*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、などの研究#33~49*イメージ思考でいこう*
*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、などの研究#33~49*イメージ思考でいこう*さて、人が何かを体験する(言動する、考える、感じる、などなど)と、その心的内容(=なんらかのエネルギー組織とその変化=なんらかのエネルギーの波動パターンとその変化)は意識の主体に送り込まれ、意識の主体がそれを意識し味わうそのときに、それに応じた変化が意識の主体につく。なぜなら、すべての存在は、エネルギーを受けるとそれに応じた変化を受けるからであるその変化を「質時間」と名づける「質」とは体験の質・味わいであり(方向性と濃度・密度の大小をもっている)、それを意識し味わった時間で積分したベクトルのようなものが質時間である(かんたんにいうと、体験の質×時間で方向性をもつもの。体験の質の濃度が時刻によって変動するので、積分する、となる。たとえば、車が時速60キロメーターで北に向かって一時間走ると、60×1(北→)で、北に60キロメーター移動することになる。実際には車の速さは定まっていず、変動しているから、おおざっぱに表現すると、時速58キロメーターで0,1秒、時速61キロメーターで0,04秒・・・・などとなっていくので、速さの変動に応じて速さに短い時間をかけてそれを足しあげていく、という計算方法をとる。それが積分という計算方法によるものである(速さ→速度というベクトル))意識の主体にはそんなふうに変化がついていく人が同じ体験をしつづけていくと同じ変化がその人の意識の主体につきつづけていき、その意識の主体は変化の限界に達して壊れてしまうなぜなら、どんな存在も、変化が限度を越えると壊れるからであるたとえば、棒を曲げていくと、限界を越えると折れてしまうようにそこで、この世界には意識の主体を壊さないための仕組みがあるのである(これは仮説めいてきこえるが、現実の世界を観察していると、それは事実であるとほぼ検証できる先に述べたように、この世界で最も大切なものは、意識・心であるとみなせるから、宇宙は意識の主体たちが壊れないように保護する仕組みを設けているのだろう機械や電化製品などにもいろんな保護装置がついているくらいである(物質によってできているものは、壊れても、物質の基本的粒子みたいなものやそのほかの存在に分解されるだけで、なくなるわけではない)単純化して表現すると、そこにおいて、ある体験をしたら正反対の体験を同じ量体験すれば、意識の主体についた変化が元に戻って意識の主体は壊れないその場合のそのたとえは、直径20キロメーターの土俵があって、その中心に立ち、北に10キロ進んで、それ以上北に行くと土俵から落ちてしまうが(土俵から落ちることは意識の主体が壊れることにあたる)、落ちる前に南に10キロメーター進めば、元の中心点に戻る、つまり変化が元に戻り、土俵から落ちることはない(つまり意識の主体が壊れることはないということに対応する)ということになる(仮説そういう仕組みがこの世界にはある先に述べたように、現実の世界を観察していると、それは事実であると思えてくるさらにたとえば、ことわざなどにも、それを裏づけるものが存在する苦あれば楽あり楽あれば苦あり、人間万事塞翁が馬、易経の教えにも、それと同等のものがあるさらに、正反対のことわざがあるということも、その正しさを裏づけているそういった法則を、質時間回帰則、科学的カルマ、体験総量プラスマイナスゼロ化則、体験元戻り則、などと名づける(仮説それは、気圧の低いところには空気が流れ込んでくる、というモデルでの解説がわかりやすい質の科学の発見に至った過程自分とまったく同じ人が今存在したらどうなるか→二重の意識状態になるが不思議ともなんとも感じない→自分とまったく同じ意識をもつ人が存在すればそれと同じ結果になる→意識はどこに存在するか?→脳の中の小さな一部に存在するか霊魂と呼ばれる存在に存在する→意識の部分がまったく同じ人が将来生まれてきたらそれは転生任意の人の脳の中の意識の部分とまったく同じ意識の部分をもった人が生まれてくればそれは転生であるが、そういった意識の総数よりも生まれてくる人間の数の方がはるかに多い→霊魂はなくても転生はある霊魂があれば転生はある→よって、霊魂はあってもなくても転生はある→ある体験をしたら、それに応じた変化が意識の部分につく→同じ体験をしつづけるとその変化が限界に達して意識の部分が壊れてしまう→意識の部分を壊さないために、正反対の体験を同じ量体験しその変化は元に戻される、という仕組みがある→つまりどの人もある体験をしたら将来必ずそれとは正反対の体験を同じ量体験することになる→転生を通じてそうなっていく→つまり転生を通じてすべての人は平等になっていく→霊魂があってもなくてもそういう同じ結果になる→体験・質には、ある性質のものがあれば、それとは正反対のものがある→それらは対生成しているのだろうなにもないところから質というベクトルのようなものは発生した→正と反が対生成→逆に正と反を足しあわせるとゼロのようなものに隠れる→運動量保存則における運動量というベクトルの法則に似ている→この世界の体験・質はプラスがあればマイナスも同じだけある霊魂はあるか?心的内容・意識の世界は波動性が最も高い世界である→脳の中で最も波動性が高いのは電子→脳の中の電子たちは一体性・全体性を形作れない意識は一体性・全体性を形作っている→脳という物質の組織に意識・心は生じない→よって霊魂という存在があると推測されるさらに電子の波動性はまだまだ小さい心的内容・意識の世界の波動性はそれより高い→よって霊魂という存在があると推測される加えて人は何かを決断するとき、決断したと思ったコンマ数秒前にすでに決断している、というおかしな実験結果がでている(脳波によってそういう結論がでる)→霊魂があるとしないと説明がつかないさらに人は、何かを体験したとき、それを意識しないでいることもできるし、コンマ数秒前に遡って意識することもできる、というおかしな実験結果がでている(脳波によってそういう結論がでる)→霊魂があるとしないと説明がつかない→霊魂はあるのだろう(脳波の一部は脳と霊魂との間での情報のやりとりの際に発生するのかもしれない)考えること、論理、などについて考えている状態を意識の主体が意識し味わう(意識の主体には考える能力はないが)そのとき意識の主体の中では、なんらかのエネルギーの波動パターンとその変化(時間経過による)が生じているそれを意識の主体は意識し味わっている考えること・論理などは、その波動パターンの時間変化の中にある(仮説そこを解明すれば思考・論理・人間の心のさまざまな働きがわかるだろう(仮説(ただし、自由意志は数式では表せない)ジグソーパズルでの説明部分と全体との関係部分と部分との関係ピースの図柄と全体との関係ピースの図柄と他のピースの図柄との関係ピースの切断面の曲線と図柄の切断線との関係色・色合いの関係交響曲での説明和音リズム和声ハーモニー不協和音対位法パートと全体の関係調性交響曲には時間変化がはいっているので、意識の主体におけるなんらかのエネルギーの波動パターンとその変化(時間経過による)の説明にうってつけに思えるただし、ジグソーパズルでも、人が見る場合は時間的に走査して見るので、時間変化ははいってくるその走査のやり方をどうするかという問題その走査のやりかたによっていろんなことが変わってくる可能性が(映像を電子映像機器で保存したり送ったりする場合など(フィルム式では一場面は一瞬一発で撮れる(テレビなどでもいくつかの方式がある人間の頭脳活動をパソコンでたとえる意識はモニターに対応する(ただしモニターには意識は生じないが)生物と機械ではまったく異なる生物の原理は機械の原理は次は宇宙の始まりについて1.宇宙は永遠の過去からあった2.宇宙は今回のこの宇宙の始まりの時に始まった3.(1.)と(2.)の間のどこかで始まった4.それ以外知性の誕生について1.知性は永遠の過去からあった2.知性は今回のこの宇宙で誕生した3.(1.)と(2.)の間のどこかで誕生した4.それ以外a.しかも知性は変化・進化しつづけているb.知性は変化・進化しない生物の誕生について1,生物は永遠の過去に誕生し進化してきたa,その、生物の誕生において、知性・データがなんらかにかかわったb,その、生物の誕生において、知性・データはかかわらなかったさらにア)宇宙が一旦終わっても、生物に関する情報・データはなんらかに保存されてきたイ)宇宙が一旦終わったら、そこで、生物に関する情報・データは消えた2,生物は永遠の過去から現在までのどこかで誕生し進化してきたa,その、生物の誕生において、知性・データがなんらかにかかわったb,その、生物の誕生において、知性・データはかかわらなかったさらにア)宇宙が一旦終わっても、生物に関する情報・データはなんらかに保存されてきたイ)宇宙が一旦終わったら、そこで、生物に関する情報・データは消えた3,生物は今回の宇宙において誕生したa,その、生物の誕生において、知性・データがなんらかにかかわったb,その、生物の誕生において、知性・データはかかわらなかった知性と生物についていえば、どちらが先に生まれたか?先に記した「知性の誕生について」と「生物の誕生について」の組合せをなした上で結論をだすことになる宇宙の大きさはどうなっているか1,相対論一本でいくと、宇宙の外には出ることはできない、宇宙の中をまっすぐに進んでいくと反対側からでてくる、宇宙の外には空間はない、しかし今現在宇宙は膨張している、という解釈が一般的であろう(相対論上のビッグバン宇宙論の間違いの可能性については以前指摘した)しかし、その場合でも、宇宙空間(のようなもの)は、無限に、大きい・大きくなれる、ということになる2,相対論上のインフレーション宇宙論では、宇宙はいくつでも存在する、となる(あえていえば今現在)この場合でも、宇宙空間(のようなもの)は、無限に、大きい・大きくなれる、ということになるだろう3,宇宙の大きさは無限である4,宇宙の大きさは有限であるこの場合、宇宙の果てのその先はどうなっているのかという古典的疑問にどう答えるか5,その他の宇宙論での(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く)(引用的なものはそう記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天にあります(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。 宇宙人がでました(?)