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12/30:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)11分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。その前に:・・・なまけ中・・・ナマケモノ中学校の非常に優秀な生徒・JK・・・ナマケモノ中学校のナマケモノコンクールで優勝・JK・・・とはいえそれでも毎日研究し加筆・・・本論は世界初であって、今までにだれも唱えたことのない論であり唯一無二であって、その仮説体系そのものにかかわる文献も皆無である。本原稿中の概念や「たとえ」そのほかは、正確・厳密ではない。記述においてもそうである。本原稿は雑記であって、間違い、いいかげんなところ、訂正すべき個所が多い。重複も非常に多い。「対象や在り方」をひとつに限定したような記述をしている個所たちについていえば、「対象や在り方」が複数である可能性もある。つまり、そこでは他の可能性たちもある。書き込みの不足している個所たちもある。誤解を招く記述もある。矛盾している個所たちもある。整合性がとれていないところもある。文・文章自体にも間違いがあるところもある。本テーマについての科学的能力のない者の噛みつきを禁ずる。とにかく揚げ足をとってはならない。ケチをつけてはならない。誹謗中傷してはならない。それらは傷害罪に当たる。引用元の明記なしに、自分のもののごとく用いたら(盗用)、あとが大変なことになるのはわかりきったことである(引用元を記せば使える)。「ここは公であり、衆人監視・環視の場である」茂木さんのクオリアマニフェストから言ってもそうである。加えて「ネット世界も公であり、衆人が監視・環視している」本理論体系の理解を完全なものに向かわせるには、全部を読むしかない。複数の仮説がひとつの体系をなしているし、今までになかった概念が複数からまっているので、そういうことになる。 心脳科学(仮説) 題目と説明正式題目:「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説sの体系なる理論」別の題目:「心脳工学(仮説)」 「意識工学(仮説)」 「心・意識・脳の科学(仮説)」 「意識の科学(仮説)」 「心の科学(仮説)」 「心工学(仮説)」 「心・意識・脳の自然工学(仮説)」 「意識・心・脳の科学(仮説)」(仮説は複数である:仮説=仮説たち=仮説体系=仮説たちの体系)本原稿は研究途上にある雑記である。ある程度正確できれいに整えたものの、構成が不十分であるし、整合性がとれていない部分たちがある。重複も多い。かん違いや間違い、未熟さやケアレスミスなどもある。ただし、内容においては、今の段階で必要なものはほとんどすべて盛り込んである。また、タイトルの「システム明細」についていえば、まだ不完全だが、仮説上の自然工学的な数学的枠組みは提示できている。本仮説体系の完成:2009年頃までに:by西山浩一(世界人、春楽天)本書の原稿の一応の書き上げ:2012年6月by西山浩一本書の原稿の加筆・推敲・校正:by 西山浩一本書の原稿の発案・構想・構築・執筆者:西山浩一(C)本原稿と表紙絵の著作権者:西山浩一心脳科学研究所(本原稿は、400字詰め原稿用紙換算で約1000枚の分量がある)本原稿は日本国著作権法ならびに国際法によって保護されている。本原稿のすべての著作権は心脳科学研究所(西山浩一)が保有している。日本国著作権法ならびに国際法は、用紙書面による著作権者の許諾なしに、本原稿を複製ならびに転載することを禁じている。本原稿からの引用の際には、本原稿名を記すことを要する。この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)11分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。12/30:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せています。本スレにある設問シリーズは千差万別です。運命のノートシリーズも書いています。「チャプター加筆形式」の記事としては、これがチャプター#3です。筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので(人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて)――すべての人間が、なんにおいてもそうだ――、メモのような書きつけも載せておきます。・・・参考・・・どこかに書いたが・・・筆者の高校生時代、親父が筆者に「宇宙をこっちの方にどこまでもずっと行くと、反対側からでてくる。それから、タンジェントカーブにおいては、線が無限大に至るとマイナス無限大からでてくる」といったようなことを話してくれた(のだった)。それが頭にこびりついてしまったのだった。で、そのタンジェントカーブだが・・・ひとつの周期において、カーブの始点がゼロから始まって無限大に至り、そうなると次の周期に入りカーブは無限小からでてくる。――そう解釈できる――。で、そこを詳しく見てみると・・・(実数の)二次元座標を考えて・・・X軸のゼロあたりを見ると、マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロが隣り合って並んでいると結論できる。で、ここで、それをもとに、もっとも基本的な無限大について考えて見ると・・・1/-0=-∞、1/0=∞、1/+0=+∞、が並んでいるように見える。そこにおいて特徴的なことは・・・ゼロは符号をもたない、ということである。ゼロはすべてをご破算にし符号(+、-)をも反転させるのだ――そう見える――。・・・と考えると、タンジェントカーブの説明がつく。以上の内容で、感覚的にわかる。(――数学の進め方~構築というのは、そういうものである。ただし、それが現実の世界に対応しているか否かは別の問題である。――そこらについては既に詳細に記している――)。以上の数学を宇宙の空間と時間について適用していいのかどうかという問いも当然ある(――現実に対応しているかどうか、という問題――)。そういう問題は蹴飛ばしてほったらかしておいて・・・もの凄く美味しい世界に突入してみよう・・・つまり・・・以上の数学を宇宙の空間と時間について適用してみよう、ということ・・・空間について言えば・・・「こっちの方にどこまでもずっと行くと、反対側からでてくる」となる。時間について言えば・・・「永遠の未来は永遠の過去につながっている。永遠の過去は永遠の未来につながっている」となる。さらに、「宇宙は、永遠の未来に到達すると、新しい周期の宇宙に入る」となる。(――それが現実を記述しているかどうかは、別な問題である――)・・・ここにもうひとつおもしろい論を加筆しよう・・・その上記の数学理論を適用すると、以下のように、そういった難問もだいたい理解できる・・・まず・・・自然数を無限に足し上げていくと、どうなるか? 「ある時点で、自然数にマイナスの性質(符号)が入り、前に加算してきた数をつぎつぎとすべて打ち消してしまい、ゼロに収束する」、という信じられない結論を得ることができる。つまり、自然数にマイナスを付した数も、自然数の仲間なのだと、いうことになる。ここまでは、「トンデモ」である。ところが・・・いくつかの無限級数において、無限に足し上げたその結果が、「ほぼゼロ(ゼロとマイナス1の間あたり)」に収束するという結論が、いくつものやり方で打ちだされている(――そのひとつは、超弦理論にも適用されている――)。その結果を自分(人)に納得させるには、上記の理論と、直近の「トンデモ」な結論から、だいたい納得できるのではないだろうか? (――そこを精密には検討していないが――)・・・・・・さて、いくらか前に戻って・・・ただし・・・既に詳述しているように・・・宇宙の本体には時間がない、という理論をも筆者は展開している。それは、「時間は意識器~意識~意識体においてのみ生じる」、という理論である。☆さて、以上、宗教関連の内容sと質の科学(仮説)~質時間回帰則などを盛り込んで述べてきた。さらにつづけよう・・・筆者の家系は両親ともに仏教(伝統的な)である(親戚には神道、その他がある《いる》)。といっても、いわゆる「葬式仏教」である。元日には神社参りをするし、クリスマスも楽しむ。そういった日本人の特性を賞賛する神父さん(外国人)もいる。一方、「そんな! いい加減な!」という反応もあるだろう。日本以外の国々では、何かの宗教に属していないと、安全や生活が保障・保証されないといったところがあるのだろう。しかし、日本ではそういった面はほとんどない。よって、日本人は、上記のように、どんな宗教でも活用することができるし、さまざまなんでもエンジョイできるのだろう(ほかにも理由はあると結論できるが、ここでは書かない――どこかに書いたイカリングの話しなど――)。で、日本人は、外国人がそれぞれの宗教の信徒として、熱心にお祈りなどを捧げているのを見ると、「感心だなあ!」などと感じるだろうが、一方、「なにかちょっと胡散臭い」、と感じるところもあるだろう。もちろん、日本人は、日本におけるメジャーな宗教sについても、自分が属している宗教についても、「なにかちょっと胡散臭い面がある」、と感じるところがあるだろうので、(日本人は)公平である。で、今の世界においては、日本的な行き方がよさそうだと感じるのは筆者だけだとはとても思えない・・・さて、とにかく考えることが大好きななんでも研究家の筆者は、さまざまな宗教sをも研究してきた。ネット上にその実態をある程度記している。その結果ということだけではないが、筆者は、どの宗教とも距離を置いている――有力な根拠をもって。どの宗教にも納得できないところsがあるからである――大きな根拠をもって――。ただし、破滅的でない・反社会的でないどの宗教に属していてもいい、という思いもある――継続してきている宗教sは結局はどれもこれもが似たようなもんだ同じだ――、と。人間と現実にはどこをどうやっても限界がある・理想どおりには決していかない・・・それは質の対生成と対消滅、それと質時間回帰のもとにあるからだ(と思われる)。・・・強調のため繰り返すが、それらは質の科学(仮説)の説く、「質の対生成と対消滅」、「質のもつれ」それに「質・クオリア時間回帰」で説明がつくだろう。・・・補遺・・・以上に宗教関連の内容をある程度盛り込んでいる。宗教については筆者も種々さまざま考えてきてはいるが、非常に繊細で微妙なところがあるので、書くに当たって慎重にならざるをえない。筆者を含めて人は誰でも、大切に思っているなにかを貶されると腹を立て◎イカリング◎《怒ring・伴JK》◎イカリング大王◎イヤリング◎をした◎イカリング大女王◎《JK入り》になるのは当たり前だの当然だ(・・・イカリング◎はおいしいが。イヤリング◎は女性には似合うが・・・)。・・・ということで宗教関係のシビアな話題では大きく引いて書いてきたこれまでの路線のままで、以上記したそれくらいにしておこう――そこには質時間回帰という峻厳な法則に則った決定的な流れがあるので何人(なんぴと・・・どんな人)たりとも(どんな人でも――つまり、すべての人が)その実態には決して抗いきれない・抗えない。・・・それに関連していくらか脱線して・・・ここで「マイナスの質時間を膨大に積み上げた存在に助けるべく介入するのはアホ」だという文言・命題が生まれてくるだろう。・・・「アホは危うきに近寄らず」というではないか(これは新しい格言だが)――これは反語では決してない――「君子」ならそういったところを助けようとするのが当然であって、そこに介入すべきである。それこそが「君子」の名にふさわしい――それは「定義と名づけ方の問題」の中にあるが、自分の安全と安寧だけを図るのは「君子」ではない、という結論は「普遍」である――まあ、危険なところに無駄・無意味には近づかないということなんだろうが、敢えてそう書いておこう――筆者はアホであるから気楽にいく――。で、宗教に限らずほかの分野sについてもそれと同じことが当然いえる。・・・それらの分析をなすと「そこにも、質の対生成・対消滅と質のもつれ、質時間回帰がある」となる・・・参考:質・クオリアの科学(仮説)と心脳科学(仮説)の関係については、既に何度か述べたとおり、どちらか片方が全面的あるいは部分的に否定されたとしても、もう片方には部分的な影響があるだけか影響は皆無かであり、仮に影響があったばあいでも部分的な手直しでどちらも立ち直る(だろうと展望している)。☆・・・以下、これは、本研究と非常に密接な関係がある――直結している――。なんのことかわからないかもしれないが・・・(加筆中)・・・以下、謎の遊び・・・その謎の遊びの中で、以下、謎の詩sというか、謎の言葉sの不思議な謎の羅列・・・世界は不思議に満ちみちている・神秘にも満ちている・・・(1~4までは・・・The Dancing cover(s) in The turbulent world・warld )・・・・・・1・・・過去・ブログ「幻に忠実な○○、餌に忠実な○○」どこかの国の首相 VRゴーグルで世界を見渡している 幻を見ている 幻に忠実な人物2・・・太陽にチョウチョが近づいている 太陽はそのチョウチョ(過去・ブログ「チョウチョ=バベル=パレパール」)をにっこりと見つめている五重の塔は質時間回帰則の象徴筒型の帽子をかぶり黒ぶちメガネをかけたアジア人の男 その男の左手・向かって右側にヨーロッパの貴族風の男withシガレット その二人は向き合って談笑しているかのごとく――その2人はこれから手を組むことになりそう 「一番下に並ぶ世界の政治家たちの真ん中にいる中東人ふうの男・頭に布を巻いている――謎の目つきをしている」と その「筒型の帽子をかぶり黒ぶちメガネをかけたアジア人の男」は同一人物であるとみなせる(「そのふたり=同一人物」はラリアちゃん? をなんとかかんとか? そこは謎のまた謎でありよくはわからないが)その「筒型の帽子をかぶり黒ぶちメガネをかけたアジア人の男」の後ろにこれから現われる世界的宗教家としての人物・イラストで描かれている古代ギリシャ人の胸像(過去・ブログ小説「古代ギリシャ人のような先生」)ノーベル賞受賞の若い女性とその顔 彼女と向かい合うヨーロッパ系の男――イラストで描かれている 彼の下に若い女性どこかのソフト会社の男(筆者・過去・英語でのメッセージツイート「質時間回帰則の概念を世界に根づかせたい」)3・・・先日、女性2人がやってきて、キリスト教よりもキリストのことを長々と話し、小冊子を置いていった。そのあと彼女たちは筆者の家のあたりをうろうろしていた。彼女たちは他の家には行かなかったようだ。・・・それに関連して・・・筆者が20歳代の頃、それと同じところ(場所は異なる。正確な言葉を記したくないので、「ところ」と書く)からやってきた二人連れがいたことを思いだした。その時の本も今手許にある。・・・・・・最前列真ん中の男――愛に満ちている三列目真ん中の男――謎の目つきをしている・彼は「2・・・」の「そのふたり=同一人物」と同じ人物である 彼の右手向かって左に女性・彼女は「三列目真ん中の男――謎の目つきをしている」のMotherである・彼女は12月25日生まれである(当時の風習にのっかって、戸籍上は12月28日となっている。当時は女の子はできるだけ年齢が若いほうがいい、という風潮があった。クリスマス・キリスト教関連でついでに・彼女は十《十字架と同じ十・発音は「ジュー」で、英語のJewと同じである。十はトーとも発音する。その意味はローマ数字のⅩと同じである。古代エジプトの「トート」とは関係ないが》の入った紋をもつ家系の子孫である。・・・ついでに、これは単なる思いつきだが、十をトーと発音することに関連して・・・古代エジプト人の風貌は、古いほど日本人によく似ている――そのことに驚嘆しているエジプト人の方もいるそうだ――。で、古代エジプトの「トート神」は全知全能のような神とされている。さらに、十の発音のひとつ「トー」は「トート」と似ている。十は、完全といったふうな意味合いをももっている。くわえて・・・「トー」という発音は父と同じである――大和言葉で――。で、トーさん=父さん、は、一家の大黒柱とされている。トーさんは一家の大黒柱、トート神はエジプト・世界の大黒柱、そこに類似性がある。それと、先に述べた「古代エジプト人の風貌は、古いほど日本人に似ている」とを併せて考えると、不思議な気分になってくる・・・と思いついただけであるが――)ヨーロッパの貴族風の男――優しそうな顔をしている・彼は「2・・・」のヨーロッパの貴族風の男withシガレットと同一人物であるとみなせるアフリカ系の男・人間味に溢れている――民族衣装を着ている(過去・ツイート「民族衣装を着たアフリカ系の男女2人とばったりと出会った」)ヨーロッパの預言者か宗教家の男(キリスト教のシンボルに見える。悩み煩悶し気弱になっているような表情をしている。過去・ブログ「キリスト教の教会は歴史の重圧で今にも崩壊しそう」)シェイクスピア(過去・ブログなどに「To be honest,or not to be honest:that is the question.」)シーザー(カエサル)(「采は投げられた」とは限らない)東洋人の武人? (チャイナのシンボルに見える。怒っているが困っているし悩んでいるといった表情をしている)(過去・ブログ・ペキンオリンピック開会式の感想「~~~~次は火薬で、世界に向かって○○をぶっぱなすのかと~~~~」)古代エジプトの女王古代エジプトのファラオ・・・(過去・ブログなどに「人の運命を引き受けるなどということはまっぴら御免のきんぴらゴボウである《きんぴらゴボウはおいしいが》)上述の古代エジプト関連で・・・たしか、古代エジプトにおいて、「カー」という何かがあったと思いだしたので調べてみた・・・「カー」・・・母体で赤ちゃんが成長する過程で、「カー(霊のような存在)」が、その赤ちゃんに入るさらに、古代エジプトの図像において、「カー」は王の二番目の存在か代理として描かれているで、日本では「カー」は母(はは)の別な呼び方であり、「かーさん」「おっかー」(さん、も、おっ、も、敬称)と呼ばれている。となるとひょっとしたら・・・などと妄想するのは楽しい・・・さらに以下につづく・・・・・・以下これは神話的な話しだが・・・楽しい妄想の世界なのかもしれないが・・・古代エジプト文明は、アトランティス文明を引き継いでいるとされている古代日本文明は、ムー文明を引き継いでいるとされている古代エジプトといえば、ピラミッド日本にもピラミッドや石造りの巨大構造物があるといわれている「ピラミッド」~エホバ(ヤーウェ)のお山?(過去・ツイートなど「古代の文献を読むことのできるインドの聖者『大昔、インドから離れた南に――今は海だが――大陸があった。その当時は世界中、同じ言語が用いられていた。そこでは、否定の言葉は、「ヌ」、であった』」だそうだそういえば、旧約聖書にも、たしか、「昔、そこ(世界?)ではひとつの言語が用いられていた」、といった内容が書かれているさらに、バベルの塔~~~~神が怒って~~~~)さて、アトランティスとムーの時代関係はどうなっているのだろうかインドの聖者の話と旧約聖書の内容などを併せて考えると・・・それはかなり近い時期というか同一時期か?地球規模の地殻大変動で、両大陸とも沈んだとされていることでもあるしとにかく、両文明の後継文明に、共に、ピラミッドがあるさらに・・・古代エジプト「バー(魂のような存在)」日本語では、「バー」は祖母とお婆さん、を意味する先の「カー」とも関連づけることもできる・・・楽しい妄想であるが・・・繰り返すと・・・「バー(魂のような存在)」「カー(霊のような存在)」心脳科学(仮説)でも、「心器~知性体(霊と名づけてもいいくらいである)」と「意識器~意識体(魂と名づけてもいいくらいである)」が論理的かつ必然的にでてくるさらに・・・トート神の図像の中には頭に「日の丸」のような何かを着けているものがある太陽崇拝~太陽神アマテラスオオミカミ=「天を照らす偉大な神」(過去・ツイートなど「シュメール文明時代の都市名にニップール~ニッポンを連想 ニッポンとは『日(陽)の本』の意で音読み・ジッポンJipponともよめる」)トート神については上述おまけに、古代エジプト語には「L」音がない?日本語にも表記上は「L」音はない・・・しゃべりの中ではでてくるケースもあるが・・・・・・以上を総合して妄想して考えると・・・さまざまな結論がでてくる・・・・・・・・・・・・妄想を逞しくすることは実に楽しい・・・・・・・・・ところが・・・ところが・・・以下は楽しいの正反対~重苦しくて限度を越えて憂鬱になって寝込んでしまいそうな内容・・・さて、表紙の人物像・最上段向かって最左アレクサンダー大王(アレクサンドロス大王)だろうか?そういうことにして書いてみよう(小冊子の内容と大いに関係があるので)その人物はなにか恨めしそうな表情をしているそこで、その小冊子の中身・・・アリストテレスが意気消沈ししょぼくれまくった顔ででているアリストテレスはアレキサンダーが大王になる前の家庭教師そこには・・・「アリストテレスの論sが、キリスト教をがんじがらめにし、2千年近くヨーロッパ文明を支配した、それは非常に困ったことであったし困ったことである」、といったような内容も書かれているそこで、アリストテレスについていろいろ調べてみた・・・その感想として・・・「なんとまあ、ごちゃごちゃとむずかしくよく考えたものだ。頭が痛くなりそうだ。その当時そういった難解な論を張られたら、多くの人たちが拍手を送ったはずだ。現代までの哲学でもそうだ(それに関連してブログなどに既述――要するにバカだと思われたくない、という心理と、集団心理、がだれにでもあるということ)現代科学が当時はなかったから、その研究は大健闘ではあるがところどころ、『心脳科学・仮説~質の科学・仮説~世界哲学』と似た要素がいくらかはあるしかし、問題は、上述『アリストテレスの論sが、キリスト教をがんじがらめにし、2千年近くヨーロッパ文明を支配した、それは非常に困ったことであったし困ったことである』だ。つまり、それらの論sの中には間違いも含まれていてそれらが2千年以上?も重大な弊害を引き起こしたということである・・・さらに重大な問題は、アリストテレスの論からは、「人は死ねばそれで終わり、人生は一回限り」という結論が引きだせそうであることだ(そこらのところははっきりとしないようだが。しかも、アリストテレスもそこについては何も論じていないようだ)(それが根底にある宗教や文明は、恐ろしく重苦しくなりそうだ~息もできないくらいに・・・)そこで、アレキサンダーが「人は死ねばそれで終わり、人生は一回限り」と解釈したとすれば・・・・・・彼の大胆な行動もある意味理解できる・・・とは言え・・・もの凄い・・・・・・恐ろしい・・・以上で、先述の・・・「アレキサンダー大王とみなせる人物はなにか恨めしそうな表情をしている」「アリストテレスが意気消沈ししょぼくれまくった顔ででている」・・・が理解できるというものだいやあ、困った困った・・・そこで以下これは夢想だが・・・アリストテレスもアレキサンダーも「あれ、わしは今もなお生きているではないか。これはどうしたことだ」アリストテレス「ああ、なんということじゃ! 心が張り裂けそうじゃ。・・・論を張るときは、断定してはいかん。『そう考えてみただけであって、真偽は不明じゃ。あとはあなたがたが自分でよく考えなさい。わしは考え方を提供しただけじゃ。そこから何が起ころうがわしは責任などとらん』とつけ加えないととんでもないことになるケースsがあることがよくわかった。これからは絶対にそうつけ加えよう。ああ、なんということじゃ! 心が張り裂けそうじゃ ああ」・・・・・・・・・(参考:直近上の1セクションは、心脳科学・仮説、に忠実ではない。わかりやすくするためにそう記した)☆☆☆☆☆凄くかわいい女の子の写真そんな赤ちゃんが欲しい~~欲しい~~~☆☆☆☆☆4・・・バベルの塔の崩壊ww33星の人物輪廻と転生~質時間回帰に怯える人びと(本人たちは知らなさそうだが)5・・・ベイマックス「ヒロ」のPC「K」(これは関係ないが・・・グーグルアカウントが勝手に「K]のエンブレムに。システム上は、Nになるはずだが)6・・・過去・ツイート「空が落ちてくる――質時間回帰によって」スカイフォール7・・・過去・ブログ・月のうさちゃん(たち)がしゃべりまくる「アポロの機材がうざかったから、宇宙のゴミ箱にすてたんだぞう」過去・ブログ・ショートストーリー・月観測衛星かぐや・「月星人たちは観測衛星の月面への衝突に初めは怒ったが『かぐや、ほう、かぐや姫のかぐやか』、と機嫌を直した、という」NASA「カーク船長より、国際宇宙ステイションの諸君へ~~~~~」スタートレック・カーク船長の上官はヘイハチロー・ノグラ(筆者の手許にトーゴー・ヘイハチロー元帥の書になる掛け軸がある・「天無私四時行 地無私万物生 人無私大享貞」・それに「平八郎」の署名と「花押」が書かれている。それは筆者のFatherが生まれた記念に祖父が東郷元帥に書いてもらったものだ。東郷元帥は上機嫌で祖父といろいろ会話したという。筆者のFatherはその書面の内容にかなり近い傾向性をもっていると感じるが、筆者はその書面の内容とは正反対の傾向性が大だ・笑)NASA「月面に残してある機材の移動禁止」8・・・スターウォーズレイ9・・・ブログ・小説「主人公・ぶっち」アーロと少年ブッチ10・・・フローズン・Frozen人物sの顔の形11・・・特定のとあるビデオNiko No-brain快楽の報酬~質時間回帰戦争(過去・ブログ「聖母マリアの預言も、それと同じことを言っている」)12・・・筆者が昔みた夢「古い館の3階あたりの窓から外を筆者が眺めている。そこには庭があり周りには樹木たちが茂っている。なんともしっとりとくつろぐ雰囲気。左側に目をやると、そこには真っ白で大きく長い翼sを両肩あたりにもった男が立っている。なんとも神々しい」・そういう夢だった。それはたぶん20代後半か30歳あたりだったと思う。いや、20代前半だったかもしれない。そんなシーンはその夢以外では見たことがない。何度思い返しても神秘の感にうたれる。13・・・19歳か20歳あたりに衝動的に描いたイラスト「筆者の頭が地中にある。頭・首から上が地球になっているような奇妙な絵」14・・・過去・ツイート「吹上=イサク、そこにユダという地名もある」(吹上御所。○十)15・・・過去・ツイート「ユダヤ人の女の子と話をした。イサクとユダという地域名について話すと、彼女は興味をもったようだった。さらに、筆者が、エロヒムは複数形だ、と言うと、彼女は単数だと言った」・・・お尻の大きな女の子だった。16・・・過去・ツイート「2人の中東系の男たちと話しをした。そのうちの一人が、『自分たちはどこから来たと思いますか?』と訊くので、見当がつかなかったので、ジョーダンで、『ヨルダン』、英語読みでは、ジョ-ダン、これはジョーダンではないですよ』と答えた。彼は笑った。今度は彼は『どこに行ったことがありますか?』と訊いてきたので、『エジプト』と答えたら2人は大笑いした。笑いを納めた彼らはエジプトから来たと言った。筆者が『エジプトとはどういう意味か』、と尋ねると、『海の王子。周辺の国々がそう呼んだのだった』、といったふうに答えた」17・・・これについては自信(確信)はないが・・・大使館・恋ダンス大使・サンタクロースに扮して恋=「2・・・の『その2人はこれから手を組むことになりそう』」The Dancing cover(s)→danceサンタクロースコスチュームの大使・最後に挨拶・・・筆者「Everybody, Thank You so much! 」18・・・宇宙は神秘的でダイナミック世界は「不思議」と「神秘」に満ちている永遠の過去から永遠の未来まで――神秘は実現している(参考:上述「3・・・」についてその誕生日などについての記述・カッコ内は、筆者の個人性を入れない方がいいと判断してそう書いた。実際は・・・祖母が母にそう話したことがあり、それを母が筆者に話した、ということである。さらに母はそういった実例をいくつか話してくれた。ある女性などは戸籍上でいくらか若い年齢になっていて、「実際はその女性の夫の方が年下なのよ」といったことを笑い気味に話してもくれた。そこから、当時、そういう風習があったんだな、と筆者が考えて、「当時は女の子はできるだけ年齢が若いほうがいい、という風潮があった」と記した。・・・それは、世界中の多くの親御さんたちの親心ではないだろうか? ・・・現在ですらそうなのではないだろうか? )☆さて、一般的に言って、「カルマ」は転生があることを前提にしている。ただし、よく言われる文言「人生は一回限りだ」と仮に仮定しても、一回の生だけにおいても、カルマはかなり働く(・・・・・・実際は、人生は一回限りどころか、「無限回限り」なんだが・・・・・・)。・・・これは脱線気味だが・・・脱線がないと凝り固まってつまらなくなる・・・「カルマ・質時間回帰則」ということで、ちなみに記すと、世界中で○○がどうだこうだと国sが主張して他の国sを叩いているが、それらのいう○○とは、見てもいない知りもしない○○解釈・主張であって、自分たち(このばあい国s)に都合の良い利益になる架空の絵空言・空言である(それを、「捏造」どころか「捏造」の極限の『熱造』という。とんでもなく優れた痴性でもって異状・異常に熱くなって『熱造』して広めた結果、それをやった者たちがその非常識な熱でとんでもない大ヤケドをすることになり破滅する《それらの実行sが実行した主体sを『轢死』させる。それは当然『歴史』に残る。それこそが真実歴史=事実である《事実とはなにか、とか、主観と客観について、など、心脳科学・仮説によって過去にいくらか解説している》。・・・ここで、少しはなれた上記につけ加えると・・・他から与えられたよいところを全て無視して熱造を行い、なんとかの兵法で実行すると、その大ヤケドと破滅はさらに桁外れになる――質時間回帰である――・・・おまけに世界一の技術者集団を敵にまわすと、その質時間回帰はさらに激烈になる――・・・・・・以下にもそれに関連した内容を記そう・・・・・・。・・・ついでにいうと・・・なんとかの兵法・なんとかの軍事論sの内容を遂行する主体・団体も同じく当然敗れ去る。質時間のプラスの「貯え」と「消費《消費は質時間のマイナスを積み上げることになる》」を比べると、ほとんどのばあい消費が過大であるからそういうことになる・・・それに関連してわかりやすく説明すると、それは、世界中の国々の財政問題と同じである。いや、同じどころかそれより遥かに前者「なんとかの兵法・なんとかの軍事論sの内容を遂行すること」は酷い。政府sの財政sはある程度目に見える――ある程度である。見えない部分も大きい――。しかし、上に述べた質時間のマイナス関連はほとんど目に見えない上に、人間はそれを知らないし完璧に無視する。おまけに、それら双方に存在するバブル「――欲の突っ張り・感情・情動の結果生じる世界――」がそれを助長する。「・・・ついでに書くと・・・バブルで儲けた者たちはあとが○○○○・・・」。SKNKKWLMNTTHJGKOT》。その結果が、激烈な質・クオリア時間回帰である。科学的カルマによるとんでもない質時間回帰である。・・・ちなみに、老子は確か「無為自然」を説いていたはずだ? その「無為自然」は、「意図的になんやかんやを為すこと」に比べて、「質時間回帰におけるマイナス面の激しさ」を大きく和らげるといえる。「有為不自然~有為反自然」だと、あとからやってくる質時間回帰が耐えられないほど激烈になる・・・なにもかもが滅ぶほど・・・。少し前に戻って・・・そういう要素をかなりもつ。○○とはそういうものではない。事実・真実とは何かという問題だ《どこかに抽象的に既述した》。自国sのことはすべて棚に「高く」上げて、その結果質時間回帰で自国sを滅ぼすことになるのである――高ころび地獄落ち――。それについても既述している。同じくさらに、ネット上に「新ことわざシリーズ」としてかなり以前に書いた――「新・棚からボタモチ。新・タナボタ――たとえば;どの国も、自分sのことはすべて棚に高く上げて他国sばかりを叩くという、棚からボタモチ状態にある。その結果それら自分s――このばあい国家s――が質時間回帰によって高すぎる棚sから落ちてボタっと激烈な尻モチsをつく――激烈過激ボタモチ――。それらの程度によっては、それらの尻sと体sと頭sが潰れてしまう。その結果それらの国々ひいては世界は滅びる(――出だしが、「どの国も」だから単数形でいいところが多いんだが、強調のため複数形を多用した。・・・複数と単数の区別は必要だと感じるのでやっているが、そういう区別「も」めんどくさい。めんどうが臭すぎて鼻がひん曲がるとはこのことだろう・脱線JK。・・・言葉によるクオリアの世界もおもしろい・・・《少し前の部分で》いや、それくらいはめんどくさくはなく簡単イージーの部類にはいるが・・・)。いくらか前に戻って・・・そういう意味の記述とか、「The river of suns、人類全員、みんなで渡れば怖くない・・・sunsは三途である・・・もうひとつある・・・The river of suns で、The Milky Way 天の川である。そこから文言全体で・・・天に昇る――昇る天に――『昇る天に』からひらがなを取り去ると・・・(その答えは書かない)・・・」など。――それらは予想だが・・・質の対生成と対消滅、それと質時間回帰則のもとにそういう推測・予想が立つ。・・・ただし、当たらないヨソウはヨソウ、とは思うが・脱線JK・・・。さて、JKから復帰して・・・その予想の根拠はネット上に何回か記している。(・・・ここは《も》ごちゃぐちゃとなりすぎた。本論についての本質的記述と、それに伴われる世界情勢や予想、ジョークやユーモアや脱線内容などを織り交ぜている。すっきりと整理するのは先の話である。ただし、ここは眺めるだけで充分である・・・)・・・ちなみに、筆者も「自分のことは棚に上げて棚からボタモチ」にならないよう心がけているつもりだが、そこは豊かな痴性の持ち主の筆者のこと、思い至らないところが当然多くあるので、なかなかそうばかりはいかない・・・・・・注釈などが重なっているが、ついでに・・・結局、世界・人類が滅びるのは、双対性、相補性、質の対生成~質の対消滅、相打ちs、潰し合いs、による、といえるだろう。それらも質時間回帰【則】の一種にある・・・・・・ついでにちなみに:ohhhhbayは理屈だけで世界をsettokdekirgyuhjirelと思っているかのようだが(nijuukihannomoto、ittelkototoyattelkotogatigau。それはとんでもなく飛びすぎた自滅自爆見解・方針である。そこをも質時間回帰が厳しく激しく怒涛のごとく襲う。質時間回帰である・・・さて、注釈や脱線気味の話題、ジョーク・ユーモアなどを重ねていってよれよれの文章になる前にいくらか前に戻ろう・・・もう、そうなっているが(爆)・・・・・・いくらか遡って・・・それに、霊魂という言葉は、霊と魂から成っていて、それは心脳科学(仮説)で説明がつく。霊が心器で魂が意識器である。ただし、心脳科学(仮説)では、心器も意識器も脳の一領域s・部位sである可能性(唯物論で説明のつく可能性)をも見ている・・・そういうふうに、いつでもあらゆる可能性を考えるべきである――そう努める・・・。☆いくらか前にもどって・・・つまり自分とは「意識し味わう主体」である自分の「意識」であり、それ以外のすべては、痴漢可能ではなく置換可能であってどうにでもかわりうる――変わりうる、替わりうる、換わりうる、代わりうる――のである。おまけに、「心~心器」も変化する上に置き換えることができるし置き換えられる(――心脳科学(仮説)における定義の「心~心器」には意識し味わう働きがない――)。しかも、それら置換可能な要素sは、転生していくと、正反対のそれらに置き換わっていく。正反対のそれらだけではなく、どの要素sにも置き換わっていく――それぞれの要素の存在・現実・事象実態確率(――一種の頻度である――)~存在・現実・事象実態期待値(――質時間の総量である。それは質時間回帰に至る・をもたらす――)に応じて――。「自分という意識」以外は、そうやって、置き換わっていく。先に述べた要素s『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族~家系、人々(身近~遠い)との関係、自分の属している団体・組織~国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く)、などなどのすべて』がそうやって、置き換わる、あるいは変化する、そういうことになる。それが質時間回帰である。端的にいうと、それらすべての要素sは、「体験」「経験」「記憶」「才能・能力」という範疇にはいる――肉体的要素その他すべてもそこにはいる――。さらに端的にいうとそれらすべての要素sは「経験」という範疇にまとめていれることができる(もっというと、その「経験」は「心的情報~心的内容→意識内容――結局は『意識内容』」――それらをまとめて「(心・)意識における情報」といえるのであるが、そう記すとかん違いされる可能性があるので、そこまでは書かないでおこう)。つまり、多数存在する個別的な意識sのそれぞれの意識における「質時間回帰」というのは、「どの意識も(すべての意識が)あらゆるすべてのさまざまな経験をまんべんなく経験していくことである――経験におけるそれぞれの要素の存在確率~存在期待値に応じて――そこには、ある体験をしたら将来必ずその正反対の体験を同じ量体験する、今の自分とは正反対に将来必ずなる、という法則も含まれてしまう――」ということである。とにかくすべてが質時間回帰する(――ここにはある意味というか確実にというか恐ろしい内容が含まれているが、明文化しない――)。・・・そこのところをわかり易く述べてみよう・・・既にひと昔前、ブログなどにも記しているが・・・こういうシステムを考えてみよう:「すばらしき完璧な映画館――世界劇場――」である。それがどういうものであるかというと・・・その映画館で映画を観る態勢にはいると、特殊な装置によって、まず、自分の記憶すべてを、映画を観ているあいだ完全に忘れてしまうのである。自分の年齢・性別や肉体などについての記憶まで忘れてしまう。つまり、自分が何者なのか完璧にわからなくなってしまうのである。思考力までなくなってしまう。そこにあるのは自分の「純粋意識・意識の主体」だけである。で、映画が始まると、特殊な装置によって、自分が完璧にその映画の主人公(あるいは登場人物)になってしまう。記憶から思考力までその主人公(あるいは登場人物)になってしまう。そういうシステムの「すばらしき完璧な映画館」である。で、その映画は、主人公(あるいは登場人物)の一生を描いたものだとする。その映画を観ている間は、自分はその主人公なのである。で、その映画が終わって、次の別な映画に移ると――転生にあたる――、今度はその映画の主人公に自分がなってしまうのである。・・・そうやって自分の経験がずっとつづいていく。・・・まあ、いつも主人公になるわけではなく、脇役になることの方が多いわけではあるが――つまりこれは、劇的に素晴らしい人生をおくることになるのは稀である、という意味である――それが、上述「――それぞれの要素の存在・現実・事象実態確率~存在・現実・事象実態期待値に応じて――」の意味である(意味実態の中にある・そのシンボルになる)――で、そういう意味ではそうであるが、常に自分が主人公(先の「主人公」とは意味範疇がことなる)である、というのも事実~確かである――。・・・・・・転生という事象実態は、そう説明できる。・・・心脳科学(仮説)を基にすると、そういう結論に至るのである。・・・・・・☆新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き~日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。:つづく☆「研究者に研究不正をなさないことを学習するよう義務付ける」学術会議、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会、の共同声明研究不正問題:「大学や研究所など、組織の責任をも問う方針」文科省つぶやきより:特定の意味で:心器での内容(活動実態)はハイゼンベルク描像に、意識器での内容(発現実態)はシュレーディンガー描像に、それぞれ似ている。さらに、特定の意味で:両方に着目すると、それはディラック描像に似ている。☆新ことわざシリーズ:世界は、無数の質の対生成と無数の質のもつれでできている。そしてそれらは質時間回帰の流れの中にある。悠久の大宇宙無限大河 久遠の質時間回帰の限りなき流れ☆「心は世界の焦点心をとおして意識は世界を意識し味わう自分の言動をも含めて己の体験・経験をも含めてそこにあらゆるすべてがあるという立場は可能すべての心器 すべての意識器を総合すればますます決定的にそういえる」☆心脳科学(仮説)には、10ほどの仮説sが入っている。数え方によってはもっと多い。最高16以上か。それら仮説sがひとつの仮説体系に組み上げられている。ここで、心脳科学(仮説)が反証されたばあいのことを考える。そのばあいには、仮説ひとつひとつ(仮説体系ではなく)を取り上げて検証することになる。それら仮説のうち、重要度が最も高いものから、#1、#2、#3、と番号をふっていくとして、#1と#2、は、心脳の現実を説明するのにどうしても欠かせないと思える。ついで、#3、もそうだろう。本論で述べたように、それらには(も)根拠がいくつもある。根拠の上に仮説sを立てたのである。以下、検討はつづく(ここでは検証ではないが)。(重要度の低い仮説は破棄しても本論には影響はでない)そういうふうに検討していくと、それら仮説sのすべてが反証されるとは思えない。なぜなら:(根拠がいくつもある上に)それらしかないだろうと思う。ほかに在りようがない。ほかになにもない。もちろんこれは、洞察の下、感じ・直観で言っているのだが。これは非科学的姿勢にみえる。しかし、科学の歴史は、仮説の構築をはじめとして、多くが、そのようにして進展してきたわけである。さて、当然やはり、検証が待たれる。☆つぶやき:以下、クオリア・質と大きく関連する:原稿がほぼできあがっているもの(原稿)、と、構想・内容構築がほぼできあがっているもの(書き散らかし)、と、構想がほぼでき上がっているが少ししか書いてないもの、など:質の科学(科学的仮説)転生の科学・哲学(科学的仮説)世界哲学(希望、哲学)宇宙は永遠に続いていく(かどうか)(科学的仮説)論理地図(科学哲学的仮説)物理数学・数学とは何か(これは論理地図とも大きく深く関連する)世界理解の哲学(科学的仮説)歴代の哲学を採点する(心脳科学・仮説にもとづいて)運命のノート(遊び? 現実? (=仮説という意味))定義と名づけ方から見える展望そのほか以上の中には、それらのうち複数を統合した方がよい内容をもつタイトルもある。☆心脳科学(仮説)(それが正しいとして)の立場で、哲学的問題や科学上の問題、その他などにおいて、多くの設問を立て、それに解答することができる。それらは、心脳科学(仮説)の理解度テストともなる。心脳科学(仮説=仮説sの体系)には、10ほどの仮説が入っているので(数え方による。最大16以上か。重要度の低い仮説は破棄しても本論に影響はない)、そこでは、その仮説たちのどれどれを用いての解答かをも併せて問うと効果的である。(筆者がそれらの解答をだしている設問もあるし、その途上にある項もあるし、まだ答えをだしていないものもある。まだ手がけていない項目もある。しかし、当然解答はでてくる)☆前回の分(「意識とクオリアの外側」)にさらに加筆があります。つぶやきから:心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(超弦理論をそういうふうに構築できそうである)。(私は、超弦理論を、私の研究に必要な程度学んだ)そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となる)。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考え記述するのも、心脳である。そこらのところも解説・・・(以下略)・・・↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)こういうことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところも解説できる。↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。つぶやきから:1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」4:(ここまでは哲学であり、私はそれが好きだ)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、私はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。つぶやき:相対論での空間について、遊びで少し言及した個所に加筆:「虚空間・素空間」と筆者が表現した空間は相対論では否定。○心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学◯1年以上前に公表した心脳科学(仮説)の初版には、一切手をいれないで、ネット上公表サイトにそのまま置いている。もちろん私のPCの中でもそうである。PC上では、原稿を書いていくたびに新しいファイルとして記録してきている。前回の分に加筆があったので、載せます。つぶやきより:有加筆:この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている)つづき:推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)。。仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。世界情勢がますます緊迫化してきているように見えます。金融や経済を含めてそうでしょう。今までもそういった方面は大変だったともいえますが、この先はさらに困った事態に至りそうです。さて、そろそろ、心脳科学(仮説)の全体像をここに載せたいと思いますが、その前に:つぶやきより:推測による「脳における情報構造」からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。リベットの実験事実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する。世界人さて、ここの皆さまが、学問研究などにおける慣行と常識や法律などに従って、「優先権を保護する―つまり最初の発案・独創者を尊重する」―のであれば、私はとっくにここに「心脳科学(仮説)」をエントリーしていたことでしょう。既に一年以上前、「心脳科学(仮説)」を公表しているし、それ以前にも私はネット上に、それに関係した内容でかなりつっこんだことを書いています。しかし、世界の風潮をみるに、警戒してここには詳細を書かなかった。今や、研究不正をなすと後がとんでもなく大変なことになるという常識が社会一般に浸透してきたし(ここの部分は、かの細胞についての実験事実・成果はなかったといってはいない)、文科省も研究不正はあばいた上で罰する方針を表明し実行に移す途上にあるので、そろそろ「心脳科学(仮説)」をここに載せたいと思っていますが、なんというかかんというか、はっきり書きたくはありませんが、書かないわけにいかず、こう書くしかないわけで、可能性のある新しいなにかの誕生を妨害することだけは断じて避けなくてはならない。そんなことをするのは卑怯・卑劣そのものにほかならず、その人自身を汚すことになる(あとが大変だろう。それはクオリア・質時間回帰の一種でもある)。それよりも自分の説をぶつけるのが正道でしょう。ともかく、自分の論を展開できない人はコメントしない方がいいでしょう。好意的であればそこは問題はありませんが(ここに参加すると、健康を害するという代償を支払わねばならないというのは、断じてあってはならないことだ。それは傷害罪を犯したこととなる)。さて、とはいえ、「心脳科学(仮説)」は可能性を秘めた仮説体系であり、検証が必要です。反証されたらSFということになるでしょうが、その一部分は生き残るかもしれません。世界情勢などをみていると、いろんな意味で早くここにエントリーしなくては、と思います。茂木さんは、クオリアマニフェストを『高らか』に謳いあげ、『知的に誠実な』研究者の参加を激烈に呼びかけて、ここを開設したのですから、そこらのところの充分な配慮が必要でしょう。いずれにせよ、ここは有益で大変ありがたいサイトです。クオリア・質研究関係のつぶやきよりI have been translating the summary of the"mind-consciousness-brain science(hypothesises-system)"in japanish into engleeeese one.The translation can not be done without my explanations because it includes new concepts which did not exist before.So,I continue doing it by myself.クオリア・質時間回帰:8月16日現在:世界情勢がさらに緊迫化してきています。それもこのスレの趣旨の中にあり、クオリア・質時間回帰で説明がつくでしょう。さて、心脳科学(心・意識・脳を総合した科学)の翻訳は進んでいます。「クオリア・経験の質」関連のつぶやきから:I think so,and it makes me crazy.The past contribution of you that was about logic was interesting.心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。引用元を明記すれば、引用できるわけです。☆このスレのトップ(再掲):私は40年前後前からさまざまな研究を断続的に独自にやってきているのですが、一番世に問いたいのが「質の科学(仮説)~世界哲学」です。それが今現在の世界に必要な科学というか思想・哲学なのかもしれません。そう遠くないshourai sekai ha kaimetu ni mukaisou(それは、質の科学~質時間回帰則と、その他いくつかの立場からの予想)ですから。そうなるかどうか断定はできませんが。もうそんなことどうでもいいとも思いますがね。「心脳科学(仮説)」はその一部です。☆このスレの最初に書いたように、世界情勢がさまざまに深刻化してきています(クオリア・質時間回帰だとみなしているわけですが)。その先、世界の状況がどうなっていくか注視に値します。生活環境がよく保たれた上での、研究だということはいうまでもありません。できるだけ早く心脳科学(仮説)の概要を英訳し公表してからここで講義を始めるということで、翻訳に努めていますが、まだその途上にあります。ここでの心脳科学(仮説)講義はその後になります。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。つぶやきから:加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。つづき:その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。「意識内容そのものに知性が介入できる」という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。ツイッターのクラウド的利用、心脳科学(仮説)で、一元論も二元論も統合できる。心脳科学(仮説)で、唯心論も唯物論も統合できる。学問についていっても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところもすっきりと把握できるだろう。離れた訂正:科学哲学→科学による哲学(科学的哲学)心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。不可知論にもいろんな立場がある。ぼくが以前ネット上で用いた、不可知論の領域、という用語は、単に、知ることが難しい領域、という意味で用いたので、不可知領域とした方がすっきりするが、まちがいではない。質時間回帰はつづいていく呪われた星、地球、SF:Spesial FactSF:Shocking FactSF:Sciense Factカオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、ぼくがネット上などに書いた立場は、それを超えた(越えた)それになる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。つぶやきから:これも当然→研究不正がネット上で指摘された件も調査対象:ネットで指摘された研究不正をも調査することを大学や研究機関に求める方針が文科省で始動した。罰則付き。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。#3「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」について「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」と以前書いたことに関連してつぎのエントリーを載せておきます。さて、今までに何度も何度も現実に起きたことからいって、「他人の考え(アイディア)」を、引用表記をせずに用いると、後が大変なことになる、ということは常識ですな。その代表的な件として、以下でそれが確認できる。論文(研究についての発表を目指した記述体系)において、「研究不正」として糾弾されるものとしていろいろあるが、ここでは、その視座からこれに着目する。「研究不正」に該当するもの(その一部):「盗用」=「他人の考え(アイディア)、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること」(この「盗用」については、今、世間の話題になっている、あの細胞に関わる研究論文に関してのやりとりの一環として、提出された不服申立書から抽出引用した。(「(アイディア)」は私の加筆である))そういった観点からいって、人は常識的かつ普通に(これには、後で大変な事態にならないやり方・在り方で、という意味を多く含むが、それ以上の説明は難しい)行為・言動するのが最善である、ということになりますな。(この小文は、「その細胞に関わる実験事実・結果はない。それは不正だ」、といっているわけではない)加筆:心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。加筆:さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。To be honest,or not to be honest:that is the question.Check out all my description on the Web.Check out all and all descriptions on the Web and others.世界人☆「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded☆Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.☆茂木さんのクオリア・マニフェストに「7、アジテーション」、という項目があります。つまり、クオリアMLはストレス解消の場なんかではなくて、研究の場でありクオリア問題を研究する人たちが集うところ、ということははっきりしてますな。クオリア・マニフェストから、ぼくはここにたどり着いたわけだから。ぼくも、クオリア・マニフェスト「7、アジテーション」、に触発され煽られて参加したわけです。以下引用:「7、アジテーションThe Qualia Manifesto 革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。 人間とは何か、人間はどこから来てどこへ行くのか? このような究極の問いに答えるための鍵となるステップが今や見えてきている。 人間とは何かという問いに答える鍵は、私たちの心の中のクオリア、及びそれを支える主観性の構造の物質的基礎を明らかにすることである。 クオリアや主観性の起源を明らかにすること以上に重要な知的チャレンジは存在しない。 私たちがクオリアや主観性の起源を理解した時、その認識が私たちの人間観、世界観をどのように変えるかはわからない。来るべき認識革命の後で私たちの迎える状況がどのようなものになるにしろ、その可能性が今や開かれていること、そして、認識革命に至る道筋は論理的な議論とち密な思考と知的な勇気によって開かれうることを再確認しておこう。 クオリアの問題の解明には、論理的厳密性、開かれた感性、そして、今までにない思考のプロセスに踏み出す、知的勇気が必要である。 クオリアの問題の解明は、一個人では不可能である。自然科学者、数学者、芸術家、宗教家、心理学者、社会学者、全ての分野の優れた知性が共同し、総合的文化運動を起こさなければ、クオリアという人間の存在にとって核心的な概念の解明は可能にならない。 今や、勇気あるステップを踏み出す時機が熟している。 知的に誠実であり勇気を持つ者達よ、「クオリア」の解明のために団結せよ! 」:以上、引用世界人