180617:加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学
筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。(――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす――――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日・今加筆中の#3は、#882である)筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。☆毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・さて、今回は・・・1月13日の分が膨大じゃったので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・☆グチを一言・・・読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。・・・つひでに・・・筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす。それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。(・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・――「オボシメシ」とは、新種のウメボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――;・・・ついでに・・・「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている、と思う。「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てくるが――)☆☆☆加筆用:・・・以下、ここの短いセクションには、2015年8/23記の分に加筆――8月24日~昨日(2015/8/22)夜、「分子は振動遷移によって、赤外線を発する」、といった内容をもつ文献を確認した。しかもそのスペクトルは非常に複雑であるということもわかった。つまり、タンパク質などの分子は、複数の量子s(赤外線s)を受信(吸収)・発信(放出)できるということである。しかも、分子といっても、タンパク質には非常な高分子が多いので、その分その発受信のスペクトルはより複雑になる。そこのスペクトルにおいては、ラマン散乱も関わっているだろう。ラマン散乱では、元の量子(光子)の周波数より低い周波数と高い周波数の量子(光子)(s)が発生する――後者だけをとれば一時的にエントロピーが低下しているように見える――。ラマン散乱でのスペクトルにおいては、その原理――基底状態と励起状態の差――に別な要素が加わる――つまりよりエネルギー状態が高い中間状態の存在があるということである。・・・その中間状態事象を発生させる実態とはなにか――。(・・・参考:「理活」の中には、人間性の論理なども入っているだろう)(・・・思いつき:プリオンはタンパク質である。プリオンは生体に有害な情報スペクトルを発信(発受信)するのかもしれない。その情報スペクトルが、脳を構成するタンパク質sなどを壊す――毒のように――と・・・)(・・・ちなみに、ラマン散乱の「ラマン」さんはインド人です。:彼は取り乱す《散乱する》ことはありません・・・ついでのJK・・・)。さて、上述3つのカッコsから離れてその直前に遡って・・・それ「中間状態」は、ふたつ(~複数)の入力(入力というのは情報の観点からの独自の表現であり、受振・受容・吸収、のことである)を足し合わせてそれらより周波数の高い光子を出力(発振・放出である)できる。そこにもなんらかの論理がある。さて、ラマン散乱・スペクトルとは関係はないが、ひとつの入力から、それより周波数の低い光子を放つこと、そこにもなんらかの論理を見いだすことができる――これは以前記した特定の内容とはくいちがうが、こちらの方が新しい推測である――。(・・・付記:かなり同時多発的につぎつぎと出てくることのあるアイディアsを忘れないうちに書き留めている。さっさと書かないと忘れてしまう《忘れるケースと忘れないケースがある》。よって筆者が書いた文章は非常に読みにくい。整理・清書するのは先の作業である→少し整理した・・・)。さて、ここでは「分子は振動遷移によって、赤外線(量子)を発する」という点に着目している――複数しかも多数の赤外線量子sを・・・それらひとつひとつはそれぞれが情報スペクトル要素にもなる(情報スペクトル要素をもっている)。それらがまとまると、心的内容小規模情報スペクトル・起源情報スペクトル《注:後述しているが、それはここに書く以前に書いた》になる・・・ということは今まで述べてきたように、そこ「ひとつの情報や情報スペクトル要素から、複数の情報sや情報スペクトル的な情報sが発生すること」に論理(や意味内容)がある、ということである――その「意味内容」について言えば、「心的内容小規模情報スペクトル・起源情報スペクトル」自体が意味内容――心的意味内容――をもっている、と言える。それは、直近上述「そこに論理(や意味内容)がある」とは異なる――この「(や意味内容)」は論理を担う側面について言及しているのである――誤解を招きそうなので、「(や意味内容)」は省いた方がよさそうだ――いや、「論理にかかわる意味内容」と「心的意味内容」を区別する方がよさそうだ――。で、受けるエネルギー(情報)が単数だとそこにはなんの論理もない――とまずは考えたが・訂正:そこにも論理はある。別なところに書いた――。なにかのエネルギー(情報としてはひとつ)を受けて、複数の信号をだす。そこにも意味ある論理・機能がある。・・・結論として「分子は振動遷移によって、赤外線を発する」というところにも論理・機能がある、ということである――入力が単数であれ複数であれ――。・・・参考:イオン化関係による量子放出(紫外線あたり)、スピン(電子だろう?)による量子放出(電磁波の特定の領域)、もある。・・・注:タンパク質の中に、糖タンパク質、リポタンパク質、などをも含める。・・・注:たとえば赤外線領域を考えるとして、理論上は別として現実に分子sが1Hz違いのすべての周波数の赤外線を発することができるのかどうか、についてはまだ確認していない――確認といっても、理論的な面と実証的な面があるが――(たぶんできないのではないか)――。・・・注:既に何度も述べたが、心的内容情報スペクトル要素~心的内容情報スペクトル・ν~νsはディジタルで、経時変化波動モード心的内容h(t)はアナログ(超ミクロには見ず、意識内容として考えるとする――超ミクロに見ればディジタルとして扱えるだろうが――)、とみなすことができる。・・・参考:シアノバクテリアは、光合成をなす。その機序・機構は本論にある仮説s――仮説sの中のいくつか――に重なるところがある。それは・・・葉緑素~葉緑体が光合成をなすにあたって、葉緑素が感応反応する周波数より高い周波数の光については、まずタンパク質がそれを受け、より周波数の低い光を次の別種のタンパク質に送り(受振と発振と受振)、そういった事象を何回かおこない、葉緑素が感応反応する周波数の光にして葉緑素に送り込む。そこで葉緑体が光合成をおこなう。そういう機構・機序になっている。――そこでは、γ線ででも光合成ができるのだろうか? そのばあい、タンパク質の中かその他のどれかの原子の原子核がγ線を受け励起状態になって、それから、その原子核がより低い周波数の量子を発し、それを別な原子の原子核が受けて~~~・・・以下、先に述べたタンパク質の系が受振できるところにまで進行して、そのタンパク質の系の反応事象にもちこまれる、ということになるだろう・・・果たしてそういう反応事象実態があるのかどうか? 確認したいものだ――・・・仮説である「生命エネルギー」もそこらと関係があるケースがあるかもしれない・・・――。(参考:――原子核が余剰なエネルギーをもっていて、それを放出すると、γ線などとしてでていく。そのばあい、原子核がその放出によって、後退すると、そのγ線の周波数はより低くなる。その放出されたγ線を近傍にある原子核が吸収して、そこからさらに低い周波数のγ線を放出するケース(可能性)もあるだろう。それが繰り返されていくと、ついには、その量子が、原子や分子における電子遷移~分子振動(遷移)~分子回転(遷移)などとして吸収され、そこから、紫外線~可視光~赤外線~電磁波などを放出するようになるケース(可能性)もあるかもしれない――)(・・・その逆――吸収した量子を、より高い周波数の量子として放出すること――があるのかどうかまでは知らない。先のラマン散乱そのほかから言ってありうるが・・・)――上記ふたつのカッコsからでて・・・まさにそれは本論における仮説sのいくつかに重なっているではないか。・・・・・・筆者はそれを知って感激した・・・・・・・・・参考・・・:目の不自由な人が洞窟に入ったとたん、怖がる、という実例があるそうだ。それは赤外線の変化――少なくなる――によるのではないか。そうだとすると、「怖がる」、のだから、「ひんやりとなった、冷えた」、という問題ではないのではないか、という感想がでてくる。そこでも、赤外線がなんらかに働いているのではないか――つまり、情報物質との関連でそこには何かがあるのではないか・・・ただ、そこでは目の見える人はどうなのか、という問いがでてくる。そういう人は目をつむってそれをやってみればいい、という結論になる・・・ただし、長年そういう状態なので――目の不自由な人とそうでない人との差異を言っている――必ずしもそのやり方で正しい結論がでるとは限らないが・・・――・・・「参考」や「注」から戻って・・・さて、さらに、分子の回転遷移においては、マイクロ波・電磁波を放つ(放出)・受ける(吸収)、ことができる。つまり「可能性として」それらを脳の中で交信に用いることはできる、ということである。しかし、脳の中で固定的分子は回転できないはずである。よって、その活用はないだろう。しかし、脳の中の体液中(含血液)にある遊離した分子は回転することができるだろう。しかし、液体による抵抗が大きいということがあるので、まずはその利用はなさそうである。・・・その抵抗による減衰分は熱エネルギーになる、とまずは考えられる。(――たぶん、熱エネルギーも量子だろう――)(――ついでに、重力エネルギーの元も運動エネルギーの元も量子であり同じものだろう。そうでないとつじつまがあわない――どこかに書いた・・・――)。・・・ここは譲歩して、その活用があるかどうかは、計測しなくてはわからない、としておこう・・・。ちなみに・・・(原子における)電子遷移のばあいは、可視光、紫外線、を放出・受容(吸収)することができる(赤外線も)。で、筆者の推測としては・・・分子においては普通は電子遷移は起こさないのではないか? と考える。そこで電子遷移を起こすとすれば、分子が結合形態を変えた(る)ばあいだけだろう? 遊離した単独原子イオンのばあいは、電子遷移を起こせそうだ? 。体液中にある、そういった遊離した単独原子イオンは情報スペクトル要素を発受信(振)できる?その可視光なり紫外線(紫外線が体内で利用されているとはとても思えない。可視光はともかく、紫外線のもつエネルギーは可視光や赤外線より大きいので、体内のさまざまに対する破壊力をもつ・・・しかし一応可能性の中にある内容として以上これをも書いておこう・・・)からエネルギーを受けた分子が、それによって、それまで保持していた分子振動(あるいは分子回転)の周波数(振動数)を変え、それによって、赤外線を発振する、ということは原理的になさそうだ? (後日加筆・・・ラマン散乱によって、それはありうる。より高い周波数の量子の発生もありうる・・・ラマン散乱が発見された当時、それは驚きをもって迎えられたそうだ)。さて、脳内で、可視光なり紫外線が飛び交っていないのなら、現実としてはそう言えるだろう。そのばあい、そういう活用もないだろう、ということになる。 しかし一応、可能性としてはあるだろうということにしておこう。で、計測するとそこらのところがわかる・確認できる。・・・さて、以上の推測から外に出てつづけよう・・・分子振動遷移における、放出・受容(吸収)時の赤外線の周波数は、「分子振動の周波数である」という記述内容が、先に述べたその文献にあった(簡単明瞭でわかりやすい)。それでいて「分子は多くの周波数の異なる赤外線」=「量子物理学レベルのスペクトル(心脳科学・仮説レベルのスペクトル系とは次元も内容も異なる)」を発振・受振できる。ということは、ひとつの分子の内部の場所・個所sによって、振動数(周波数)が異なる、ということになる(それは推測であったが、その後そのとおりであると、ある文献によって確認した)。それは脳内で、交信手段――発受信しての――として活用可能だろう(これも可能性を述べている)。それに関して、実際に計測することが求められる。それも今後の研究課題である。ところで、先に述べた「分子回転遷移におけるマイクロ波・電磁波の放出・受容(吸収)」も同じく、その回転の周波数をもつ(――これも非常にわかりやすい――)。で、遊離分子がそれを脳内で交信手段として活用している可能性は? ・・・どんなもんだろう。それも、理論によって推測することと、実際に計測することが求められる。それも今後の研究課題である。そこらにある「論理(論理は駆動力となる。たとえば人間の行動を駆り立てる何かもその範疇にはいる・・・その範疇にはいらないなにかもあるだろうが・・・定義と名づけ方の問題がそこにもある。・・・さらに、自然界の法則も駆動力の一種をもつ)」をも追究していこう。ここらも極めておもしろい――興味深い――。(・・・論理のない領域という存在はあるのだろうか・・・あるだろう。既述している・・・)・・・参考・with言葉の質・クオリア研究:直近上で、「おもしろい」という表現を用いたが、それは二重性というか正確性のなさをもっている。使い方によっては困った事態を招きうる・・・「同情すべき対象を弄んでいる」、「言ってる奴は高い立場に立っておもしろがっている、悲しんだり同情したりすべきところなのにそういう面は見ていない」、などと(ネット上にもそれは多い。笑いの「w」を付すことについても同じ実態が生じるケースがある、ということがいえる。ここも極力留意したいところである。痴性の持ち主の筆者もそこにも慎重に気をつけているつもりではあるが・・・なかなか・・・)。それも双対性の中に納まるのだろう? しかも、それも心的内容・クオリアの領域に属する。質の対生成と対消滅、それと質・クオリア時間回帰である。こういう分析をすること自体、以上と類似した咎を受けることになりそうだが、そういう「人間の尊厳」を尊重していくために必要だということで、できるだけ謙虚に進むよう心がけます・・・。(それとは別次元で、なにごとにおいても「質時間回帰する」という実態もある):以上、参考・・・さて、以上、脳~心脳における、交信のための量子とその現実的可能性、そこにある論理・機能などのありなし、などについて検討してきた。で、さらに、脳~心脳の中で、赤外線が情報内容をもつ交信に用いられているかどうか検証するための方法を新たに考えてみよう・・・過去にも種々さまざま述べたが・・・。まず、第一に、脳内で赤外線が飛び交っているのは紛れもない事実である。受信情報物質sがすぐ近くにあるだろうから飛距離は短そうだが・・・ただし、量子論によると、遮る障壁があっても、かなり離れた地点との間でもそのやりとりができるケースがあるかもしれない、とも理解できそうだが・・・。(・・・ここで、上述に少し関係のある思いつきを記そう・・・高温超伝導の原理はまだ解明されていないようだが、たとえば、該当する温度で発受振される電磁波《赤外線をも含めて》が電流――自由電子の流れ――の実態の代替をなしている、という可能性も考えられる。そのばあい、外部に赤外線(エネルギー)などは漏れずロスがない実態も可能だろう・・・さてここれはどんなもんだろう? ・・・)。少し前に戻って・・・しかも、特にタイプ(同じ範疇にあるが種類というか構造か何かが異なるという意味実態の中で)が非常に多くあるタンパク質(ここでは集合名詞で不可算として単数)はそれぞれのタイプごとに異なる複雑なスペクトルをもった赤外線の一団(クラスター。つながり・関係のある一群)を発受信している・・・これも事実である・・・ただしそれに関しても未だ非確認で未知の部分がある・・・。脳内で、タンパク質以外で赤外線を発受振する物質的素子sは、いくらか例外があるだろうが、ひとつの素子についていえば単一赤外線一本を発受振する・・・その例外については未確認だが、ある程度以上複雑な分子についていえば、ひとつの分子が複数の異なる周波数の赤外線を発受振するだろう・・・。そこにある論理については、研究途上にあるとした上である程度既に述べた。で、ここではタンパク質と赤外線に着目して、ここでのテーマ「脳内で赤外線を交信に用いているかどうか」を検証すること、に必要な内容を記すと・・・1)脳内で、タンパク質同士が赤外線(めんどうなので集合名詞として不可算としよう)で交信する(配線なし、つまりニューラルネットワークとは関係なく交信する。それは無線交信)。そこでは、ひとつの周波数の赤外線をも、それと共振する部分をもったタンパク質は吸収しうる。複数の周波数の赤外線を吸収したばあいと、それの違いはどうなるか。そこらからひとつの論が展開できる・・・2)タンパク質と心器が赤外線(心的内容情報スペクトル要素~起源スペクトル)で交信する。3)心器から意識器へ赤外線(心的内容情報スペクトル)が送り込まれる。さて、先に進もう・・・A:「1)」においては、赤外線s(ここでは非集合名詞で可算としよう。個々に着目するので複数――めんどくさいが――)のもつ熱エネルギーの個々ならびに総計の消滅はない(――ここらでは、単数、複数、の用い方が複雑だ。同じところのひとつの単語に、単数と複数両方をあてなくてはならない対象sがある。つまり、そこではふたつのレベルの記述がある、ということだ。そういうところでは複数形にしておこう――)。B:「2)」では、脳内のたんぱく質sから心器に赤外線sが行けば、それは赤外線sの消滅――原因不明の――に見えるだろう(たぶん)。一方、心器から脳に赤外線sがやってくれば、それは「でどころ」不明で、突然に赤外線sが脳内に発生した、ということになる。その両者を総計すると、脳内で、原因不明で赤外線(s)が消滅した、ということになるだろう――もちろん、脳が活動していると、脳内で赤外線sが発生するのであるから、その中の「心器に行かなかった分」を差し引いて、という条件のもとでのことをここでは言っている(しかしその条件のもとでも、ごく稀には、赤外線sが発生した、というケースがあるかもしれない)。C:「3)」においては、原因がわからずに、脳内で赤外線(s)が消えた、ということになるだろう――これは、「2)」と「B」を考え合わせた上での推測である――。そういうことで、その検証のひとつの在り方として、まずは、脳内で赤外線(s)が、「原因不明で発生する」、「原因不明で消滅する」、そういった実態を計測する、ということがある(それを計測できるのだろうか? )。で、その両者を総計すると、最終的に意識器に赤外線sが送り込まれ、原因不明でそれら赤外線sが消滅することになるはずである・・・心器においてもそれはあるだろう。心器からは赤外線がでてもくる――「でてもくる」という記述はちょっと変な感じだが、はいることもあるしでることもあるという意味だ――・・・。・・・以下これはここまでの記述と次元が異なるが・・・「出」という漢字のカンジがよくないので、できるだけ使いたくない〈笑〉。あと、「付」も筆者にとって同じくそうだ。・・・ついでに・・・「入る」は「はいる」とも「いる」とも読めるのであまり使いたくない――・・・これも日本語のクオリアと筆者の心脳の研究の一端である――と締めておこう――・・・。そこから、脳内における熱エネルギーの消失を計測&計算できれば、その確認検証がなされたことになるだろう? (――意識器でその意識内容が意識し味わわれたあと、その熱エネルギーが脳に戻るなら、そうとはいえないが――)。・・・赤外線s自体の消失や原因不明の発生を直接検出・観測できれば、それが一番の決め手になるだろうがそれは難しそうだ・・・。(参考:――原子核が余剰なエネルギーをもっていて、それを放出すると、γ線などとしてでていく。そのばあい、原子核がその放出によって後退すると、「それ以降放出される」(その)γ線の周波数はより低くなる(後から読み返してみて、ここの意味がわからない・・・文献を読んで理解して書いたはずなんだが・・・そのうちに検討しよう・・・・・・さらに読み返してみて「それ以降放出される」を加筆した。(その)は削除対象。それでいいのではないか? それでもここは、この先検討しよう・・・)。その放出されたγ線を近傍にある原子核が吸収して、そこからさらに低い周波数のγ線を放出するケース(可能性)もあるだろう。それが繰り返されていくと、ついには、その量子(このばあいγ線など)が、原子や分子における電子遷移~分子振動(遷移)~分子回転(遷移)などとして吸収され、そこから、紫外線~可視光~赤外線~電磁波などを放出するようになるケース(可能性)もあるかもしれない・・・つまりγ線がそれより振動数の低い量子に変換されていく可能性をここでは述べている・・・――)・・・上述のカッコからでて・・・ここで、その検証課題検証についての方法論を要約すると:「脳内で発生した赤外線sのもつエネルギーの総和と、原因不明で消滅した赤外線sのエネルギー総和の差が計測できれば、一応結論はでる。そこにはばあい分けが必要であるが」ということになる。・・・そこでは、エネルギー保存則が破れているように見えるだろう。そこでは見えない空間~場を考慮にいれなくてはならない・・・・・・そういった実態は、場の量子論などの世界であると言えるが、このばあいは、相互作用による消滅や生成ではなく、異なる場への(エネルギーの)移行である・・・ところで、エネルギーについてはそうであるが、そこにあった情報(内容)についてはどうなるか? 量子物理学では、なんらかの情報――どんな情報も? 特定の範疇にある情報だけ? ――は決して消滅しない、となっている? ・・・観測によって波動関数の実態が収縮崩壊しない限り? 崩壊したら量子情報は消滅して途切れる。そこをなにかが引き継ぐ? ・・・。・・・量子情報についての勉強不足・・・たぶん、そういった情報はなんらかの量子状態sによって保持されており、その量子状態sが変化しても、元の量子状態sは再現できる《計算的に、を含めて》、といったようなことだろうか? ・・・。・・・勉強不足・・・(それは量子もつれだけについてのことなのか? )。・・・勉強不足と書いたが、すでにある理論を学んでもここでの研究対象における解答があるわけではない。つまり勉強と研究不足ということである。・・・そういうたちばに立ってそこらのところをもっとよく考えてみよう・・・・・・以下、まず、「量子・・・ミクロの対象における粒子性と波動性の両方に着目する。粒子・・・その中で粒子性に着目する――内部構造をもたない素粒子、内部構造をもつ基本粒子がある。・・・そういう意味で、素粒子と量子がある。で、その他の基本粒子sについての定義や記述は文献sによって異なる。そこで、ここでは筆者が『これがいい』と思うとおりに書いた・・・以下以外における記述でも同じ注釈がつく・・・」という説明をなそう・・・・・・で、それぞれは、抽象名詞あるいは集合名詞であって数えられない対象であるとしよう。よって、単数形で用いる・・・でないと悩ましく煩わしい・その対象sがいくつもでてくると、複雑に絡み合ったそれらの間の関係で、単数と複数両方になるケースがあるのでそういうことになる・・・さて、量子物理学(量子力学、場の量子論。ここでは主に量子力学)においては、対象――量子・粒子――内部構造をもたない素粒子(今のところそうだとされているが、そのうち内部構造が見いだされるかもしれない)、内部構造をもつ基本粒子――や、複数のそれらが成す系――の量子状態(波動性、粒子性、位置と運動量《あるいは時間とエネルギー》、量子もつれなど)を量子論的に記述する。(――シュレーディンガーは初め、電子などを波動で記述しようとして――ド・ブロイの物質波を参考にして――洞察力と類推のもといろいろな物理概念s~数式sを合成して方程式を考えだした《・・・発見したというべきか?》。しかし、そこからは実体・実態でなく量子論における抽象的な確率しかでてこなかった。シュレーディンガーはそれを嫌った。確率ではなく実体~実態を彼は記述したかったのだった――)。その記述内容(の実態? その実態とはどういう現実上の事象なのかわかってないが)を量子情報と呼べるだろう。で、その記述内容・量子情報は、決定論内で『ユニタリ性を保って――確率・量子物理学的確率(規格化されている)の総和は1であることを保って(確率の総計を1《100パーセント》とするのは合理的で当然である――100パーセントになる対象を100パーセントにするのは当然であるといえる。そこにおいて確率1つまり100パーセントの成立がならないとすれば、そういったあるレベルにおいても、自由意思・意志があるということになる――自由意思・意志がそれを変化させる権限・能力をもつ、ということである――それは自由意思・意志が働くので保存則のようなものが成りたたないということでもある――。・・・自由意思・意志が存在すると、保存則~対称性のような何かも壊れるということだろう・・・ここももの凄い・・・自由意思・意志の勝利だ――)』経時変化する。したがって、「そういう意味」では、過去から未来まで、記述できており、その情報は、過去の分は復元でき、未来の分は今見ることができる、と量子物理学は主張するだろう? (・・・それはもちろん量子論的確率を含めた上でのことである・・・量子論的確率が存在するから非決定論になるという立場はもちろん強力である。さらにこの世界には物理数学で記述できない領域が大きく広がっている――これは仮説とはいえない・実態であるが、ここでは一応仮説としておこう――)。しかし、その記述である波動関数の実態(それは現実か? 量子力学的確率の実態とは何か? ・・・一方、心脳科学・仮説におけるエネルギー波動モード意識内容h(t)は、エネルギーの実態であるが――)から、何者かが量子情報を読み取ろうとして読み取る(観測する、計測する。あるいはそこに確実に働くノイズが加わる? ――この後者には人間や心・意識はかかわっていないが――ここの研究も必要だ――)とその瞬間、その波動関数の実態が崩壊・収縮し(それは「現実なる」実態だろうか?)、その実態情報は量子論的確率に従った内容しかでてこない(今までのところこれは現実だ)。ここは決定論内にはない(と多くの科学者たちが主張している)。(・・・ある意味、非決定論はそのままだが、最近の研究による「流動状態にある結論」ではそう単純ではなくなってきているようだ《ここに「流動状態にある結論(波動状態における結論)」と記したが、そういった科学的な研究による結論も相補性・不確定性によってゆらいで結論がでる、といったようなことはないだろうか、前とは異なる結論がでる、など、と。・・・そうなるといったいどういうことになるんだろう。自然科学による結論の中には確率的に処理しないといけないもの・領域・対象がある、ということになるのだろうか・・・これは量子論的確率とは別な意味での、いいかげんなアイディアである》――)。・・・ちなみに、そこ「量子力学(量子論)における不確定性」にアインシュタインは噛みついたわけである「神はサイコロを振らない」と。そして、EPRパラドックス設問を提示した。そこらのところについては、何度か既述している。(さらにちなみに・・・同じ意味で不確定性原理を認めないアインシュタインの「アインシュタインの光の箱」設問に対しては、ボーアが皮肉なことに一般相対論を適用して退けてしまった)。・・・さらに、心脳科学・仮説、によって、それらの解決「パラドックスの解消」がもたらされそうだ、というところまで既に論じて記している・・・・・・参考・・・いまだ未解決のEPRパラドックス問題解決: 心脳科学(仮説)による、「意識のそとには、時間も空間もない」、という解釈で説明がつく。心器における情報には時間も空間もない――分解された形態で扱われている――。意識器で、h(t)展開されて初めて時間も空間もあらわれる。つまり・・・ボーアなどコペンハーゲン派の主張「時空は非局所性をもつ。光速より速い伝達がある」、アインシュタインの主張「光速より速いものはない。時空は局所性で成立している」、その両者とも正しい、という結論を心脳科学(仮説)から導きだせる(コペンハーゲン派の論が優勢だが、両者とも物理学的には正しく、そのパラドックス問題について、まだ決定的な結論はでていないだろう)。――そのことは、心脳科学(仮説)の正しさを裏づけている、ともいえるだろう。・・・さて、そういう決定論内にある情報と、量子論的確率内でしか知りえない情報――先にも述べたとおり、それは非決定論内にあると多くの科学者たちはいう――がある。――アインシュタインたちは、それは隠れたパラメータを見つけだしていないだけであり、決定論内にあるはずだと主張する・・・そこをどう解釈するか(当然、事実・現実の実態どおりに解釈することを目指す)。まず、一旦、波動関数実態を崩壊収縮させて(観測・計測して)、量子論的確率に従った対象の実態情報(現実)を得たとしてみよう。1)その対象が、最も単純なばあい:その対象の位置情報を知った、その対象の運動量を知った。あるいは、その対象の存在している時刻を知った、その対象のもつエネルギーの値を知った。参考:不確定性が生じるのは純粋状態においてである。「純粋状態」=「量子力学的重ね合わせの原理が厳密に成りたつ状態」、において、不確定性が生じる。それ以外ではそうではないだろう? たぶん (要確認)(加筆)2)その対象が複雑なばあい:ふたつの対象sが量子もつれにあるという対象のばあい:片方の特定の量子物理的性質(電子であればスピン)が計測されると、もう片方は、その反の性質のそれであることが確定する。(2値情報。ビット情報)(加筆)量子sが多数まとまって非常に複雑な対象となっているばあい:ビット情報の複合? そこにおいても、それが「純粋状態」であれば、常識外の事象が発生するだろう。参考:「純粋状態」=「量子力学的重ね合わせの原理が厳密に成りたつ状態」(加筆)さて、一旦波動関数の実態が崩壊収縮したら、波動関数の実態がもつその量子情報は「消失する?」「途切れる?」(――ここはどう表現・記述すべきか? ――)として、なにかがそれら(波動関数の実態と、でてきた結果なる情報、のふたつが考えられる)を引き継ぐということはないか? そこからの展開はどうなるか? そこに、決定論からはずれる要素が? あるか? ・・・その量子論内の確率の仕組みはまだわかっていないわけだが、そこを無視すると・・・それは普通にはあるとみなせそうだが・・・(――ここからすっきりしない記述になる――)・・・とは言えしかし、その確率に従って起こった「波動関数の実態の崩壊収縮」は、同じ事象内での次以降の確率に影響するわけだが・・・・・・そこはこんな感じだろうか・・・宇宙の本体(本源)――それは、心器がそこからデジタル情報を得る世界である(ほかのところで既述)――において、(ここからは、意識器内での実態について推測で述べている――既にどこかに記してある――)任意の事象について、その事象内で複数の具体事象sが時系列をなして発現する――それらの発現の確率の総和は「1」である(――そこにおいて、確率の総和が1になるまで遂行されるとは限らない? そのばあい残りの確率はどうなる? そこで消える? どこかに引き継がれる? ――そういう謎と設問もでてくる――)・・・その確率を遂行するのは「誰だ?」・・・いや言い直そう・・・その確率を遂行するのは、宇宙の本体であるが、一回の具体事象の発現を決定するのは「誰だ?」・・・心器~知性体か? ・・・「心器~知性体」がそこをコントロールすることができるのか? ・・・謎は深まる・・・(・・・筆者の研究~体験~カンから言うと、【「心器~知性体」はそこを「ある程度」コントロールすることができる】、となる・・・)・・・。・・・直近上述、以上に関係がありそうなので記そう・・・・・・さまざまな文献によると「知性体(どこかに詳述した)は奇跡を起こせる」と言えそうだが・・・以下これは直上それとは観点(実態)が異なるが・・・「知性体」は「量子論的確率」をも破ることができるのだろうか? ・・・(――それを破ったばあい、そこの整合性はとれるのだろうか。・・・前にもいくらか述べたが・・・つまり・・・「充分な回数試行したばあいの確率の総和は1であるがそれが保たれるのか、そこで破られ余った分はほかの事象実態に引き継がれるのか。さらに、そこにおけるさまざまな保存則は保たれるのか」、という内容を、「そこの整合性」とここでは表現しているのである――)・・・以上に関連して・・・自由意思・意志について既に詳述しているが・・・自由意思・意志は、量子情報(ここでは、量子論的確率)に変更を加えることができそうだが・・・・・・付記・・・ここでも、未だはっきりしない「量子情報」についても研究中であるということであるが・・・それでも一応概観しておくと・・・今までのところ・・・「量子情報」というのは、「量子もつれ」に関わる内容と「波動関数の崩壊収縮(――その実態は未知であるが・・・それでもムリして推測してみると・・・たぶんそれは、「情報スペクトル要素~情報スペクトル《ディジタルとみなせる》」が「経時変化変化波動モード情報《アナログとみなせる――極超ミクロにみればディジタルとして扱えるだろうが、それでもアナログの波動である――》」に変換される、ということなのではないだろうか? ――)における量子論的確率」に関わる内容、その2者があるだろう、ということに一応なりそうだ。その上で、「心器~知性体」は「量子情報」に変更を加えることができるのかもしれない、という観点もある。となると、「量子情報」は、なんと表現すればいいのか――保存されない、というか、保たれない、というか、量子論上の物理法則に必ずしも従わない、というか、そういった要素がありそうだ、という観点もでてくることになるが・・・ここらも非常に面白い領域である・・・・・・(加筆)・・・付記・・・ただし、意識器内での発現事象は、量子論的確率の世界にあるのではなく、エネルギーの実態・波動の世界にある。(研究中)(加筆)・・・補遺・・・波動関数~波動方程式(ここでは特にシュレーディンガーのそれ)というのは数学による記述である。それは現実において威力を発揮してきている。その波動関数の実態あるいは対応する実態が現実の中に存在するという立場と存在しないという立場があるだろう? 。そこらのところをも含めて、本シリーズでは記述においてきわめて慎重になる・・・そこで・・・『「物質・エネルギー」「物質・エネルギーの組織」「実体」』という概念はわかりやすい。それに対して理解のために、「実態」「実体は物質・エネルギー自体の世界に属する。実態は実体内に存在するところの非物質的・抽象的・観念的な世界に属する」「現実」「抽象的ななになに」「観念的」「精神的」「非物質的」「エネルギーのもつなになに」「形而上的」「ソフトウェア・プログラム」「意味」「意味実態」「意義」「概念実態=エネルギーに伴われる波動状態情報のもつ内容」「心」「意識」――ついでに「法則」「規則」「原理」「意味」「本質」――などなど、を並べ記してそこらを表現しておこう・・・・・・参考・・・ここに、心脳科学(仮説)の検証実験の「ひとつ」として、「脳内や体内における赤外線の計測」がある、ということを記しておこう。先に、「赤外線の消滅の可能性~その計測による検証法(ほかにもあるがそれらの中のひとつ)」について述べたが、それとは別な検証法としてこれを書いておこう。周波数が異なる無数に近い赤外線sが飛び交っているかどうか――「飛び交う」ではなくて「流れる」という感じかもしれないが――それを計測することがひとつの検証実験として成立する。心脳科学(仮説)本体では、検証実験としていくつも実験sを挙げているが、その中のひとつである抽象的な記述の中にこの、「脳内や体内における赤外線の計測」は含まれる。その具体的なひとつとして、ここにこうして記しておこう。☆☆☆・・・いくらか前に戻って・・・それら後者(心・意識なる存在、非物質的なる存在)は、明らかに物質・エネルギーではない。それらを総称して「物質・エネルギー(or+物質・エネルギー組織)に伴われる・伴う実態」と呼ぶことができる。しかしそれだけではまだなにかが足りない。「物質(or+物質組織)・エネルギー(or+エネルギー組織)に伴われる実態」が「有効・有意味に働く」、という課題があり・・・ここの主体は「大自然」としか言えない・・・。「大自然がその課題をもつ」、という表現はおかしな面があるがそうとしか表現できない。大宇宙の意思・意志がその課題をもつ、といってもいいだろう――言ってみれば、そこは、大自然がその課題を大自然に課した、と表現できる。となると大自然は意思・意志をもっている、と記述できそうだ――(――そういう表現に拒否反応を示す人も多いだろうが――)。・・・で、それが有効に働いているという事象実態が現実をつくりだしている・・・としかいえない。・・・その着眼の中でさらに先に進んでみよう・・・その前に、上記そこでの、「有効、有意味」、という意味には、「人間にとって良い」、という意味を含ませていない。「森羅万象が存在し、生物の生存できる環境ができあがり、生物~動物~人間が生まれ生きていけるように、そして人間の心脳がさまざまに活動し社会やさまざまをを築き生活していけるように」、という意味で用いている。ただし、そういう意味の中にも、人間にとって良い、という意味もあるにはあるが、ここではそういう面――「人間にとって良い」という面――、には着眼しない。つまり・・・それ「有効、有意味」、は人間が幸福になるために、という意味ではない。人間は、質の対生成と対消滅と質時間回帰によって、いつも幸福でいることはできず、人間には幸福とその反が同じ量やってくるから、そういう用い方はできないのである。さらに・・・「有意義」という単語も思い浮かんだが、ここではそれはカン違い・誤解・曲解をモロに招くので用いなかった。・・・以上ここの部分も、このセクションのテーマと深く関係している。つまり・・・【「物質(or+物質組織)・エネルギー(or+エネルギー組織)に伴われる実態」が「有効・有意味に働く」、という課題が(大自然・大宇宙に)あり、それが有効に働いているという事象実態が現実をつくりだしている。】という命題において、「物質(or+物質組織)・エネルギー(or+エネルギー組織)に伴われる実態」があるだけでは、役に立たず・・・これも、先に述べた大自然や大宇宙の意思・意志にとって役に立たず、という意味になる、・・・それが「有効・有意味に働く」必要性がある・・・これは、先に述べた大自然や大宇宙の意思・意志にとって必要性がある、という意味になる、・・・という内容において、その後者とは何か? 何者か? という謎と設問がでてくる、という事実実態もあるわけだ(――知性にとっての――)。その前者も「非物質的な何か」であり、その後者も同じく「非物質的な何か」である。そこらのところを一応わかりやすく記すと・・・「非物質的な世界」の中には、1「必須であるが単に非物質的であり目的のような非物質的な内容は含んでいない領域」と、2「目的のような非物質的内容の領域」さらに、3「管理監督維持する何かの存在」がある、といってよいだろう。それら後者2者(2と3。もちろん1も必須である)があってこそ、「できるだけ短い時間」で現在の「森羅万象~生物・動植物・人間と人間がつくりだしたさまざま」、が実現したのだろう(――無限の歳月がかかった可能性もあるが――ここは長く書かないと説明ができないので省略する。――既にどこかに記している――)。そのたちばに立つと、つまりそれが現実の実態だとすると(――そういうのを普通、「正しいとすると」、とも表現する――)、後者sの2~「目的のような非物質的内容」と3~「管理監督維持」を「遂行した存在」も想定される、というところに至る。それは、「知性をもったなんらかの存在」、ということになる。・・・それらをなんと呼ぼうか。「世界の原理・法則遂行力と管理監督維持力」、もっとも短く記すとすると、「根本の神」、あるいは、「根源神」、とわかりやすく一応述べておこう(――「神」を持ちだすと嫌う方々もおられるでせふが、わかりやすい比喩として用いたのじゃす。・・・それに、世界中の人びとのほとんどはなんらかの宗教に属しているじゃろうすから、それを排斥する理由はないでせふ――)。・・・ちなみに、もう、こういう内容を書いてもいいだろうと判断して・・・以下、こういうのがおもしろい・美味しい、と感じる・思う方々は多いじゃろうす。筆者もそうである。普通の自然科学だけでは味気ない・つまらない――非常におもしろいことはおもしろいんだが、人間味に欠ける――。なにより普通の自然科学は人間や文化文明風俗芸術などに関してはほとんど何も語れないではないか(――ここでは生物学的な分野は除いてそう主張している――)・・・で、さて、「宗教学」では、さまざまな神が存在するとしており、しかもそこにはさまざまなランク――ランクが高いほど人間にとって有益な人格(神格)をもっている、あるいは、人間に役立つなんらかの能力に秀でている、とするのが妥当である――があるとなっている。しかも人格神と根源神は全く別の存在である。根源神は人間に直接は働きかけてこない――法則や原理原則のような存在である――上述の「世界の原理・法則遂行力と管理監督維持力」である。(――参考・・・ただし、人間に自由意思・意志はある――)。で、「心器」を「場」で記述できるだろう、というたちばと同じく、人格神は場で表現記述できるだろう。繰り返しになるが・・・人間に直接働きかけてくるとされているそういった存在は、多数存在する人格神である。人格神には、人間の心器由来、動物の心器由来、などの存在がある。いわゆる天使は人間の心器由来の人格神だろう。ほかにも妖精などの自然神(――大自然が創造した――)もあるとする一派もある。ここで、以上の記述を元に、唯一無二の全知全能の神という存在とは何か、それを考えることができるが・・・○○している・△△している・・・ましてやそれが複数あるとしたら・・・興味のある方は各自考えていただきたい・・・(――既にウェブ上に、それについてかなり引いて記している――)。・・・で、過去にも述べたが・・・筆者は破滅的でない・反社会的でないところの継続してきている宗教ならどれに属してもいいと思っている。どれもこれも似たようなものだ。どれもこれも、基本的に人間的なつながりと人間の幸福のために存在するからである。・・・付記・・・――ただ、なにごとにおいてもそうだが、永い年月が経つと、そこでも質時間回帰してマイナスの要素sがでてくる、という面もあるが――それは、どんな分野・領域・対象においてもそうである――・・・悲しいことにそれはどうしようもない――それをできるだけ避けるにはどうすればいいか・・・それについては、いくらか既に述べている。筆者はそこを完璧に書く気はしない――書くことはできるんだが――・・・質の対生成と質時間回帰からでてくる内容の中に、ほかにも書く気にならない事項sがある――それらについては本論などをもとに各自考えてくだされ――いや、考えない方がいいかもしれないじゃろうし、そこらをはっきり知ったら、憂鬱になるじゃろうし、といふこともつけ加えておきませふ――・・・。・・・ところで、先に「宗教学」と述べたが、ここでの「宗教学」という題目は筆者独自の、その方面の研究に冠している・・・さて、宗教を排斥するなかれ。それはよく考えるべき対象でせふ――それは根本的に、過去から現在に至るまで、人間にとって最も大事な領域のひとつであったしあるのだから・・・それを否定することは人間を否定することに等しい・・・・・・この部分を否定する人は、人間を否定しておりひいてはつまり自分自身を否定して自分自身を地獄に叩き込んでいる・・・・・・。・・・以上について参考になる内容を既にネット上のあちこちに記している~このスレッドの中にも複数書いている――SF(――SF・・・既に記したように筆者の用いる「SF」にはいくつかの意味がある――)のようなわくわくする内容も・・・。(下略)(上略)(加筆)(つづく)さて、ここで、創作~新しい何かをつくりだすことについて考えてみよう。創作~新しい何かをつくりだすことにおいて:たとえば、文章:記号・・・文字文字の組み合わせ単語のような非常に多くの組み合わせ意味・意義あるものを選び出す:そこにある規則・法則文字を組み合わせた単語(実在の対象に対応。実在の対象:外界の事物、非物質的対象、心的内容・意識内容)つづり方、文法、規則、作法、手法、傾向規則文のような、非常に多くの組み合わせ、非常に多くのパターン意味・意義あるものを選び出す:そこにある規則・法則意味・意義のある文文章のような、非常に多くの、文sの組み合わせ意味・意義あるものを選び出す:そこにある規則・法則意味・意義のある文章セクションのような、非常に多くの、文章sの組み合わせ意味・意義あるものを選び出す:そこにある規則・法則意味・意義のあるセクションチャプターのような、非常に多くの、セクションsの組み合わせ意味・意義あるものを選び出す:そこにある規則・法則意味・意義のあるチャプター・・・(以下、略)人工的になすばあいと人間が普通に行っているばあいの違い:人工的になすばあい・・・意味・意義を理解~鑑賞機能と創作能力は共に無い・・・いくらかの制約制限のもとに機械的に組み合わせるだけ・・・斬新でできのよい作品の出現率は限りなく低い(試行錯誤性が限りなく高い)人間が普通に行っているばあい・・・意味・意義・美しさを理解しながら~鑑賞機能と創作能力を備えている・・・それを心器が行う・・・味わいながらフィードバックしながらなすことも多い・・・斬新でできのよい作品の出現率はかなり高い(――試行錯誤性はきわめて低い~いくらか・ある程度高い――)以上におけるポイント:記号・意味をなす記号sの一団(最小~中~最大・・・単語・句読点~文の構成要素s~文~文章~文章の連なり~~~作品)と対応する存在s:心脳においては情報物質~情報スペクトルの系。外界においてはそれら構成要素sの一部が対応するケースはある(――音楽などにおいては、抽象的な何かの一部のみが対応するケースがある――)。ある意味記号の在る場所とその体系にかかわる(――実在の対象に対応。実在の対象:外界の事物、非物質的対象、心的内容・意識内容――)・・・心器:情報スペクトル要素(それはデジタル情報とみなせる立場にたてる。切れぎれ離散形態である。対象情報のすべてが分解されており、その要素・成分sとなっている)と起源情報スペクトル(これがさまざまを担保している。意味・意義ある本質・意味・クオリアの起源となっている。ほかにも担保している存在はある)を扱い情報スペクトルに「まとめ上げる(理活)」:それらは本質・意味・クオリアに対応。理活:文法・規則を内臓。意味・意義あるものを選び出す能力・機能も内蔵。本質・意味・クオリアにかかわる・・・意識器:心的情報スペクトルの連続体が経時変化波動モード意識内容(なめらかである)となって発現。意識し味わわれる。・・・記号と規則、無数の組み合わせ・パターン。選び出し組み合わせ。対象内容実態との対応。選び出し。変換。本質・意味・クオリアに対応。本質・意味・クオリアとして発現。(加筆)ここで、心脳科学(仮説)の概略を・・・たとえば、すばらしい景色を見るとしよう。景色の元は、さまざまな物質的存在であり、それらに画法の点描のように(カラーフィルムや印画紙でもいいが――このばあいは三原色)、光を反射(ばあいによっては放出・・・たとえばホタル)する素子が並んでいる、とみることができる。そこは、景色を構成する大本の元sが並んでおり、それぞれが、単一あるいはいくつかの周波数の光子(s)を発している、と描写することができる。それを、景色情報の情報スペクトル要素成分の配列、と呼ぶことができる。そこから放出された光子sは空間では重ねあわせの原理によって重ねあわされ、波動モード情報になっている――量子論においても、そこはまだ謎を秘めているが――経時変化波動モード情報になっている、と描写することができる。その「経時変化波動モード情報」を、凸レンズを用いて像を結ばせると、出発点である「景色情報の情報スペクトル要素成分の配列」が再現される(――そこには劣化や欠けなどもあるだろうが。レンズの口径が小さいとその像はモロに劣化する。レンズがオンボロだったり汚れていたりすると、その像は劣化もするしさらに困った事態になる――その像がゆがむ――)。以上が、大自然における2大情報形態の2大情報と、それらの相互変換の描写である。それら相互変換は、フーリエ逆変換的変換とフーリエ変換的変換である(――それらはフーリエ的なそれらよりも、自然の実態に即した変換sである。それについては、「加筆形式#1~2~3」のどこかに詳細に、記述を変え、複数記している――)。・・・以上、詳しくは、心脳科学(仮説)本体と「加筆形式#1~2~3」などをみていただきたい・・・つぎに・・・まず、量子情報と人間にとっての情報の系について考察したセクションで述べた内容を見ていただきたい。その一部を再掲すると・・・「・・・参考・・・ここで、気づくことがある・・・人がラジオを聴くとすると・・・生中継として(録音放送でも同じである)・・・放送に参加する人たちの脳s~心器s(と意識器s)~発声(s)~放送局などのマイク~放送関連機器内部~送信器内部~アンテナ~空中~受信機のアンテナ~同調コイル~受信機内部~スピーカー・音声~空中~聴く人の耳・蝸牛管(カタツムリ管と呼ぶと親しみが湧く。片目をツムってウインクする片《目》ツムリちゃんw)~神経(と呼ぼう)~脳~心器~意識器、という系を辿ることになる。そこでは、情報スペクトルの系(デジタルとみなせる・切れ切れ・離散的。対象情報を基本的な要素成分に分解して扱う)と経時変化波動モード情報の系(なめらかな意識内容が発現する)が交互に生じている。そしてそこでは、フーリエ逆変換的変換とフーリエ変換的変換が交互に生じている。・・・ここの後者4項目は、最初の「放送に参加する人たちの脳~心器」がスペクトル系の情報処理をなしているので、そこを起点として並べた。・・・そういうふうに、心脳科学(仮説)で、かなり前に記しているように、この大自然界における2大情報形態情報(s)とその変換(s)が、そこに見て取れる。・・・以上、参考:」そういう実態は、何かを見ることにおいても同じくそうであり、人間のそのほかの感覚器官による情報の系についても同じくそう記述される。・・・以上、再掲・・・以上を総括総合すると・・・「情報スペクトルの系(デジタルとみなせる・切れ切れ・離散的。対象についての情報が――時間情報も空間情報も――基本的な要素成分sに分解されている)と経時変化波動モード情報の系(なめらかな情報内容が発現する)」という大自然界における2大情報形態と、それらの相互変換であるところの「フーリエ逆変換的変換とフーリエ変換的変換」、という概念~観方、考え方は、現実を正しく把握しているだろう。よって、自然の一部である、心器では情報スペクトルの系を扱い(デジタルとみなせる~切れ切れ・離散的。対象についての情報を――時間情報も空間情報をも――基本的な要素成分sに分解して扱う。それら基本的な要素成分sを扱う脳における場所と時間もバラバラでよい――時間については「極短い時間内に」という制約があるが・・・)、それが変換され、同じく意識器では経時変化波動モード情報の系のエネルギー実体・実態が発現する(――なめらかな経時変化意識内容が発現する――)、という推測も現実を正しく反映している、ということになるだろう。・・・以上、詳しくは、心脳科学(仮説)本体と「加筆形式#1~2~3」などをみていただきたい・・・以上の見方で、「心脳におけるさまざまな観測計測知見~実験事実~事象・実態」にすべて説明がつく。「さて、心脳科学(仮説)で、対象情報を、脳の中でばらばらに(複数の意味でばらばら。対象の情報内容――さまざまな属性・成分をもつ――時間情報、空間情報をも含めて――についてもばらばらにして、しかも、脳の中で情報処理する個所sとして時間的にも空間的にもばらばらに――時間については「きわめて短い時間内に」という制約がある)情報処理できること、についても既に何度も述べた・・・このパラグラフかぎカッコ内は再掲・・・」。同じく、リベットの実験事実やその他の実験事実についても説明がつくことは既に解説した。笑いやうねるような感情反応(まずは意識器における意識内容についてそれを言うことにする)、は、ふたつ(一応、ふたつを含めて複数ということにしておこう。うなりにおいてはふたつだが)の情報により発生する「うなり」「うなりのような実態」なのではないか、という、心脳科学(仮説)から派生する仮説についても既に述べた。心脳における時間その他についての不思議な実態について、心脳科学(仮説)にもとづいて、たとえをもって説明することをも既になしている。「心脳におけるさまざまな観測計測知見~実験事実~事象・実態」について、心脳科学(仮説)にもとづいて、種々のたとえをもって、さまざま解説説明することをも既に行っている。ほかにも、心脳における現実・実態、心脳における難問sや哲学的難問sに、心脳科学(仮説)で答えることができる。説明解説できる。それらの多くをも既述している。さらに、さまざまなたとえや実例を挙げ、それらが心脳科学(仮説)の正しさを強力に支援し担保していることを既に記している。くわえて、・・・既述と重複するところもあるが・・・心脳についての哲学的問題sや難問sを、心脳科学で説明なり解決するという記述論述も既に多数なしている。以上、ということでつまり、心脳におけるさまざまな現実sすべてを、哲学的問題をも含めて、☆『心脳科学(仮説)で(ほぼ)すべて説明解説できる』☆のである。そういう観点からいっても、心脳科学(仮説)は心脳を正しく記述していると言えるだろう・・・☆『一般的にはそういう実態にある論を正しいという』☆わけだ。☆『現実によって検証されているといえる』☆のであるから・・・」・・・以上、詳しくは、心脳科学(仮説)本体と「加筆形式#1~2~3」などをみていただきたい・・・・・・以上、心脳科学(仮説)の概略・・・(つづく)今回の設問s・・・以下、そういう問いsを立てることができる・・・それらの問いと問いへの解答と、それらの周辺などに関係すると思われる内容を伝えるイラストを象徴として描くこと。補足:このシリーズの設問sの答えsなどを、筆者は「いくらか~けっこう(この表現はひとつの単語ではなせないようだ。「まれに~たまに~時々」とその平均的な頻度を表現する副詞・連用修飾詞も同じくそうだ。誰かいい単語を開発しないものだろうか? ・・・以上、日本語のクオリア研究のひとつ・・・)」どこかに書いている、ネット上やその他sに。その中には、充分なものs、不十分なそれら、書き散らしs、などがある。まだ答えなどを書いてない設問sもあるが、全部の設問に答えをだして書ける自信・確信がある:以上、補足・・・・・・以下、教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けている・・・ネット上を含めて筆者が書くものにある教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けているのである・・・*いくらか離れた上述を引き継いで、まず、哲学的な問いになるが(――これが最優先だろう。それはクオリア研究の一環でもあるし、クオリア研究の基盤をしっかりさせるためにも必要だろう――)、人間は何のために、仕事をするのか・さまざま研究するのか、人間とはなにか、生物とはなにか、考えること。ならびに、意識と心、生物、宇宙・世界、はなぜ存在するのか考察すること(試案はいくつか既述)。*さらに、人間はどこから来てどこへ行くのか(――この表現は誰かによって過去になされた。たまに目にする。たぶん外国語からの訳ではないか? そんな感じがする――)、肉体はどこから来てどこへ行くのか、「心器~心」はどこから来てどこに行くのか、「意識器~意識」はどこから来てどこへいくのか、それぞれ考え記すこと。*今まで~今において、自分は何をやってきたのかやっているのか、自分の人生の中での、その意味・意義、その位置づけ、その評価、などを考え述べること。さらに、質の科学~質時間回帰則を指針とするとして、これからどういう方針で人生を進んでいけばよいのか考えること。*自分はなにをやりたいのか、考えること。*精神・魂が干からびた人間――これはかなり抽象的なたとえの表現内容をもつが、どういう具体的な内容をもつか自分で考えた上で――そういう人間にならないためには、どうあればよいか・どうすればよいか考えること。さらに質の科学(仮説)を適用してその答えを導きだすこと。*考えて納得する「倫理・道徳」として・・・まず「質時間回帰則」を打ちだし、「自分と人類が存続していくためにはどうあればよいか」という問いかけを投げかける。そこから、「考えて納得する『倫理・道徳』」がでてくる。そこらを解説すること。*(・・・以下、多くの内容がまるで量子論における多くの量子sのもつれのように、交錯・錯綜し輻輳し、もつれ合った、長文章の超複合設問である。量子コンピュータを創り上げ、アルゴリズムをも創り、その問題を解くことができるだろうか? でもまぁ、量子コンピュータでは、解ける問題は限られている。しかも、現在の量子コンピュータsについての展望では、「心的内容~意識内容という最高レベルの内容」には着眼していない。それらの対象内容と技術は、現在の普通のコンピュータと同じく単なる電子工学の規格・仕様・技術レベルにある。心的内容~意識内容の世界はそれとはまったく異なり、精緻~精妙~至高な、精神的内容の次元にある《精神的=心的+意識内容的。精神敵内容=心的内容と意識内容を併せた内容》)。*直近上述の「カッコ( )内」も「*設問のひとつ」に含めよう「以上カッコ( )内の文章についての感想を記すこと」*上述からのつづき・・・*「そういうふうに用いることのできる量子コンピュータをつくることができるか、そのアルゴリズムをつくることができるか、その展望を記すこと」*・・・以下またまた、カッコづけで、枝分かれsや脱線sや付加項sとジョークなどが多く長すぎて非常にわかりにくいが(しかしテーマはほぼ一貫している)、以下のそれらについて考えること:*人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きている・生きていくのか考えること(「そういった問題設定に意味はない」、とか、「生まれてきたから生きて行く」、とか、「死ねないから生きていく」、「死ぬまで生きていくだけだ」とか、「自分が生まれてこようと意図して生まれてきたのではない」、「なんで生まれてきたのか、生まれてこなければよかった」とか、「そういう問いに答えはない」とか、「自分だけのために生きることがすべてwww(――これに関しても一昔前最古ブログに書いた――多くの人は死ぬ前に、もっと多くの人たちにいいことをしておけばよかった、と後悔するそうだ。あるいは、もっと思いきって行動していればよかった、と悔やむそうだ――)」、とか「楽して楽しむことだけがすべて」、とか、「いい思いをすること・快・快楽だけがすべてwww」、とか、「そういった本音(――本音といっても、飽きがきたりするうえに、時期がすぎれば違ってくることが多いが。それも質時間回帰である。人生のある時期からは、質時間のプラスの貯えがないと侘しすぎる生活実態に陥る。それ以前~若いときには人はそれを知らない――)」を乗り越えた答えをだすことに挑戦すれば何かが拓けてくるのではないだろうか(・・・・・・「べつに何も拓けなくてもいい!」という立場もあるだろうが。しかしそれでは後がとんでもなく大変だWWWW。そのうち「いい思いや快・快楽」の「まさかさま・真逆・正反対」の思い・体験をすることになるのだ!WWWW それは、まだ仮説である地獄の最深部《この世での現実をも含めて。この世での現実は仮説とはいえない》《地獄の実在の証明【らしき】に関しては難しいながら一応既述しているし、多くの宗教sがそれ「地獄」を説いている、仏教もキリスト教もその他の宗教sも》で超超長期のたうちまわることである!《仏教もキリスト教もその他の宗教sもそう断定している》WWWW それはそのモットー「いい思いをすること・快・快楽だけがすべて」、に完璧に反する!WWWWWWWWW なんという大宇宙最大最強の逆説! WWWW 「世界は逆説でできている《つまり質・クオリアの対生成と対消滅とその結果、それと質時間回帰でできている》」のである。「いいとこ取り」は絶対にできない。百パーセントできない。断定する。断言する《これについては、その検証がなされていない現在においては【実はなされているんだが】、「そうでないと不条理だ、まったく納得がいかない、という立場からの言だと見てもいい(そういった観方についても多く既述している》。で、ほとんどの人たちがそれに賛成するだろう。人類の多く~ほとんどが、「そうでないと、おかしすぎるメチャクチャだ!」と叫ぶだろう(しかも歴史を見ればそれは「正しい」と一目瞭然である)(――以下これは筆者の言ではなく質時間回帰則の言である「マイナスの質時間を膨大に積み上げている者どもは反対するしかないが、WWWWWWWWW!!!! じゃが、反対しても無駄である、無駄な抵抗はやめろ!!!!!! WWWW 無駄な抵抗はさらにますます質時間のマイナスを積み上げる結果となるは必定である WWWWWW じゃが、マイナスの質時間のコレクションが趣味なら止めても無駄か WWWW しかし、あとが極限まで恐ろしいのじゃ、覚悟しておけ!!!! WWWWWW」以上、筆者の言ではなく質時間回帰則の言である《本スレ全部が、基本的に、その対象s内容sがもつ論理s・駆動力sによって書かれている。それらは筆者の豊かな痴性ではとても書けない内容sばかりである》・・・・・・)・・・・・・。*繰り返しになるが直近上述の長い一節についての感想と論考を記すこと。・・・まだつづいている・・・いくらか遡って加筆すると・・・「しかし、それを事実・真実だと知っている知性も存在する」。それに、ほとんどの宗教sがそれを説いているので、それを否定することは、それら宗教sとその開祖s、ひいては、否定している本人をも否定し侮辱冒涜していることになる。それは果てしなくも夥しくもの凄い挑戦である。素晴らしい! 「一般的・普通の唯物論」に凝り固まっていると、本人が途轍もなく大損することになる。あとがとんでもなく大変だ。【ちなみに、心脳科学・仮説によって、「普通一般でない『唯物論』」で心脳の現実のすべてを説明することができる】》。・・・ちなみに以下は「前の説明の、より詳細な解説にもなるが」:「本音」ということばから連想するのは、特に最後者の2項目「楽して楽しむことだけがすべて・いい思いをすることだけがすべて」といった類の主張についていうと、「一方通行『いいとこ取り(直近で述べたとおり)』」ということだ。そこでは、「質・クオリアの対生成と対消滅」と「質・クオリア時間回帰」を完全に無視している。それをたとえていうと、「権利(含・既得権益)に伴う義務と責任」、「資格に伴う義務と責任」、ついでに、「権利の一種であるとみなせるところの権力や権威(高い立場《あとで低い立場・正反対の立場に100パーセント落ちる、逆転する》)、それらやそれらに似た実態s《いろいろある・恐怖やBKとかATやDSとかOIやBLとかKHやIBとかNZやUGなどを基になんやかんやなどなど》に基づくさまざま《それらは便宜的に与えられているのであり【絶対的ではまったくない】【あるいはGDしたのであり】かつそれらは「一時的で儚い」事態・実態・状態にあるだけである。そこでは「質時間回帰」が当然「極めて厳しく」発動する。いい思いをした分、それによって利益を上げた分、義務と責任を回避した分、他s・他人sにマイナスや害、負の快など、を与えた分、質時間回帰が極めて厳しく激しく途轍もないことになる》に伴う義務と責任《人類・人間sを○○した者どもはacmamonigel○○○○》」、それらを無視している、そういったことを思わせる。しかし、そこでは、「そんなことは知ったこっちゃないwww、そもそもそんなことは考えたこともない、だいたいそんなことがあるはずがないwww」(それをチセイ痴性のもとにあるという。世界・時代・人類は痴性の黄金期をとっくの過去に迎え、その中にある。筆者もその中にいる。ただし、このスレを書いているのは豊かな痴性の持ち主の筆者ではなく、その対象内容がもつ論理・駆動力である)、というのがそれらの立場だろうがWWWWWWWWW《以下「W」が永遠に続くWWWWWWWWW》=つまり「質時間回帰(則)!(――かんたんにいえばカルマだ。カルマとだいたい同じであるところの、科学的に証明される科学的カルマである――)が永劫久遠に続く。つまり、それらの立場にある者どもの将来は恐ろしすぎるということだ。恐ろしいの最上級・極限極致である。だからといって恐怖しすぎて逃げたり隠れたり気絶したり自殺してもなんの救いにもならないWWWWWWWWW。死んだらそれで終わりではない!!!! 100パーセント償わされる・支払わされる・償わさせられる・支払わさせられる!!!!!! この記述をトンデモだ基地害だと笑い飛ばすほど、さらにその後がよりいっそう恐ろしいことになるWWWWWWWWW。・・・既知害――既知は害をもっていることが多い。それらの者どもは他人sに極限まで甘えている、甘えすぎているのだ。世界は「いいかげん」にはできていないWWWWWWWWW。100パーセント「良い加減」にできているのだ。つまり完璧に質時間回帰するのである(――断言! 断定! ほかの余地はない!!!! ――)(――ちなみに:加減というのはプラスマイナスという実態を実施するという意味だ。それが良いというのは釣り合うということである。つまりそれは「質時間回帰」という概念実態の中にある。「いいかげん」というのはそれが反転した意味になった表現だ、質の対生成と対消滅、それと質時間回帰によってそれも説明がつく。たとえば、「やばい」「てきとう」などの両面性も参考になる。《――筆者は、感嘆符「!」と「W(笑い)」はほとんど使わないできているが、ここでは下品に思いっきり多用した。なぜなら、強調しすぎても強調が底なしに足りないからであるWWWW!!!!!! ――》《参考:それらは、「いちばん上にいて」=「いちばん上にいると思っていて」=「いちばん上にいると勘違いしていて」=「知性皆無=豊かな痴性=クオリア・質時間回帰でジゴクノサイシンブニオチル」ということに気づかないのである。「いちばん上にいると思っていると、そのうち一番下にいることになる」のである。質・クオリア時間回帰である。世界は完璧にできている(――(質時間回帰則についての参考:「人生においてさまざまがそのうち正反対になる」という物語(いろいろある)がある。それは世界・人間の真実である――これは、「入れ替わる」という事象だけについて言っている。入れ替わったあとの人生劇は、それぞれの人物の貯えた質時間によって変わってくる――。つまりそれ「入れ替わり」は、質時間回帰則を正しく表現しているということだ。質時間回帰則は、時間を組み込んだ対称性の法則の本拠地だろう。人間に関していえば、それは、すべての「意識器=人」が時間をかけて完全に平等になるという法則である――)》《――結局、世界・人類が滅びるのは、双対性、相補性、質の対消滅s、相打ちs、潰し合いs、による、といえるだろう。それらも質時間回帰【則】のもとにある――》《・・・参考:人生における最大の不幸とは、使う以上の○をもつこと、と、それを目指すことである、という側面がある・・・》《――平等、公平、も、時間を組み込んだ対称性と双対性によって保証されているといえるのだろう――》《・・・ここらも工夫した表現記述にある・・・》。《・・・ついでに:女性性と男性性も、双対性と相補性の中にあるのだろう。女性性は波動性、男性性は粒子性、といったところだろうか。もちろん人間の個々においては、男も女もそれらの両方をもっており、それらの割合が異なる、という実態をもつだろう・・・》《・・・再び:陳腐な言は、カルマや地獄は道徳・倫理のための虚言だというが、それはまさに腐った言(腐・陳《陳:述べる、古い、などの意だったと思う・・・》)であって、そういう言の者どもは将来がとんでもなく恐ろしく大変なことになるのである・・・》《・・・それ「権利などに伴う義務と責任」といった内容の中にある前者と後者も双対性の一種の中の「相補性」の中にあるのだろう・・・》《・・・質時間回帰の一種:エンジンの出力を耐性限度を越えて上げすぎると、そのエンジンはぶっ壊れる。現在の世界にはそういうたとえで表現できる○sや○○sや実態が多すぎる。それは、一種の、痴性の暴走である、ともいえる。その結果、世界・人類は終焉を迎えることになる。Dkkahhnguchabecha・・・》《・・・ただし、世界のほとんどがそういう中にあってもごく稀に天使のような方はおられるだろう・・・》《――いつものようにごちゃぐちゃとした記述になった。カッコの用い方も乱れた。すっきりと書こうとすると、かなり同時多発することのあるアイディアsを忘れてしまうので、そういうことになる。清書するには時間も体力も短時日には足りない。清書は先のことである――》・・・)*繰り返しになるが直近上述の長い一節についての感想と論考を記すこと。・・・まだまだつづいている・・・(・・・仏教をもとにしてもうひとつつけ加えよう:そういった権利・権威・それらに類する恐ろしい実行力の類s、それらを持ち行使できるケースsにおいて、大きく分けてふたつのパターンがある。そのふたつのパターンもさらにふたつに分かれる。ひとつは、仏教のジャータカ?(・・・ジャータカじゃったか? だったと思う。ブッダの前の生sの物語・・・)にあるように、前の生s(・・・普通、前世という。単数も複数もそう呼ぶだろう? ・・・)で、大きく桁外れな質時間のプラスを積んでいるケース;そういった人物はスケールの大きなリーダーにふさわしいし、リーダーになる資格も権利もある、といえる。そうではなくて、前の生sにおいて、質時間のプラスを大きくは積んでいない人物は、そういったリーダーになる資格も権利もない。なったところで、すぐに墜落沈没する。そこからのふたつのパターンというのはこうである。そのどちらにおいてもいえることだが、リーダーとして営為している間に、プラスの質時間を積むか、マイナスの質時間を積むか、というふたつのケースである。前者であると、リーダーでいられる期間がより永くなり、後者だと、それはより短くなる。以上は、リーダーについて、だけではなく、成功するか失敗するか、うまくいくかその反か、楽しくいけるかその逆か、など人生のすべてにおいて、そういえる。(・・・ちなみに某氏は「努力しても無意味」と主張しているが、それはきわめて特殊な本人の経験からの言であって《ほんの少数の人sにはそれは当てはまる。なぜ当てはまるのかについては既に述べている》、一般的にはまったく成立せず、そういう主張は社会に重大な害悪をもたらす《その某氏はそれに気がつかないのだろうか?》。それらについてもすべて、質の生成と個々についての質・クオリア時間回帰で説明がつく・・・):・・・以上、仏教をもとに、多くの人たちが興味をもちそうな? 内容を記してみた)*繰り返しになるが直近上述の長い一節についての感想と論考を記すこと。・・・まだまだつづいている・・・*以上、カッコ付けの加筆が長くなりすぎたが、それらについても考えること(・・・読みにくいこと夥しくもはなはだしい・・・)。――これでここのさまざまな加筆は一応FIN――:。・・・まだなおつづいている・・・*そういった哲学的問いと思索、それと自然科学とを結びつける思索や考え・概念・内容などを展開すること。・・・以上、多くの内容が交錯錯綜し、もつれ合った、超絶複合設問である・・・。*以上長い上述についての感想や解答、論考などを記すこと。さらに、そこにある論理について考究し述べること。*このスレ(8百以上つづいている)を読んで(――さらにできればネット上の筆者のすべてのエントリーを読んで――)、自分の哲学を打ち立てること。*このスレッドの内容や設問にミスや間違い、いいかげんな個所s不完全なところsがあるはずである。それらを指摘し正す記述をなすこと。*世界的宗教sや永く継続してきている宗教sの教えsが必ずしも一致しないのはなぜか、質の科学(仮説)などをもとに考え推測すること。*「甘い汁には毒がある」という新しい諺を、質の科学(仮説)を適用して解説すること。しかも、その毒はすぐに作用するものとある程度~かなり~そうとう時間が経ってからその毒性が発現するものがある。そこらを質の科学(仮説)~質時間回帰則をもとに解説すること。さらに、そこらをこの本文中で述べたホコリ・チリ・新種のホタルに結びつけて論ずること。*「知能テストはスピード競技である」という命題について解説すること。また、それに関連して自分の体験などを述べること。*「試験の成績がいいということは、単に事務処理能力・事務的処理能力が高いということにすぎない」という文言の説明をなすこと。*「ちやほやされて育つと、後が大変である」「成人してからも、ちやほやされる期間が長いと、後が大変である」という諺風の文言を、質の科学(仮説)~質時間回帰則を用いて解説すること。*作家・北杜夫さんの著作から、このサイトに非常に関係がありそうな話題をひとつ探しだしてそれについての感想を述べること。また、それに質の科学(仮説)~質時間回帰則を適用して論を張ること。*「大昔、アフリカで、キリンの首がまだ短かった時代に、キリンたちが樹木sの葉っぱを食べつくして、葉っぱはもう樹木の高いところにしか残っておらず、それらキリンたちは全員飢え死にした・・・」、というイソップ物語風の寓話(それが事実かどうかはわからない)についての感想を書くこと。さらに質の科学(仮説)~質時間回帰則からその物語を考えてみること。*「パンダの胃腸の構造は肉食獣のそれだそうだが、今やササの葉を食べて生きている。腸内細菌・微生物群がササの葉を利用してさまざまな成分sを作り出すので彼らは生きていけるのだそうだ。そういう細菌・微生物群を獲得したパンダのみが生き残り、そして今に至ったと考えられるそうである」――この文章の内容についての感想を記すこと。さらに、質の科学(仮説)~質時間回帰則を適用してそれについて考えること(肉食獣全般に及ぶ内容でなくてもよい)。*霊魂があっても、霊魂はなくて意識は脳の機能・働きのような実態であっても、「転生はある」ことの証明のような内容になる論理をもつ文章を記すこと(複数既述しているので、それを探し出してもいいし、それ以外の論理展開での内容でもいい)(検証は別の問題である)。*転生はある、と確信したとしても、自殺は禁じられる。なぜ禁じられるのか複数の考え方のもとにその見解を述べること。さらに、質の科学(仮説)を適用して解答すること。*脳にある論理――ニューロンsなどにある論理~関係性など――について追究すること。*心器における理活について考察すること。*理活の参考になる事例を挙げること。*心脳~知性における想像力について考えること。*「論理」とはなにか考えること。*「数学」とは何か考察すること。*「数学」が「現実の一部の領域」を近似的に記述できるのはなぜか追究すること。ならびに、その「現実の一部の領域」と、それ以外の領域について、あるいはそれらの関係について述べること。*「タンパク質などの情報物質が、あらゆるすべてのさまざまを担保しているのだろう」という命題を詳しく演繹敷衍展開すること。*「タンパク質などの情報物質が、あらゆるすべてのさまざまを担保しているのだろう」という実態が一応正しいとして(――別に正しいと仮定しなくてもいいが。しかし、それが正しくないと仮定するとおかしなことになる・心脳の現実が成立しないことになる――)、それのもつ情報量と、遺伝子sとそれらの総体プラスアルファであるDNAのもつ情報量を比較して、前者のそれ「タンパク質などの情報物質がもつ情報量」が桁外れに多いことを示すこと。その結論からなにがいえるか述べること。本設問にある付記「(別に正しいと仮定しなくてもいいが。しかし、それが正しくないと仮定するとおかしなことになる・心脳の現実が成立しないことになる)」について解説すること。*「理活」に関係のありそうな数学について考察すること(――たとえば、状態ベクトル、テンソル、さまざまな演算子、行列。流体力学。一般相対論。行列力学。・・・行列については既述――)。*現実の中で「理活」に関係のありそうな事柄・事象を探しだすこと。さらにそれを基に理活の形式を抽象的に記述すること。ならびにそれに対応しそうな数学~数学形式を探しだすか創りだすこと。*心脳科学(仮説)にある「経時変化波動モード意識内容h(t)の中にあらゆるすべてのすべてがある」、という命題について解説すること。また、心脳科学(仮説)にある「心的内容情報スペクトルの系の中にあらゆるすべてのすべてがある」、という命題について解説すること。さらに、その後者にある論理や理活を数学的に扱った結果、どういうことになるか、どういう利点と弊害がでてくる可能性があるか、などについて考え述べること。*「心器」における事象はある意味ハイゼンベルク描像に似ている、ということについて解説すること。*「意識器」における事象はある意味シュレーディンガー描像に似ている、ということについて解説すること。さらに、「意識器」における事象は、量子論的確率の世界ではない、ということについても併せて論ずること。*本文中にある以下の記述を読んでそれについて詳しく解説すること「参考:シアノバクテリアは、光合成をなす。その機序は本論にある仮説s――仮説sの中のいくつか――に重なるところがある。それは・・・葉緑素~葉緑体が光合成をなすにあたって、葉緑素が感応反応する周波数より高い周波数の光については、まずタンパク質がそれを受け、より周波数の低い光を次の別種のタンパク質に送り(発振と受振)、そういった事象を何回かおこない、葉緑素が感応反応する周波数の光にして葉緑素に送り込む。そこで葉緑体が光合成をおこなう。そういう機構になっている。(――その逆があるのかどうかまでは知らない。既述のラマン散乱そのほかから言ってありうるが――)まさにそれは本論における仮説sのいくつかに重なっているではないか。(・・・筆者はそれを知って感激した・・・)」。*心脳~知性における創造力について論じること。*心脳~知性における想像力について論じること。*生命について論ずること。*生命エネルギー(あるとして)について試論を述べること。*意識エネルギー(存在するとして)について考察すること。*「利点・いい面と弊害・悪い面」はすべてにおいて常について回る、ほとんどが時間的ズレを伴って。その原理を述べること。ついで、質の科学(仮説)を適用して論を張ること。*質時間回帰則は、時間を組み込んだ対称性の法則だともいえる。その解説をなすこと。*「快楽の報酬」という文言と「質の科学(仮説)」を併せて、そこから論を展開すること。*「快楽と安楽の報酬」という文言と「質の科学(仮説)」を併せて、社会sと世界情勢についての論を展開すること。*人類の理性(――理性とは、元々は「人間のもつ知性のうち、理屈に適った性質を発揮する知性」という意味だろうが、ここでは知性の中の道徳的・倫理的な性質を担う知性としよう。道徳的とは、自分~小団体~中団体~大団体~社会s~国家s~人類~世界、の存続をもたらすところの性質をもつ知性内容に属すること、としよう――)。それ「人類の理性}が「少ない・劣化している・ない」、となると、人類は○○。今現在人類はそこの崖っぷちに○っている。○○の瀬戸際に立っている人類。あと○年前後以内に人類は・・・・で、カントは確か「私の中にアプリオリ(先験・先天・固有。単に先験という訳が普通だろう?)(先天先験・後天学習獲得問題もそこには含まれそうだ)に存在する道徳律(倫理)? といったことを書いていた?」 と記憶するが、その「道徳律」が「変化しないか(――なにごとでもそうだが、人によって、時や時期によって、異なるし異なっていく。そうではない何かもあるだろうが)」・「遂行されるか」、という検討課題もあるだろう。遂行されなかったらないに等しいとまでいえるケースもでてくる(――たとえば人類の○○――)。以上ここの部分たる「その在り方」に関する内容をひき出し記すこと(――それはハイゼンベルク描像における実態を連想させる――)。さらにそれらと「自由意思・意志(既に何度も述べた)」を絡め、人類の未来や自分の在り方についてさまざま考察すること。*「自由意志・意思」と「決定論」、「自由意志・意思」と「量子力学・量子論」との関係について考察すること。*「自由意志・意思」と「論理」との関係について考えること。*「自由意志・意思」と「創造」との関係について考えること。*「自由意志・意思」と「想像」との関係について考えること。*「数学」と「論理」、それらと「自由意志・意思」との関係について述べること。*「いい思いをすること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「いい気になること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて解説すること。*「傲慢になること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「威張ること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「苦しむこと」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて解説すること。*「努力すること」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「人にいいことを為すこと」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*以上、運命のノート関連の実態(仮説)において、それらプラス面に伴って、同時とは限らないがマイナス面があることを解説すること(――質の対生成と質の対消滅、それに質時間回帰による――)。*以下これは運命のノートの内容を導き出す根本法則のひとつであるが、「他人に為したとおりを将来必ず同じだけ自分が受けることになる」という法則(――質の科学・仮説からでてくる。ただし、転生がないと完璧にはそれは遂行されない。そういう傾向がある、という程度に終わる。で、転生については、霊魂はあってもなくても転生はある、という「概念による証明のようなもの」はある――)についての感想や事例sを述べること。*運命のノートの未来に「マイナスを書き込んだ=マイナスの質時間を積んだ」、と思ったら、それを打ち消す程度の「プラスを書き込めばいい=プラスを人に与えればいい=マイナスの快を受ければよい=プラスの質時間を積めばいい」、ということがいえる。・・・解説を少し・・・ここに記している、プラスやマイナスについていうと、それは結局質時間について述べているのであるが、質時間にはさまざまな多くの種類があるので、マイナスの質時間の記録を打ち消したいばあいは、基本的に「同じ種類の」質時間のプラスを積むことが必要である・・・。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる。ここで設問として・・・上にある「マイナスの快(――そこから、プラスの快という概念実態・描写記述内容も当然でてくる――)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。さらに、「質時間にはさまざまな多くの種類がある」ということについて解説すること。*質時間回帰則から、言葉にしたり書いたりすることを憚られる内容sがでてくるが、それについては具体的には何も記さないこと――なぜならガックリくるからである――。この「それについては具体的には何も記さないこと」についての感想を記すこと。この設問について抽象的に解説すること。*次の文章についての解説をなすこと。「宗教sの言う『死後の裁き』について・・・『死後の裁き』を行うのは、『神』ではない。『質時間回帰則』が『死後の裁き』をなすのである。そこにおいては、『意識体』と『知性体』について、それぞれの理解と認識も必要である」*食料の生産――1次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*飲食物の生産――2次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。くわえて質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*飲食物の流通販売提供など――3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*衣服の生産流通販売――1次産業~2次産業~3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*住宅や都市・生活基盤の生産製造工事流通販売維持など――1次産業~2次産業~3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。ならびに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*「人間は一人では生きていけない、生きていけるとしてもごく短時日である」、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*「質時間回帰則が世界を見張っている」、それについて解説すること。*アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言は、「完全な決定論」の表明であるのかどうか考えること。ならびに、その言と自由意思との関係を論じること。*・・・アインシュタインはすべては物理的に決定論で記述される、といっているように一応思える。しかし、たとえばそれだけでは、「神は神の自由意思・意志に基づいて行為する」、という可能性の領域を否定しているとはいえない。・・・人間についていえば、アインシュタインは、決定論の立場に立っているように見える、自由意思・意志はなくて、法則どおりに進むと。・・・そこで、「神の自由意思・意志」までもが決定論内にある論理に従うのか否かという謎と設問もでてくる。以上とその謎と設問について考えること。*・・・さらにつづけよう。で、アインシュタインはたしか、「スピノザの神を信じる」と言ったと書かれていた?と思う。スピノザの神というのは、端的にいうと、「大宇宙、大自然、森羅万象、すべてに神が宿っており、それら万物が神である(汎神論)」という主張 ? だったと思う。それは神道の主張と同じようなものだろうか ?そこらに関する感想と考えたことなどを記すこと。 *・・・で、アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という立場は、「森羅万象は法則に則って機械仕掛けのように運営されていく」、と、まずは理解してしまう。そこでは、「神には自由意思・意志はない」あるいは、「神の自由意思とは法則だ――それは自由とは思えないが――。神が自由意思で法則を決め実現させている、運営している、とすれば、なんとか神は自由意思をもっている、と記述はできるが。あとは解釈のし方や好みの問題だ・・・」、ということになる。そこらあたりについて考えること。また感想を述べること。*・・・それらに関連してちなみに・・・「人間の自由意思・意志については、否定ですか? アインシュタイン先生・・・そう単純にはいかないと思いますが」。このカッコ内の文言について論考すること。*以上、自由意思・意志が存在するとすれば、以下のケースのもとに、自家撞着というかパラドックスというか矛盾というか、が発生する。それはつまり、さる人物(猿ではない・Jk)が筆者に言ったが「自由意思の仕組みが解明されそこが完全に論理的に記述されたら、それは「自由」意思ではなくなる」と。ここらも仮定の世界にあるが、そういう側面もある、ということである。ただし既に述べているように、そこは原理的な原因・理由で解明されないだろう。そこらへんについての感想や考えたことを記すこと。*以上、決定論と非決定論、自由意思・意志の有り無しに関連して、ハイゼンベルクの不確定性原理の主張する「位置と運動量、または時間とエネルギー」は同時に正確には決定されない、という内容――後述があるのでここではまだ実態と記さず「内容」と書く。それはハイゼンベルクの理論である――に似た面があるかもしれない、という連想を生むが、基本的には異なる・・・それはそこに実際に意思・意志があるか否かという謎と設問の世界である。人間の心器にはそれがあるが(もちろんそれは仮説である)、量子場にそれ「自由意思」があるかどうかは・・・宗教や神学では、神の意思・意志がそこにはある、と主張するかもしれないが・・・わからない。・・・大自然すべて森羅万象が神であるという汎神論においては、そこにある法則性も神である、とするだろうが・・・。以上、についての感想を記すこと。ならびにその謎と設問について考え述べること。*さらに以上それらに関連してちなみに・・・ハイゼンベルクの不確定性原理を記述する不等式は、小澤の不等式で厳密化――観測によって対象に与える変動と観測精度の限界による誤差、それと量子ゆらぎによる実態を区別して新たな項を2つ加え、左項は3項となった。ハイゼンベルクはそれらをはっきり分けてはいなかったという形跡があるそうだ――されたわけだが、それの詳細については、省略する。ここの部分についての感想を述べること。(・・・ちなみに:近年、日本の研究者を鼓舞する事態が増えてきている・・・)。*以上に関連してついでに書いておこう・・・自由意思・意志が発揮される領域として、決断――さまざまな情報sを収集し考え研究し勘案斟酌して決断すること――、自分の中のマイナスな面をださないように努めること、自己教育、創造~新しいなにかを創り上げること、などがある。もちろんそこでは、既存の情報sや内容s、現実に既にあるさまざまを活用した上で――このことsは自由意思・意志を否定しない。それを否定するようだと、自分の誕生まで自分自身の自由意思・意志で成し遂げていなくてはならない、というところにまで行き着く。そもそも自分を生み出したのは自分ではないから自由意思はない、と。そういった不可能な領域は自由意思・意志とは100パーセント関係ない――、自由意思・意志を発揮し進んでいくのである。ここの部分についての感想と論考を記すこと。・・・以上、参考までに・・・自由意思・意志についても、過去にかなり多く記している・・・ネット上にあるそれらを探しだして整理すること。*筆者がネット上に書いている膨大な文章sをわかりやすく整理すること。*直近上の設問の前口上につけ加えて・・・参考・・・いや、現在の自分の心器の大元は永遠の過去(あるいは宇宙誕生時のあたり)から存在していた可能性はある。その心器の大元が、「生物に宿りたい」と思い、努力した結果が現在の自分の心器となった可能性も否定できない。現在の自分の肉体の方の誕生についても同じような在り方でなされた可能性もある(生物の発生と進化については、既に詳細に論考し記してある)。・・・ここらあたりはいくつかの場合分けが必要であるが、それは省略する。・・・・・・基本的に「自分」という存在は現在の自分の「意識器」である、ということは既に詳述している。「意識器」は「心器」とは異なり、知性や自由意思などはもたない、ということについても既に詳述している、ということをつけ加えておこう。さて、以上の「参考」に関連して既に詳述してある部分sを拾い上げ、論文的にまとめ上げること。*以上、アインシュタインの「『神はサイコロを振らない』という言は」から始まった謎と設問のシリーズの総まとめとして、それらの内容のどれか~全部について、考えたことや感想を記すこと。*アインシュタイン関連の設問が続いたので、その延長線上にある内容として本文中の次の文章を載せよう。『参考:新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き?日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。』以上について感想を述べ、それから論じること。さらに、「以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。」について解説すること。*どんな理論も近似的に現実を記述できることがある――その実態をそう表現できる――。で、対象も時や時期によって異なってくるのは当然であるが、そこを織り込んで規則などを記述することは不可能であるし(tを盛り込んだ記述の不完全さ)、そこを考慮しなくてもそもそも対象を完璧に記述することは不可能である。百歩譲って、対象は近似的に記述できる、と表現できる、としよう。近似的に記述するということはズレがあるということである。で、少しズレただけで未来は不確定になる。ほんの少しの角度のズレがそれを伸ばすとズレが大きくなる、といった実態があるのでそういうことがいえる――それらをすべて盛り込んだ記述はできない――それに関しては既にかなり述べている――。以上から、自由意思・意志の存在の担保、決定論の回避、などがでてくる、という面もある。以上の記述についての感想と意見を述べること。*このところの一連のチャプターs、その他さまざまs、などを読んで、世界情勢・社会情勢などを交えて、物好きでアホな痴性の持ち主である筆者の考えるところや意図などを推測想像し端的に短く記すこと(思考力や推察力、国語力などの鍛錬にもなりもうす)(ただし先述したとおり、このスレを書いているのは豊かな痴性の持ち主の筆者ではなく、それら対象内容sがもつ論理・駆動力じゃす)。*以下これはいくつも飛ばした上、にある設問とは無関係・・・上に多く加筆したためわかりにくくなった・・・であるが・・・そして繰り返しにもなるが・・・自由意思・意志や決断、運命のノートをよりよくするための言動、自己教育、創造、などの鍵である『心器の理活』についてさらに深い追究をなすこと。ならびに、現実におけるそのモデルs――『心器の理活』のモデルになりそうな事例・事象・実態s――を探し出すこと。*質の科学(仮説)~質時間回帰則から、倫理・道徳を導き出すこと。*質の科学(仮説)~質時間回帰則から、義務と責任の存在を導出すること。*ほとんどのことにおいてそうだが、なんにつけ「人によって異なる、同じ人でも時や時期によって違ってくる」とネット上に筆者は過去に何度も書いているのだが、その命題を質の科学(仮説)~質時間回帰則、あるいはその他の原理、から説明解説すること。 *論理とは何か、説明すること。さらに、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*関係性とは何か、説明すること。さらに、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*規則、法則、とは何か、説明すること。くわえて、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*両眼視野闘争、気づき、変化盲、閾下知覚、運動誘発盲、などについて、心脳科学(仮説)にもとづいて解説すること。*心脳科学(仮説)を手短かにわかりやすく要約すること。*心脳科学(仮説)をもとに、哲学上のさまざまな課題・問題に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、心脳の現実におけるさまざまな問題・課題に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、世界・森羅万象におけるさまざまな問題・課題・謎に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、認識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、意識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、無意識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、笑いについて論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、感情について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、時間について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、空間について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、外界(自分の心と意識の外の世界~物質世界と非物質的世界)について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、脳神経科学における仮説を分別すること、ならびに、それらに説明をつけること。*心脳科学(仮説)をもとに、脳神経科学において確立した知見sを説明解説すること。*心脳科学(仮説)をもとに、「直接認識」の可能性について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、「直接意識すること」の可能性について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、既述「(参考:心脳において、仮に、情報物質が交信しているとしよう。しかも、超弦理論で記述される未知の量子sを心器が扱うことができるとしよう。するとどういうことが起こるか。実に興味深くおもしろい事象が起こりうることになる。《既述》)」の内容に関して、どういうことが起こりうるのか考えること。質の科学(仮説)を端的にわかりやすく短く記述すること。*本スレッドにある、すべての設問をすべて拾い上げ、並べ記すこと。*質の科学(仮説)にある「質時間回帰則(科学的カルマ)」の原理は複数ある。ネット上に既述しているが、それらを記すこと。さらに、回帰する量sや実態sを、現実の世界から探しだして記すこと(人間~団体~社会~国家~世界~自然界の中に)。*「質時間回帰則」は、「時間を組み込んだ対称性のひとつ」である、といえる。そこを数学的に述べること。ならびに、「質時間回帰則」は、「時間を組み込んだ保存則」である、といえるかどうか検討すること。さらに、そこにある原理を記すこと。くわえて、そこにある対称性についても述べること。*質の科学(仮説)をもとに、恵まれた地域においては、どういった事象と事態が発生することになるか、その実態と原理を記すこと。*質の科学(仮説)をもとに、こどもを甘やかす・こどもが恵まれている地域においては、どういった事象と事態が発生することになるか、その実態と原理を記すこと。*質の科学(仮説)をもとに、世界でもっとも○○である○○について解説すること(ネット上に既に記している)。*現代文明は、ゴミや廃棄物などを大量にもたらす実態にあるが、そのいい面と悪い面について論じること。さらにそこに質の科学(仮説)・質の対生成対消滅・質時間回帰則を適用して考察すること。*「世界中を新種のホタルsが無数に飛び交いまくる」というきわめておかしな文言を解釈すること。*質の科学(仮説)をもとに、○○が起こる原理と原因・理由を説明解説すること(ネット上に既述)。ならびに、これからは世界中、バッタバッタバッタ、バッタだらけになる、というおかしな文言を解釈すること。*ネット上のあちこちに、「他人は将来の自分である」と書いているんだが、それを質の科学(仮説)~質時間回帰則で説明すること。さらに、それと「運命のノート」との関係を述べること。*「The river of suns、人類全員、みんなで渡れば怖くない」という奇妙奇天烈ヘンテコリンな標語を解釈すること。ならびに、それと質時間回帰則との関係を論じること。*現代社会・世界における人間は、マイナスの質時間を積み上げやすい環境にいる。さまざまな文明の機器や発達した衣食住、趣味や快楽などを受けることのたやすいさまざま、などなどによって、人間はほっておけばマイナスの質時間を積み上げる傾向の度合いが非常に高い。「自分は恵まれていない」と思っても、そうでないケースが多い。そういう世界に暮らす人類をこの先待ち受けている事態は何か、考えること。ならびに、その事態と質時間回帰則との関係を論じること。* 以下の文章を解釈すること:「人類の質時間回帰と歩を一にする大気の質時間回帰;地球全球の大気の流れ:日本を通る大気の流れとして、だいたいの基本として(ときどき例外的になるが)、東に向かい、1・そのまま東に、かつ2・東に進んだ後北東~北~北西へ、かつ3・東に進んだ後南へそして西へそして東南アジア~インド南方あたりから南半球へ(ヒマラヤがあるからか?)そしてオーストラリア方面へ、と・・・・で、高度によって流れは異なることも多い。季節によっても変動する。さらに細かく分岐の行く先があるが、それは乱流・揺らぎということで、しかも時々以上すべてが乱れたり揺らいだりする。あと、北半球ででも南半球ででもそれぞれ3タイプの大気循環sがある。それらによって、それぞれの半球の大気は撹拌されている。そして赤道あたりでの南北ふたつの大気循環sによって南北両半球の大気は混じり合う。それらのメカニズムによって南北両半球の大気はかなりはやく入り混じる。以上がなにを意味するかというと・・・・」。*世界情勢・時事関連(対象の件は時とともに古くなるが);以下の文章を、質の科学(仮説)~質時間回帰則やその他にもとづいて解釈すること:「イソップ物語のアリとキリギリシャ・その2:アリの車がガタガタになって蓄えが零れ落ちていく←かなり前に書いた「イソップ物語のアリとキリギリシャじゃなくてキリギリス、イソップは古代ギリシャ人、ギリシャはキリギリス、アリはどこのドイツだ?」(どこの、を今回加筆。めんどくさくて省略したのを覚えている)」*質の科学(仮説)によれば、「快楽や楽、楽しみや喜び(プラスの快)」を受けると、プラスの質時間が消費されるあるいはマイナスの質時間を積み上げることになる、となる。マイナスの質時間を積み上げた人間が世界に増えればどうなるか考えること。*自由意思・意志があるか否か論じること。ならびに、自由意思があるという立場にたって、自由意思と質時間回帰則の関係について述べること。さらに、自由意思・意志が質時間回帰則に打ち負かされない在り方を論じること。*自由意思・意志と自由意思・意志による決断の在り方についても既述している。そこらを考察すること。*自由意思・意志で、自分の人間性のマイナス面――これは結局周り・社会・ひいては自分との関係になるが――を表にださないことができるかどうか考えること。ならびに、それを実践することを心がけてみた結果とその感想を記すこと。*自由意思・意志で、自己教育を行ってみて(自己責任で)、その結果と感想を記すこと。*心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、それらの科学的内容について感想を述べ評価すること。*「言葉が意識である」という主張における意識とは、心脳科学(仮説)によると、「知的操作感」である、という記述内容を解説すること。*人文的な論議は収拾がつかなくなる(――ケンカになることが多い――)(――感情的な要素が入っていると、もう、フニャフニャグチャグチャのドロドロ《意味内容があやふやで噛み合わない~意味不明~混乱混沌~不毛》になること必至である――)。その結果どうなるか――抽象的にあるいは具体的に――それを述べること。さらに、そこにある原理を記すこと。ならびに、質の科学(仮説)でそこを説明すること。*再び:このスレを読んで、自分の哲学を打ち立てること。*さらに繰り返しをも含めて・・・在りうる「論理」(科学や数学におけるそれとは限らず、社会的な・人間的な論理、それらを含めて)について追究すること。さらに、それと質の科学(仮説)~心脳科学(仮説)との関係を考えること。*このスレッドは8百を越えて書き続けられている。その題材sの領域は、科学~哲学~論理~遊びを含めて考えるところの世界の謎sについての領域s(=森羅万象スペースファンタジア問題)、などである。それらを読み取り分類して端的にわかりやすく記すこと。*このスレにおける過去の設問sを読み返し、それらに対する新たな答えsを考えること。*このスレッドについての感想を記すこと。*この世界・宇宙についての感想を記すこと。*一番の根本として・・・繰り返しになるが・・・哲学的な問いとして:人間は何のために、仕事をするのか・さまざま研究するのか、考えること。ならびに、人間とはなにか、人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きている・生きていくのか考えること。*質時間回帰則から、文字にすることが憚られる・ことばにしたくないような内容がでてくる。そこらを抽象的に述べること。*心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(――超弦理論をそういうふうに構築できそうである――)。(・・・筆者は、超弦理論を、筆者の研究に必要な程度学んだ・・・)。そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(――人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない――)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(――超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となるだろう――)。以上について、解説をなすこと。*さまざまなことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところを解説すること。*以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっている。1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(――ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」――)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」4:(ここまでは哲学であり、筆者はそれが好きだ)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、筆者はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。さてそこで、以上についての感想と説明を記すこと。さらに、それと質の科学(仮説)~心脳科学(仮説)との関係を述べること。*以下この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(――推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている――)推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)・・・仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。以上についての感想を述べること。*推測による「『脳における情報構造』からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ」、という文言の内容について解説すること。*心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ、という文の内容について解説すること。*「リベットの実験事実」を説明できるのは、心脳科学なる仮説s体系しかない、今のところ、という命題の解説をなすこと。*この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学という仮説s体系しかない、今のところ、という命題について解説をなすこと。*「話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する」という文章の内容について解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。そこを解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。そこを解説すること。*「心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる」そこらを説明すること。*「心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。『意識内容そのものに知性が介入できる』という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる」以上そこらを解説すること。*心脳科学(仮説)によると、心器、意識器、という局所場sがそれぞれ想定される。そこを解説すること。そこにおいて、ユングの仮説「集合無意識」を適用して、すべての心器sという局所場sが属する「非局所場」が存在するという仮説の説明をなすこと。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。それについて、説明なり、その哲学なりを述べること。*心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。それをなしてみること。*心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。一元論と二元論には定義がいくつかあるので、自分なりの定義をまず述べ、それからその統合について解説すること。*心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。まず、唯心論と唯物論の定義を述べ、それからそれらの統合について論ずること。*学問について言っても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところをもすっきりと把握できるだろう。それについて解説すること。*心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。それをなすこと。*不可知論にもいろんな立場がある。それについて説明すること。*カオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、それを超えた(越えた)立場も成立する。そこを解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる。それをなす試みを行うこと。*心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。それを記すこと。*心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。それをなすこと。*心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。その内容を述べること。*心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。その解説をなすこと。*心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。それを述べること。*心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。それを記すこと。*心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。それを試みること。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。それをなすこと。*心脳科学(仮説)の中で、心脳科学(仮説)の検証のための実験sについてかなりな程度言及している。それらをまとめて記すこと。*筆者は大学時代に、大学のキャンパスで宗教の勧誘にあったことがあった。筆者はその男に説明をほとんどさせず、筆者の「世界哲学、質の科学、質時間回帰則など」を説いてきかせた。その二回目では、図書館のロビーでさらに詳しく説いた。するとその男はそれ以降二度とキャンパスで見かけることはなくなった。以上は、そういった世界哲学などの研究(かなり初めの段階で「世界哲学」と名づけた)による効用のひとつであるともいえる。ここで設問だが、それに類似した体験を述べること。*「To be honest,or not to be honest:that is the question.」について説明すること。さらに、質時間回帰則をそこに適用してさまざま説明すること。*押し付けでない、「考え理解し納得に向かうところの新しい倫理・道徳」として・・・「質時間回帰則」の検証と理解、「人の多くは、死ぬ前に、『もっと多くの人にいいことをしておけばよかった』『自分がほんとうにやりたいことを思いきってやっておけばよかった』などと思い後悔するのだそうだ」などといった実態を知ること、などが考えられる。以上の内容についての感想や提案を述べること。*以下の文章の中に、質の科学(仮説)の内容を見いだし、それについて解説すること。・・・「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。・・・With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded・・・Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.」*本スレにある設問sの中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。*心脳科学(仮説)の中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。*質の科学(仮説)の中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。以上、そういう出題をなすことができる。(以上、あまりの読みにくさに、辟易うんざりしています。しかし今の段階ではこうなるしかない、という実態については既に記したとおりです。そのうち清書したいと思います《人類が○○するまで筆者の営為はつづいていきます》)・・・本スレッドをはじめ、ネット上を含めて筆者が書くものにある教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けているのである・・・(「www」、「WWWW」、「!」、「!!!!」、を初めて多用したが、それは、直截に・ストレートに・直接的・具体的に記すのを避けたためでもあるし、たまにはおもしろく書くことも必要だと考えたからという要素もある。ユーモア・ジョークを入れないとやっていられない時代という時期・世界はある《まあ、どんな時代でもそうであるが》――それに関してはすでに述べた側面もある)。(この設問の対象における内容について否定する意見の持ち主は、そういったテーマについての科学的研究能力のない者だろう。「そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ」などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういった見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、それは、刷り込まれた思い込み・決め付けのみに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので《なにごとであれそういう姿勢が望まれる》、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められるし、全部を理解した上でないと、反論する資格も権利もない《権利関連問題については既に述べている》《ただし、頭ごなしに否定・反論するばあいはそうであるが、学びたいばあいは、すべてを理解していなくてもよいのは当然である》。ちなみに、検証・実証も今後進めていきたい)。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問など、その他の記述は、筆者自身に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。参考:思考を問うところ:(今回の分は、「超絶抱腹絶倒超絶不審仮説の世界」ではない):「質時間回帰則」の解釈のひとつとして「他人に為したとおりを将来必ず自分が受ける」という法則がでてくる。それと同値~同値に近い、「ことわざ」や「格言」などを記すこと。ならびに、そういった文言sの中には、正反対の内容をもつものたちがあるケースがあるが、それらを挙げ、その事実が何を意味するのか考えること。さらに、現実の世界における、その実例sを記すこと。くわえて、その法則の実証のための方法などを述べること。および、繰り返すが、「質時間回帰則」の解釈のひとつとして「他人に為したとおりを将来必ず自分が受ける」という法則がでてくるわけであるが、「質時間回帰則」について、その他の解釈を考え記すこと。以上の内容と「運命のノート」との関係を考えること。また、それらについての感想を述べること。思考を問うところ:(今回の分は、「超絶抱腹絶倒超絶不審仮説の世界」ではない):さて、今回も超絶真摯に、「天国」が実在すること、の証明に挑戦してみよう。まず、世界中の多くの宗教sが、「天国はある」と宣言している。それが何を意味するか考え記すこと(陳腐な見解は、それを、道徳のためと言うが)。そこに行く者たちはどんな者たちかそれら宗教sの聖典から引用し述べること。また、自分で考え述べること。次は、心脳科学(仮説)に基づいて進めよう。心脳科学(仮説)によると、「心器と意識器が霊魂のような存在である可能性」をも導き出すことができる。その概要を記すこと。さらに、質の科学(仮説)においては、意識器に付く変化である「質時間」はなんらかの「保存量」であるだろう、という結論がでる。それが事実であれば、意識器は人の死後も消滅しない、ということになる。つまり、意識器は霊魂のような存在だろう、ということになる。「心器と意識器が霊魂のような存在である(心器と意識器は別々の存在であるが。心器が霊で、意識器が魂、といえるだろう)」と、あの世(死後の世界)が存在するという「可能性は非常に高い」ということになる。そこをわかりやすく説明すること。その「あの世」に天国があるということになる。そこを解説すること。ならびに、天国に行く者たちはどんな者たちであるのか、質の科学(仮説)をもとに述べること。さらに、霊魂が「あっても」「なくても」、転生はあることの証明のようなもの(論理だけによる)を記すこと。そこにおいて、質時間回帰則がどう働くか詳述すること。それは天国の存在とどう関係するか述べること。天国という世界はどういう世界であるか考え記すこと。また、その実証の例sを書き記すこと。思考を問うところ:(今回の分は、「超絶抱腹絶倒超絶不審仮説の世界」ではない):さて、今回は超絶真摯に、「地獄は実在する」ことと「そこにおける恐怖と苦しみは極限であること(世界中の多くの宗教がそう断定している)」の証明に挑戦してみよう。まず、世界中の多くの宗教sが、「地獄はある」と宣言している。それが何を意味するか考え記すこと(陳腐な見解は、道徳のためと言うが)。そこに落ちる者たちはどんな者たちかそれら宗教sの聖典から引用し述べること。また、自分で考え述べること。次は、心脳科学(仮説)に基づいて進めよう。心脳科学(仮説)によると、「心器と意識器が霊魂のような存在である可能性」をも導き出すことができる。その概要を記すこと。「心器と意識器が霊魂のような存在である」と、あの世(死後の世界)が存在するという「可能性は非常に高い」ということになる。そこをわかりやすく説明すること。その「あの世」に地獄があるということになる。そこを解説すること。ならびに、地獄に行く者たちはどんな者たちであるのか、質の科学(仮説)をもとに述べること。さらに、霊魂が「あっても」「なくても」、転生はあることの証明(論理だけによる)を記すこと。そこにおいて、質時間回帰則がどう働くか詳述すること。それは地獄の存在とどう関係するか述べること。地獄という世界はどういう世界であるか考え記すこと。また、その実証の例sを書き記すこと。思考を問うところ:(今回の分は、「超絶抱腹絶倒超絶不審仮説の世界」ではないが):大宇宙森羅万象(世界)の中に、人間は存在している。そして、「人は心・心器と意識・意識器をもつ。その心は世界(大宇宙森羅万象)の焦点であるといえる。その意識は心における心的内容を意識内容として意識し味わう」と表現できる。ここでまず、世界(大宇宙森羅万象)とは何か、心脳科学(仮説)を適用して解説すること。ならびに、心脳科学(仮説)を適用しないで、世界(大宇宙森羅万象)について、なんらかに説明すること。さらに、「人の心は世界(大宇宙森羅万象)の焦点であるといえる」という命題について心脳科学(仮説)を適用して解説すること。くわえて、「人の意識はその心における心的内容を意識内容として意識し味わう」という記述について心脳科学(仮説)を適用して解説すること。および、「世界(大宇宙森羅万象)に、意識をもつ存在がないとすれば」という仮定についてどういう感想をもつか記すこと。思考を問うところ:大宇宙森羅万象の中で、人びとは(人は心・心器と意識・意識器をもつ。心は世界の焦点、意識は心における心的内容を意識内容として意識し味わう)、幸福でありたいと思っているわけであるが(そう思っていない人もいるかもしれないが)、人間は常時いつもずっと幸福でいることはできない(そう感じない・思わない人がいるかもしれないが)。さてそこで、「幸福」とは何か、考えること。その上で、幸福の定義を記すこと(基本的にそれは人によって異なるだろうが、一致するばあいもあるだろう《そのことについて、質の科学・仮説で解説できる》)(質の科学・仮説を適用すれば必然的に幸福の定義がでてくるが、それを否定する人もいるだろうし、別に、それを適用しなくてもいい)。さらに、なぜ、「人間は常時いつもずっと幸福でいることはできない」のか、考えること(質の科学・仮説を適用すれば必然的にその結論がでてくるが、別に、それを適用しなくてもいい)。その上で、「運命のノートの未来にプラスを書きこむ」べく努め(自己責任で)その結果を記すこと。ならびに、「運命のノートの未来にプラスを書きこむこと」と「幸福」の間の関係を論じること。くわえて、個人の幸福と、その個人が属する団体(小さなものから大きなものまである。一番大きいのが人類全体として、三番目あたりに大きいのが国家か《適当に数字を当てた》)の幸福(不自然な表現だが。この幸福は省いてもいい。単に団体でいい)との関係を論じること。さらに、以上についての感想を記すこと。設問:「自由意志(意思)」がある可能性について考えること。その上で、「自由意志(意思)」の定義を示すこと。そこにおいて、「運命のノート」の未来にプラスを書き込むべく「自由意志(意思)」を役立てるにはそれをどう活用すればよいか述べること。さらに、「自由意志(意思)」はある(既にそれに関してさまざま記してきた)と仮定して、前回の設問にある「直接認識」、それら両者を併せて、「運命のノート」の未来にプラスを書き込むべく役立てるにはそれらをどう活用すればよいか述べること。ならびに、この設問に解答することにおいて、「自由意志(意思)」がどうかかわっているか論ずること。くわえて、以上についての感想を記すこと。設問:このところの一連の流れにのって、「遊びの精神」と「超絶抱腹絶倒超絶不審仮説の世界」と「科学的精神」の中で、「森羅万象スペースファンタジア問題」に挑戦してみよう。まず、まずい詩(幻想駄詩)を:(下略)☆☆☆西山浩一(世界人・春楽天)