10/28:有加筆:
10/28:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)10分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。その前に:・・・なまけ中・・・ナマケモノ中学校の非常に優秀な生徒・JK・・・ナマケモノ中学校のナマケモノコンクールで優勝・JK・・・しかし毎日研究し加筆・・・本論は世界初であって、今までにだれも唱えたことのない論であり唯一無二であって、その仮説体系そのものにかかわる文献も皆無である。本原稿中の概念や「たとえ」そのほかは、正確・厳密ではない。記述においてもそうである。本原稿は雑記であって、間違い、いいかげんなところ、訂正すべき個所が多い。重複も非常に多い。「対象や在り方」をひとつに限定したような記述をしている個所たちについていえば、「対象や在り方」が複数である可能性もある。つまり、そこでは他の可能性たちもある。書き込みの不足している個所たちもある。誤解を招く記述もある。矛盾している個所たちもある。整合性がとれていないところもある。文・文章自体にも間違いがあるところもある。本テーマについての科学的能力のない者の噛みつきを禁ずる。とにかく揚げ足をとってはならない。ケチをつけてはならない。誹謗中傷してはならない。それらは傷害罪に当たる。引用元の明記なしに、自分のもののごとく用いたら(盗用)、あとが大変なことになるのはわかりきったことである(引用元を記せば使える)。「ここは公であり、衆人監視・環視の場である」茂木さんのクオリアマニフェストから言ってもそうである。加えて「ネット世界も公であり、衆人が監視・環視している」本理論体系の理解を完全なものに向かわせるには、全部を読むしかない。複数の仮説がひとつの体系をなしているし、今までになかった概念が複数からまっているので、そういうことになる。 心脳科学(仮説) 題目と説明正式題目:「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説sの体系なる理論」別の題目:「心脳工学(仮説)」 「意識工学(仮説)」 「心・意識・脳の科学(仮説)」 「意識の科学(仮説)」 「心の科学(仮説)」 「心工学(仮説)」 「心・意識・脳の自然工学(仮説)」 「意識・心・脳の科学(仮説)」(仮説は複数である:仮説=仮説たち=仮説体系=仮説たちの体系)本原稿は研究途上にある雑記である。ある程度正確できれいに整えたものの、構成が不十分であるし、整合性がとれていない部分たちがある。重複も多い。かん違いや間違い、未熟さやケアレスミスなどもある。ただし、内容においては、今の段階で必要なものはほとんどすべて盛り込んである。また、タイトルの「システム明細」についていえば、まだ不完全だが、仮説上の自然工学的な数学的枠組みは提示できている。本仮説体系の完成:2009年頃までに:by西山浩一(世界人、春楽天)本書の原稿の一応の書き上げ:2012年6月by西山浩一本書の原稿の加筆・推敲・校正:by 西山浩一本書の原稿の発案・構想・構築・執筆者:西山浩一(C)本原稿と表紙絵の著作権者:西山浩一心脳科学研究所(本原稿は、400字詰め原稿用紙換算で約1000枚の分量がある)本原稿は日本国著作権法ならびに国際法によって保護されている。本原稿のすべての著作権は心脳科学研究所(西山浩一)が保有している。日本国著作権法ならびに国際法は、用紙書面による著作権者の許諾なしに、本原稿を複製ならびに転載することを禁じている。本原稿からの引用の際には、本原稿名を記すことを要する。この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)10分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。10/28:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・・・・さて、以上を数学的に記述することを考えよう。(・・・カッコ注:以下このセクションにはかん違いがある。もっと深く研究すべきだ。「偶対称成分、奇対称成分、定数的成分」に対応する実態についてと、原子や分子がその潜在エネルギーをたとえば電磁波《光子、量子》《情報量子》として発する《発することができれば受けることもできる》、に着目すると、すべての振動数のそれらが現実として可能か・あるか、について、などなど。原子のもちうる電子関連の遷移や潜在エネルギーなどについては解明されている。それに陽子が複雑にからまったケースなどもあるかもしれない。分子ではそれに加えて?振動や回転がかかわる遷移・潜在エネルギーなどがあるだろうが《そこでは電子雲【実体はわかっていない】も関係?》、その解明は完全になされているのだろうか? そこから、直近上の「すべての振動数のそれらが現実として可能か・あるか」がわかるだろう。さらに、そこでの必要な実験計測をなしてみればはっきりする・確認できる:以上、カッコ注・・・)。まず、その情報量子(――ここでは、原子と分子が発するとしよう――)の振動数(周波数)としての範囲を、νa~νbとしよう(ν=ニュー《有文字化け対策》)。たとえば、遠赤外線の特定の領域にある量子sで、その種類・数は、プランク定数関係(プランクスケール関係で)で、振動数(周波数)が1ずつ加えられていって、全部で数十兆の種類・数がある、といったことである。その情報量子(または振動数・周波数。あるいは、情報量子とその振動数・周波数)を「νi」と書こう。(・・・注と参考:iは、両端のイコールを含めて、整数aと整数bの間にある。整数と記したが普通に考えると自然数だろう。虚数が入ってくることがあるかないか? さらに、偶対称成分、奇対称成分、定数的成分、の実態に関する謎と設問もそこにはある。たとえとしてフーリエ級数における、定数の必要性、コサイン関数とサイン関数両方が必要ということ《――固有周期関数?~基底?~固有ベクトル? の関係から――》、それらに当たる概念・実態は見当たらない? いや、コサイン関数とサイン関数両方以上の実態をも含んでいるとも見える?。定数的な実態についてはどうか? ――。・・・ここでも、数学は抽象的で純粋であり――線が細すぎるという感じがでているか。肉付けができないという感じか。数学的に記述できない領域は大きく広いだろう――、「現実のすべてを記述することは不可能だ《いくつかのやり方で過去に記した》」、という要素も効いてくる。それをいくらか補うのが、統計、確率、近似手法、摂動扱い、などかもしれないが、それでも結局はそれと同じことだろう《それについても過去により詳細に記した》《とはいえ、数学の世界と威力はすばらしい》《ちなみに、筆者は、以前にも述べたとおり、数学「も」その他も筆者の研究に必要な程度(かそれ以上)に学んできている――学校教育においての学びは別として》・・・以上、注と参考)。「注と参考」から戻って・・・で、たとえとしてもっともそれに似ているフーリエ級数と異なり、振動数が倍数になっておらず、1Hzずつの違いになっている――いちばん近い振動数について――。それらに関連する内容・・・:――しかし、フーリエ級数においても、たとえば、周波数1兆~千兆に限る、と条件をつけたら似たような実態になる。ここももっと深く追究しなくてはならない。さらに先に述べたように、振動数が1Hzずつ異なる「すべての光子(電磁波)」の発信(放出)・受信(吸収)が現実としてあるかどうか、という謎と設問もでてくる――ちなみにこれが・・・別なところで述べた、「規則・理論・数学~物理数学による可能性からでてくるすべて」と、「現実に実在する実体・実態=固有性のあるする実体・実態」の在り方についての、シンボル的事例ともなる――。――で、音のばあい:楽器の音の構成倍音は一般的には1Hz違いではない。係数ゼロの項sがあるとみてもよいが――。――ただし、フーリエ変換系では、1Hz未満の振動数をも扱える。とはいえそれは数学的操作の世界だ・つまり非現実? 基本的要素の値などを抽象的に変換すればそれは可能ということだろう? いや、その物理的定数などの値の体系は人為的というか便宜的というか、別な記述体系も可能だ――。そこでは、非常に精緻な表現――関数として。あるいはその記述に対応する意識内容の実態として――がなされると考えられる? 。しかも、この情報量子の世界は、次元が高いだろうので、たとえとしてのフーリエ級数などは足元にも及ばない極限の複雑さ精緻さをもっているだろう。さらに、フーリエ級数のように対象を周期関数として扱う必要性と実態もない。始発と終着の状態――「状態」と呼ぼう。普通は「値」というだろうが――が一致する必要性もない――それが自然に一致するケースも多そうであるが――。したがって、前とのつながりのない場面転換なども自在である。何より、フーリエ級数でたとえていえば、方程式の目的とする解を求める未知の関数「意識器では:エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)(意識器における)」が先にあるのではなくて(――つまりそれは「結果」として生じる――)、その解となる関数群とそれらの係数sと定数項「心脳では:エネルギー心的内容情報スペクトル要素s(脳と心器における)」が先にあるのである(――固有周期関数《固有ベクトルと見ることができる》、固有値s、定数項、に対応する実態が現実の世界では初めから決まっていて現れている、といえる。純粋数学の世界ではなく現実における実体・実態の世界はすべてそうなっているのだろう? ――)。後者であるところの「先にある方」を「心器」が「理活」してひとまとめにした一団(クラスター。つながり・関係関連のある一群)が「重ね合わせの原理」が実行された結果、前者である「結果としてそこから生じたところの、『エネルギーの経時変化の実体・実態(意識器での)』」が生じるのである。(・・・以上、ここはその先書き直そう。素直な順に並べないと非常にわかりにくい。《・・・こういうのを難解なアホバカ表現記述という。かなり同時多発的にでてくることがあるアイディアsを忘れないうちに書き留めようとするとこうなる。カッコの使い方も乱れている。しかし清書するには時間も体力も短時日には足りない。その清書は先の話しである・・・》・・・)。・・・ついでにいうと、ここも、ハイゼンベルク描像とシュレーディンガー描像の関係を思わせる。少し前に戻って・・・そういうことで、フーリエ級数の世界より、「情報量子s」と「その重ね合わせの実体・実態」の世界は、「心的情報内容(心器での)」と「意識内容(意識器での)」の実態としてうってつけである。ほかの在り方は考えられないと思う。(・・・括弧の用い方が乱れた。過去にもそういうケースsがあった。おまけに当然非常に読みにくい。いつもながら失礼しました・・・)。あるいはそれに加えて、νc~νd、さらに同じように・・・と加えられる可能性もある。それは、その振動数がひとつのグループとしてまとめられず、離れた振動数のグループsに属している可能性もあるからだ。たとえば、特定の赤外線の範囲にあるそれらと、電磁波の超長波の領域にあるそれら、といったぐあいである(――情報量子に対応していない範囲にあるそれらはi=0とみなせる。数式上の条件づけで一般化した記述が可能だ――)。以上解説を加えたが、初めに述べたように、それら情報量子sを、縮約して、「νi」と記せる。iの範囲に条件をつければ、まとめてそう書けるわけだ。それら情報量子sを発受信する存在は、心器と情報発受信物質である。ほかにもある可能性はあるが、ここでは省略する。そこには、重ね合わせ時の位相の問題がある。心器で理活して「デルタt分」をひとまとめにした情報量子の一団(クラスター)が形成され、それを意識器に入れたばあいの、重ね合わせの原理による重ね合わせ、そこでの、個々の情報量子sの位相sの問題である(――位相の問題ではないが、そこに興味深い論理があることは、前のチャプターに記した――)。その位相は、心器が理活によって目的に適うように調整するはずである。どういう在り方で調整する?また調整した結果の位相をどう記述できる? (――とりあえず、位相を織り込んだ情報量子の一団を【νi(デルタj)】と、ここでは書くことにしよう――)それらはこれからの研究課題である。その参考にできそうな分野として、まず、ホログラフィーが思い浮かぶ。そこで、「意識器」について考察すると・・・意識器は有限なフィールドか領域である。つまり、過去にたとえとして述べた「池」のようなものだ。・・・――既述においては、池の表面としたが、ここでは池の中の水全体としよう。池の表面だと一般的には二次元プラス時間、そう数学的に記述しそうだが、表面といっても上下に揺れているしうねったりしているので、三次元プラス時間になっていると見做した方がいいと思うんだが、数学的に複雑になるから、普通は二次元プラス時間とするのだろう? 《複雑になってくると扱いやすくするために、虚数軸、虚数、を加える方式が普通である。しかもそれによって見えない世界が見えてくる。量子力学も、複素数の世界である。・・・iの神秘》。ここでは、池の中の水全体を対象として、三次元プラス時間としよう――・・・。そのたとえとしての池に砂粒を無数に落とすとする。すると池の水は非常に複雑な経時変化波動状態を示す――特に、表面に近いところがそうである。影響の及びにくい深さにある水、という実態もある――。それが「意識器」と「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)」のたとえである。その意識器の中で、心器からやってきた「心的内容情報エネルギースペクトル=情報量子νi(デルタj《文字化け対策あり》)の一団(クラスター)」は、「重ね合わせの原理に」よって、「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)」となって発現するのである(もちろん仮説。いちいち仮説と記さないこともあったしある)。そこにおいて、ふたつの可能性が見える。「ひとつ」は、心的内容情報エネルギースペクトルにおけるそれぞれの要素の位相は、考慮しなくてもよい、ということ。つまりそれぞれの情報スペクトル要素は、意識器という池の中で、定常(定在)状態というより、瞬時に「重ね合わせ完了状態」となりそれらが即座瞬時に重ね合わされるということ(瞬間的にというかデルタt内にというか、そこの時間問題もある)(――それがデルタt毎に継続して続けられていってh(t)となる――)。「もうひとつ」は、それらは「重ね合わせ完了状態」(定常状態、定在状態)とならないので「拡散波、発散波」――《拡散波と発散波は異なるという立場もあるが、それは定義と名づけかたの問題のもとにある》――の状態になる、とでもいおうか。それでも一定の時間が経過すれば定常状態になるだろう。その拡散波状態であっても、重ね合わせが完了した時点でそれがそのまま意識し味わわれるという可能性がある、というアイディアはどうだろう? それはやはり位相を考慮しなくてはならないということである・・・考慮しなくてもよい可能性もある。さて、どちらであろうか――後者はふたつの可能性に分岐している――。池でのその実態を見ると、後者のように思える。しかし、池と意識器は基本的には異なるので、数学的には、前者のモデルとそれにおける記述も可能だろう。前者だと「すっきりしている、きれいにきまる」といえる。・・・参考:それとは一応関係ないと思うが・・・現実における領域と対象に対して適用する(できる)数学は「すっきり」「扱いやすい」「単純」な形態として構築されている――可能性を絞り込んでさまざまな条件をつけて――。そうでないと使えないという現実がある。ついでに記すと、そこから外れている数学の世界が、現実との間に関係がある、という可能性もあるだろう。そこらはややこしすぎることになる。そこをなんと表現したらいいのだろう。現実の中には、単に、数学で既述できない領域もあれば、複雑すぎて人間には扱えない数学に対応する領域もある、というしかなさそうだ。ここにも興味深いテーマがある。――そういった物理学と数学の関係についても、別なところで詳述している――。・・・ちなみに、アインシュタインは「同じ対象を扱っているところの複雑な理論とシンプルで美しい理論があったとすると、シンプルで美しい方が正しい」といったようなことを言ったと記録されている。それに対してボーアは「その理論が正しくないのであれば、シンプルな美しさなどなんの意味もない」といったふうに返したそうだ。:以上、参考・・・・・・以下、ここのブロック・部分は、前の方からの記述の途中に参考などを書きくわえ、しかもここのブロックに手を入れたため混乱してしまった――参考や注釈をたくさんつけるとそういうことになる・・・しかし、めげずに整えていこう・・・:以下、そのブロック・・・着目すべきここでの論題テーマは、「内観=自分の心を見つめること」である・・・:いくらか前に遡って・・・さらに自分の実際の心的内容(~意識内容に変換される)を、「自分の心」――「ここでの心とは、心器での心的内容をモニタする働きの対象、と、意識器での意識内容をモニタする働きの対象、というしかない」――それに関してもある程度既に述べていることになる――」を見つめる=「内観」――それは「内観――自分の『心~知性~心器』で自分の『心の内=心器の内容=心的内容』を観察し自分に報告すること――」により検討するに、乱れがなくすっきりとまとまっているので、前者だろう(「心的内容情報エネルギースペクトルにおけるそれぞれの要素の位相は、考慮しなくてもよい、ということ」先に詳述している)、と主張したくなる――ここは単純化して書いたが、「意識内容をどうやってモニタするのか」、という問題がある。それについては別なところで述べた――。後者(『それらは「重ね合わせ完了状態」(定常状態、定在状態)とならないので「拡散波、発散波」の状態になるとでもいおうか、ということ』)だと、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃで一時的にせよ整合性のない実態になりそうである。たとえとして、渦ができたり乱流が発生したり波動が及ばない局所s(・・・ちなみに、概ねこういえる・・・局所というのは部分。局所性というのは部分性。非局所というのは全体。非局所性というのは全体性。解りにくいときは、そう置き換えるとわかりやすい・・・)がでてきたり、で、意識内容がすっきりせず不完全でできそこないのような実態になるだろう――一時的にせよ――。意識内容についての内観からいって、そういう実態は認められない(――心器での理活における、そういった混乱のような実態はある《だろう》が、それと意識器における、今述べた内容は異なる――)。以上を総合すると、前者「重ね合わせ完了状態(定常定在状態)となるので位相は考慮しなくてよい」であろうと推測できる。そこから、意識器の大きさや形状も特定できるのかもしれない。意識器のフィールドまたは領域が広すぎると、常識的にいって拡散波が生じそうであるからである(先に述べたように、そういう実態事象は起こらない可能性もあるが)(ついでに:それに関連してあとで述べるが、そこからでてくる内容がある)。つまり、拡散波が生じない条件をつけると、意識器の大きさや形状、なんらかの波動性という性質特性、などを特定できるのかもしれない、ということだ。・・・ついででちなみに、心器における「理活」においては、時間を考慮しなくてよいわけである。心的内容情報スペクトル要素sの中に時間が潜在しているからである(それらだけ見ても時間については一切わからない)。つまりそこに、実時間情報も入っているし、同期もとらなくてよい(自然に同期がとられる)、ということになる(・・・時間についても既にさまざま何度も述べた。実時間、デルタt、外界――意識の外(そと)には実時間はないのでは? など・・・)。・・・・・・ちなみについでに・・・既に何度も詳細に記したが:・・・直近上といくらかかぶるが・・・脳と心器では、実時間は基本要素に分解された形態で扱われる。空間についても同じことがいえる。着目する対象についての内容・属性など(情報)も同じくさまざまな基本的要素sに分解された形態で扱われる。しかも、それらを扱う脳についていえば、それら基本要素sに分解されたバラバラな情報sを処理する場所・位置や時間もバラバラであることが可能であり、そう実施される(共に、なんらかの制限はあるが。特に時間については制限がきつい。そのきつさにかかわっている時間とは何か? それをデルタtと名づけたいが、今までに述べてきたデルタtとそれが同じものかどうか、追究課題のひとつである)。ちなみに、それは神経科学をも含めて我々が内観し観察・計測する心脳の実態にまさにピタリと適合している、といえる。よって心脳科学(仮説)は心脳の現実を記述している・正しいだろう、ということになる。・・・・・・さらについでに・・・それらバラバラにされた、対象sの情報sが、バラバラな場所と時刻で処理される――後者のその処理は主に脳でのことを言っているのである。心器では心器というひとつのフィールド内で扱われ理活される。そのフィールド内ではやはりバラバラに扱われるが、ひとつの心器という主体がそれらを把握管理している――先に記したその「時刻」は意識から見た時刻なので、時刻といわず時間といった方がいい。意識における実時間=時刻と、ここでの時刻との関係は謎を秘めている。――そこらでは、超多時間という用語も連想される・朝永さんの――。・・・それは研究課題である。ほかにもいくつか時間についての問題・課題がある。いくらか前に遡って・・・それらバラバラにされた、対象sの情報sが、バラバラな場所と時刻で処理された結果を単位時間ごとにひとまとめにして、意識器に入れると、そこでひとまとめにされたその一団が重ね合わせの原理で統合されエネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)になるわけである。・・・・・・さらについでに、「ついでに」のオンパレードとして・・・そこから、心と意識の外側(そもそも外側とはなにか、という設問も可能である)には、「何があるかわかったもんじゃない」、という問題認識(普通は問題意識というが、本論では定義どおりに用いる)もでてくる。空間も時間も、対象s(脳や身体をも含める)も、意識器の中、エネルギー経時変化波動モード意識内容の中、だけにある(心器の中の情報量子sにもあるといえるが、そこでは意識されないし味わわれない)、という立場も可能なわけである。「そういう立場が可能だ」どころか、そうとしかいえない、ともいえる。(・・・以上、すでに詳細に何回も記している)・・・・・・くわえてついでにファンタスティックに・・・エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)にはtだけを入れているが、場所・位置に関する座標の変数を入れる必要性はない? もし「ない」とすれば、空間は時間のもとにある、ということになるのだろうか? 時間がないと空間をも認識できず意識できないのは確かだ《その他なんにせよ時間がないと何も意識し味わうことはできない。それに関連した内容は既にいく度か記している》。心脳科学・仮説からでてくる時間を元・変数・基底?とした「写像・関数・ベクトル《ベクトル空間での》?、あるいはテンソル《一般相対論はこれを用いる》、スピノールなど物理数学的道具」でもって、空間《普通の意味での空間》を記述することはできるのだろうか? ――つまり、時間によって空間を記述できるのではないか? ということであるが・・・・・・以上この記述内容は相対論の範疇を超えている。相対論には「意識」「意識器」を取り入れていない。「意識」「意識器」「心」「心器」を取り入れた「科学的時間空間論《心脳科学・仮説にもとづく》という分野もあるだろう《そこでは自家撞着が発生するかもしれない? という懸念・課題もあるが。それは主観と客観の問題に似ている面があるだろう。ちなみに、主観と客観の問題についても既に記している》。超弦理論や量子力学~場の量子論、その他の理論sについても同じことがいえる。特に量子力学~場の量子論には、観測する主体も深くかかわっているという要素があるし、確定はしていないが「意識(本論での定義とは異なる要素をもつが)」がどうのこうの、という主張もある。・・・そこらも興味深い・・・。・・・以上と、ここまでに散見される内容――以下の追究記述で特定される――についてさらに考えてみよう。このチャプター内やこのスレッド内に以下の内容と重複する部分が含まれているが、重複は「まとめ」として、あるいは「手を変え品を替えた、理解のための解説」ということにしよう・・・記述がヘタクソだということもある・・・気の済むまで書きたいということもある・・・。まず・・・「人間にとって=人間の意識にとって」、「森羅万象あらゆるすべてのさまざま――それについてはこのスレのどこかに詳しく記しているが、端的にいうと、人間が見聞きし体験経験し感情情動し言動し学習し想像し創造するなどあらゆるすべてのすべて、と抽象描写することができる――」は、結局、それら対象を意識器が意識し味わうことであり、それがすべてであり、それしかない、それ以外にない、といえる。そこでは、任意の意識器が「意識し味わう」に先立って、その意識器のとなりにある心器が対象についての情報を心的内容として、単位時間ごとにまとめ上げている。そこのようすをより詳しく記述しよう・・・・・・外界からのさまざまな情報sが感覚器官sをとおして脳に送り込まれる。脳で自発する情報sもある。心器が自発させる情報sもある。それら情報sは、脳と意識器においては、以下述べる『心的内容情報スペクトル要素~起源スペクトルの系=情報量子sの系』である。そこにおいて、その心器が『エネルギー心的内容情報スペクトル要素~起源スペクトル』を、脳にある情報物質sとの間でやりとりし、単位時間ごとの『心的内容情報スペクトル=心器と意識にとって「意味のある~クオリアを生じさせるところの」心的内容情報量子の一団』にまとめ上げ、それが継続かつ連続してなされ、それら『心的内容情報スペクトルs・・・∑・・・aiνi・・・(∑=シグマ、は便宜的に借用、ここでの《・・・》も同じく特別な意味をもたせてある)』を意識器に継続かつ連続して送り込む。そこで、それら『心的内容情報スペクトルs=心器と意識にとって「意味のある~クオリアを生じさせるところの」心的内容情報量子の一団が継続連続する一団s』が意識器内で『フーリエ逆変換的に重ね合わされ』経時変化波動モード意識内容h(t)《h(t)も便宜的表現記述であり、数学的な内容、あるいは、意識器における現実なる事象・現象・実態、を表現している》となるわけである。さて、そのh(t)に着眼すると、「人間にとって=人間の意識にとって」、そこ「h(t)」に、先に述べた「森羅万象あらゆるすべてのさまざま(あちこちに解説あり)」があるわけである。人間にとって、「時間や空間」まで、「h(t)」の中にあるということになる。さらに、人間にとって、理論s(それらの現実における実態sも? ――それら理論sが現実における対応する領域sを完璧に記述しているならそういうことになるだろう)まで、「h(t)」の中にあるということになる。くわえて、量子論における「波動関数(その現実における実態も? ――波動関数が現実における対応する領域を完璧に記述しているならそういうことになるだろう)」も、「波動関数の崩壊収縮(その現実における実態も? ――波動関数が現実における対応する領域を完璧に記述しているならそういうことになるだろう)」も、、「h(t)」の中にあるということになる。さて、それらは今のところ「仮説s体系」であるが、そういうことになると、不思議な気分になってくる(――ここで、不思議な気分、という文言を含む歌を思い出した・・・頭の中で歌演奏with伴奏・・・ここも心脳~クオリア研究の対象でもある・笑――)。筆者のその不思議な気分はいろいろな要素sを含んでいる。そこには・・・「自家撞着というかパラドックスというか矛盾」がそこに発生しないか? ・・・しないはずだが・・・、とか、現実に外界――意識の外(そと)には物質的な世界が広がっているのに、それでは、外界には何があるのかわからない、ということになるではないか(それについて既にかなり詳細に述べている)・・・いや「現実に外界には物質的な世界が広がっている」などということは言えないではないか・・・外界からの情報すべては感覚器官sをとおして電位パルスsに変換され、普通に言う神経――体性神経系で神経線維と神経節から成る――をとおって、脳に入り、脳の中ではニューロン~ニューロンの軸索やシナプス(ここの単語sは全部集合名詞で不可算とする。単数扱い)などを通り、情報物質sを発信させ情報量子sを放たせ、それら情報量子sを、心器と情報物質sが受信し、そういう事象実態がきわめて複雑で精妙に進み、心器が理活して、その結果を意識器に送り込み、そうやって意識器で意識内容が発生し意識し味わわれる・・・そういう実態であるから、たとえ手でさまざまな対象sを触ることができさまざまな反応を感じ見聞きでき、物を掴んだり投げたりすることができるとしても、結局外界にはなにがあるかわからないではないか・・・ただ、「それら物質的なすべてが外界にあるのだという立場に立つという立場は可能であるが」、とか、しかし、外界に働きかけて外界に変化を与えることができるではないか、いやしかしそれでもやはり結論は上述sに同じか、とか、すべての数学の世界もすべて、意識器におけるh(t)の中にあるというのはどうしても納得がいかないが、しかしそういう結論になるな、とか、量子論も相対性理論も、同じく意識器におけるh(t)の中にあるということになるな、不思議だ、とか、時間も空間も結局、意識器におけるh(t)の中にあるということになるが、摩訶不思議・奇妙奇天烈だな、しかしそこから、そのh(t)を追究していけば、新しい理論がでてきそうだな、とか、さまざまな思いが交錯する・・・・・・。それはまるで幻想的すぎるファンタジーの世界のようだ・・・・・・。・・・参考:新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き?日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。・・・以上、参考・・・・・・さて、少しはなれた上述にある『「人間にとって=人間の意識にとって」、そこ「h(t)」に、先に述べた「森羅万象あらゆるすべてのさまざま(あちこちに解説あり)」があるわけである』についてさらに考えてみよう。意識器における「h(t)」と心器におけるそれの前駆体「心的内容情報スペクトルの連続体」の中に「森羅万象あらゆるすべてのさまざま」が存在する、と認識――心器で理活し、その内容をもつ「心的内容情報スペクトルの連続体」を形成し、それを意識器に送り込み「h(t)」となって意識し味わわれる――ということである。で、さらにそこから一歩進んで、そこらを、世界を構成するだろうところの「要素・成分sのなんらかの配列sとそれらの写像というか投影像のようなものwithなんらかの規則」だけで記述できるのかもしれない。超弦理論はそこに向かっているようであるが――少し離れた上述(直上参考の前)はそれを参考にした――、仮にそういう知性的行為――心器が行う――が成功してそれが成就したとしても、それもどうやっても、既に述べている『「人間にとって=人間の意識にとって」、そこ「h(t)」に、先に述べた「森羅万象あらゆるすべてのさまざま(――あちこちに解説あり――)」があるわけである』という実態にあり、その後に記した内容――「心器と意識器における内容の中に森羅万象あらゆるすべてのすべてがある」――の中に戻るわけである。・・・さらに言及すると、それらだけ――科学sだけ――では記述できない領域は広く深い・・・。いくらか前に遡る・・・さて、ここで、心脳科学(仮説)における数学を書いてみよう。そこでは、既存の数学上の記号は、便宜的に用いるケースがある上に略記もなす。それらの解説は離れたところに記そう。まず、意識器での『h(t)』、と、心器での『心的内容情報スペクトルs・・・∑・・・aiνi・・・(∑=シグマ、は便宜的に借用、ここでの《・・・》も同じく特別な意味をもたせてある)』を数式として『=』で結ぶことを試みよう。(文字化けが起こることがあるので、ある程度その対策をとって記述。添え字は省略)そこは単純にはいかないので、工夫しなくてはならない(もちろん実態に対応するようにである)。その理由は、心器~心的内容情報スペクトル要素~スペクトル(情報量子~情報量子s)には時刻という実態が見当たらないところにある・・・潜在しているがどうしてもどうやっても見つけられないと表現してもいいだろうが? ・・・。心器にある時間的な要素は、扱う情報量子sのもつ「振動数~周期」sである。それは時刻とは関係がない。意識器には時刻(普通は時間というが)がちゃんとあって、h(t)の『t』で表せる。さて、以下、用紙には書きやすいのだが、PC上では非常に書きにくいので、できるだけ適切に便宜的な数式の部品的記述を並べていくことにしよう。ただし、先に述べたように、便宜的なのでそれらに説明をつけないとまずはわからないだろう。・・・カタカナ記載は文字化け対策上にある。添え字は省略する。・・・h(t)⇔h(t(1))*h(t(2))*h(t(3))*・・・・・・*h(t(tj))・・・・・・*・・・・・・h(t(1))=『理活した結果の』∑シグマaiνi@デルタt(1)h(t(2))=『理活した結果の』∑シグマaiνi@デルタt(2)h(t(3))=『理活した結果の』∑シグマaiνi@デルタt(3)・・・・・・h(t(j))=『理活した結果の』∑シグマaiνi@デルタt(j)・・・・・・さて、以上それらの解説をなそう。「⇔」についていうと・・・その左項と右項をイコールで繋ぎたいのだが、それができないからそういう記号を用いた。それは先に述べたように、時間・時刻~情報量子の振動数・周期についての謎が未解決だからである。・・・ただ、不完全ながら理解のためのそのモデルとしては、既にいくつも述べているように・・・自然界の景色から放たれる無数の光量子が空間において重ね合わせの実態をとる、とか、池の水面に無数の砂粒を落とすと、池の水が複雑な」波動状態になる、とか、楽譜を演奏すると、「音楽としての複雑な音の波動実態=音楽=音響事象実体」、が生まれる、とか、太陽の中の無数の粒子sの実態とそこからでてくるエネルギーの重ね合わせの実態の関係とか、文章を朗読すると、(普通は)意味などをもった音響の世界が生まれ、それを人間が聞いて意味なり情緒なり情景なり、などを聞き取る――などなどがある。(――既にもっと記しているが、これくらいにしておこう――)以上は、不完全なモデルsであるが、参考にはなるだろう。それらの中で、もっとも上述の数学的表現記述に近いのは、音楽と朗読のそれらである。・・・・・・以上のモデルにおいての記述では、上述の数式の左項と右項の並べかたが反対になっている・・・「*」についていうと・・・「数式上は足し合わせ」で、「実態においては重ね合わせ」、でいいと思うが――今のところ――まだ研究途上にある。『理活した結果の』についていうと・・・「理活」については今までに種々述べてきているが、研究途上にある。数学の世界~物理モデルの世界には、今のところ、「理活」の形式的な数学しか見つけていない。それは形式的であって、そこには実態としてのモデルとなるものがない。・・・現実の世界には「理活」の「実態としてのモデル」をいくつか既に見いだしているが・・・。・・・上述の数式的な記述についての、不完全ながらその理解のためのモデルとしては、既にいくつも述べているように・・・自然界の景色から放たれる無数の光量子が空間において重ね合わせの実態をとる、とか、池の水面に無数の砂粒を落とすと、池の水が複雑な」波動状態になる、とか、楽譜を演奏すると、「音楽としての複雑な音の波動実態=音楽=音響事象実体」、が生まれる、とか、太陽の中の無数の粒子sの実態とそこからでてくるエネルギーの重ね合わせの実態の関係とか、文章を朗読すると、(普通は)意味などをもった音響の世界が生まれ、それを人間が聞いて意味なり情緒なり情景なり、などを聞き取る――などなどがある。(――既にもっと記しているが、これくらいにしておこう――)以上は、不完全なモデルsであるが、参考にはなるだろう。それらの中で、もっとも上述の数学的表現記述に近いのは、音楽と朗読のそれらである。・・・・・・以上のモデルにおいての記述では、上述の数式のような記述における左項と右項の並べかたが反対になっている・・・つぎに、「∑シグマ(有・文字化け対策。∑シグマの前者は?に文字化けするケースがある)」についていうと・・・「数式上は足し合わせ」で、「実態においては重ね合わせ」、でいいと思うが――今のところ――まだ研究途上にある。「aiνi」についていうと・・・「ai」は数学的には情報量子の数――係数――であり、「νi」は情報量子の振動数である。実態としては、「ai」は情報量子の数であり、「νi」は情報量子そのものである。つぎに・・・「@デルタt(j)」についていうと・・・「@」は、意識器での時刻、それと、心器における未知の時刻要素、それらを対応させるための記号である。「デルタ」は、心器における未知の時刻要素の最小単位である。「デルタt(j)」――これはまとめて説明すべきであって――心器における未知の時刻要素の最小単位と、意識器における時刻「h(t(j))にある「t(j)」をなんらかに結び合わせるための記号体系である――そこだけとると見た目は同じである。・・・添え字は省略する。そこで:h(t)⇔*∑シグマ*h(t(tj))(添え字は省略)そこで:h(t)=『理活した結果の』*∑シグマ*∑シグマ*aiνi@デルタt(j)と最も抽象的に書ける。h(t)は「エネルギー波動モード意識内容」の数学的表現、または、意識器における意識内容の実体・実態そのものである。『理活した結果の』*∑シグマ*∑シグマ*aiνi@デルタt(j)は、心器で生成される「エネルギー心的内容情報スペクトル」の継続的離散連続体である。(添え字は省略)(加筆)そこに、相対論と量子論をも、数学的に組み込もう・・・(とはいえ、それは今の段階では、カッコばかりつけているのかもしれない)・・・(カッコをつけているだけなんだろう)・・・(とカッコ( )をつけながら・・・)・・・・・・・・・それに、筆者は、このスレの内容においていえば、基本的に必要などんな分野についてもこのスレを書くに必要な程度(ばあいによってはそれ以上)に学んできているので(このスレの対象内容以外の研究分野においても同じくそうである)――学校教育での学びは別として――ここでは細かい数式変形~細かい演算・変換・計算、細かい演算~数式変形に至る記述ではなく、最も抽象的な記述でもってそれをなそうと試みよう・・・。以下、それらについて述べるに当たって、ふたつの立場がありそうだ、ということも記しておこう。ひとつには・・・そういった理論sも、h(t)内(――ここで、内、上、の中、もと《下》、どれを使おうか迷う。ほかの場面でもいつもそうである。ここでは、h(t)そのものの中に現れる・表われる、という意味へとつながる表現である――)に部分集合かつ可能性として内蔵されているはずである。よって、h(t)にそういった理論sを組み込む必要はなく、単にh(t)を研究してそれらを探し出せばいい。そのばあい、一般化された形のそれらを探すことになる。というのは、h(t)内では、個々人独特のh(t)発現がほとんどだからである・・・たとえば、同じ理論についての理解も個々人にとって異なるところがあるし、理解の辿り方は千差万別であるからである。そういった理論について言ってもそういう実態がある。そういった理論についてでなければ、そこにはそれこそ無限~夢幻の経時変化パターンが発現する。で、そこでは、h(t)に変換される前の情報量子sのもつなんらかの情報~本質とそれらの組み合わせから、それら理論sがでてくる、となるだろう。もうひとつは・・・以下に試みるように、それら理論sにおける数式sを、共通要素を用いて組み込むことである。・・・しかしこれはなんかおかしなことにならないか?・・・まず相対論:h(t)⇔『理活した結果の』*∑シグマ*∑シグマ*aiνi@デルタt(j)に、一般相対性理論を組み込むとする。まず目につく共通項は、「t」である《h(t)のtとデルタt(j)でのtは異なる》。(添え字は省略)(加筆)ついで量子力学:量子力学についても、まずは、直上記と同じことがいえる。さらに・・・「aiνi@デルタt(j)」の「νi」(または、νiの複合)は基本的に、量子の振動数――または振動に関する記述なり実態――である。「aiνi@デルタt(j)」の「ai」は、同じ振動数の量子の数である。「aiνi@デルタt(j)」の、「νiデルタt(j)」は、ふたつの内容をもつ。ひとつは、量子の振動に関する記述なり実態――であり、もうひとつは、そこから「h(t)」の「t」つまり実時間につなぐ実態を記述する。(添え字は省略)まず目につく共通項は、量子である。h(t)に変換する前の量子と量子論における量子は同じ対象(もの)である。次に気づく共通項は、「t」である《h(t)のtとデルタt(j)でのtは異なる》。(――参考になりそうな分野として、動画に関する数学的記述がある――)そこから波動関数の崩壊収縮、(加筆)場の量子論:量子力学を出発点にして進める。場の量子論だと、当然、「心器の場」、「意識器の場」を仮定できる。それについては別なところに記している――「場の量子論」で検索されたい――。超弦理論:超弦理論は、重力理論も量子論・素粒子物理学などをも含んでしまう理論だろうから、h(t)⇔『理活した結果の』*∑シグマ*∑シグマ*aiνi@デルタt(j)に、超弦理論(まだまだ未完成だが? 心脳科学・仮説に適用できるように構築すべき、という主張については既に述べた)を組み込むのがいいのだろう。そのばあい、「aiνi@デルタt(j)」の「νi」(または、νiの複合)は基本的に、弦の複雑な振動の系――振動に関する記述なり実態――である。「aiνi@デルタt(j)」の「ai」は、同じ振動モードの弦の数である。「aiνi@デルタt(j)」の、「νiデルタt(j)」は、ふたつの内容をもつ。ひとつは、弦の複雑な振動の系――振動に関する記述なり実態――であり、もうひとつは、そこから「h(t)」の「t」つまり実時間につなぐ実態を記述する。(添え字は省略)まず目につく共通項は、量子と弦である。h(t)に変換する前の量子と超弦理論における弦は同じ対象(もの)である。次に気づく共通項は、「t」である《h(t)のtとデルタt(j)でのtは異なる》。超弦理論においては、「心器」と「意識器」を記述できるだろう。・・・というより、そう記述できるように超弦理論を構築すべきだろう。それに・・・弦のもつ次元の多さ(あるいは弦の属する空間の次元の多さ)からくる複雑さ・豊かさ、それは、心脳の世界にピッタリなのではないだろうか。参考・関係が深いのでふたたびしつこく再掲:新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き?日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。・・・以上、参考・・・研究中・・・怠け中・・・怠け者・・・ナマケモノ・・・動物園のナマケモノに会いに行こうJK・・・ジョークのクオリアも豊穣な世界をもつ・・・と締めないとカッコウがつかない・・・またすべってころんで・・・カッコウ鳥に見放されないようにカッコウをつける・・・カッコをつけるとも言う・・・カッコ( )をつけて(連想ダジャレ展開中)・・・こういうジョークダジャレなどは、音声による連想や同一か類似性と、意味内容における類似性と、意外な展開や組み合わせ、などによって生じる・・・そういった笑いの原理についても仮説として既に述べている・・・やっと締まった・オチがついた(笑い)・・・かたいことをやっているとこういう息抜きも必要である・・・それは心脳の現実であるし心脳の現実の描写でもある・・・・・・さてここで、理活の研究のひとつのやり方を進めてみよう・・・現実の中にモデルを探す(すでにいくつか見いだしている)やり方ではなく、ここでは抽象的にいってみよう・・・心器と脳の間で、情報量子の、1・「すべての並べ上げ[ai νi]1」がやり取りされ、理活の結果、単位時間分の、2・「心的内容情報スペクトル[ai νi]2」となったとしよう。その差分「[ai νi]1」-「[ai νi]2」=3・「[Ai νi]3」となる。3・「[Ai νi]3」が、結果的に捨てられた、あるいは、加えられた情報量子sである。「[Ai νi]2」の中には 「[Ai νi]1」の中にはない情報量子sが加えられている。それを「+α」と表記しよう。「+α」は、最終的に心器が加えた情報量子sである。ここに:「ai」はゼロまたは正の整数である。「Ai」はそれに加えて負の整数値もとれる。「1・」は、ニューラルネットワークにおける論理活動、情報物質sの共振s、心器による着目~理活、の内に現れた情報量子sすべてを表す。「2・」は、「1・」から、ニューラルネットワークにおける論理活動、情報物質sの共振s、心器による着目~理活、の結果選び出された情報量子sと、心器が加えた情報量子(「+α」)、それらすべてを表す。3・「[Ai νi]3」は、結果的に捨てられた、あるいは、加えられた情報量子sである。そこにおいては、途中経過が捨てられて(捨象ともいえる)いるので、その実態「捨てられた」「加えられた」を直接知ることはできない。そこには、心器が、一旦捨てたが、あとで加えた情報量子(単数か複数)もあるだろうし、一旦加えたがあとで捨てた情報量子(単数か複数)もあるだろう。それらすべてのデータを手に入れることができれば、そこから理活の実態を統計的に把握できるという所に行き着くかもしれない。・・・しかしあくまでも統計的にである。そこで、・・・以上、研究中・・・めんどくさい・・・めんどうがくさい・・・面胴が臭くなるのは剣道~汗と汚れとその経時変化で・JK・その面と胴の臭いのを取り去るのはもの凄くめんどうくさい・よって面胴が臭いのは続いていく・JK・・・ついでにジョークのクオリアも研究中・・・とオチをつけて締めて・・・・・・ここで、ひとときのコフィーブレイクを・・・・・・ここで、ドリンクブレイクのふたときを・・・(加筆)☆新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き~日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。:つづく☆「研究者に研究不正をなさないことを学習するよう義務付ける」学術会議、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会、の共同声明研究不正問題:「大学や研究所など、組織の責任をも問う方針」文科省つぶやきより:特定の意味で:心器での内容(活動実態)はハイゼンベルク描像に、意識器での内容(発現実態)はシュレーディンガー描像に、それぞれ似ている。さらに、特定の意味で:両方に着目すると、それはディラック描像に似ている。☆新ことわざシリーズ:世界は、無数の質の対生成と無数の質のもつれでできている。そしてそれらは質時間回帰の流れの中にある。悠久の大宇宙無限大河 久遠の質時間回帰の限りなき流れ☆「心は世界の焦点心をとおして意識は世界を意識し味わう自分の言動をも含めて己の体験・経験をも含めてそこにあらゆるすべてがあるという立場は可能すべての心器 すべての意識器を総合すればますます決定的にそういえる」☆心脳科学(仮説)には、10ほどの仮説sが入っている。数え方によってはもっと多い。最高16以上か。それら仮説sがひとつの仮説体系に組み上げられている。ここで、心脳科学(仮説)が反証されたばあいのことを考える。そのばあいには、仮説ひとつひとつ(仮説体系ではなく)を取り上げて検証することになる。それら仮説のうち、重要度が最も高いものから、#1、#2、#3、と番号をふっていくとして、#1と#2、は、心脳の現実を説明するのにどうしても欠かせないと思える。ついで、#3、もそうだろう。本論で述べたように、それらには(も)根拠がいくつもある。根拠の上に仮説sを立てたのである。以下、検討はつづく(ここでは検証ではないが)。(重要度の低い仮説は破棄しても本論には影響はでない)そういうふうに検討していくと、それら仮説sのすべてが反証されるとは思えない。なぜなら:(根拠がいくつもある上に)それらしかないだろうと思う。ほかに在りようがない。ほかになにもない。もちろんこれは、洞察の下、感じ・直観で言っているのだが。これは非科学的姿勢にみえる。しかし、科学の歴史は、仮説の構築をはじめとして、多くが、そのようにして進展してきたわけである。さて、当然やはり、検証が待たれる。☆つぶやき:以下、クオリア・質と大きく関連する:原稿がほぼできあがっているもの(原稿)、と、構想・内容構築がほぼできあがっているもの(書き散らかし)、と、構想がほぼでき上がっているが少ししか書いてないもの、など:質の科学(科学的仮説)転生の科学・哲学(科学的仮説)世界哲学(希望、哲学)宇宙は永遠に続いていく(かどうか)(科学的仮説)論理地図(科学哲学的仮説)物理数学・数学とは何か(これは論理地図とも大きく深く関連する)世界理解の哲学(科学的仮説)歴代の哲学を採点する(心脳科学・仮説にもとづいて)運命のノート(遊び? 現実? (=仮説という意味))定義と名づけ方から見える展望そのほか以上の中には、それらのうち複数を統合した方がよい内容をもつタイトルもある。☆心脳科学(仮説)(それが正しいとして)の立場で、哲学的問題や科学上の問題、その他などにおいて、多くの設問を立て、それに解答することができる。それらは、心脳科学(仮説)の理解度テストともなる。心脳科学(仮説=仮説sの体系)には、10ほどの仮説が入っているので(数え方による。最大16以上か。重要度の低い仮説は破棄しても本論に影響はない)、そこでは、その仮説たちのどれどれを用いての解答かをも併せて問うと効果的である。(筆者がそれらの解答をだしている設問もあるし、その途上にある項もあるし、まだ答えをだしていないものもある。まだ手がけていない項目もある。しかし、当然解答はでてくる)☆前回の分(「意識とクオリアの外側」)にさらに加筆があります。つぶやきから:心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(超弦理論をそういうふうに構築できそうである)。(私は、超弦理論を、私の研究に必要な程度学んだ)そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となる)。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考え記述するのも、心脳である。そこらのところも解説・・・(以下略)・・・↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところも解説できる。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。つぶやきから:1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」4:(ここまでは哲学であり、私はそれが好きだ)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、私はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。つぶやき:相対論での空間について、遊びで少し言及した個所に加筆:「虚空間・素空間」と筆者が表現した空間は相対論では否定。○心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学◯1年以上前に公表した心脳科学(仮説)の初版には、一切手をいれないで、ネット上公表サイトにそのまま置いている。もちろん私のPCの中でもそうである。PC上では、原稿を書いていくたびに新しいファイルとして記録してきている。前回の分に加筆があったので、載せます。つぶやきより:有加筆:この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている)つづき:推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)。。仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。世界情勢がますます緊迫化してきているように見えます。金融や経済を含めてそうでしょう。今までもそういった方面は大変だったともいえますが、この先はさらに困った事態に至りそうです。さて、そろそろ、心脳科学(仮説)の全体像をここに載せたいと思いますが、その前に:つぶやきより:推測による「脳における情報構造」からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。リベットの実験事実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する。世界人さて、ここの皆さまが、学問研究などにおける慣行と常識や法律などに従って、「優先権を保護する―つまり最初の発案・独創者を尊重する」―のであれば、私はとっくにここに「心脳科学(仮説)」をエントリーしていたことでしょう。既に一年以上前、「心脳科学(仮説)」を公表しているし、それ以前にも私はネット上に、それに関係した内容でかなりつっこんだことを書いています。しかし、世界の風潮をみるに、警戒してここには詳細を書かなかった。今や、研究不正をなすと後がとんでもなく大変なことになるという常識が社会一般に浸透してきたし(ここの部分は、かの細胞についての実験事実・成果はなかったといってはいない)、文科省も研究不正はあばいた上で罰する方針を表明し実行に移す途上にあるので、そろそろ「心脳科学(仮説)」をここに載せたいと思っていますが、なんというかかんというか、はっきり書きたくはありませんが、書かないわけにいかず、こう書くしかないわけで、可能性のある新しいなにかの誕生を妨害することだけは断じて避けなくてはならない。そんなことをするのは卑怯・卑劣そのものにほかならず、その人自身を汚すことになる(あとが大変だろう。それはクオリア・質時間回帰の一種でもある)。それよりも自分の説をぶつけるのが正道でしょう。ともかく、自分の論を展開できない人はコメントしない方がいいでしょう。好意的であればそこは問題はありませんが(ここに参加すると、健康を害するという代償を支払わねばならないというのは、断じてあってはならないことだ。それは傷害罪を犯したこととなる)。さて、とはいえ、「心脳科学(仮説)」は可能性を秘めた仮説体系であり、検証が必要です。反証されたらSFということになるでしょうが、その一部分は生き残るかもしれません。世界情勢などをみていると、いろんな意味で早くここにエントリーしなくては、と思います。茂木さんは、クオリアマニフェストを『高らか』に謳いあげ、『知的に誠実な』研究者の参加を激烈に呼びかけて、ここを開設したのですから、そこらのところの充分な配慮が必要でしょう。いずれにせよ、ここは有益で大変ありがたいサイトです。クオリア・質研究関係のつぶやきよりI have been translating the summary of the"mind-consciousness-brain science(hypothesises-system)"in japanish into engleeeese one.The translation can not be done without my explanations because it includes new concepts which did not exist before.So,I continue doing it by myself.クオリア・質時間回帰:8月16日現在:世界情勢がさらに緊迫化してきています。それもこのスレの趣旨の中にあり、クオリア・質時間回帰で説明がつくでしょう。さて、心脳科学(心・意識・脳を総合した科学)の翻訳は進んでいます。「クオリア・経験の質」関連のつぶやきから:I think so,and it makes me crazy.The past contribution of you that was about logic was interesting.心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。引用元を明記すれば、引用できるわけです。☆このスレのトップ(再掲):私は40年前後前からさまざまな研究を断続的に独自にやってきているのですが、一番世に問いたいのが「質の科学(仮説)~世界哲学」です。それが今現在の世界に必要な科学というか思想・哲学なのかもしれません。そう遠くないshourai sekai ha kaimetu ni mukaisou(それは、質の科学~質時間回帰則と、その他いくつかの立場からの予想)ですから。そうなるかどうか断定はできませんが。もうそんなことどうでもいいとも思いますがね。「心脳科学(仮説)」はその一部です。☆このスレの最初に書いたように、世界情勢がさまざまに深刻化してきています(クオリア・質時間回帰だとみなしているわけですが)。その先、世界の状況がどうなっていくか注視に値します。生活環境がよく保たれた上での、研究だということはいうまでもありません。できるだけ早く心脳科学(仮説)の概要を英訳し公表してからここで講義を始めるということで、翻訳に努めていますが、まだその途上にあります。ここでの心脳科学(仮説)講義はその後になります。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。つぶやきから:加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。つづき:その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。「意識内容そのものに知性が介入できる」という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。ツイッターのクラウド的利用、心脳科学(仮説)で、一元論も二元論も統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論も唯物論も統合できる。学問についていっても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところもすっきりと把握できるだろう。離れた訂正:科学哲学→科学による哲学(科学的哲学)心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。不可知論にもいろんな立場がある。ぼくが以前ネット上で用いた、不可知論の領域、という用語は、単に、知ることが難しい領域、という意味で用いたので、不可知領域とした方がすっきりするが、まちがいではない。質時間回帰はつづいていく呪われた星、地球、SF:Spesial FactSF:Shocking FactSF:Sciense Factカオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、ぼくがネット上などに書いた立場は、それを超えた(越えた)それになる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。つぶやきから:これも当然→研究不正がネット上で指摘された件も調査対象:ネットで指摘された研究不正をも調査することを大学や研究機関に求める方針が文科省で始動した。罰則付き。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。#3「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」について「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」と以前書いたことに関連してつぎのエントリーを載せておきます。さて、今までに何度も何度も現実に起きたことからいって、「他人の考え(アイディア)」を、引用表記をせずに用いると、後が大変なことになる、ということは常識ですな。その代表的な件として、以下でそれが確認できる。論文(研究についての発表を目指した記述体系)において、「研究不正」として糾弾されるものとしていろいろあるが、ここでは、その視座からこれに着目する。「研究不正」に該当するもの(その一部):「盗用」=「他人の考え(アイディア)、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること」(この「盗用」については、今、世間の話題になっている、あの細胞に関わる研究論文に関してのやりとりの一環として、提出された不服申立書から抽出引用した。(「(アイディア)」は私の加筆である))そういった観点からいって、人は常識的かつ普通に(これには、後で大変な事態にならないやり方・在り方で、という意味を多く含むが、それ以上の説明は難しい)行為・言動するのが最善である、ということになりますな。(この小文は、「その細胞に関わる実験事実・結果はない。それは不正だ」、といっているわけではない)加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。加筆:さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。To be honest,or not to be honest:that is the question.Check out all my description on the Web.Check out all and all descriptions on the Web and others.世界人☆「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded☆Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.☆茂木さんのクオリア・マニフェストに「7、アジテーション」、という項目があります。つまり、クオリアMLはストレス解消の場なんかではなくて、研究の場でありクオリア問題を研究する人たちが集うところ、ということははっきりしてますな。クオリア・マニフェストから、ぼくはここにたどり着いたわけだから。ぼくも、クオリア・マニフェスト「7、アジテーション」、に触発され煽られて参加したわけです。以下引用:「7、アジテーションThe Qualia Manifesto 革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。 人間とは何か、人間はどこから来てどこへ行くのか? このような究極の問いに答えるための鍵となるステップが今や見えてきている。 人間とは何かという問いに答える鍵は、私たちの心の中のクオリア、及びそれを支える主観性の構造の物質的基礎を明らかにすることである。 クオリアや主観性の起源を明らかにすること以上に重要な知的チャレンジは存在しない。 私たちがクオリアや主観性の起源を理解した時、その認識が私たちの人間観、世界観をどのように変えるかはわからない。来るべき認識革命の後で私たちの迎える状況がどのようなものになるにしろ、その可能性が今や開かれていること、そして、認識革命に至る道筋は論理的な議論とち密な思考と知的な勇気によって開かれうることを再確認しておこう。 クオリアの問題の解明には、論理的厳密性、開かれた感性、そして、今までにない思考のプロセスに踏み出す、知的勇気が必要である。 クオリアの問題の解明は、一個人では不可能である。自然科学者、数学者、芸術家、宗教家、心理学者、社会学者、全ての分野の優れた知性が共同し、総合的文化運動を起こさなければ、クオリアという人間の存在にとって核心的な概念の解明は可能にならない。 今や、勇気あるステップを踏み出す時機が熟している。 知的に誠実であり勇気を持つ者達よ、「クオリア」の解明のために団結せよ! 」:以上、引用世界人