*数学の存在から、この世界を読み解く#1~12*論理で遊ぼう*
*数学の存在から、この世界を読み解く#1~12*論理で遊ぼう*数学が存在する、ということから、次のような結論を導きだしました。(ただし、それを断定しているわけでもないし、それが検証されているわけでもありません。その論理展開が面白い)まず、その結論はこうです。1。人間とは関係のない目に見えない知性的な存在がありそうである。2。自由意志はあり、それは運命を改善できる。つまり、運命というものもあるが、それは、人間の努力精進で改善できる、あるいは変えられる。(ここでいう自由意志とは、すべてが機械論的に決まっているのではなく、自由意志というのがあって、それは、機械論的に決まってはいない、ということです)3。見えない知性的な存在があり、それが人間などに働きかけたりでき、さまざまなものを変えることもできる。さて、なぜそういった結論を導きだせたのか、つぎに披瀝しましょう。数学というのは、人間の頭の中に存在する抽象的で論理的な世界である。その数学というものは、この世界のさまざまな分野にかなり正確に対応している。(かなり、といったのは、完璧に、ではないからである。この、完璧には対応していない、というのが、自由意志の存在の根拠になっていると考える)たとえば、数学のある分野は、この世界のある分野にかなり正確に対応している。そういった分野たちがいろいろある。ただし、完璧には対応していない。なぜ、そういったことになるんだろう。不思議だ。つまり、なぜ、数学はこの世界の法則を描写できるのか、しかしなぜ、完璧には描写できないのか、ということをいっているわけである。そこでまず、なぜ人間が数学の中身を考えつくのか、ということを考えてみよう。まず、この世界に、人間とは関係のない知性的な何かが存在し、そこに数学も存在していたのだろう、と考えられる。なぜそう考えられるのかというと、以下となる。生物が発生し、ついには人間まで誕生した、ということを絡めて考えると、次のふたつの可能性が考えられる。仮に、進化によって生物が人間にまで至ったのだとしたら、その人間の頭脳によって数学の世界を構築できるなどという可能性は限りなく小さいはずだ。人間の肉体だけの進化についても、そんな進化なんてありえないように思われるのに(それはまるで、台風たちが、ある野原を何百回も襲って通り過ぎたら、そこに知能をもったロボットが誕生していた、といったようなものだ)、進化が数学的な能力まで人間に与えていた、なんてことはまったくありえない、と考える。数学を考えつくなんらかの枠組のようなものが人間の頭脳に与えられたとしても同じことである。したがって、その条件の場合、数学というものは、人間から離れたどこか知性的な存在の中にあったのである、としか考えられない。次に、仮に進化では生物の発生から人間の誕生までには、とてつもない時間がかかり、地球誕生からわずか数十億年では、現在のような生物の世界にはなっていないという立場(つまり、進化を完璧には否定しない立場)に立つと、やはり、人間とは関係のない目に見えない知性的な存在があって、そこに人間を創り出す情報が蓄えられていて、そのデータが使われ、しかも、なんらかの知性的存在が働きかけかけて、人類を誕生させた、と考えるしかない。ここでは、もっとほかの可能性も考えなくてはならない。つまり、宇宙は永遠の過去から未来まで、続いていき、永遠の過去に進化によって生物たちがすでに誕生しており、その情報がどこかに蓄えられており、その情報によって、今回の我々の太陽系の地球では、すみやかに人類の誕生にまで至ったという可能性についてである。直近以上ふたつの立場・可能性においては、それなら、原始的な生物を経ずにいきなり人類が誕生してもよいではないか、ということが主張できる。その場合、まず、初歩的な生物からつくっていかないと、いきなり人類をつくるわけにはいかないという証明が必要となる。それに対する答えは、人類だけつくっても、人類は生きていけない、という事実があることを指摘すれば充分だろう。つまり、食物連鎖の上の方に立っていないと人類は生存できないということである。地球上に人間だけいても、すぐ人類は死に絶えてしまうのだ。まず、人類が生きていける地球環境を整えることができない。酸素すら準備できない。つぎに、人間の食物がない。それだと人類は生きていけない。それにたぶん、人間を構成する有機物の合成も大変なことであり、有機物のない状態から直接人間をつくるのはかなり無理があるだろう。それにたとえばビタミンCについて考えても、人間はビタミンCを合成できないから、食物に依存するしかない(現在では化学的に合成できるが、そこに至るまでは無理。これについては、人間の体内でビタミンCを合成できるように人間をつくることはできるだろうが、人間が自然を破壊すると、お前たち生きてはいけないぞ、といったような、創造原理からの警告かもしれない。そういえば、ビタミンCというのは自然そのもの、といった印象も受ける。必須アミノ酸についても同じようなことがいえる)。つまり、以上の条件の場合でも、前のと同じく、数学というものは、人間から離れたどこか知性的な存在の中にあったのである、としか考えられないさらに、進化を完全に否定した立場、つまり、進化では人類は生まれてこない、という立場、つまり、人間とは関係ない知性的な存在があって、それが進化を司ってきて、人類が誕生した、という条件のもとでは、人間に最初から数学の能力を与えることできる。しかしそれだと、数学の能力も内容も、人間から離れたどこか知性的な存在がもっていて、それを人間に与えたことになる。以上、どの場合分けについても同じ結論がでたわけである。つまり前述の、1。人間とは関係のない目に見えない知性的な存在がありそうである。ということがいえると考える。つぎに、2。自由意志はあり、それは運命を改善できる。つまり、運命というものもあるが、それは、人間の努力精進で改善できる、あるいは変えられる。(ここでいう自由意志とは、すべてが機械論的に決まっているのではなく、自由意志というのがあって、それは、機械論的に決まってはいない、ということです)について考えてみます。それは、数学はこの世界の法則を描写できる、しかし完璧には描写できない、という事実から、そういえると考える。数学がこの世界の法則を描写できる範囲が運命であり、完璧には描写できないところに、自由意志が保証されており、それによって人は運命に干渉し変えることができる、と考えることは正しいだろう。つまり、法則内にあるものが運命であり、数学で表せない部分は自由意志の働く場所である、ということである。言い換えれば、宇宙は法則に従って運営されており、それは数学的論理と同じ流れの上にある。しかし、数学的論理で表現できない部分があって、それは、そういった論理からはずれており、そこが自由意志の場である、ということである。さらに、その自由意志によって、運命も変えていける。なぜなら、わずかな変化によって大きな変化をつくることができるからである。たとえば、人間は雪崩の元を発生させることができ、その雪崩はこの世界に大きな変化を与える結果となる(よい意味での雪崩を狙うべき。悪い意味での雪崩は、質時間回帰によって自分にマイナスをもたらすからである)。ただし、質の科学でいうと、精神的貯金を積んでいないと、運命をほんの少ししか変えることはできない、プラスな方に変えることは非常に難しい、となる。精神的貯金を貯めることが重要だということである。それにしても、自由意志というのは、どこから出てくるのだろう。ランダムでは出てこないのははっきりしている。それは、前述の、1。人間とは関係のない目に見えない知性的な存在がありそうである。そのあたりから出てくるとしか考えられない。この場合、人間と関係のある知性的な存在があって、そこで自由意志などを含んだ知性活動が行われ、その判断として自由意志が発生しているケースが多いのではないだろうか。勘、というものもそこに含まれているケースがあるだろう(勘については、人間の心・知性の波動性の高さと、空間のエネルギーなどのなんらかのエネルギーとが一緒になって、対象に共振し、対象のもつ情報を共有する、といった可能性の世界も考えられる。対象とは、その言葉どおりの対象、知性的ななにか、情報の記録的ななにか)。(低次元の自由意志というのもありそうである。その場合、知性活動を伴わず、暴発、といった発現をしているように見受けられる。あるいは習慣という形)。その自由意志の論理、というのはいったいどういうものなんだろう。それはランダムによる発現ではない。つまり、なんらかの論理にしたがっているというのはたしかだ。いったいどんな論理に従っているのだろう。まず、機械論的な論理でないことは前に述べたとおりだ。それは言い換えれば知性的な論理ともいえる。それから、人間的な論理である、ともいえるだろう。つまりここでは、人間の持つ知性とはなにか、ということの研究が必要だということである。しかもたぶん、その論理は、正と反が交互に同じずつ現れてくるという形になっているはずだ。善的なものと悪的なものが交互に現れてくる、といった実態だろう。質の科学でいうとそうなる。さらに詳しくいうと、そういった自由意志の論理というものは、物質の論理ではなくて、知性の論理である、ということになるだろう。知性の論理とはさて、3。見えない知性的な存在があり、それが人間などに働きかけたりでき、さまざまなものを変えることもできる。ということについて。これについては、先に述べたこと、つまり現在、人間が存在していることについての考察ー時間的なことについて・進化についてなどについての考察の中に既になされている。つまり、なんらかの知性的な存在があって、そこに人間を創り出せる情報が蓄えられており、しかもなんらかの知性的な存在(前者とは別でもありうる)がなんらかに働きかけて人間を創り出した、と考えられる、という結論になっている、そこでは(今回の人類誕生に限っていえば。今回、あまりに人類誕生までの時間が短いからである)。さて、以上の考察からの結論として、目に見えない知性的な存在があり、そこで、唯脳論は機械論であり、そこから自由意志がでてくることはない唯脳論というのは、心は物質の法則に従うと主張している。前述の内容により自由意志は機械論的にはでてこないという結論がでている。脳を機械論的に見て、数学的に記述できない部分があるのは先に触れたように原理的に当然だが、そこから自由意志がでてくるとしても、それこそが自由意志の領域であって、それは知性から発している、ということにほかならない。つまり、知性などに関しては唯脳論はまちがっているということであり、知性などは物質以外の世界に属する、ということ(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(引用的なものはそう記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天にあります(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。 宇宙人がでました(?)