。


Political Imagination
政治的想像力

 以上見てきた批判的議論においては、社会資本はある次元を強調し、政治的空間を固定化しすぎている。わたしはそれを「政治的想像力」によって問いただしたい。

 政治的想像力とはなんだろうか。第一にそれは「メタ・ナラティブ」である。一連の想定は日々かわされる議論の中で、意味をなすものになっていく。

 第二にそれは空間的であり、シンボルである。社会資本は政治空間を想像する。

 私は社会資本理論の政治的想像力を、AlmondとVerbaの古典的仕事『市民文化』において例証された政治文化理論と比べることにする。

 AlmondとVerbaはこう述べている。「安定的で効果的な統治の発展は、行政と政治の組織よりも、政治文化において人々がかかわる政治プロセスの志向に依っている。政治文化が民主システムを支持できない限り、その成功のための機会は弱々しいものである」。「政治文化」はマクロ経済と同じように、国家の政治システムを全体的な枠組みとして捉える。「社会資本」は(一方)この強い中心的な統治への志向が欠けていることがわかるだろう。

 価値観の共有が政治システムを分裂させないためには重要だ。労働組合、教会、共同組織などの二次的な諸団体は、諸個人を国家政治に結びつける機能として、政治文化を下支えする。政治文化セオリーは、諸個人がシステムに結びつくプロセスとメカニズムを描く。

 彼らのイメージする政治は、「疑問の余地がある安定性」と要約することができる。政治には、統治し命令するリーダーシップという側面(エリート)と、市民の要求に応える義務という側面(市民社会)があり、彼らによれば選挙とはこの両極のバランスをとるものだという。

 政治文化の政治的想像力には、まとめるとふたつの特徴がある。第一に、政治は、マクロ政治システムの観点から想像されたものである。第二に、政治空間のヒエラルキー的な性質が挙げられる。「政治文化」は支配するエリートと、支配される大衆との緊張・矛盾を仲介する役割を果たす。


The Political Imagination of Social Capital
社会資本の政治的想像力








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最終更新日  2006年12月14日 11時28分53秒
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