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どうもこうなると、どうにもこうにも思考が止まらなくなる。
全部吐き出してすっきりしてから、自分の今やるべきことに早く戻ろうと思う(笑)。 ポストモダンはモダンの強化である。 しかし、モダンの強力な推進が、人間を近代以前に立ち返らせているというこの逆説。 これは東浩紀の「動物化」をはじめいたるところで言及されているけれども、 その先駆者の一人はマクルーハンであったのではないだろうか。 マクルーハン理論は「動物化」と似ている。 次のようなことである。 ソクラテス以前は口承文化であった。 ところが弟子のプラトンが「詩人」を追放し、世界を26文字の音声文字(アルファベット)の文字に押し込めた。 15世紀にグーテンベルクの活版印刷機が発明され、聖書が複製可能となると、 この「文字人間」化は一気に進み、世界を視覚で捉える線形思考的な「近代人」が誕生した。 しかし、今、爆発的に出現した「電子メディア」は、人間の感覚器官を拡張し、視覚以外の5感を刺激している。これはグーテンベルク以来の大革命であるが、このことにより、人間は「文字人間」以前に退行しているのである。 しかし私はこう考える。 いま起こりつつある革命現象を説明できる科学的パラダイムや言説がまだ確立していないため、 人びとは「近代とは違う現象」「近代のパラダイムでは説明できないもの」を、すでに経験済みの近代以前のあれこれを持ち出して説明しようとしているのだ。 だが実際のところ、この革命的状況は、近代でもなければ、ましてや前近代でもない。 ★それでは、しばらくの間さようなら。コメントは見ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月24日 06時45分19秒
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