つぶやき121031
つぶやき121031(逆順)雲の形は面白い。想像力を働かせると、なにかの対象に似ていると思えることもある。たとえばタツノオトシゴとか。つづき:「は」は格助詞には分類されていないが、格助詞として扱えるケースもある。そういったふうに、助詞の領域にも面白い課題がいろいろある。つづき:さらに、「が」と「は」の用い方であるが、どちらでもいいケースが結構あるものだ。自分が書いても読み返すと変更したくなったりする。表現がむずかしいが、「は」の連続を避けて「が」に変更したりといったこともある。つづき:そういう例は困ったものだ。そういうのを読むと、意味はわかるが心の居心地が悪い。つづき:たとえば、「図書館で本Aが公開されている」を略記して「図書館で本Aが公開」と見出しにする。そういった略記の見出しなどをよく目にしているうちに、「図書館で本Aが公開している」となっていくのではないだろうか。これは一例だが。近頃、格助詞「を」とすべきところを「が」としている例が増えてきているのではないか。意味はわかるが不自然な印象が否めない。「をが」とすればまだいいが。そのうち「が」の用法が増えて変わっていくのかもしれない。周りを島々で取り囲まれた海域で台風発生、深まりゆく秋、世界は不思議に満ちている。つづき:日本と欧米には同じタイプたちの美人たちがいる。日本の中でも地域によってそういったことの差がある。かなり前、イタリア人女性に話しかけられたことがある。優雅で柔らかい感じの凄い美女だった。あのふわっとした柔らかな感じは欧米人女性には非常に少ないのかもしれない。中学の同級生にかなり似た女の子がいたのを思いだした。懐かしい気がした。年をとるほど勉強したくなる。学校時代はその反対だった。学校の勉強なんてほとんどしなかった。深まりゆく秋、台風、足早になって列島の南を駆け抜けていく、五部作のうち、心脳科学(仮説)が反証される、つまり、心脳科学(仮説)は心脳の現実を記述していないと確認されたとしても、質の科学(仮説)をはじめ他の4作にはなんの影響もない。そのことによって他の4作が否定されるということはない。5部作。心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、転生の哲学(科学的仮説)、世界哲学(希望)、運命のノート(遊び? 現実?)。気長にいく。心脳科学(仮説)、質の科学・質時間回帰則(仮説)、転生の哲学(科学的仮説)、は、科学的にして原理的に在りうる内容だけをもっている。つまり現実がそのとおりでありうる。世界哲学(希望)も同じくその線で構築されている。ぼくはネット上にいろいろ書いてきたが、結局「5部作」を世に問いたい、これだけだ。それに尽きる。5部作。心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、転生の哲学(科学的仮説)、世界哲学(希望)、運命のノート(遊び? 現実?)。気長にいく。マクスウェルがマクスウェルの方程式を構築する過程は、工学的だった。それは工学的モデルを仮定してなされた。後にはそのモデルは捨て去られたが。原始仏典によると、ブッダは、神々や悪魔たちと会話をしたことになっている。質時間回帰(仮説):幸福なはずの境遇にあっても、質時間回帰によって幸福だと感じなくなる、という面もある。つづき:今のところ、表向きには心脳科学(仮説)は質の科学(仮説)と関連づけていない。心脳科学が現実に対応していると検証されたら、関連づける予定だ。私的にはもう始めている。つづき:質の科学(仮説)と転生の哲学(科学的仮説)では、霊魂はあるのかないのか判定せず、どちらであっても成り立つ論を展開している。しかも霊魂はあってもなくても転生がある、ということについて、論理による証明のようなものもある。つづき:普通のカルマの概念は概念自体も原理的根拠も論拠も証明法もはっきりせずいいかげんであやふやだが、質の科学ではそれらは実に明快である上に更にそれ以上のことも精緻に提示される。つづき:いちばんすっきりしているもののひとつが、ヒンドゥー教かもしれない。霊魂も転生もあると説いている。因果応報の概念はヒンドゥー教と仏教にある。いわゆるカルマだが、カルマは質の科学で説明がつく。質の科学ではそれを借用して質時間回帰則を科学的カルマともいう。つづき:原始仏教は霊魂はないが転生はあるし地獄もあると説いている。原因と結果の法則によって、欲望執着(自由訳。ラーガ、タンハー、うろ覚え)があれば転生をもたらす仮の霊魂のようなものが生じ転生するといっている。修行して欲望執着を滅さない限り永遠に転生していくとしている。つづき:世界中の多くの宗教は、霊魂も天国も地獄もあると主張しているようだ。それなのに転生を明確には主張していない宗教もある。つづき:そういったことになるのを防ぐためをはじめ、どこをどうとってどう考えてみても、世界、社会、人類にとって最重要なテーマのひとつは、転生はあるか否か、質時間回帰則は現実の法則であるかどうか、そういったことではないだろうか。基本中の基本だ。地球上に自分ひとりしかいなかったら、稼ぎなんて食うだけのものを得るのがせいぜいだ。それすらできるかどうか。生きていく気もしないだろう。人類が滅んで最後の一人になることは永遠の恐怖かもしれない。心脳科学(仮説)、質の科学・質時間回帰則(仮説)、転生の哲学(科学的仮説)、は、科学的にして原理的に在りうる内容だけをもっている。つまり現実がそのとおりでありうる。世界哲学(希望)も同じくその線で構築されている。5部作。心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、転生の哲学(科学的仮説)、世界哲学(希望)、運命のノート(遊び? 現実?)。気長にいく。霊魂はあってもなくても転生がある、ということについて、論理による証明のようなものがある。質の科学(仮説):質時間回帰則は論理で構成されている法則である。その検証は完全にはなされていないが、それでも経験則やことわざ・故事などから抽出した法則のようなものに(と)よく一致する。相反することわざなどが存在することもその正しさを浮き彫りにするかのようだ。世界は不思議に満ちている。離れた加筆(かなり前に書いたことを以前ふと思い出して気になっていた):ネットサーフィンしていて、脈絡もなく突然バチカンとでてきた時にそう空目したのだった。そのwははずすことにする。離れた加筆(かなり前に書いたことを以前ふと思い出して気になっていた):madonnaはイタリア語で私の淑女という意味だ。その区切り方を変えるとそうなると気づいたわけだ。あるとき頭の中で音声で気づきアルファベットで確認したのだった。そのwははずすことにする。つづき:低気圧からの大気が上空で背の高い高気圧に流入し、それからそこより下の部分からその大気が放出されるので、そんな比喩が成り立つだろうということだ。ホワイトホールが現実にあるのかどうかは別にしての話だが。かなり前、台風と銀河とブラックホールがどうのこうのと書いたことがある。それからいくらかしてそれに付け加えることを考えた:その線でいくと、ホワイトホールは背の高い高気圧にたとえることができるだろう。5部作。心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、転生の哲学(科学的仮説)、世界哲学(希望)、運命のノート(遊び? 現実?)。質の科学(仮説):質時間回帰則は理屈からでてきた法則である。その検証は完全にはなされていないが、それでも経験則やことわざ・故事などから抽出した法則のようなものに(と)よく一致する。相反することわざなどが存在することもその正しさを浮き彫りにするかのようだ。転生の哲学(科学的仮説)と質時間回帰則(仮説):エドガーケーシーのリーディングは、転生の哲学(科学的仮説)と質時間回帰則(仮説)の検証例となっている、という立場にたてる。質時間回帰の具体例がいくつもある。(そういった方面のことをハナからバカにする人にはこういうことはいわない)。心脳科学(仮説)からでてくる発明の特許出願をどうするか。つづき:それらについても科学的に説明できそうだが。(仮説)。以前書いた、ほとんどの領域・多くの領域は関数化という記述ができない、ということは何を意味するか。それらの領域には、人間が考えられる多くのもの・ことやその他(考えもつかないことも含めて)が存在するかもしれない、存在しうる、ということである。趣味:転生先の星系を探して楽しむ。つづき:質時間回帰(仮説):あるいはすべての意識の主体についた質時間に従って質時間回帰するということも100パーセント完璧に真実に基づいて質時間回帰するということである。そこからでてくる結論:質時間回帰則は、100パーセント完璧に真実に基づいて機能する・働く。つづき:質時間回帰(仮説):それら確率的にしか質時間回帰できないケースでも、結局は100パーセント完璧に真実に基づいて質時間回帰するのと同値に至る。いずれにしても、質時間回帰則は、100パーセント完璧に真実という質時間の総和に基づいて機能する・働く。質時間回帰(仮説):霊魂がないばあい、質時間回帰は、確率的になされる可能性もあれば、真実に基づいてなされるばあいもある。霊魂があるばあいは、多くは意識の主体についた真実に基づいて質時間回帰するが、意識の主体に質時間の変化がついていないケースでは、確率的に質時間回帰する。転生の哲学(科学的仮説):転生先(肉体や才能・能力、環境などを含めさまざまな要素たちがある)は、自分(意識の主体)の積んだ種々の質時間たちの総和にふさわしいところ・もの・ことになる(仮説)。人間には、霊魂があると思っている人たちと、ないと思っている人たちがいる。転生についても同じだ。インドのほとんどの人たちは転生を信じていると思われる。理屈では霊魂があってもなくても転生はある(未検証)、となる。つづき:宇宙を舞台に転生ということも考えられる。これについてはSF的な仮説はたつが、それをどう科学的でかつありうる仮説にもっていくか。 前の方に付け加えてただし、すべての人間が、どの人間も、生きていくと質時間のマイナスを積むことが実に多い。つづき:転生先の要素たちは、今のそれらとは反対になることも多い(転生を繰り返していけば質時間回帰する)。転生先の要素たちのうち環境についていえば、それが汚染されていたらお手上げである。つづき:転生の哲学(科学的仮説)は、転生先がいいもの・こと(いろいろな要素たちがある)であるようにするためにさまざまな質時間のプラスを積むことを奨める。転生先は自分ではコントロールできないが質時間のプラスを積んでいると自分にとってよい転生ができる(質時間回帰・仮説)。このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)