9/02:有加筆:
9/02:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)9分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。その前に:・・・なまけ中・・・ナマケモノ中学校の非常に優秀な生徒・JK・・・ナマケモノ中学校のナマケモノコンクールで優勝・JK・・・本論は世界初であって、今までにだれも唱えたことのない論であり唯一無二であって、その仮説体系そのものにかかわる文献も皆無である。本原稿中の概念や「たとえ」そのほかは、正確・厳密ではない。記述においてもそうである。本原稿は雑記であって、間違い、いいかげんなところ、訂正すべき個所が多い。重複も非常に多い。「対象や在り方」をひとつに限定したような記述をしている個所たちについていえば、「対象や在り方」が複数である可能性もある。つまり、そこでは他の可能性たちもある。書き込みの不足している個所たちもある。誤解を招く記述もある。矛盾している個所たちもある。整合性がとれていないところもある。文・文章自体にも間違いがあるところもある。本テーマについての科学的能力のない者の噛みつきを禁ずる。とにかく揚げ足をとってはならない。ケチをつけてはならない。それらは傷害罪に当たる。引用元の明記なしに、自分のもののごとく用いたら(盗用)、あとが大変なことになるのはわかりきったことである(引用元を記せば使える)。「ここは公であり、衆人監視・環視の場である」茂木さんのクオリアマニフェストから言ってもそうである。加えて「ネット世界も公であり、衆人が監視・環視している」本理論体系の理解を完全なものに向かわせるには、全部を読むしかない。複数の仮説がひとつの体系をなしているし、今までになかった概念が複数からまっているので、そういうことになる。 心脳科学(仮説) 題目と説明正式題目:「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説sの体系なる理論」別の題目:「心脳工学(仮説)」 「意識工学(仮説)」 「心・意識・脳の科学(仮説)」 「意識の科学(仮説)」 「心の科学(仮説)」 「心工学(仮説)」 「心・意識・脳の自然工学(仮説)」 「意識・心・脳の科学(仮説)」(仮説は複数である:仮説=仮説たち=仮説体系=仮説たちの体系)本原稿は研究途上にある雑記である。ある程度正確できれいに整えたものの、構成が不十分であるし、整合性がとれていない部分たちがある。重複も多い。かん違いや間違い、未熟さやケアレスミスなどもある。ただし、内容においては、今の段階で必要なものはほとんどすべて盛り込んである。また、タイトルの「システム明細」についていえば、まだ不完全だが、仮説上の自然工学的な数学的枠組みは提示できている。本仮説体系の完成:2009年頃までに:by西山浩一(世界人、春楽天)本書の原稿の一応の書き上げ:2012年6月by西山浩一本書の原稿の加筆・推敲・校正:by 西山浩一本書の原稿の発案・構想・構築・執筆者:西山浩一(C)本原稿と表紙絵の著作権者:西山浩一心脳科学研究所(本原稿は、400字詰め原稿用紙換算で約1000枚の分量がある)本原稿は日本国著作権法ならびに国際法によって保護されている。本原稿のすべての著作権は心脳科学研究所(西山浩一)が保有している。日本国著作権法ならびに国際法は、用紙書面による著作権者の許諾なしに、本原稿を複製ならびに転載することを禁じている。本原稿からの引用の際には、本原稿名を記すことを要する。この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)9分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。9/02:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・今回の設問s・・・以下、そういう問いsを立てることができる・・・それらの問いと問いへの解答と、それらの周辺などに関係すると思われる内容を伝えるイラストを象徴として描くこと。補足:このシリーズの設問sの答えsなどを、筆者は「いくらか~けっこう(この表現はひとつの単語ではなせないようだ。「まれに~たまに~時々」とその平均的な頻度を表現する副詞・連用修飾詞も同じくそうだ。誰かいい単語を開発しないものだろうか? ・・・以上、日本語のクオリア研究のひとつ・・・)」どこかに書いている、ネット上やその他sに。その中には、充分なものs、不十分なそれら、書き散らしs、などがある。まだ答えなどを書いてない設問sもある:以上、補足・・・・・・以下、教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けているのである・・・ネット上を含めて筆者が書くものにある教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けているのである・・・*いくらか離れた上述を引き継いで、まず、哲学的な問いになるが(これが最優先だろう。それはクオリア研究の一環でもあるし、クオリア研究の基盤をしっかりさせるためにも必要だろう)、人間は何のために、仕事をするのか・さまざま研究するのか、人間とはなにか、生物とはなにか、考えること。ならびに、意識と心、生物、宇宙・世界、はなぜ存在するのか考察すること(試案はいくつか既述)。*さらに、人間はどこから来てどこへ行くのか(この表現は誰かによって過去になされた。たまに目にする。たぶん外国語からの訳ではないか? そんな感じがする)、肉体はどこから来てどこへ行くのか、心器~心はどこから来てどこに行くのか、意識器~意識はどこから来てどこへいくのか、それぞれ考えること。*今まで~今において、自分は何をやってきたのかやっているのか、自分の人生の中での、その意味・意義、その位置づけ、その評価、などを考え述べること。さらに、質の科学~質時間回帰則を指針として、これからどういう方針で人生を進んでいけばよいのか考えること。*自分はなにをやりたいのか、考えること。*精神・魂が干からびた人間――これはかなり抽象的なたとえの表現内容をもつが、どういう具体的な内容をもつか自分で考えた上で――そういう人間にならないためには、どうあればよいか・どうすればよいか考えること。さらに質の科学(仮説)を適用してその答えを導きだすこと。*考えて納得する「倫理・道徳」として・・・まず「質時間回帰則」を打ちだし、「自分と人類が存続していくためにはどうあればよいか」という問いかけを投げかける。そこから、「考えて納得する『倫理・道徳』」がでてくる。そこらを解説すること。*(以下、多くの内容がまるで量子論における多くの量子sのもつれのように、交錯・錯綜し輻輳し、もつれ合った、長文章の超複合設問である。量子コンピュータを創り上げ、アルゴリズムをも創り、その問題を解くことができるだろうか? でもまぁ、量子コンピュータでは、解ける問題は限られている。しかも、現在の量子コンピュータsについての展望では、「心的内容~意識内容という最高レベルの内容」には着眼していない。それらの対象内容と技術は、現在の普通のコンピュータと同じく単なる電子工学の規格・仕様・技術レベルにある。心的内容~意識内容の世界はそれとはまったく異なり、精緻~精妙~至高な、精神的内容の次元にある《精神的=心的+意識内容的。精神敵内容=心的内容と意識内容を併せた内容》。しかしこれカッコ内も「*設問のひとつ」に含めよう「以上カッコ内の文章についての感想を記すこと」「そういうふうに用いることのできる量子コンピュータをつくることができるか、そのアルゴリズムをつくることができるか、その展望を記すこと」):以下またまた、カッコづけで、枝分かれsや脱線sや付加項sとジョークなどが多く長すぎて非常にわかりにくいが(しかしテーマはほぼ一貫している)、それらについて考えること:人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きている・生きていくのか考えること(「そういった問題設定に意味はない」、とか、「生まれてきたから生きて行く」、とか、「死ねないから生きていく」、「死ぬまで生きていくだけだ」とか、「自分が生まれてこようと意図して生まれてきたのではない」、「なんで生まれてきたのか、生まれてこなければよかった」とか、「そういう問いに答えはない」とか、「自分だけのために生きることがすべてwww(――これに関しても一昔前最古ブログに書いた――多くの人は死ぬ前に、もっと多くの人たちにいいことをしておけばよかった、と後悔するそうだ。あるいは、もっと思いきって行動していればよかった、と悔やむそうだ――)」、とか「楽して楽しむことだけがすべて」、とか、「いい思いをすること・快・快楽だけがすべてwww」、とか、「そういった本音(――本音といっても、飽きがきたりするうえに、時期がすぎれば違ってくることが多いが。それも質時間回帰である。人生のある時期からは、質時間のプラスの貯えがないと侘しすぎる生活実態に陥る。それ以前~若いときには人はそれを知らない――)」を乗り越えた答えをだすことに挑戦すれば何かが拓けてくるのではないだろうか(・・・・・・「べつに何も拓けなくてもいい!」という立場もあるだろうが。しかしそれでは後がとんでもなく大変だWWWW。そのうち「いい思いや快・快楽」の「まさかさま・真逆・正反対」の思い・体験をすることになるのだ!WWWW それは、まだ仮説である地獄の最深部《この世での現実をも含めて。この世での現実は仮説とはいえない》《地獄の実在の証明【らしき】に関しては難しいながら一応既述しているし、多くの宗教sがそれ「地獄」を説いている、仏教もキリスト教もその他の宗教sも》で超超長期のたうちまわることである!《仏教もキリスト教もその他の宗教sもそう断定している》WWWW それはそのモットー「いい思いをすること・快・快楽だけがすべて」、に完璧に反する!WWWWWWWWW なんという大宇宙最大最強の逆説! WWWW 「世界は逆説でできている《つまり質・クオリアの対生成と対消滅とその結果、それと質時間回帰でできている》」のである。「いいとこ取り」は絶対にできない。百パーセントできない。断定する。断言する《これについては、その検証がなされていない現在においては【実はなされているんだが】、「そうでないと不条理だ、まったく納得がいかない、という立場からの言だと見てもいい(そういった観方についても多く既述している》。で、ほとんどの人たちがそれに賛成するだろう。人類の多く~ほとんどが、「そうでないと、おかしすぎるメチャクチャだ!」と叫ぶだろう(しかも歴史を見ればそれは正しいと一目瞭然である)(以下これは筆者の言ではなく質時間回帰則の言である「マイナスの質時間を膨大に積み上げている者どもは反対するしかないが、WWWWWWWWW!!!! じゃが、反対しても無駄である、無駄な抵抗はやめろ!!!!!! WWWW 無駄な抵抗はさらにますます質時間のマイナスを積み上げる結果となるは必定である WWWWWW じゃが、マイナスの質時間のコレクションが趣味なら止めても無駄か WWWW しかし、あとが極限まで恐ろしいのじゃ、覚悟しておけ!!!! WWWWWW」以上、筆者の言ではなく質時間回帰則の言である《本スレ全部が、基本的に、その対象s内容sがもつ論理s・駆動力sによって書かれている。それらは筆者の豊かな痴性ではとても書けない内容sばかりである》・・・・・・)・・・・・・。遡って・・・しかし、それを事実・真実だと知っている知性も存在する」。それに、ほとんどの宗教sがそれを説いているので、それを否定することは、それら宗教sとその開祖s、ひいては、否定している本人をも否定し侮辱冒涜していることになる。それは果てしなくも夥しくもの凄い挑戦である。素晴らしい! 「一般的・普通の唯物論」に凝り固まっていると、本人が途轍もなく大損することになる。あとがとんでもなく大変だ。【ちなみに、心脳科学・仮説によって、「普通一般でない『唯物論』」で心脳の現実のすべてを説明することができる】》。ちなみに以下は「前の説明の、より詳細な解説にもなるが」:「本音」ということばから連想するのは、特に最後者の2項目「楽して楽しむことだけがすべて・いい思いをすることだけがすべて」といった類の主張についていうと、「一方通行『いいとこ取り(直近で述べたとおり)』」ということだ。そこでは、「質・クオリアの対生成と対消滅」と「質・クオリア時間回帰」を完全に無視している。それをたとえていうと、「権利(含・既得権益)に伴う義務と責任」、「資格に伴う義務と責任」、ついでに、「権利の一種であるとみなせるところの権力や権威(高い立場《あとで低い立場・正反対の立場に100パーセント落ちる、逆転する》)、それらやそれらに似た実態s《いろいろある・恐怖やBKとかATやDSとかOIやBLとかKHやIBとかNZやUGなどを基になんやかんやなどなど》に基づくさまざま《それらは便宜的に与えられているのであり【絶対的ではまったくない】【あるいはGDしたのであり】かつそれらは「一時的で儚い」事態・実態・状態にあるだけである。そこでは「質時間回帰」が当然「極めて厳しく」発動する。いい思いをした分、それによって利益を上げた分、義務と責任を回避した分、他s・他人sにマイナスや害、負の快など、を与えた分、質時間回帰が極めて厳しく激しく途轍もないことになる》に伴う義務と責任《人類・人間sを○○した者どもはacmamonigel○○○○》」、それらを無視している、そういったことを思わせる。しかし、そこでは、「そんなことは知ったこっちゃないwww、そもそもそんなことは考えたこともない、だいたいそんなことがあるはずがないwww」(それをチセイ痴性のもとにあるという。世界・時代・人類は痴性の黄金期をとっくの過去に迎え、その中にある。筆者もその中にいる。ただし、このスレを書いているのは豊かな痴性の持ち主の筆者ではなく、その対象内容がもつ論理・駆動力である)、というのがそれらの立場だろうがWWWWWWWWW《以下「W」が永遠に続くWWWWWWWWW》=つまり「質時間回帰(則)!(かんたんにいえばカルマだ。カルマとだいたい同じであるところの、科学的に証明される科学的カルマである)が永劫久遠に続く。つまり、それらの立場にある者どもの将来は恐ろしすぎるということだ。恐ろしいの最上級・極限極致である。だからといって恐怖しすぎて逃げたり隠れたり気絶したり自殺してもなんの救いにもならないWWWWWWWWW。死んだらそれで終わりではない!!!! 100パーセント償わされる・支払わされる・償わさせられる・支払わさせられる!!!!!! この記述をトンデモだ基地外だと笑い飛ばすほど、さらにその後がよりいっそう恐ろしいことになるWWWWWWWWW。既知は害をもっていることが多い。それらの者どもは他人sに極限まで甘えている、甘えすぎているのだ。世界は「いいかげん」にはできていないWWWWWWWWW。100パーセント「良い加減」にできているのだ。つまり完璧に質時間回帰するのである(断言! 断定! ほかの余地はない!!!!)(ちなみに:加減というのはプラスマイナスという意味だ。それが良いというのは釣り合うということである。つまりそれは質時間回帰という概念の中にある。「いいかげん」というのはそれが反転した意味になった表現だ、質の対生成と対消滅、それと質時間回帰によってそれも説明がつく。たとえば、「やばい」「てきとう」などの両面性も参考になる。《筆者は、感嘆符「!」と「W(笑い)」はほとんど使わないできているが、ここでは下品に多用した。なぜなら、強調しすぎても強調が底なしに足りないからであるWWWW!!!!!!》《参考:それらは、「いちばん上にいて」=「いちばん上にいると思っていて」=「いちばん上にいると勘違いしていて」=「知性皆無=豊かな痴性=クオリア・質時間回帰でジゴクノサイシンブニオチル」ということに気づかないのである。「いちばん上にいると思っていると、そのうち一番下にいることになる」のである。質・クオリア時間回帰である。世界は完璧にできている(参考:王子とコジキという物語がある。それは世界・人間の真実である。つまりそれは、質時間回帰則を正しく表現しているということだ)》《結局、世界・人類が滅びるのは、双対性、相補性、質の対消滅s、相打ちs、潰し合いs、による、といえるだろう。それらも質時間回帰【則】のもとにある》《参考:人生における最大の不幸とは、使う以上の○をもつこと、と、それを目指すことである、という側面がある》《平等、公平、も、時間を組み込んだ対称性と双対性によって保証されているといえるのだろう》《ここらも工夫した表現記述にある》。《ついでに:女性性と男性性も、双対性と相補性の中にあるのだろう。女性性は波動性、男性性は粒子性、といったところだろうか。もちろん人間の個々においては、男も女もそれらの両方をもっており、それらの割合が異なる、という実態をもつだろう》《再び:陳腐な言は、カルマや地獄は道徳・倫理のための虚言だというが、それはまさに腐った言(腐・陳《陳:述べる、古い、などの意だったと思う》)であって、そういう言の者どもは将来がとんでもなく恐ろしく大変なことになるのである》《それ「権利などに伴う義務と責任」といった内容の中にある前者と後者も双対性の一種の中の「相補性」の中にあるのだろう》《質時間回帰の一種:エンジンの出力を耐性限度を越えて上げすぎると、そのエンジンはぶっ壊れる。現在の世界にはそういうたとえで表現できる○sや○○sや実態が多すぎる。それは、一種の、痴性の暴走である、ともいえる。その結果、世界・人類は終焉を迎えることになる。Dkkahhnguchabecha》《ただし、世界のほとんどがそういう中にあってもごく稀に天使のような方はおられるだろう》《いつものようにごちゃぐちゃとした記述になった。カッコの用い方も乱れた。すっきりと書こうとすると、かなり同時多発することのあるアイディアsを忘れてしまうので、そういうことになる。清書するには時間も体力も短時日には足りない。清書は先のことである》)(仏教をもとにしてもうひとつつけ加えよう:そういった権利・権威・それらに類する恐ろしい実行力の類s、それらを持ち行使できるケースsにおいて、大きく分けてふたつのパターンがある。そのふたつのパターンもさらにふたつに分かれる。ひとつは、仏教のジャータカ?(ジャータカじゃったか? だったと思う。ブッダの前の生sの物語)にあるように、前の生s(普通、前世という。単数も複数もそう呼ぶだろう?)で、大きく桁外れな質時間のプラスを積んでいるケース;そういった人物はスケールの大きなリーダーにふさわしいし、リーダーになる資格も権利もある、といえる。そうではなくて、前の生sにおいて、質時間のプラスを大きくは積んでいない人物は、そういったリーダーになる資格も権利もない。なったところで、すぐに墜落沈没する。そこからのふたつのパターンというのはこうである。そのどちらにおいてもいえることだが、リーダーとして営為している間に、プラスの質時間を積むか、マイナスの質時間を積むか、というふたつのケースである。前者であると、リーダーでいられる期間がより永くなり、後者だと、それはより短くなる。以上は、リーダーについて、だけではなく、成功するか失敗するか、うまくいくかその反か、楽しくいけるかその逆か、など人生のすべてにおいて、そういえる。(ちなみに某氏は「努力しても無意味」と主張しているが、それはきわめて特殊な本人の経験からの言であって《ほんの少数の人sにはそれは当てはまる。なぜ当てはまるのかについては既に述べている》、一般的にはまったく成立せず、そういう主張は社会に重大な害悪をもたらす《その某氏はそれに気がつかないのだろうか?》。それらについてもすべて、質の生成と個々についての質・クオリア時間回帰で説明がつく):以上、仏教をもとに、多くの人たちが興味をもちそうな?内容を記してみた):ここもカッコ付けの加筆が長くなりすぎたが、それらについても考えること(読みにくいこと夥しくもはなはだしい)これでここのさまざまな加筆は一応FIN:。そういった哲学的問いと思索、それと自然科学とを結びつける思索や考え・概念・内容などを展開すること。(以上、多くの内容が交錯錯綜し、もつれ合った、超絶複合設問である)*上記についての感想や解答を記すこと。さらに、そこにある論理について考究すること。*このスレ(8百以上つづいている)を読んで(さらにできればネット上の筆者のすべてのエントリーを読んで)、自分の哲学を打ち立てること。*このスレッドの内容や設問にミスや間違い、いいかげんな個所s不完全なところsがあるはずである。それらを指摘し正す記述をなすこと。*世界的宗教sや永く継続してきている宗教sの教えsが必ずしも一致しないのはなぜか、質の科学(仮説)などをもとに考え推測すること。*「甘い汁には毒がある」という新しい諺を、質の科学(仮説)を適用して解説すること。しかも、その毒はすぐに作用するものとある程度~かなり~そうとう時間が経ってからその毒性が発現するものがある。そこらを質の科学(仮説)~質時間回帰則をもとに解説すること。さらに、そこらをこの本文中で述べたホコリ・チリ・新種のホタルに結びつけて論ずること。*「知能テストはスピード競技である」という命題について解説すること。また、それに関連して自分の体験などを述べること。*「試験の成績がいいということは、単に事務処理能力が高いということにすぎない」という文言の説明をなすこと。*「ちやほやされて育つと、後が大変である」「成人してからも、ちやほやされる期間が長いと、後が大変である」という諺風の文言を、質の科学(仮説)~質時間回帰則を用いて解説すること。*作家・北杜夫さんの著作から、このサイトに非常に関係がありそうな話題をひとつ探しだしてそれについての感想を述べること。また、それに質の科学(仮説)~質時間回帰則を適用して論を張ること。*「大昔、アフリカで、キリンの首がまだ短かった時代に、キリンたちが樹木sの葉っぱを食べつくして、葉っぱはもう樹木の高いところにしか残っておらず、それらキリンたちは全員飢え死にした」、というイソップ物語風の説話についての感想を書くこと。さらに質の科学(仮説)~質時間回帰則からその物語を考えてみること。*「パンダの胃腸の構造は肉食獣のそれだそうだが、今やササの葉を食べて生きている。腸内細菌・微生物群がササの葉を利用してさまざまな成分sを作り出すので彼らは生きていけるのだそうだ。そういう細菌・微生物群を獲得したパンダのみが生き残り、そして今に至ったと考えられるそうである」。この文章の内容についての感想を記すこと。さらに、質の科学(仮説)~質時間回帰則を適用してそれについて考えること(肉食獣全般に及ぶ内容でなくてもよい)。*霊魂があっても、霊魂はなくて意識は脳の機能・働きのような実態であっても、「転生はある」ことの証明のような内容になる論理をもつ文章を記すこと(複数既述しているので、それを探し出してもいいし、それ以外の論理展開での内容でもいい)(検証は別問題である)。*転生はある、と確信したとしても、自殺は禁じられる。なぜ禁じられるのか複数の考え方のもとに述べること。さらに、質の科学(仮説)を適用して解答すること。*脳にある論理――ニューロンsなどにある論理~関係性など――について追究すること。*心器における理活について考察すること。*理活の参考になる事例を挙げること。*心脳~知性における想像力について考えること。*「論理」とはなにか考えること。*「数学」とは何か考察すること。*「数学」が「現実の一部の領域」を近似的に記述できるのはなぜか追究すること。ならびに、その「現実の一部の領域」と、それ以外の領域について、あるいはそれらの関係について述べること。*「タンパク質などの情報物質が、あらゆるすべてのさまざまを担保しているのだろう」という命題を詳しく演繹敷衍展開すること。*「タンパク質などの情報物質が、あらゆるすべてのさまざまを担保しているのだろう」という実態が一応正しいとして(別に正しいと仮定しなくてもいいが。しかし、それが正しくないと仮定するとおかしなことになる・心脳の現実が成立しないことになる)、それのもつ情報量と、遺伝子sとそれらの総体プラスアルファであるDNAのもつ情報量を比較して、前者のそれが桁外れに多いことを示すこと。その結論からなにがいえるか述べること。本設問にある付記「(別に正しいと仮定しなくてもいいが。しかし、それが正しくないと仮定するとおかしなことになる・心脳の現実が成立しないことになる)」について解説すること。*「理活」に関係のありそうな数学について考察すること(たとえば、状態ベクトル、テンソル、さまざまな演算子、行列。流体力学。一般相対論。行列力学。・・・行列については既述)。*現実の中で「理活」に関係のありそうな事柄・事象を探しだすこと。さらにそれを基に理活の形式を抽象的に記述すること。ならびにそれに対応しそうな数学~数学形式を探しだすか創りだすこと。*心脳科学(仮説)にある「経時変化変化波動モード意識内容h(t)の中にあらゆるすべてのすべてがある」、という命題について解説すること。また、心脳科学(仮説)にある「心的内容情報スペクトルの系の中にあらゆるすべてのすべてがある」、という命題について解説すること。さらに、その後者にある論理や理活を数学的に扱った結果、どういうことになるか、どういう利点と弊害がでてくる可能性があるか、などについて考えること。*心器における事象はある意味ハイゼンベルク描像に似ている、ということについて解説すること。*意識器における事象はある意味シュレーディンガー描像に似ている、ということについて解説すること。さらに、意識器における事象は、量子論的確率の世界ではない、ということについても併せて論ずること。*本文中にある以下の記述を読んでそれについて詳しく解説すること「参考:シアノバクテリアは、光合成をなす。その機序は本論にある仮説s――仮説sの中のいくつか――に重なるところがある。それは・・・葉緑素~葉緑体が光合成をなすにあたって、葉緑素が感応反応する振動数より高い振動数の光については、まずタンパク質がそれを受け、より振動数の低い光を次の別種のタンパク質に送り(発振と受振)、そういった事象を何回かおこない、葉緑素が感応反応する振動数の光にして葉緑素に送り込む。そこで葉緑体が光合成をおこなう。そういう機構になっている。(その逆があるのかどうかまでは知らない。先のラマン散乱そのほかから言ってありうるが)まさにそれは本論における仮説sのいくつかに重なっているではないか。(・・・筆者はそれを知って感激した・・・)」。*心脳~知性における創造力について論じること。*心脳~知性における想像力について論じること。*「利点・いい面と弊害・悪い面」はすべてにおいて常について回る、ほとんどが時間的ズレを伴って。その原理を述べること。ついで、質の科学(仮説)を適用して論を張ること。*質時間回帰則は、時間を組み込んだ対称性の法則だともいえる。その解説をなすこと。*「快楽の報酬」という文言と「質の科学(仮説)」を併せて、そこから論を展開すること。*「快楽と安楽の報酬」という文言と「質の科学(仮説)」を併せて、社会sと世界情勢についての論を展開すること。*人類の理性(理性とは、元々は「人間のもつ知性のうち、理屈に適った性質を発揮する知性」という意味だろうが、ここでは知性の中の道徳的・倫理的な性質を担う知性としよう。道徳的とは、自分~小団体~中団体~大団体~社会s~国家s~人類~世界、の存続をもたらすところの性質をもつ知性内容に属すること、としよう。それが「少ない・劣化している・ない」、となると、人類は○○。今現在人類はそこの崖っぷちに○っている。○○の瀬戸際に立っている人類。あと○年前後以内に人類は・・・・で、カントは確か「私の中にアプリオリ(先験・先天・固有。単に先験という訳が普通だろう?)(先天先験・後天学習獲得問題もそこには含まれそうだ)に存在する道徳律(倫理)? といったことを書いていた?」 と記憶するが、その「道徳律」が「変化しないか(なにごとでもそうだが、人によって、時や時期によって、異なるし異なっていく。そうではない何かもあるだろうが)」・「遂行されるか」、という検討課題もあるだろう。遂行されなかったらないに等しいとまでいえるケースもでてくる(たとえば人類の○○)。ここの部分たる以上の「その在り方」に関する内容をひき出し記すこと(――それはハイゼンベルク描像における実態を連想させる――)。さらにそれらと「自由意思・意志(既に何度も述べた)」を絡め、人類の未来や自分の在り方についてさまざま考察すること。*「自由意志・意思」と「決定論」、「自由意志・意思」と「量子力学・量子論」との関係について考察すること。*「自由意志・意思」と「論理」との関係について考えること。*「自由意志・意思」と「創造」との関係について考えること。*「自由意志・意思」と「想像」との関係について考えること。*「数学」と「論理」、それらと「自由意志・意思」との関係について述べること。*「いい思いをすること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「いい気になること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて解説すること。*「傲慢になること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「威張ること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「苦しむこと」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて解説すること。*「努力すること」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「人にいいことを為すこと」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*以上、運命のノート関連の実態(仮説)において、それらプラス面に伴って、同時とは限らないがマイナス面があることを解説すること(――質の対生成と質の対消滅、それに質時間回帰による――)。*以下これは運命のノートの内容を導き出す根本法則のひとつであるが、「他人に為したとおりを将来必ず同じだけ自分が受けることになる」という法則(――質の科学・仮説からでてくる。ただし、転生がないと完璧にはそれは遂行されない。そういう傾向がある、という程度に終わる。で、転生については、霊魂はあってもなくても転生はある、という「概念による証明のようなもの」はある――)についての感想や事例sを述べること。*運命のノートの未来にマイナスを書き込んだ=マイナスの質時間を積んだ、と思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい=マイナスの快を受ければよい=プラスの質時間を積めばいい、ということがいえる。・・・解説を少し・・・ここに記している、プラスやマイナスについていうと、それは結局質時間について述べているのであるが、質時間にはさまざまな多くの種類があるので、マイナスの質時間の記録を打ち消したいばあいは、基本的に「同じ種類の」質時間のプラスを積むことが必要である・・・。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる。ここで設問として・・・上にある「マイナスの快(――そこから、プラスの快という概念実態・描写記述内容も当然でてくる――)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。さらに、「質時間にはさまざまな多くの種類がある」ということについて解説すること。*質時間回帰則から、言葉にしたり書いたりすることを憚られる内容sがでてくるが、それについては具体的には何も記さないこと――なぜならガックリくるからである――。この「それについては具体的には何も記さないこと」についての感想を記すこと。この設問について抽象的に解説すること。*食料の生産――1次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*飲食物の生産――2次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。くわえて質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*飲食物の流通販売提供など――3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*衣服の生産流通販売――1次産業~2次産業~3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*住宅や都市・生活基盤の生産製造工事流通販売維持など――1次産業~2次産業~3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。ならびに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*「人間は一人では生きていけない、生きていけるとしてもごく短時日である」、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*「質時間回帰則が世界を見張っている」、それについて解説すること。*アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言は、「完全な決定論」の表明であるのかどうか考えること。ならびに、その言と自由意思との関係を論じること。*・・・アインシュタインはすべては物理的に決定論で記述される、といっているように一応思える。しかし、たとえばそれだけでは、「神は神の自由意思・意志に基づいて行為する」、という可能性の領域を否定しているとはいえない。・・・人間についていえば、アインシュタインは、決定論の立場に立っているように見える、自由意思・意志はなくて、法則どおりに進むと。・・・そこで、「神の自由意思・意志」までもが決定論内にある論理に従うのか否かという謎と設問もでてくる。以上とその謎と設問について考えること。*・・・さらにつづけよう。で、アインシュタインはたしか、「スピノザの神を信じる」と言ったと書かれていた?と思う。スピノザの神というのは、端的にいうと、「大宇宙、大自然、森羅万象、すべてに神が宿っており、それら万物が神である(汎神論)」という主張だったと思う。それは神道の主張と同じようなものだろう?そこらに関する感想と考えたことなどを記すこと。 *・・・で、アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という立場は、「森羅万象は法則に則って機械仕掛けのように運営されていく」、と、まずは理解してしまう。そこでは、「神には自由意思・意志はない」あるいは、「神の自由意思とは法則だ・・・それは自由とは思えないが。神が自由意思で法則を決め実現させている、運営している、とすれば、なんとか神は自由意思をもっている、と記述はできるが。あとは解釈のし方や好みの問題だ・・・」、ということになる。そこらについて考えること。また感想を述べること。*・・・それらに関連してちなみに・・・「人間の自由意思・意志については、否定ですか? アインシュタイン先生・・・そう単純にはいかないと思いますが」。このカッコ内の文言について論考すること。*以上、自由意思・意志が存在するとすれば、以下のケースのもとに、自家撞着というかパラドックスというか矛盾というか、が発生する。それはつまり、さる人物(猿ではない・Jk)が筆者に言ったが「自由意思の仕組みが解明されそこが完全に論理的に記述されたら、それは「自由」意思ではなくなる」と。ここらも仮定の世界にあるが、そういう側面もある、ということである。ただし既に述べているように、そこは原理的な原因・理由で解明されないだろう。そこらについての感想や考えたことを記すこと。*以上、決定論と非決定論、自由意思・意志の有り無しに関連して、ハイゼンベルクの不確定性原理の主張する「位置と運動量、または時間とエネルギー」は同時に正確には決定されない、という内容――後述があるのでここではまだ実態と記さず「内容」と書く。それはハイゼンベルクの理論である――に似た面があるかもしれない、という連想を生むが、基本的には異なる・・・それはそこに実際に意思・意志があるか否かという謎と設問の世界である。人間の心器にはそれがあるが(もちろんそれは仮説である)、量子場にそれ「自由意思」があるかどうかは・・・宗教や神学では、神の意思・意志がそこにはある、と主張するかもしれないが・・・わからない。・・・大自然すべて森羅万象が神であるという汎神論においては、そこにある法則性も神である、とするだろうが・・・。以上、についての感想を記すこと。ならびにその謎と設問について考えること。*さらに以上それらに関連してちなみに・・・ハイゼンベルクの不確定性原理を記述する不等式は、小澤の不等式で厳密化――観測によって対象に与える変動と観測精度の限界による誤差、それと量子ゆらぎによる実態を区別して新たな項を2つ加え、左項は3項となった。ハイゼンベルクはそれらをはっきり分けてはいなかったという形跡があるそうだ――されたわけだが、それについては、省略する。ここの部分についての感想を述べること。(・・・ちなみに:近年、日本の研究者を鼓舞する事態が増えてきている・・・)。*以上に関連してついでに書いておこう・・・自由意思・意志が発揮される領域として、決断――さまざまな情報sを収集し考え研究し勘案斟酌して決断すること――、自分の中のマイナスな面をださないように努めること、自己教育、創造~新しいなにかを創り上げること、などがある。もちろんそこでは、既存の情報sや内容s、現実に既にあるさまざまを活用した上で――このことsは自由意思・意志を否定しない。それを否定するようだと、自分の誕生まで自分自身の自由意思・意志で成し遂げていなくてはならない、というところにまで行き着く。そもそも自分を生み出したのは自分ではないから自由意思はない、と。そういった不可能な領域は自由意思・意志とは100パーセント関係ない――、自由意思・意志を発揮し進んでいくのである。ここの部分についての感想と論考を記すこと。・・・以上、参考までに・・・自由意思・意志についても、過去にかなり多く記している・・・ネット上にあるそれらを探しだして整理すること。*以上、アインシュタインの「『神はサイコロを振らない』という言は」から始まった謎と設問のシリーズの総まとめとして、それらの内容のどれか~全部について、考えたことや感想を記すこと。*アインシュタイン関連の設問が続いたので、その延長線上にある内容として本文中の次の文章を載せよう。『参考:新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き?日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。』以上について感想を述べ、それから論じること。さらに、「以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。」について解説すること。*どんな理論も近似的に現実を記述できることがある――そう表現できる。対象も時や時期によって異なってくるのは当然であるが、そこを織り込んで規則などを記述することは不可能であるし(tを盛り込んだ記述の不完全さ)、そこを考慮しなくてもそもそも対象を完璧に記述することは不可能である。百歩譲って、対象は近似的に記述できる、と表現できる、としよう。近似的に記述するということはズレがあるということである。で、少しズレただけで未来は不確定になる。ほんの少しの角度のズレがそれを伸ばすとズレが大きくなる、といった実態があるのでそういうことがいえる――それらをすべて盛り込んだ記述はできない――それに関しては既にかなり述べている――。以上から、自由意思・意志の存在の担保、決定論の回避、などがでてくる、という面もある。以上の記述についての感想と意見を述べること。*このところの一連のチャプターs、その他さまざまs、などを読んで、世界情勢・社会情勢などを交えて、物好きでアホな痴性の持ち主である筆者の考えるところや意図などを推測想像し端的に短く記すこと(思考力や推察力、国語力などの鍛錬にもなりまする)(ただし先述したとおり、このスレを書いているのは豊かな痴性の持ち主の筆者ではなく、それら対象内容sがもつ論理・駆動力でありもうす)。*以下これはいくつも飛ばした上、にある設問とは無関係・・・上に多く加筆したためわかりにくくなった・・・であるが・・・そして繰り返しにもなるが・・・自由意思・意志や決断、運命のノートをよりよくするための言動、自己教育、創造、などの鍵である『心器の理活』についてさらに深い追究をなすこと。ならびに、現実におけるそのモデルs――『心器の理活』のモデルになりそうな事例・事象・実態s――を探し出すこと。*質の科学(仮説)~質時間回帰則から、倫理・道徳を導き出すこと。*質の科学(仮説)~質時間回帰則から、義務と責任の存在を導出すること。*ほとんどのことにおいてそうだが、なんにつけ「人によって異なる、同じ人でも時や時期によって違ってくる」とネット上に筆者は過去に何度も書いているのだが、その命題を質の科学(仮説)~質時間回帰則、あるいはその他の原理、から説明解説すること。 *論理とは何か、説明すること。さらに、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*関係性とは何か、説明すること。さらに、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*規則、法則、とは何か、説明すること。くわえて、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*両眼視野闘争、気づき、変化盲、閾下知覚、運動誘発盲、などについて、心脳科学(仮説)にもとづいて解説すること。*心脳科学(仮説)を手短かにわかりやすく要約すること。*心脳科学(仮説)をもとに、哲学上のさまざまな課題・問題に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、心脳の現実におけるさまざまな問題・課題に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、世界・森羅万象におけるさまざまな問題・課題・謎に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、認識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、意識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、無意識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、笑いについて論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、感情について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、時間について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、空間について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、外界(自分の心と意識の外の世界~物質世界と非物質的世界)について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、脳神経科学における仮説を分別すること、ならびに、それらに説明をつけること。*心脳科学(仮説)をもとに、脳神経科学において確立した知見sを説明解説すること。*心脳科学(仮説)をもとに、「直接認識」の可能性について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、「直接意識すること」の可能性について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、既述「(参考:心脳において、仮に、情報物質が交信しているとしよう。しかも、超弦理論で記述される未知の量子sを心器が扱うことができるとしよう。するとどういうことが起こるか。実に興味深くおもしろい事象が起こりうることになる。《既述》)」の内容に関して、どういうことが起こりうるのか考えること。質の科学(仮説)を端的にわかりやすく短く記述すること。*本スレッドにある、すべての設問をすべて拾い上げ、並べ記すこと。*質の科学(仮説)にある「質時間回帰則(科学的カルマ)」の原理は複数ある。ネット上に既述しているが、それらを記すこと。さらに、回帰する量sや実態sを、現実の世界から探しだして記すこと(人間~団体~社会~国家~世界~自然界の中に)。*「質時間回帰則」は、「時間を組み込んだ対称性のひとつ」である、といえる。そこを数学的に述べること。ならびに、「質時間回帰則」は、「時間を組み込んだ保存則」である、といえるかどうか検討すること。さらに、そこにある原理を記すこと。くわえて、そこにある対称性についても述べること。*質の科学(仮説)をもとに、恵まれた地域においては、どういった事象と事態が発生することになるか、その実態と原理を記すこと。*質の科学(仮説)をもとに、こどもを甘やかす・こどもが恵まれている地域においては、どういった事象と事態が発生することになるか、その実態と原理を記すこと。*質の科学(仮説)をもとに、世界でもっとも○○である○○について解説すること(ネット上に既に記している)。*現代文明は、ゴミや廃棄物などを大量にもたらす実態にあるが、そのいい面と悪い面について論じること。さらにそこに質の科学(仮説)・質の対生成対消滅・質時間回帰則を適用して考察すること。*「世界中を新種のホタルsが無数に飛び交いまくる」というきわめておかしな文言を解釈すること。*質の科学(仮説)をもとに、○○が起こる原理と原因・理由を説明解説すること(ネット上に既述)。ならびに、これからは世界中、バッタバッタバッタ、バッタだらけになる、というおかしな文言を解釈すること。*ネット上のあちこちに、「他人は将来の自分である」と書いているんだが、それを質の科学(仮説)~質時間回帰則で説明すること。さらに、それと「運命のノート」との関係を述べること。*「The river of suns、人類全員、みんなで渡れば怖くない」という奇妙奇天烈ヘンテコリンな標語を解釈すること。ならびに、それと質時間回帰則との関係を論じること。*現代社会・世界における人間は、マイナスの質時間を積み上げやすい環境にいる。さまざまな文明の機器や発達した衣食住、趣味や快楽などを受けることのたやすいさまざま、などなどによって、人間はほっておけばマイナスの質時間を積み上げる傾向の度合いが非常に高い。「自分は恵まれていない」と思っても、そうでないケースが多い。そういう世界に暮らす人類をこの先待ち受けている事態は何か、考えること。ならびに、その事態と質時間回帰則との関係を論じること。* 以下の文章を解釈すること:「人類の質時間回帰と歩を一にする大気の質時間回帰;地球全球の大気の流れ:日本を通る大気の流れとして、だいたいの基本として(ときどき例外的になるが)、東に向かい、1・そのまま東に、かつ2・東に進んだ後北東~北~北西へ、かつ3・東に進んだ後南へそして西へそして東南アジア~インド南方あたりから南半球へ(ヒマラヤがあるからか?)そしてオーストラリア方面へ、と・・・・で、高度によって流れは異なることも多い。季節によっても変動する。さらに細かく分岐の行く先があるが、それは乱流・揺らぎということで、しかも時々以上すべてが乱れたり揺らいだりする。あと、北半球ででも南半球ででもそれぞれ3タイプの大気循環sがある。それらによって、それぞれの半球の大気は撹拌されている。そして赤道あたりでの南北ふたつの大気循環sによって南北両半球の大気は混じり合う。それらのメカニズムによって南北両半球の大気はかなりはやく入り混じる。以上がなにを意味するかというと・・・・」。*世界情勢・時事関連(対象の件は時とともに古くなるが);以下の文章を、質の科学(仮説)~質時間回帰則やその他にもとづいて解釈すること:「イソップ物語のアリとキリギリシャ・その2:アリの車がガタガタになって蓄えが零れ落ちていく→かなり前書いた「イソップ物語のアリとキリギリシャじゃなくてキリギリス、イソップは古代ギリシャ人、ギリシャはキリギリス、アリはどこのドイツだ?」(どこの、を今回加筆。めんどくさくて省略したのを覚えている)」*質の科学(仮説)によれば、「快楽や楽、楽しみや喜び(プラスの快)」を受けると、プラスの質時間が消費されるあるいはマイナスの質時間を積み上げることになる、となる。マイナスの質時間を積み上げた人間が世界に増えればどうなるか考えること。*自由意思・意志があるか否か論じること。ならびに、自由意思があるという立場にたって、自由意思と質時間回帰則の関係について述べること。さらに、自由意思・意志が質時間回帰則に打ち負かされない在り方を論じること。*自由意思・意志と自由意思・意志による決断の在り方についても既述している。そこらを考察すること。*自由意思・意志で、自分の人間性のマイナス面――これは結局周り・社会・ひいては自分との関係になるが――を表にださないことができるかどうか考えること。ならびに、それを実践することを心がけてみた結果とその感想を記すこと。*自由意思・意志で、自己教育を行ってみて(自己責任で)、その結果と感想を記すこと。*心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、それらの科学的内容について感想を述べ評価すること。*「言葉が意識である」という主張における意識とは、心脳科学(仮説)によると、「知的操作感」である、という記述内容を解説すること。*人文的な論議は収拾がつかなくなる(――ケンカになることが多い――)(――感情的な要素が入っていると、もう、フニャフニャグチャグチャのドロドロ《意味内容があやふやで噛み合わない~意味不明~混乱混沌~不毛》になること必至である――)。その結果どうなるか――抽象的にあるいは具体的に――それを述べること。さらに、そこにある原理を記すこと。ならびに、質の科学(仮説)でそこを説明すること。*再び:このスレを読んで、自分の哲学を打ち立てること。*さらに繰り返しをも含めて、在りうる「論理」(科学や数学におけるそれとは限らず、社会的な・人間的な論理、それらを含めて)について追究すること。さらに、それと質の科学(仮説)~心脳科学(仮説)との関係を考えること。*このスレッドは8百を越えて書き続けられている。その題材sの領域は、科学~哲学~論理~遊びを含めて考えるところの世界の謎sについての領域s(=森羅万象スペースファンタジア問題)、などである。それらを読み取り分類して端的にわかりやすく記すこと。*このスレにおける過去の設問sを読み返し、それらに対する新たな答えsを考えること。*このスレッドについての感想を記すこと。*この世界・宇宙についての感想を記すこと。*一番の根本としての繰り返し:哲学的な問いになるが、人間は何のために、仕事をするのか・さまざま研究するのか、考えること。ならびに、人間とはなにか、人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きている・生きていくのか考えること。*質時間回帰則から、文字にすることが憚られる・ことばにしたくないような内容がでてくる。そこらを抽象的に述べること。*心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(――超弦理論をそういうふうに構築できそうである――)。(・・・筆者は、超弦理論を、筆者の研究に必要な程度学んだ・・・)。そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(――人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない――)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(――超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となるだろう――)。以上について、解説をなすこと。*さまざまなことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところを解説すること。*以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっている。1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(――ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」――)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」4:(ここまでは哲学であり、筆者はそれが好きだ)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、筆者はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。さてそこで、以上についての感想と説明を記すこと。さらに、それと質の科学(仮説)~心脳科学(仮説)との関係を述べること。*以下この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(――推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている――)推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)・・・仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。以上についての感想を述べること。*推測による「『脳における情報構造』からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ」、という文言の内容について解説すること。*心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ、という文の内容について解説すること。*「リベットの実験事実」を説明できるのは、心脳科学なる仮説s体系しかない、今のところ、という命題の解説をなすこと。*この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学という仮説s体系しかない、今のところ、という命題について解説をなすこと。*「話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する」という文章の内容について解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。そこを解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。そこを解説すること。*「心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる」そこらを説明すること。*「心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。『意識内容そのものに知性が介入できる』という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる」以上そこらを解説すること。*心脳科学(仮説)によると、心器、意識器、という局所場sがそれぞれ想定される。そこを解説すること。そこにおいて、ユングの仮説「集合無意識」を適用して、すべての心器sという局所場sが属する「非局所場」が存在するという仮説の説明をなすこと。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。それについて、説明なり、その哲学なりを述べること。*心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。それをなしてみること。*心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。一元論と二元論には定義がいくつかあるので、自分なりの定義をまず述べ、それからその統合について解説すること。*心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。まず、唯心論と唯物論の定義を述べ、それからそれらの統合について論ずること。*学問について言っても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところをもすっきりと把握できるだろう。それについて解説すること。*心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。それをなすこと。*不可知論にもいろんな立場がある。それについて説明すること。*カオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、それを超えた(越えた)立場も成立する。そこを解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる。それをなす試みを行うこと。*心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。それを記すこと。*心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。それをなすこと。*心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。その内容を述べること。*心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。その解説をなすこと。*心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。それを述べること。*心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。それを記すこと。*心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。それを試みること。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。それをなすこと。*心脳科学(仮説)の中で、心脳科学(仮説)の検証のための実験sについてかなりな程度言及している。それらをまとめて記すこと。*筆者は大学時代に、大学のキャンパスで宗教の勧誘にあったことがあった。筆者はその男に説明をほとんどさせず、筆者の「世界哲学、質の科学、質時間回帰則など」を説いてきかせた。その二回目では、図書館のロビーでさらに詳しく説いた。するとその男はそれ以降二度とキャンパスで見かけることはなくなった。以上は、そういった世界哲学などの研究(かなり初めの段階で「世界哲学」と名づけた)による効用のひとつであるともいえる。ここで設問だが、それに類似した体験を述べること。*「To be honest,or not to be honest:that is the question.」について説明すること。さらに、質時間回帰則をそこに適用してさまざま説明すること。*押し付けでない、「考え理解し納得に向かうところの新しい倫理・道徳」として・・・「質時間回帰則」の検証と理解、「人の多くは、死ぬ前に、『もっと多くの人にいいことをしておけばよかった』『自分がほんとうにやりたいことを思いきってやっておけばよかった』などと思い後悔するのだそうだ」などといった実態を知ること、などが考えられる。以上の内容についての感想や提案を述べること。*以下の文章の中に、質の科学(仮説)の内容を見いだし、それについて解説すること。・・・「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。・・・With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded・・・Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.」*本スレにある設問sの中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。*心脳科学(仮説)の中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。*質の科学(仮説)の中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。以上、そういう出題をなすことができる。(以上、あまりの読みにくさに、辟易うんざりしています。しかし今の段階ではこうなるしかない、という実態については既に記したとおりです。そのうち清書したいと思います《人類が○○するまで筆者の営為はつづいていきます》)・・・本スレッドをはじめ、ネット上を含めて筆者が書くものにある教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けているのである・・・(「www」、「WWWW」、「!」、「!!!!」、を初めて多用したが、それは、直截に・ストレートに・直接的・具体的に記すのを避けたためでもあるし、たまにはおもしろく書くことも必要だと考えたからという要素もある。ユーモア・ジョークを入れないとやっていられない時代という時期・世界はある《まあ、どんな時代でもそうであるが》――それに関してはすでに述べた側面もある)。(この設問の対象における内容について否定する意見の持ち主は、そういったテーマについての科学的研究能力のない者だろう。「そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ」などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういった見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、それは、刷り込まれた思い込み・決め付けのみに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので《なにごとであれそういう姿勢が望まれる》、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められるし、全部を理解した上でないと、反論する資格も権利もない《権利関連問題については既に述べている》《ただし、頭ごなしに否定・反論するばあいはそうであるが、学びたいばあいは、すべてを理解していなくてもよいのは当然である》。ちなみに、検証・実証も今後進めていきたい)。☆新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き~日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。:つづく☆「研究者に研究不正をなさないことを学習するよう義務付ける」学術会議、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会、の共同声明研究不正問題:「大学や研究所など、組織の責任をも問う方針」文科省つぶやきより:特定の意味で:心器での内容(活動実態)はハイゼンベルク描像に、意識器での内容(発現実態)はシュレーディンガー描像に、それぞれ似ている。さらに、特定の意味で:両方に着目すると、それはディラック描像に似ている。☆新ことわざシリーズ:世界は、無数の質の対生成と無数の質のもつれでできている。そしてそれらは質時間回帰の流れの中にある。悠久の大宇宙無限大河 久遠の質時間回帰の限りなき流れ☆「心は世界の焦点心をとおして意識は世界を意識し味わう自分の言動をも含めて己の体験・経験をも含めてそこにあらゆるすべてがあるという立場は可能すべての心器 すべての意識器を総合すればますます決定的にそういえる」☆心脳科学(仮説)には、10ほどの仮説sが入っている。数え方によってはもっと多い。最高16以上か。それら仮説sがひとつの仮説体系に組み上げられている。ここで、心脳科学(仮説)が反証されたばあいのことを考える。そのばあいには、仮説ひとつひとつ(仮説体系ではなく)を取り上げて検証することになる。それら仮説のうち、重要度が最も高いものから、#1、#2、#3、と番号をふっていくとして、#1と#2、は、心脳の現実を説明するのにどうしても欠かせないと思える。ついで、#3、もそうだろう。本論で述べたように、それらには(も)根拠がいくつもある。根拠の上に仮説sを立てたのである。以下、検討はつづく(ここでは検証ではないが)。(重要度の低い仮説は破棄しても本論には影響はでない)そういうふうに検討していくと、それら仮説sのすべてが反証されるとは思えない。なぜなら:(根拠がいくつもある上に)それらしかないだろうと思う。ほかに在りようがない。ほかになにもない。もちろんこれは、洞察の下、感じ・直観で言っているのだが。これは非科学的姿勢にみえる。しかし、科学の歴史は、仮説の構築をはじめとして、多くが、そのようにして進展してきたわけである。さて、当然やはり、検証が待たれる。☆つぶやき:以下、クオリア・質と大きく関連する:原稿がほぼできあがっているもの(原稿)、と、構想・内容構築がほぼできあがっているもの(書き散らかし)、と、構想がほぼでき上がっているが少ししか書いてないもの、など:質の科学(科学的仮説)転生の科学・哲学(科学的仮説)世界哲学(希望、哲学)宇宙は永遠に続いていく(かどうか)(科学的仮説)論理地図(科学哲学的仮説)物理数学・数学とは何か(これは論理地図とも大きく深く関連する)世界理解の哲学(科学的仮説)歴代の哲学を採点する(心脳科学・仮説にもとづいて)運命のノート(遊び? 現実? (=仮説という意味))定義と名づけ方から見える展望そのほか以上の中には、それらのうち複数を統合した方がよい内容をもつタイトルもある。☆心脳科学(仮説)(それが正しいとして)の立場で、哲学的問題や科学上の問題、その他などにおいて、多くの設問を立て、それに解答することができる。それらは、心脳科学(仮説)の理解度テストともなる。心脳科学(仮説=仮説sの体系)には、10ほどの仮説が入っているので(数え方による。最大16以上か。重要度の低い仮説は破棄しても本論に影響はない)、そこでは、その仮説たちのどれどれを用いての解答かをも併せて問うと効果的である。(筆者がそれらの解答をだしている設問もあるし、その途上にある項もあるし、まだ答えをだしていないものもある。まだ手がけていない項目もある。しかし、当然解答はでてくる)☆前回の分(「意識とクオリアの外側」)にさらに加筆があります。つぶやきから:心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(超弦理論をそういうふうに構築できそうである)。(私は、超弦理論を、私の研究に必要な程度学んだ)そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となる)。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考え記述するのも、心脳である。そこらのところも解説・・・(以下略)・・・↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところも解説できる。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。つぶやきから:1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」4:(ここまでは哲学であり、私はそれが好きだ)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、私はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。つぶやき:相対論での空間について、遊びで少し言及した個所に加筆:「虚空間・素空間」と筆者が表現した空間は相対論では否定。○心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学◯1年以上前に公表した心脳科学(仮説)の初版には、一切手をいれないで、ネット上公表サイトにそのまま置いている。もちろん私のPCの中でもそうである。PC上では、原稿を書いていくたびに新しいファイルとして記録してきている。前回の分に加筆があったので、載せます。つぶやきより:有加筆:この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている)つづき:推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)。。仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。世界情勢がますます緊迫化してきているように見えます。金融や経済を含めてそうでしょう。今までもそういった方面は大変だったともいえますが、この先はさらに困った事態に至りそうです。さて、そろそろ、心脳科学(仮説)の全体像をここに載せたいと思いますが、その前に:つぶやきより:推測による「脳における情報構造」からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。リベットの実験事実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する。世界人さて、ここの皆さまが、学問研究などにおける慣行と常識や法律などに従って、「優先権を保護する―つまり最初の発案・独創者を尊重する」―のであれば、私はとっくにここに「心脳科学(仮説)」をエントリーしていたことでしょう。既に一年以上前、「心脳科学(仮説)」を公表しているし、それ以前にも私はネット上に、それに関係した内容でかなりつっこんだことを書いています。しかし、世界の風潮をみるに、警戒してここには詳細を書かなかった。今や、研究不正をなすと後がとんでもなく大変なことになるという常識が社会一般に浸透してきたし(ここの部分は、かの細胞についての実験事実・成果はなかったといってはいない)、文科省も研究不正はあばいた上で罰する方針を表明し実行に移す途上にあるので、そろそろ「心脳科学(仮説)」をここに載せたいと思っていますが、なんというかかんというか、はっきり書きたくはありませんが、書かないわけにいかず、こう書くしかないわけで、可能性のある新しいなにかの誕生を妨害することだけは断じて避けなくてはならない。そんなことをするのは卑怯・卑劣そのものにほかならず、その人自身を汚すことになる(あとが大変だろう。それはクオリア・質時間回帰の一種でもある)。それよりも自分の説をぶつけるのが正道でしょう。ともかく、自分の論を展開できない人はコメントしない方がいいでしょう。好意的であればそこは問題はありませんが(ここに参加すると、健康を害するという代償を支払わねばならないというのは、断じてあってはならないことだ。それは傷害罪を犯したこととなる)。さて、とはいえ、「心脳科学(仮説)」は可能性を秘めた仮説体系であり、検証が必要です。反証されたらSFということになるでしょうが、その一部分は生き残るかもしれません。世界情勢などをみていると、いろんな意味で早くここにエントリーしなくては、と思います。茂木さんは、クオリアマニフェストを『高らか』に謳いあげ、『知的に誠実な』研究者の参加を激烈に呼びかけて、ここを開設したのですから、そこらのところの充分な配慮が必要でしょう。いずれにせよ、ここは有益で大変ありがたいサイトです。クオリア・質研究関係のつぶやきよりI have been translating the summary of the"mind-consciousness-brain science(hypothesises-system)"in japanish into engleeeese one.The translation can not be done without my explanations because it includes new concepts which did not exist before.So,I continue doing it by myself.クオリア・質時間回帰:8月16日現在:世界情勢がさらに緊迫化してきています。それもこのスレの趣旨の中にあり、クオリア・質時間回帰で説明がつくでしょう。さて、心脳科学(心・意識・脳を総合した科学)の翻訳は進んでいます。「クオリア・経験の質」関連のつぶやきから:I think so,and it makes me crazy.The past contribution of you that was about logic was interesting.心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。引用元を明記すれば、引用できるわけです。☆このスレのトップ(再掲):私は40年前後前からさまざまな研究を断続的に独自にやってきているのですが、一番世に問いたいのが「質の科学(仮説)~世界哲学」です。それが今現在の世界に必要な科学というか思想・哲学なのかもしれません。そう遠くないshourai sekai ha kaimetu ni mukaisou(それは、質の科学~質時間回帰則と、その他いくつかの立場からの予想)ですから。そうなるかどうか断定はできませんが。もうそんなことどうでもいいとも思いますがね。「心脳科学(仮説)」はその一部です。☆このスレの最初に書いたように、世界情勢がさまざまに深刻化してきています(クオリア・質時間回帰だとみなしているわけですが)。その先、世界の状況がどうなっていくか注視に値します。生活環境がよく保たれた上での、研究だということはいうまでもありません。できるだけ早く心脳科学(仮説)の概要を英訳し公表してからここで講義を始めるということで、翻訳に努めていますが、まだその途上にあります。ここでの心脳科学(仮説)講義はその後になります。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。つぶやきから:加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。つづき:その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。「意識内容そのものに知性が介入できる」という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。ツイッターのクラウド的利用、心脳科学(仮説)で、一元論も二元論も統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論も唯物論も統合できる。学問についていっても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところもすっきりと把握できるだろう。離れた訂正:科学哲学→科学による哲学(科学的哲学)心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。不可知論にもいろんな立場がある。ぼくが以前ネット上で用いた、不可知論の領域、という用語は、単に、知ることが難しい領域、という意味で用いたので、不可知領域とした方がすっきりするが、まちがいではない。質時間回帰はつづいていく呪われた星、地球、SF:Spesial FactSF:Shocking FactSF:Sciense Factカオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、ぼくがネット上などに書いた立場は、それを超えた(越えた)それになる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。つぶやきから:これも当然→研究不正がネット上で指摘された件も調査対象:ネットで指摘された研究不正をも調査することを大学や研究機関に求める方針が文科省で始動した。罰則付き。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。#3「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」について「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」と以前書いたことに関連してつぎのエントリーを載せておきます。さて、今までに何度も何度も現実に起きたことからいって、「他人の考え(アイディア)」を、引用表記をせずに用いると、後が大変なことになる、ということは常識ですな。その代表的な件として、以下でそれが確認できる。論文(研究についての発表を目指した記述体系)において、「研究不正」として糾弾されるものとしていろいろあるが、ここでは、その視座からこれに着目する。「研究不正」に該当するもの(その一部):「盗用」=「他人の考え(アイディア)、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること」(この「盗用」については、今、世間の話題になっている、あの細胞に関わる研究論文に関してのやりとりの一環として、提出された不服申立書から抽出引用した。(「(アイディア)」は私の加筆である))そういった観点からいって、人は常識的かつ普通に(これには、後で大変な事態にならないやり方・在り方で、という意味を多く含むが、それ以上の説明は難しい)行為・言動するのが最善である、ということになりますな。(この小文は、「その細胞に関わる実験事実・結果はない。それは不正だ」、といっているわけではない)加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。加筆:さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。To be honest,or not to be honest:that is the question.Check out all my description on the Web.Check out all and all descriptions on the Web and others.世界人☆「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded☆Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.☆茂木さんのクオリア・マニフェストに「7、アジテーション」、という項目があります。つまり、クオリアMLはストレス解消の場なんかではなくて、研究の場でありクオリア問題を研究する人たちが集うところ、ということははっきりしてますな。クオリア・マニフェストから、ぼくはここにたどり着いたわけだから。ぼくも、クオリア・マニフェスト「7、アジテーション」、に触発され煽られて参加したわけです。以下引用:「7、アジテーションThe Qualia Manifesto 革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。 人間とは何か、人間はどこから来てどこへ行くのか? このような究極の問いに答えるための鍵となるステップが今や見えてきている。 人間とは何かという問いに答える鍵は、私たちの心の中のクオリア、及びそれを支える主観性の構造の物質的基礎を明らかにすることである。 クオリアや主観性の起源を明らかにすること以上に重要な知的チャレンジは存在しない。 私たちがクオリアや主観性の起源を理解した時、その認識が私たちの人間観、世界観をどのように変えるかはわからない。来るべき認識革命の後で私たちの迎える状況がどのようなものになるにしろ、その可能性が今や開かれていること、そして、認識革命に至る道筋は論理的な議論とち密な思考と知的な勇気によって開かれうることを再確認しておこう。 クオリアの問題の解明には、論理的厳密性、開かれた感性、そして、今までにない思考のプロセスに踏み出す、知的勇気が必要である。 クオリアの問題の解明は、一個人では不可能である。自然科学者、数学者、芸術家、宗教家、心理学者、社会学者、全ての分野の優れた知性が共同し、総合的文化運動を起こさなければ、クオリアという人間の存在にとって核心的な概念の解明は可能にならない。 今や、勇気あるステップを踏み出す時機が熟している。 知的に誠実であり勇気を持つ者達よ、「クオリア」の解明のために団結せよ! 」:以上、引用世界人