つぶやき121125
つぶやき121125(逆順)のろのろ進む冬の深まり、でもそのうちガーンと寒さがやってくるんだろうな、つづき:ぼくのばあい、両目を開けていると、スキをつくらないように心がぴんと張りつめて働いている感じがするが、片目をつむると、もうどうでもいいや、とばかりに頭がスキだらけになって、リラックスする感じがする。ぼくのばあいは、つぶるのはどちらでもいい。つづき:過ぎ去りし日々,,,想い出は美しすぎて,,,つづき:片目をつぶっていると、その緊張症がずいぶん軽くなる、ということをかなり前に発見した。つづき:自分を振り返ってみて、バカな野郎だ、と思えることもある。つづき:信じられないことだが、その映画鑑賞は、小学校の行事だった→「さらにそのころ、恐ろしい映画をみたことがあって、その登場怪物が夢にでてくるようになって、あとあとまで強い恐怖の影響を受けつづけたものだ。」つづき:旅の想い出はいいものだ。もっとも、はじめに告白したとおり、ぼくは超緊張症だから、旅はあまり楽しめないんだが。でも、それでも旅をしたくなる。つづき:ゆったりとしたつくり。しかもそこはがらがらだった。学生用のスカイメイトは普通席だ。キツネにつままれた気がしたものだ。おかげさまで楽しかったですよ。どうもありがとう。つづき:スカイメイトという学生優遇の制度が以前あって、あるとき羽田から、ボーイングかなにかの新鋭機に乗ったことがある。そのとき、空港の受付の女性が気をきかしてくれたらしく、機内で、二階席のファーストクラスに案内された。つづき:そして、彼はそのポーズのまま、眠い? とぼくにアピールしたのだった。ぼくはうなずいたんだが、おかしかった。大の大人、しかも武装した警備員がそんなことをするとは。あれは世界共通のしぐさというかボディーランゲージなのだろうか。想いだすと笑いそうになるエピソードだ。つづき:カイロの博物館で、時差ぼけで眠くて長いすに腰かけて休んでいたら、マシンガンをもったハンサムな若い警備員が、ぼくを見て、マシンガンを下に下ろして、両手を合わせて片方のほっぺたあたりの横にあて、そっちに首を傾けて、いわゆる「ねんねのポーズ」をした。つづき:アンカレッジ空港の免税店で、キャビア缶をひとつ注文したのに、帰ってから袋を開けたら2缶はいっていたことがあった。不思議でキツネにつままれたような感じがしたものだ。つづき:それから、これもウィーンでのことだが、ホテルからレストランに予約の電話をいれたとき、はじめから全部日本語でしゃべったら、通じたことがあった。おもしろかった。つづき:おいしいといえば、イギリスの食事はまずいといわれているが、ロンドンで食べたステーキはしょうゆ味でおいしかった。パリで食べたデンデンムシ、つまりエスカルゴは、コショウの塩味で、まあまあだった。つづき:ウィーンで、モーツァルトが落書きしたことがあるとかいう内壁をもつレストランかなにかで食事をして、壁にぼくの名前を漢字で書き込んだことがある。そこのガーリックスープがおいしかった。つづき:で、その中のひとりの18歳くらいのかわいい女の子が、翌日、みやげ物店で、ぼくのところにやってきた、ということがあった。フランス人はフレンドリーだ。懐かしい想い出だ。つづき:パリで、坂があって岡になったようなところがあって、そこで写真撮影をしようとしたとき、通りかかった女性三人が前を通るのを躊躇していたので、「ハイ、プリーズ」と声をかけたら、いっしょに写ってくれて、ぼくはずうずうしく両脇の女性二人の肩に手をのせて撮ってもらった。つづき:さて、はじめに戻って、旅の想い出だが、ルーヴル美術館で、名画を撮影したことがある。撮影禁止だったんだが、ストロボをつけずに写真をとったら、館員はなにも言わずうなずいていた。ぼくもうなずき返した。フランス人にもいいところがある例のひとつだ。つづき:過ぎ去りし日々。今ではいい想い出だ。つづき:しかし、大学時代は疲れ果て、講義もおろそかになっていた。つづき:しかし、授業は聞いていた。そして、緊張しながらも、根本を掘り下げるような質問を先生にしたものだった。中学、高校と、緊張のため、すぐ疲れて身が入らなくなっていたが。でも、登校拒否などということは露ほども心に浮かばなかった。つづき:ほかの要因もあるんだろうが、そういうこともあってか、小学校から大学まで、学校の勉強も試験勉強も受験勉強もほとんどしなかった。見事といっていいほどやらなかった。今では笑い種だが。つづき:高校、大学と、そんな緊張症を治そうと、いろんな挑戦をやったものだ。でも、治らなかった。で、中学時代あたりからの永い期間、読書をしてもすぐ体調が悪くなったり苦しくなったりするようになった。今でもその傾向はあるが、読書は好きだ。つづき:そういったことによる影響は人によってまったく異なる。ぼくのばあいは、恐ろしいほど極端な影響を受けたといえる。しかし、ぼくのようなケースでは、そういったことはプラス面をもっていて、人間のもつなんらかの能力を呼び覚ますのだとぼくは信じている。つづき:そのことがあって、結局、学芸会当日は脳貧血をおこして学校を休む結果となった。さらにそのころ、恐ろしい映画をみたことがあって、その登場怪物が夢にでてくるようになって、あとあとまで強い恐怖の影響を受けつづけたものだ。人生にはいろんなことがあるもんだ。つづき:その件に少し似たことが、小学2年のころにもあった。学芸会の劇の練習中に、先生がセリフをテープレコーダーに録音したことがあって、その再生を聞いて、自分の声はなんていやな声なんだろうと衝撃を受けたことがあった。つづき:でも、そのおかげで、さまざまな思考力訓練にほんとに徹底的に打ち込めたので、それはいいことだったのだと今では納得している。つづき:自分で考えてのことならなんとか声はでたが。大学時代も大変だった。さらに遡ると、中学時代から、友だちと話をしてですら、大変な心労を覚えるようになっていたのだった。ほんとに大変な痛苦だった。つづき:中一でそんな事態は終わったのに、依然として緊張はつづき、高校の終わりごろには、吐き気はするは、ご飯はのどをとおりにくいは、ほんの一時期だが、授業中本を音読させられると声がでなくなるはで、大変なものだった。つづき:ぼくは意地を張ってだれにも相談しなかった。自分の沽券にかかわるという感じで黙っていた。で、そういったべらぼうな緊張は、家を出ると始まり、家に帰り着くまで続くようになった。そのうち、家でも緊張がなかなかとれないようになり、年がら年中緊張状態がつづくようになった。つづき:ぼくはなにくそと意地を張って交代を要求せず、そのまま続けた。それがずっと続いていって、そのうちに、始業時に先生の足音が近づいてくるだけで、ぼくはドキドキするようになり、さらにそのあと超緊張症になっていったのだった。つづき:中一のとき、学級委員をしていて、昔のことだから授業の始まりと終わりに「起立、礼」と号令をかけていたのだった。そのころちょうど変声期になって、声がひっくり返っておかしな発声になるのだった。それを聞いて、クラスのみんなは大笑いしたものだ。つづき:世界がずれこんだ世紀末を迎えた今、ぼくの超緊張症について、ここに書いておきたくなった。そのために迷惑をおかけした人たちがけっこう多いと思いますので、ここにお詫びを含めて告白しておきます。ネットサーフィンをしていると旅をしたくなることがある。それに旅の想い出はいいものだ。といっても、ぼくは超緊張症だから、旅はあまり楽しめないんだが。今でも万事、超緊張症の名残を引きずっているぼくだ。げっそりだ。心脳科学(仮説)は600枚くらいになった。ぼくにとってはべらぼうに面白い怪物本になった。でも仕上がりチェックのために読み返すのもべらぼうに大変だ。あと5回ぐらいは読み返して、おかしなところを修正していく。原稿には思わぬミスや間違いはつきものだ。ゆったりと進んでいこう。ヘンテコ気圧配置か、のろのろ進む冬の深まり、このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)