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湖の彼岸 -向こう岸の街、水面に映った社会、二重写しの自分-

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2007年11月20日
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ここらへんでとりあえずもういいだろう、
あとはそれぞれのキャラというか個性の問題で
それをうんぬんしてもと思っていた。
論文や研究にも、それぞれの性格ってあらわれるから、
それはあとは読者が判断することで。

しかしハルと白昼夢が真剣に書いてくれたので、
ぼくもちょっと補足というか、自分自身のまとめを少し書かなければ
という義務感を感じていた。

ほかにこれを読んでいる人もいるかもしれないから、
ちょっと僕自身のスタンスについて若干補足すると、

●ぼくは白昼夢がけっこう言及しているM2(宮台真司、宮崎哲哉)に惹かれたことは一度もない。それどころか・・・。このことはやはり付け加えておきたい。
●ハルの言うような、指導教授から「耳にたこができるほど注意された」ので云々するというようなまじめさっていうのは、残念ながら僕にはないようだ。

ところで、先日図書館で、「認知科学」とか心理学関係の学術雑誌を立ち読みしてみた。
「ああ、こういう世界で頑張ってるのか」、と違う世界を垣間見た気がした。
この世界でいろいろな人がせめぎあっているのだと思う。がんばってほしい。

今回、今までの自分にとってはちょっと意外な、コメントやアイデアをふたりからもらえた。
ずいぶん自分の研究にも役立った。ほんとにありがとう。

ぼくの問題だと思うこと、ぼくの関心事を最後に載せる。

●研究は科学を装いながら、夜こっそりと詩を書いて、科学ではついぞ解決できずに放擲されていた自分の「心」を暴露すること。他者には科学で武装する優等生が、自分には詩で説明し、カタルシスとナルシシズムを得ること。その矛盾というか、人間のずるさ、どうしようもなさこそを、学問は取り組まなければ、「理論信仰」と「実感信仰」の不幸な乖離はやむことがないだろう。
ぼくは自分も含めて、偏差値優等生は信用していない。
だからぼくはカルチュラル・スタディーズを学ぼうとしているのかもしれない。






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最終更新日  2007年11月20日 16時37分16秒
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