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湖の彼岸 -向こう岸の街、水面に映った社会、二重写しの自分-

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2007年09月30日
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すごいことになってますね。ハルさんも、自分からフォローアップしてるし(爆)。ご自分のフォローアップは、ハルさんご自身に任せます。とりあえず、k樹にハルを紹介してよかったのだろう、と一先ず思うことにして。

まず、「壁」について。お二人の間の話ですので、その意味ではまさに僕にとって壁ですね。壁がある以上、
僕がすべきかわかりませんし、僕自身、こうした場で実存を明かすのは趣味ではないので控えます。ただし、二人の、「壁」に関しては、抽象的な部分には同感で、僕自身が生まれて20余年、痛い程味わっているものであり、特に精神分析学の本格的な「扉の扉の扉」を学んだ1年間は、とだけ付しておきます。

補足1
 ハルさんのコメントのも手伝って、カルスタを鼻でわらっていないことは、書くまでもないでしょう。

 そもそも、僕の目的<デザインの美学>、ハルさんの目的<学習理学>、どちらも既存の学問では扱っていない「美の営み」や「学習観」の記述、整理、応用に動機があります。既存学問の近いと思われる分野を「あえて」徹底習熟することを通じて、その殻を突き破り、少しでも学びたいことに近づきたいというロマンティシズム的動機です。
 これを踏まえれば、やりたいことをやれるための学問を探している、k樹の気持ちは3人で共有できていたはずです。あの場で批判をした側としても、k樹が苛立ちを感じてるだろうなぁというのは折込済です。その意味では意地悪な批判であったことは言うまでもありません。

 さらに、お二人が触れていない大切な話題があるので補足します。 

 言うまでもなく、心理学が統計ベースの研究です。統計ベースの姿勢は、イデオロギーであるとかもしれませんが、どう言われようと、心理学の、ウェーバー的意味での「倫理」です。軽く心理学史を踏まえて説明致しましょう。

 ポップ心理学という(科学的な「心の理学」ではない)「心理の学」があります。代表的なものの一つに骨相学があります。骨相学は、戦前、優生学と絡み、不幸にも、ユダヤ人差別に使われました。

 今でも、心理学は、扱う対象(脳や心)のポップさ故、「ヤバイ」学問になりがちな分野の一つです。すなわち「心理の学」であるのに「心理の学=ポップ心理学」にシフトして捉えられがちです。ポップ心理学は、今でも血液型心理学、ゲーム脳、おかしな尾ひれが付いたクオリア、スピリチュアルときりが無い。皆イデオロギーや経済利益の絡んだ話ばかりですが、こうした不埒な輩の話と一線を画す、そのための理論武装の一環として心理学徒は統計学を学ぶのです。抽象的に言えば、心理学は、こうした倫理に基づき、研究法を洗練させてきたわけです。(奇麗事を言えば)あるイデオロギーに利用されないためにこそ、心理学は統計学の理論武装を試みていると言えます。

 故に、私はあの場で、k樹のテーマは、(特に私の学んだ認知心理学では)高次すぎて、(扱いたくても)、扱うのを躊躇うと述べたわけです。ただし、必ずしも扱えないというわけではないです。

 次に、カルスタが科学どうかは別として大切な学問的営みであることに付随して。まず精神分析の話を軽くします。僕自身、精神分析学に非常に惹かれています。同学は科学ではありませんが、独自の方法で人間の感情について理解するための示唆に富む、研究を蓄積しています。大切な営みです。同様に、カルスタは、科学か否かはおいて置くとして、政治とメディアの関係を独自の形で露見させる大切な営みであると考えています。勿論、ソーカル事件のことは把握していますよ。

 私が師事した精神分析学者は、精神分析用語は、精神分析な中でのみ意味を有すると、また日常に利用すべきでも、他の学問に援用されるべきでもない、とおっしゃられていました。科学ではないことへの自覚と、「あえて」、科学的対話可能性を破棄する態度故、僕は、科学者として、その方を尊敬しています。

 以上を踏まえ、カルスタを、(行動)科学とk樹が見なすなら、積極的に統計学を輸入すべし(=科学的対話可能)。科学ではないものとしてのカルスタの道を歩むならば、精神分析に倣うべし(=科学的対話不可能)。カルスタ自体はどちらでしょうか。また、k樹の立場はどちらでしょうか。少なくとも、k樹は、おそらく前者なのでは?以上のことを考えた故に、先日は、統計学を学んだ方がよいのではと言ったわけです。


「学習の弁証法、そして社会の、詩の」より
>人間を統計的に観察するのに洗練されてて、カルスタ的エスノグラフィーは科学的にめちゃめちゃ
 
 あの場では、心理学の量的研究法から見て、k樹の研究がめちゃめちゃと言っただけです。エスノグラフィーとエスノグラフィー的な研究方法については批判していません。ただし、仮に、k樹氏の研究方法がエスノグラフィーの代表になるならば、且つ、エスノグラフィーにカルスタが頼っているのであれば、同立場から、カルスタはめちゃめちゃだろう、とは言ったと記憶しています。また、だからと言って、k樹の研究の動機自体を踏みにじったとすれば、それは誤解です。あの場での言い方が悪かったならば誤ります。

以下は、細かな追記です。

>神々の闘争

 異論を加えて頂いてもよかったです。少なくとも心理学の統計ベースの振る舞い方はメタ・イデオロギー的なイデオロギーの基づきますが、両者、それを踏まえての価値観闘争=神々の闘争であれば、闘争もよいと思います。徹底的にやり合えば、また、そこで何かが生まれる可能性があります。それを整理したものこそが、僕が目指す「豊穣なるものからの洗練された思考の産物」ですから。

 k樹がハルへの記事で言っていたのは、<「神々の闘争」を避けるための沈黙>が「ベタ」「ネタ」ならば、けしからんけれど、「あえての溜め」ならばOK、ってことでしょうけど、これには賛同します。ただ、やはり「溜めてます」というポージングはあった方がわかりやすかったね。

 >まず専門用語は誰にでもわかるように翻訳すべきだね。
 
多分、HARUさんは知ってると思ったんだろう、と思う。

>あえてもう一つ注文すれば…
 
 今、やってるよー。ただ、理論研究なので、形にするためには、数年はかかるでしょう。部分、部分は「言葉遊び」に掲載するだろうけれど。とりえあず、あの後、認知神経科学関連の本を30冊程購入しましたよ。後は、ウィリアムズ氏、モーレー氏、吉見氏、北田氏らの論文集の「メディア・スタディーズ」(せりか書房)も買ったので、読んでみます。





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最終更新日  2007年09月30日 16時52分42秒
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