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湖の彼岸 -向こう岸の街、水面に映った社会、二重写しの自分-

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2008年01月02日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
白昼夢から新年のあいさつをいただいて
それへの返事を書いた流れで、書くんだけど・・・

心理学にしても社会学にしても
非常にアメリカ的なやり方ってあるんだよね。
社会学だと合理的選択論とか・・
現象を合理的な個人主義に還元して
それは観測でき、計算ではかれる、つまり式にして表せるっていうかんじのもの。

その根拠は、人はインセンティブに反応するというもので
彼らにとっての「行動」とはそういうものであるようだ。

これは去年のぼくたちの話の中で、
ぼくの感じてたもののひとつでもあったと
思うんだけど。

今年は、そういうアメリカ的なものに対する、
ある種のぼくなりのかたよった見方ーーー逆に言うと、ヨーロッパへの偏愛
っていうものを大切にしながらも、
そういうアメリカ的なやり方を吸収していくような形での解決の仕方を探ってみたい。

そう思って、いままでそれなりに経済学も勉強しようとしたりしましたが(笑)
しかし、ああいう古典派経済学から新古典派経済学の考え方は、
非常にプロテスタント的な特殊な文化からのごりおしの普遍化のやり方という感じがぬぐえない。
だからぼくは新自由主義にも疑問を持ってる。

その点、イギリス人であったケインズ経済学って、ちょっとヨーロッパちっくなものがあって、
本人も言ってるけど、式で表せるものなんか、大したもんじゃない、そんなところに美はない、経済学なんかは困ったときに必要なだけであって、用がおわったら、なくなってかまわないものだ
っていう感性が、歴史の重みがそこにはある。
だからケインズは好きだ。

古典派のアダム・スミスは微妙なんだけど
彼のスコットランド性に着目するならば、スミスを新古典派から救わなければならない。

そして、そういったものの延長線上にカルチュラル・スタディーズがある。ぼくのなかでは。

***

さて、もうひとつは、どうやって自分のオリジナルな主張を生み出していくかだ。
先人の、いわば他人の研究をたどっていくうちに自分のアイデアが浮かんでくるのか、
それとも、日々の暮らしの中で発見していくものなのか、
ぼくはどちらかというと後者が大切だと思っている。

他人の研究はあくまで他人の研究であって
自分の研究ではない。
他人の問題関心に基づいた、他人の研究対象をいくら追っても
それは自分の問題にはならないとぼくは思っている。

しかし、先人の研究は、
自分の問題に自分がつまづいたときに初めて大いなる助けになるような気がしている。

ぼくは今年の一年で、
つかみつつある自分の問題設定とアイデアを
形にしていくための土台を作りたいと願っている。





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最終更新日  2008年01月03日 02時08分38秒
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