3月28日分:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部:
この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、7分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部:その前に:注)以下の前置きは、このサイトが書かせたのである。ほんとうはそういうことは書きたくないのだが。経験からいってここは非常な注意を要するサイトだと認識したので、前書きを書かざるをえない。前置きとして、以前載せたのをそのまま継承する。あちこちに記してある。当然、ここでのことごとに応じて厳重な対策を多数とった。Pとも連携をとっている。詳しくは私のブログなどを参照されたい。このサイトとここ関係の出かたに応じて、当然書くべきことをぼくは書いた。噛みついてくる者には、当然噛みつき返すこともある。それだけのことである。こちらから噛みついたことはない。私に噛みついてきた連中には、私がここ以外で書いているものまですべて読むことを勧める。何人もいるが。本論は世界初であって、今までにだれも唱えたことのない論であり唯一無二であって、その仮説体系そのものにかかわる文献も皆無である。本原稿中の概念や「たとえ」そのほかは、正確・厳密ではない。記述においてもそうである。本原稿は雑記であって、間違い、いいかげんなところ、訂正すべき個所が多い。重複も非常に多い。「対象や在り方」をひとつに限定したような記述をしている個所たちについていえば、「対象や在り方」が複数である可能性もある。つまり、そこでは他の可能性たちもある。書き込みの不足している個所たちもある。誤解を招く記述もある。矛盾している個所たちもある。整合性がとれていないところもある。文・文章自体にも間違いがあるところもある。本テーマについての科学的能力のない者の噛みつきを禁ずる。とにかく揚げ足をとってはならない。ケチをつけてはならない。それらは傷害罪に当たる。引用元の明記なしに、自分のもののごとく用いたら(盗用)、あとが大変なことになるのはわかりきったことである(引用元を記せば使える)。「ここは公であり、衆人監視・環視の場である」茂木さんのクオリアマニフェストから言ってもそうである。加えて「ネット世界も公であり、衆人が監視・環視している」本理論体系の理解を完全なものに向かわせるには、全部を読むしかない。複数の仮説がひとつの体系をなしているし、今までになかった概念が複数からまっているので、そういうことになる。 心脳科学(仮説) 題目と説明正式題目:「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」別の題目:「心脳工学(仮説)」 「意識工学(仮説)」 「心・意識・脳の科学(仮説)」 「意識の科学(仮説)」 「心の科学(仮説)」 「心工学(仮説)」 「心・意識・脳の自然工学(仮説)」 「意識・心・脳の科学(仮説)」(仮説は複数である:仮説=仮説たち=仮説体系=仮説たちの体系)本原稿は研究途上にある雑記である。ある程度正確できれいに整えたものの、構成が不十分であるし、整合性がとれていない部分たちがある。重複も多い。かん違いや間違い、未熟さやケアレスミスなどもある。ただし、内容においては、今の段階で必要なものはほとんどすべて盛り込んである。また、タイトルの「システム明細」についていえば、まだ不完全だが、仮説上の自然工学的な数学的枠組みは提示できている。本仮説体系の完成:2009年頃までに:by西山浩一(世界人、春楽天)本書の原稿の一応の書き上げ:2012年6月by西山浩一本書の原稿の加筆・推敲・校正:by 西山浩一本書の原稿の発案・構想・構築・執筆者:西山浩一(C)本原稿と表紙絵の著作権者:西山浩一心脳科学研究所(本原稿は、400字詰め原稿用紙換算で約1000枚の分量がある)本原稿は日本国著作権法ならびに国際法によって保護されている。本原稿のすべての著作権は心脳科学研究所(西山浩一)が保有している。日本国著作権法ならびに国際法は、用紙書面による著作権者の許諾なしに、本原稿を複製ならびに転載することを禁じている。本原稿からの引用の際には、本原稿名を記すことを要する。この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、7分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部:さて、直上に長々と関連のあるセクションを挿入したが、ここでそれ以前に遡って続けよう・・・さらに強調すると、人間においてはさらに超弩級に驚嘆すべき実態となる・・・人間以外に比してより複雑で精妙な「心脳~心~意識~心的内容~意識内容」までもつようになり、さらに種々さまざまなもろもろ――知的活動によるさまざまな創出――物質的あるいは非物質的な(詳しく既述)――をつくり出しあるいは発見し、その中に住むようになる・・・そういった途方もなくもの凄い世界が「ゲノム+わずかなアルファと経験と学習」だけからでてくる可能性はゼロである。タンパク質などの情報物質がそれらを担保していないとそういった世界は絶対に形成できないし成立しない――それについて詳しくは以下や別なところsで論じる(煩わしいので、ここでも重要な単語sは単数で用いる)・・・。(・・・以下を含めて、ここらのところにも、昔から特に気になっていた内容が多い・・・)・・・このセクションは後日加筆・・・生体内には、mRNAとtRNAその他などだけでなく、さまざまなノンコードRNAがあることが近年わかってきた。ノンコードRNAとは、ノンコードDNAから転写され生成されるRNAである。ノンコードDNAとは、遺伝子としてのコードsをもたないところの領域・DNAの、である。いわゆるジャンクと言われているDNAの大きな領域でありDNAの98パーセント以上を占めるというから驚く。少し逆行するが(この書き方がよいと考えた)、ノンコードDNAの少なくとも70パーセントはRNA対応になっている(それ以外は、いくつかの範疇の働きや特性をもつ)。で、ノンコードRNAのいくつか程度はその働きがわかっているが、それ以外のノンコードRNAの働きはわかっていない。しかし、それらはアミノ酸の数100以下の小さなタンパク質に対応している可能性はある。――以上は既知の知見としてよいと思われるので出典は記さない――。(ノンコードRNAであると判定する観測計測も暫定的にして不正確であり、現在の段階では、こういう記述しかできないレベルにある・・・ここはあとで加筆・観測計測と書いたが、どういう単語というか用語をあてればいいかしばらく考えた結果、寝ぼけ頭なので「観測・計測」しかでてこなかった。しかし全然適さないと思った。で、あとになって「測定・分析」がいいのではないかと思い至った。そういうことで、「観測・計測」を「測定・分析」「解析」としよう。だいたい、「観測」という用語は天文観測といった事柄に用いるはずだが、量子論などにおいても用いる。字義からいってもそれでよいはずである。「計測」は工学的な響きがあるが広く用いてもいいだろう。そういうことであるから、遺伝子関連を伴う生物学に、「観測・計測」を用いても意味はわかるだろう。で、ここでのばあい、より複雑であるから「分析」を入れるべきだろう。そういうふうに考えてみた。・・・ついでに記すと・・・こういうふうに研究においては、さまざまなもろもろが頭にこびりつくぐらいでないと、研究はできない。さらに言うと、四六時中考え続けるような感じでないと研究はできない。・・・・・・少し前に戻って・ここらの記述は、だいたいそうだと見做されている、というところである)。・・・カッコの中が長くなったが、本筋に戻って・・・それが事実であれば、遺伝子に対応している普通のタンパク質以外に多数の小さなタンパク質が生体内に存在している可能性がある、ということになる。そうであるとすると、その物質的働きのほかに、情報発受信物質としてのたんぱく質の数が大幅に増えることになる。もちろん、情報発受信物質としてのRNAの数も大きく増えることになる。そういうことになると、脳~心脳における心的内容情報の数も大幅に増える。さらに酵素としてのタンパク質の種類や数が増える、といった系統の関連もでてくる。くわえて、生体内の代謝などの要素の数も大きく増えることになる。さらに、生物の受精~発生~生体化~成長などにおける、活動要素sも大幅に増える。以上、それでこそ、それらすべてが――心脳活動や生体内の代謝などと生物の受精~発生~生体化などが――成立するはずだ、という感想がでてくる――そうでないと成立しそうにないと――。・・・ついでに、遺伝子、ゲノム、DNA、染色体、の関係を記しておこう・・・まちがいがあるかもしれないが・・・そこらをすっきりと説明した文献に出会ったことがない・・・遺伝子は4種類のヌクレオチド(特定の種類sの塩基+糖+リン酸)sから成るDNAという巨大分子の一区画であって、遺伝情報~RNA・タンパク質に対応する「ヌクレオチドによるコード」をもつ(ウイルスを除く。一部のウイルスはRNAが遺伝子となっている)(ただし、現在までの生物学において、そうであるとされているのであって、遺伝にかかわる素子のようなものはDNAにおける他の要素にもある可能性はある。それに関連してすでに述べたが、情報発受信物質としての素子として、DNAの何らかの区画や素子のようなもの、RNA、その他、が考えられる)。DNAについての解説は、上述に含まれている。ゲノムというのは、対象生物の遺伝子すべてについての「ヌクレオチドによるコード」データなどの総体(これから先、それ以外の遺伝情報s・その他も必要だということがわかってくるだろう)。さらに目指すところはそれらデータそれぞれが遺伝子としてどういう発現を生体においてなすか、という実態内容の解明だろう。染色体はDNAプラスアルファであって、いってみれば、DNAとDNAの支え物質とカバーのようなものと活動に必要な素子的な成分sとプラスアルファなどをDNAに加えたもの? だろう。・・・ (・・・ついでに記すと・・・他のところでも何回か述べたが、科学といえども「途上」にあるわけである・・・この「途上」というのは・・・「発展途上」では語弊があるので、「途上」としかいえない。科学には発展もクソもシッコ・JK・もない。それは、「科学の対象を科学において現実どおりに正しく見極めるという究極に至る途上」にある、という意味である。・・・科学をやっているという主張のもとに、対象を間違えて捉えているケースがあるとすれば、それはその科学の落ち度でありクソでありシッコである。・・・クソとシッコをいれたジョークを入れたのでついでに・・・いや、クソとシッコはこのばあいあわない。前述のジョーク「~~もクソもない――成句である」を発展させようと書いただけであるが、クソもシッコも有益に用いられた結果でてきたもので、廃棄物ではないとみることができ、肥料として用いることのできる有益なものであるので、このばあい不適当だ。ここではただ、○○もクソもない、という表現に乗っかっただけである。・・・ということで、ここでは言葉の質・クオリアで遊んでみた。日本語の質・クオリアの世界は豊穣である)・・・ところで、受精卵内にある、発生始動素子(物質)はなんだろう? 遺伝子だけでは何も始まらないだろう。まずは、卵か精子がもっていた素子だろう、と考えられる。それに加えて、その系に近接したところにある情報発受信物質も、そうである可能性がある――既述――。さらに発生が進んでいく実態においても、遺伝子だけでは進行していくはずがない。そこらには、さまざまな素子sが関わっているはずである。直近上に述べた対象sのほかに、その過程では、さまざまな物質的素子sが生成されていくはずである。さらに・・・遺伝子以外のDNAの一区画s、さきに記した、ノンコードDNA、ノンコードRNA、そこから転写された小タンパク質(まだ確認されていない?)などが、その候補の一部となる。・・・注・・・そこでの転写の開始コードも終止コードも、普通のそれらとは異なるはずだが。それらが同じであれば「ノンコード」ではないからだ。そこにおいて、アミノ酸数100以下のDNA内のコードについては、どうなっているのだろう? 最初からアミノ酸数100以下のタンパク質対応コードについては検討していなかったのだろうか? それらもRNAに転写されるのであれば、転写の開始コードも終止コードもそこにはあるはずだ《そこに対応する小タンパク質もそうだ》。ノンコードRNAのうち、いくらかの働きはわかってきてるようだ? さらに、そこらはこれから知るべき課題――筆者にとって――である。・・・以上、注・・・以上では、「注」が長くなったので、もういちど記そう・・・そこらには、さまざまな素子sが関わっているはずである。上に述べた対象sのほかに、その過程では、さまざまな物質的素子sが生成されていくはずである。さらに:遺伝子以外のDNAの一区画s、さきに記した、ノンコードDNA、ノンコードRNA、そこから転写された小タンパク質(まだ確認されていない?)などが、その候補の一部となる。・・・そうであってこそ、発生・分化・成体化もなされていけそうである。あと、過去に何度も記した、情報発受信物質――すでに挙げているものとしては普通のタンパク質・遺伝子・RNA・その他などがあるが――として、それらも働けるだろう。・・・・・・以上述べた内容において、筆者にわからないことがあるんだが・・・DNAの一区画をRNAに転写するにあたっての開始コドンと終止コドン、mRNAからタンパク質を生成(生合成、合成)するにあたっての開始コドンと終止コドン、(コドンの定義も文献によってまちまちだが)(DNAとRNAにおけるコード素子は一種類が異なる)、それらは完全に同じ(対応)しているのかどうか。それと、DNAに開始コドン(種類はひとつ)と終止コドン(種類は3っつ)があれば?、RNAに転写されるはずだが、それ以外のケースでRNAに転写されるケースがあるということか? 文献を見ていると、そういう結論になる――それに、アミノ酸数が百以下だとなぜタンパク質だとみなさないのか? (まずは人がみなさないのか? という意味であり、さらにその機序内でもその機序がみなさないのか? ということ)――。そこらにある謎や未知の内容、それらは以前の遺伝子学・生物学より豊穣な世界を垣間見せる。それでこそ、受精~発生~成体化~成長~生物・人間の世界などが成り立つというものだろう。・・・(・・・以下を含めて、ここらのところにも、昔から特に気になっていた内容が多い・・・)ここで、生物(多くの生物。以下の記述からはずれる生物は除く)についての概観を記してみよう。受精~発生~成体化~成長、生物の個体(成体)、などを含めてかなり抽象的にそれを述べよう。まずはそこにある、要素s~要素的な素子s、を並べてみよう。DNA、遺伝子、DNAの一区画(ノンコードDNAなど)、ヒストンなど、RNA(その働きによっていくつもの範疇・種類のそれがある)、ノンコードRNA、タンパク質(含・酵素など)、モータータンパク質の類、小タンパク質(含・酵素など)、アミノ酸、アミン、ペプチド、リボソームなど、ミネラル(イオンなど)、ホルモン、神経伝達物質、それら微小要素的素子にタンパク質やその他が結びついた素子s、その他の「成分としての微小要素的素子s(たくさんある)」=「部品的素子s(たとえばアミノ酸)」、その他の「装置や装置の一部としての要素s」=「機能活動素子s(たとえばリボソーム)」(多くある)、などなど。――部品的素子が機能活動素子になるケースもある――。生体内では、以上述べた微小要素的素子sなどの化学反応・生化学反応が起きている。成体(内)は化学工場内のような一面をもつ。受精~発生~成体化~成長においても同じくそう言える。化学反応・生化学反応においては、電子が大きくかかわっている。情報物質における情報発受信(仮説)においても、電子が大きくかかわっている。――もちろんそこでは、電子と「その電子周辺にある電子・陽子・中性子」、原子、分子、などとの関係も働いている。次に、情報発受信物質として働く素子sが情報発受信をなす(仮説)ことによって、どういった働き(有効な働き)が生まれるか可能性を述べてみよう。「始動・起動~停止・終止」情報――なんらかの対象の活動のスイッチを入れる働きと、活動を止めさせる働き。居所(いどころ)情報のやりとり――対象の位置など(方向、距離、など)の情報を得る、やりとりをする。識別情報――名札。以上・・・たとえば・・・トランスファーRNAとアミノ酸の間でのやりとり(名札、居所)、メッセンジャーRNAやトランスファーRNA(アミノ酸を連れて)がリボソームにたどり着くのに必要(名札、居所)、リボソームにおいてどこでどうすればよいか知るというか決めるのに必要(名札、居所)、モータータンパク質の配置先や物質要素素子の送り先を決めるのに必要(名札、居所)、モータータンパク質以外においても、物質要素素子の送り先や配置先を決めるのに必要(名札、居所)、などが可能性~仮説として考えられる。以上の可能性は少ない例を挙げただけであって、その他の素子sや反応~事象などにおいても同じくそう言える。(後の方で、現実のレベルの世界でたとえを記そう)。(もしくは、そこらにおいては、空間のエネルギーを用いてなんらかに共振する、という現象とその活用、という実態もあるのかもしれない)。(・・・以下を含めて、ここらのところにも、昔から特に気になっていた内容が多い・・・)・・・以下のセクションは勉強不足なんだが、それでもなんとか考えてみよう・・・ついで、対象である部品的素子を呼び寄せる、あるいは対象である部品的素子や機能活動素子の居所(いどころ)に行く、という事象は、どういった機序でなされるのだろうか、という謎と設問がでてくる(後の方で、現実のレベルの世界でたとえを記そう)。そこでまず、物理学や化学における「力」について、おさらいしてみよう。で、ニュートン力学におけるいくつかの力は、このばあいまずは不必要だと思われるので(必要になった時点で呈示しよう)、そこからは、万有引力だけを引き出そう。最も基本的な「力」は、万有引力、クーロン力、核力、といえる。それらの力から、物質間引力(万有引力)、電磁気力、化学結合力、分子間力などがでてくる。で、「力」(ここでは万有引力は除く)は、粒子(量子)のやりとり(交換)によって生じるとされる。核力は中間子のやりとり、クーロン力~磁力は光子のやりとり、によって発生するとされている――場の状態がそう表現できるということだろう――。そこでは投げかけあうので斥力だけが生じるのか、とみなしそうだが(たとえば運動量を受けて排斥力が働く、と)、引きつける力も働く――そう物理数学で記述できる――。特定の物理的状態はエネルギーが低い状態・あるいは安定した状態をとろうとするので(これは原理としてあるだろう)――それとエネルギーを均そうとするので(これが原理としてあるのかどうかは未確認)――、それが引きつけあう力となる。エネルギーが高い状態になるなら斥力になる。そういう概念で説明される?で、そういった「粒子・力を媒介する――そう表現できる――」は「場の理論」では、「場」が励起されて生じる、とする。別な表現をすれば、ふたつの対象が共鳴している状態も粒子の交換をなしている、と記述できるのだろう?さて、情報物質が発受信する「媒体」――たとえば赤外線(一般化して電磁波・光子)――をやりとりして引きつけあう力が生じるかどうか、という謎と設問がここに生まれる。先の「クーロン力~磁力は光子のやりとり、によって発生するとされている――便宜的表現といってもいい――」からいうと、引きつけあう力(もちろん排斥する力も)が生じてもおかしくはないが、現実の生活においては、そういう事象は感じない。それは、物体が大きすぎるからなのだろうか? ここで着目しているミクロなレベルでは、力が発生することがわかるレベルなのだろうか? 磁石や静電気ではそれがはっきりわかるのは、その力の総量が大きいからで、物体がたとえば赤外線をやりとりするぐらいではその力の総計は小さすぎて――その物体の質量に比べて――動きがわかるほどではない、ということなんだろうか。先に述べた「特定の物理的状態はエネルギーが低い状態・もしくは安定した状態をとろうとするので(これは原理としてあるだろう?)、それが引きつけあう力となる。エネルギーが高い状態になるなら斥力になる」という原理によってそういう実態が発生すると考えてみるのはどうだろうか。それより「特定の物理状態はエネルギーを均そうとする」性質があるので(これが原理としてあるのかどうかは未確認)(エントロピー増大則もそこに入りそうだ)、それが引きつけあう力となる。エネルギーが高い状態になるなら斥力になる」という原理によってそういう実態が発生すると考えてみるのはどうだろうか。もし、あるいは、ふたつの対象が媒体をやりとり(片方がもう一方に与える、という事象も含めて)することは、共鳴の一種であり、特定の物理状態においては、そこでは引力か斥力が働く、と考えてみるのもいいのかもしれない。ここで着目している対象2つが、たとえば赤外線のやりとり(共鳴であるともみなせる?)で、引き合う力が生じる、という現象が実際に起こるかどうか、確認してみたいものである。現実の人間のレベルの世界では、たとえば赤外線を受けたからといって、引力が生じるようには見えない。斥力はわずかに生じるだろうが。さらに視野を広げると・・・人間は言葉のやりとりなどで――雰囲気や見た目の状態も含めて――引きつけあったり排斥しあったりする、という事実もある。それは情報のやりとりで、そういう実態が生じる、ということである。これは、心の世界の領域にあるが。(加筆)(・・・以下を含めて、ここらのところにも、昔から特に気になっていた内容が多い・・・)・・・さて、結論のようなものとして・・・特定の物理状態では、媒体をやりとりすると、そこに引力か斥力が発生する。重力においては重力子の存在は未確認だが、クーロン力、磁力、核力、などにおいては一応そういう認識~理論で成り立っている。特定の物理状態についてはそういうふうな物理数学で表現・記述できるということである。で、生物の体内における、上述した事象・実態においても、「特定の物理状態では、媒体をやりとりすると、そこに引力か斥力が発生する」と考えないと、上述の「対象である部品的素子を呼び寄せる、あるいは対象である部品的素子や機能活動素子の居所(いどころ)に行く、という事象は、どういった機序でなされるのだろうか、という謎と設問がでてくる」への解答はでてこない。ほかの可能性は、今のところ考えつかない。さらに進めよう・・・そういった媒体(たとえば赤外線)をやりとり・交換をなすとする(片方が発し、もう一方が受けるケースも含む。そういうケースでも交換になっているのではないか――交換になっていなくても、やりとりの範疇にはいる)。ここでケース分けをなす。1・より軽い(質量がより小さい)方がもう片方(より重い。質量がより大きい)より、より大きく相手に近づく(これは、ふたつor複数の対象s――観察者から見ての対象s――が媒体をやりとりしていて、引き合う力が発生するケースについて述べている。斥力が働くケースにおいては、「近づく」を「遠ざかる」にすればよい)。2・対象sのひとつ(なり複数)が固定的であるばあいは(細胞のどこかに固定されているか、質量が相対的にかなり~非常に大きいケース)、それは(あるいはそれら)は動かず、質量が小さい方が近づいてくる(いく)。そういう実態になるはずである。次に・・・ここでの観察対象sについて言えば・・・それら対象sが接近して、そのあと「噛み合いくっつく――そう表現する)」わけであるが、それはたとえると、宇宙船のドッキングのようなものである。そこではたんに引き合うとか反発しあうといった単純な力(力関係)ではなく、精密にコントロールされた複雑な力sが働く、と推測される。いってみれば、噛み合う対象sどおしが、噛み合いくっつく面sを探しだしてくっつくわけである(これはとくにリボソームにおける事象・実態などを想定して書いている。たんにくっつきさえすればいいケースもあるだろうから、そういうばあいは、この記述からはずれる)。そこにおいては、引き合う力(単数または複数)と排斥する力(単数あるいは複数)が複雑に配列されているのだろう。・・・以上、そういう推測が成り立つ。それ以外の在り方があるだろうか?(加筆)モ-タータンパク質などは、設置後は、自動的に配送できるようになるわけだが、(加筆)・・・本論においては、そういった情報物質sの間での情報のやりとりの媒体としてたとえば一例として、赤外線を挙げている。その他の媒体sの可能性もあるのは当然である。ここで、現実の工場を考えてみよう。工場内で、人間が働き、自動化された機械装置などが動いている、としよう。人間は、光や音などによって、対象を認識し、作業、操作や加工、移動、などを行う。いってみれば、人間は無線通信交信をなしながら働いているとみなせる。それがないと基本的に働けない。自動化された「非接触センサー付き」の機械なども同じである。センサーで、対象の位置を把握しながら動く働く。そこでは、音、光、電磁波、赤外線、などが用いられる。それがないとそういった自動機械は働けない。受精~発生~成体化~成長、生物の個体(成体)、においても事情は同じである。よって、先に述べた内容は、そうである可能性が高い、ということになるだろう(仮説)。さらに、情報発受信物質が、情報を発したばあいも、受けたばあいも、その物質の状態は変化する、という実態もなんらかに有効に活用できるだろう。以上は、成体、受精~発生~成体化~成長、などにおいて当然適用できる。さらに当然、脳の形成~脳内での実態などにおいても、以上は適用できる。くわえて、心脳においては、情報発受信物質の情報発受信の実態やその内容が、心脳の現実――非物質的で豊穣な「心と意識の世界とそれらの内容」――をつくりあげている(仮説)。以上、そうであってこそ、成体、受精~発生~成体化~成長、などが成立するはずである。さらに、そうであってこそ、「心脳の現実」――非物質的で豊穣な「心と意識の世界とそれらの内容」が現出できるのである、と思える。・・・以上、後日加筆セクションである・・・新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き~日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。:つづく「研究者に研究不正をなさないことを学習するよう義務付ける」学術会議、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会、の共同声明研究不正問題:「大学や研究所など、組織の責任をも問う方針」文科省つぶやきより:特定の意味で:心器での内容(活動実態)はハイゼンベルク描像に、意識器での内容(発現実態)はシュレーディンガー描像に、それぞれ似ている。さらに、特定の意味で:両方に着目すると、それはディラック描像に似ている。☆新ことわざシリーズ:世界は、無数の質の対生成と無数の質のもつれでできている。そしてそれらは質時間回帰の流れの中にある。悠久の大宇宙無限大河 久遠の質時間回帰の限りなき流れ☆「心は世界の焦点心をとおして意識は世界を意識し味わう自分の言動をも含めて己の体験・経験をも含めてそこにあらゆるすべてがあるという立場は可能すべての心器 すべての意識器を総合すればますます決定的にそういえる」☆心脳科学(仮説)には、10ほどの仮説sが入っている。数え方によってはもっと多い。最高16以上か。それら仮説sがひとつの仮説体系に組み上げられている。ここで、心脳科学(仮説)が反証されたばあいのことを考える。そのばあいには、仮説ひとつひとつ(仮説体系ではなく)を取り上げて検証することになる。それら仮説のうち、重要度が最も高いものから、#1、#2、#3、と番号をふっていくとして、#1と#2、は、心脳の現実を説明するのにどうしても欠かせないと思える。ついで、#3、もそうだろう。本論で述べたように、それらには(も)根拠がいくつもある。根拠の上に仮説sを立てたのである。以下、検討はつづく(ここでは検証ではないが)。(重要度の低い仮説は破棄しても本論には影響はでない)そういうふうに検討していくと、それら仮説sのすべてが反証されるとは思えない。なぜなら:(根拠がいくつもある上に)それらしかないだろうと思う。ほかに在りようがない。ほかになにもない。もちろんこれは、洞察の下、感じ・直観で言っているのだが。これは非科学的姿勢にみえる。しかし、科学の歴史は、仮説の構築をはじめとして、多くが、そのようにして進展してきたわけである。さて、当然やはり、検証が待たれる。☆つぶやき:以下、クオリア・質と大きく関連する:原稿がほぼできあがっているもの(原稿)、と、構想・内容構築がほぼできあがっているもの(書き散らかし)、と、構想がほぼでき上がっているが少ししか書いてないもの、など:質の科学(科学的仮説)転生の科学・哲学(科学的仮説)世界哲学(希望、哲学)宇宙は永遠に続いていく(かどうか)(科学的仮説)論理地図(科学哲学的仮説)物理数学・数学とは何か(これは論理地図とも大きく深く関連する)世界理解の哲学(科学的仮説)歴代の哲学を採点する(心脳科学・仮説にもとづいて)運命のノート(遊び? 現実? (=仮説という意味))定義と名づけ方から見える展望そのほか以上の中には、それらのうち複数を統合した方がよい内容をもつタイトルもある。☆心脳科学(仮説)(それが正しいとして)の立場で、哲学的問題や科学上の問題、その他などにおいて、多くの設問を立て、それに解答することができる。それらは、心脳科学(仮説)の理解度テストともなる。心脳科学(仮説=仮説sの体系)には、10ほどの仮説が入っているので(数え方による。最大16以上か。重要度の低い仮説は破棄しても本論に影響はない)、そこでは、その仮説たちのどれどれを用いての解答かをも併せて問うと効果的である。(筆者がそれらの解答をだしている設問もあるし、その途上にある項もあるし、まだ答えをだしていないものもある。まだ手がけていない項目もある。しかし、当然解答はでてくる)☆前回の分(「意識とクオリアの外側」)にさらに加筆があります。つぶやきから:心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(超弦理論をそういうふうに構築できそうである)。(私は、超弦理論を、私の研究に必要な程度学んだ)そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となる)。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考え記述するのも、心脳である。そこらのところも解説・・・(以下略)・・・↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところも解説できる。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。つぶやきから:1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」4:(ここまでは哲学であり、私はそれが好きだ)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、私はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。つぶやき:相対論での空間について、遊びで少し言及した個所に加筆:「虚空間・素空間」と筆者が表現した空間は相対論では否定。○心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学◯1年以上前に公表した心脳科学(仮説)の初版には、一切手をいれないで、ネット上公表サイトにそのまま置いている。もちろん私のPCの中でもそうである。PC上では、原稿を書いていくたびに新しいファイルとして記録してきている。前回の分に加筆があったので、載せます。つぶやきより:有加筆:この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている)つづき:推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)。。仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。世界情勢がますます緊迫化してきているように見えます。金融や経済を含めてそうでしょう。今までもそういった方面は大変だったともいえますが、この先はさらに困った事態に至りそうです。さて、そろそろ、心脳科学(仮説)の全体像をここに載せたいと思いますが、その前に:つぶやきより:推測による「脳における情報構造」からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。リベットの実験事実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する。世界人さて、ここの皆さまが、学問研究などにおける慣行と常識や法律などに従って、「優先権を保護する―つまり最初の発案・独創者を尊重する」―のであれば、私はとっくにここに「心脳科学(仮説)」をエントリーしていたことでしょう。既に一年以上前、「心脳科学(仮説)」を公表しているし、それ以前にも私はネット上に、それに関係した内容でかなりつっこんだことを書いています。しかし、世界の風潮をみるに、警戒してここには詳細を書かなかった。今や、研究不正をなすと後がとんでもなく大変なことになるという常識が社会一般に浸透してきたし(ここの部分は、かの細胞についての実験事実・成果はなかったといってはいない)、文科省も研究不正はあばいた上で罰する方針を表明し実行に移す途上にあるので、そろそろ「心脳科学(仮説)」をここに載せたいと思っていますが、なんというかかんというか、はっきり書きたくはありませんが、書かないわけにいかず、こう書くしかないわけで、可能性のある新しいなにかの誕生を妨害することだけは断じて避けなくてはならない。そんなことをするのは卑怯・卑劣そのものにほかならず、その人自身を汚すことになる(あとが大変だろう。それはクオリア・質時間回帰の一種でもある)。それよりも自分の説をぶつけるのが正道でしょう。ともかく、自分の論を展開できない人はコメントしない方がいいでしょう。好意的であればそこは問題はありませんが(ここに参加すると、健康を害するという代償を支払わねばならないというのは、断じてあってはならないことだ。それは傷害罪を犯したこととなる)。さて、とはいえ、「心脳科学(仮説)」は可能性を秘めた仮説体系であり、検証が必要です。反証されたらSFということになるでしょうが、その一部分は生き残るかもしれません。世界情勢などをみていると、いろんな意味で早くここにエントリーしなくては、と思います。茂木さんは、クオリアマニフェストを『高らか』に謳いあげ、『知的に誠実な』研究者の参加を激烈に呼びかけて、ここを開設したのですから、そこらのところの充分な配慮が必要でしょう。いずれにせよ、ここは有益で大変ありがたいサイトです。クオリア・質研究関係のつぶやきよりI have been translating the summary of the"mind-consciousness-brain science(hypothesises-system)"in japanish into engleeeese one.The translation can not be done without my explanations because it includes new concepts which did not exist before.So,I continue doing it by myself.クオリア・質時間回帰:8月16日現在:世界情勢がさらに緊迫化してきています。それもこのスレの趣旨の中にあり、クオリア・質時間回帰で説明がつくでしょう。さて、心脳科学(心・意識・脳を総合した科学)の翻訳は進んでいます。「クオリア・経験の質」関連のつぶやきから:I think so,and it makes me crazy.The past contribution of you that was about logic was interesting.心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。引用元を明記すれば、引用できるわけです。☆このスレのトップ(再掲):私は40年前後前からさまざまな研究を断続的に独自にやってきているのですが、一番世に問いたいのが「質の科学(仮説)~世界哲学」です。それが今現在の世界に必要な科学というか思想・哲学なのかもしれません。そう遠くないshourai sekai ha kaimetu ni mukaisou(それは、質の科学~質時間回帰則と、その他いくつかの立場からの予想)ですから。そうなるかどうか断定はできませんが。もうそんなことどうでもいいとも思いますがね。「心脳科学(仮説)」はその一部です。☆このスレの最初に書いたように、世界情勢がさまざまに深刻化してきています(クオリア・質時間回帰だとみなしているわけですが)。その先、世界の状況がどうなっていくか注視に値します。生活環境がよく保たれた上での、研究だということはいうまでもありません。できるだけ早く心脳科学(仮説)の概要を英訳し公表してからここで講義を始めるということで、翻訳に努めていますが、まだその途上にあります。ここでの心脳科学(仮説)講義はその後になります。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。つぶやきから:加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。つづき:その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。「意識内容そのものに知性が介入できる」という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。ツイッターのクラウド的利用、心脳科学(仮説)で、一元論も二元論も統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論も唯物論も統合できる。学問についていっても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところもすっきりと把握できるだろう。離れた訂正:科学哲学→科学による哲学(科学的哲学)心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。不可知論にもいろんな立場がある。ぼくが以前ネット上で用いた、不可知論の領域、という用語は、単に、知ることが難しい領域、という意味で用いたので、不可知領域とした方がすっきりするが、まちがいではない。質時間回帰はつづいていく呪われた星、地球、SF:Spesial FactSF:Shocking FactSF:Sciense Factカオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、ぼくがネット上などに書いた立場は、それを超えた(越えた)それになる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。つぶやきから:これも当然→研究不正がネット上で指摘された件も調査対象:ネットで指摘された研究不正をも調査することを大学や研究機関に求める方針が文科省で始動した。罰則付き。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。#3「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」について「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」と以前書いたことに関連してつぎのエントリーを載せておきます。さて、今までに何度も何度も現実に起きたことからいって、「他人の考え(アイディア)」を、引用表記をせずに用いると、後が大変なことになる、ということは常識ですな。その代表的な件として、以下でそれが確認できる。論文(研究についての発表を目指した記述体系)において、「研究不正」として糾弾されるものとしていろいろあるが、ここでは、その視座からこれに着目する。「研究不正」に該当するもの(その一部):「盗用」=「他人の考え(アイディア)、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること」(この「盗用」については、今、世間の話題になっている、あの細胞に関わる研究論文に関してのやりとりの一環として、提出された不服申立書から抽出引用した。(「(アイディア)」は私の加筆である))そういった観点からいって、人は常識的かつ普通に(これには、後で大変な事態にならないやり方・在り方で、という意味を多く含むが、それ以上の説明は難しい)行為・言動するのが最善である、ということになりますな。(この小文は、「その細胞に関わる実験事実・結果はない。それは不正だ」、といっているわけではない)加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。加筆:さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。To be honest,or not to be honest:that is the question.Check out all my description on the Web.Check out all and all descriptions on the Web and others.世界人☆「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded☆Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.☆茂木さんのクオリア・マニフェストに「7、アジテーション」、という項目があります。つまり、クオリアMLはストレス解消の場なんかではなくて、研究の場でありクオリア問題を研究する人たちが集うところ、ということははっきりしてますな。クオリア・マニフェストから、ぼくはここにたどり着いたわけだから。ぼくも、クオリア・マニフェスト「7、アジテーション」、に触発され煽られて参加したわけです。以下引用:「7、アジテーションThe Qualia Manifesto 革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。 人間とは何か、人間はどこから来てどこへ行くのか? このような究極の問いに答えるための鍵となるステップが今や見えてきている。 人間とは何かという問いに答える鍵は、私たちの心の中のクオリア、及びそれを支える主観性の構造の物質的基礎を明らかにすることである。 クオリアや主観性の起源を明らかにすること以上に重要な知的チャレンジは存在しない。 私たちがクオリアや主観性の起源を理解した時、その認識が私たちの人間観、世界観をどのように変えるかはわからない。来るべき認識革命の後で私たちの迎える状況がどのようなものになるにしろ、その可能性が今や開かれていること、そして、認識革命に至る道筋は論理的な議論とち密な思考と知的な勇気によって開かれうることを再確認しておこう。 クオリアの問題の解明には、論理的厳密性、開かれた感性、そして、今までにない思考のプロセスに踏み出す、知的勇気が必要である。 クオリアの問題の解明は、一個人では不可能である。自然科学者、数学者、芸術家、宗教家、心理学者、社会学者、全ての分野の優れた知性が共同し、総合的文化運動を起こさなければ、クオリアという人間の存在にとって核心的な概念の解明は可能にならない。 今や、勇気あるステップを踏み出す時機が熟している。 知的に誠実であり勇気を持つ者達よ、「クオリア」の解明のために団結せよ! 」:以上、引用世界人#5:クオリア・質、クオリア・質時間、関係のつぶやき・有加筆:加筆:私に噛みついてきた連中には、私がここ以外で書いているものまですべて読むことを勧める。何人もいるが。最新のつぶやき:「世界はいろいろありながら進んでいますな(もの凄く大変だが)。いろいろだがその中でもここについていえば:パクリやコピーのチェック:無数のウェブページ、無数の論文・出版物、などと対照して、パクリやコピーがないか論文・出版物その他をチェックするシステムの導入が盛んになってきている。素晴らしい。実にいいことですな。」以下つぶやき:注)kyは、ウマシカと称している。以下、クオリア・質時間回帰の実例も含んでいます。つぶやき:#5:某サイトで、狂犬に何度も何度も噛みつかれた体験記メモ・有加筆:その狂犬がなぜ狂犬(以下、kyと記す)と呼ばれるのかその理由もわかるように書きます。そこにはクオリア・質時間回帰の実例的要素もある。つづき:そのサイトで、ぼくの方から、人に噛みついたことはない。ネット上でもそうだ。ただし、ほかのところでは、人の不利益になるようなことを書いている人物にちょっときついコメントをしたことはある。そのばあいでも、ぼくはまず自分を貶してから始めた。基本的に、ぼくはまず好意的にでて、それから相手の出かたに応じた反応・対応をする。つづき:さて、まずは、そのサイトにおける、ぼくの落ち度を記す。そのサイトに参加するにあたって、自己紹介してくれということだったので、ぼくは事実に基づいてそれをなした。それを記憶に基づいて要約するとこうなる。つづき:「ここでは、ぼくが研究歴が一番永いと思う」「研究も、さらにこの領域を研究するにあたっての能力鍛錬も、徹底的にやった。それだけやれば誰でもプロ中のプロになるという以上にやったので、ぼくはこの分野ではプロ中のプロだと思っている」。つづき:大上段に構えてそう表明した。それにカチンときた人もいたことだろう。しかしそれは紛うかたなき事実だ。つづき:(最初、趣味でやってきていると記したが、あとで、それでは失礼だと思い直し、そう書いた。それらは両方とも事実である。趣味の項の方は削除したかどうかまでは覚えていない)つづき:あとひとつは、ぼくは非常に読みにくい形で投稿をつづけた。それに関してkyが指摘してきたので、ぼくはそれについては謝罪した。主催者は、どんな意見でも歓迎と表明してきたので、ぼくの書き方で問題無しだと思う。つづき:さらにもうひとつは、一回あった以降、誰もコメントしてこないので、「ぼくの投稿にもどこかいいところがあると思ってやっている」と書いたことだ(それについて、次の次にでてくる「高校生レベル」と言った男がいる)。つづき:初めのころ、いきなりぼくに、「間違っている」と某氏が噛みついてきた。その男は自分の論を書いていた。それは国語力だけによる作文のような代物だったが、ぼくは丁寧に対応した。つづき:次に別な男が、ぼくの投稿について「高校生レベル」と言ってきた。ぼくはそれに対して、「ガキか幼稚園児のようなコメント」と返した。つづき:その男は大学院生らしく、たぶん本や文献を読みすぎているのだろう、難しい言葉を並べればすごいんだ、というようなことを書いているのではないか、難しい言葉を操れることに酔っているのではないか、と感じた(ちらほら眺めたものの、読む気にならなかったので、断定はしない)。つづき:他にも、おかしな言葉をぼくに浴びせてくる者たちがでてきた。つづき:さて、ぼくはそこで、ながい間、丁寧な文体で書いていたが、あまりに無礼な者たちがでてくるので、それらに適応した書き方をするようになっていった。つづき:で、ある時点であまりに腹がたってきたぼくは、自分のブログやここで、そのサイトについて感じたままを記したこともけっこうある。さらに、そのサイトでも、おもしろおかしく茶化すようなことをいくつか書いた。つづき:さて、本題に入ろう。kyが初めて噛みついてきたのは、先に述べた、某氏に「ガキか幼稚園児のようなコメント」とぼくが返礼したことから発展したことにおいてだった。kyはそこに割り込んできて、おかしなことを言った。それに対してぼくが言い返すと、kyはすぐに引っ込んだ。つづき:さて、別な某氏がでてきて、初めはぼくを持ち上げていたが、そのうちぼくにもボロクソ言うようになってきたことがあった。つづき:そこでは、一回目は、kyはぼくに助言するようなことを書いてきた。ぼくはその某氏に「一回ぐらい自分の論を書きなさい。そうしたら、ぼくがその論を粉々に粉砕してしんぜよう。自分の論も考えることのできない者が、ひとに噛みついてばかりいるのはいかん」といったようなレスをした。つづき:すると、kyは割り込んできて猛烈にぼくに噛みついてきた。つづき:で、ぼくは、kyに、同じく「自分の論も考えることのできない者が、ひとに噛みついてばかりいるのはいかん」といったことと、「君は、どこかに”ちょっとムカッとする文章を読むと、噛みつかずにはいられないから仕方がない”といったようなことを書いていた」と返した。つづき:そのときkyはかなり戸惑っていたようだった。それ”ちょっとムカッとする文章を読むと、噛みつかずにはいられないから仕方がない”はぼくの記憶によるとたぶんkyのブログにあったと思うが、あのあとはどうなったんだろう。つづき:で、あまりに多くのレスがそのあとついてきたので、ぼくはばかばかしくなって、読まずにぼくのそのスレを削除した。するとたくさんのレスもろともそれは消え去ってしまった。つづき:その中にはぼくに好意的なレスをしてくれた人たちもいたのかもしれない(あのサイトではそういうことはほとんどありえないとも思うが)。そういう人たちには謝罪と感謝を表します。つづき:ほかにも、いくつもぼくの投稿やレスを削除した。それには特別な理由があった。それについては書かない。で、それらは再現しようと思えばできるわけだ。つづき:それから、最近あたりのkyのぼくに対する噛みつきは極めてエスカレートしている。つづき:kyは、「あなたの投稿たちは非常に読みにくい、ここは、MLなんだから、参加者に迷惑だ」、といったようなことを言ってきた。ぼくはそれについては、謝罪し、指摘を感謝した。つづき:さらに、kyはぼくに対して、「あなたは自分の投稿を凄いと思っているようだが、あなたの投稿は誰も相手にせず無視している。そのことがわからないあなたは滑稽だ」とか、「あなたがここに書くのは迷惑だ。もうここに書くな」といったようなことを書いてきた。つづき:そのほかにも、ふざけすぎたことをいくつもkyは言ってきた。つづき:そこで、ぼくは主張する「それらはすべてkyのことだ。kyがky自身に対して言ったことだ」。つづき:まず、ぼくが、そのサイトで、初めのころ書いたものの中に、「共振、発振、受振、同期、フーリエ変換的変換、その他、という概念や用語」がある。つづき:かなりあとになって、そのサイトの参加者数名が、ひそひそと、「共振、発振、受振、同期、フーリエ変換的変換」を、まるで自分たちが考えだしたかのように囁きあっていた、という事実がある(自分で考えだしたのならそれを証明する義務がある。とにかく優先権はぼくにある)。つづき:ともかく、ぼく以外で、そういったことを、その分野で書いている人は世界中を見渡しても皆無なのだ。そのサイトにぼくが書いたのが世界初である。その分野はぼくが開拓したのである。つづき:その数名の中には本をいく冊もだしている人もいる。その本の中には、そういったことは一切書かれていない。その人物はそのサイトで、ぼくのことを非常に高く評価してくれ助言もしてくれたので、ぼくはその人物には非常に感謝しています。つづき:とにかく、そのサイトでのぼくの論は、世界初、世界で唯一無二、その仮説体系にかかわる文献は世界で皆無である。ぼくが書くものはすべてそうである。引用的なものはそうわかるように書く。しかもぼくはテキストなしでいつも書いている。つづき:ぼくにとって、人が書いたものをパクることはこの上なくおぞましいことである。つづき:で、そのサイトとそこ関係の出かたに応じて、当然書くべきことをぼくは書いたわけだ。噛みついてくる者には、当然噛みつき返すこともある。それだけのことである。こちらから噛みついたことはない。つづき:さて、そのkyだが、kyはそのサイトのテーマについての科学的な研究能力ゼロで、いいかげんな国語力だけでそこに参加し、人に噛みついてばかりいて、「どうだ、こんなことを書ける俺はすごいだろう」と、よがっている狂犬にすぎない。これがぼくのkyについての感想・評価である。つづき:ここらへんでやめればいいんだが、と思っていたこともあったが、kyは一切やめずに傲然と知性ゼロだと思えるように噛みつきまくってきたのだ。信じられない思いだった。つづき:ほかのところではどうなのか知らんが、少なくともそのサイトでぼくに対するkyの言は、悪質で下劣のマックスであると感じる。ぼくにとってそれは、狂犬にほかならない。つづき:さて、幸いなことにぼくは狂犬病ウイルスに対する抗体をもっているので、よかった。ただし、血圧が上がって困ったので、kyは傷害罪を犯している。つづき:だいたい、自分の論すら考えることのできないものが、人に噛みついてばかりいるのは卑怯の最上級だろう。好意的に書くのなら仲間として遇することはできるんだが。つづき:注)kyは、ウマシカと称している。つづき:以上の中の事実関係・事実の系は、記憶に基づいて書いた。記憶にまちがいがあったら当然訂正する。なお、筆者に噛みついてきた当人たち以外に対しては反撃的・攻撃的な言及は一切なしていません。世界人別なつぶやき付記:以前から何度も書いていることだが、そうそう、ネットというのは、「ひよこがね、お庭で、」というあの歌の世界にしかすぎない。そこらあたりもすべて考慮の上だ。(これも工夫した表現にある)世界人