181028:加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学
筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。(――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす――――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日・今加筆中の#3は、#882である)筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。☆毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・さて、今回は・・・1月13日の分が膨大じゃったので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・☆グチを一言・・・読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。・・・つひでに・・・筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす。それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。(・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・――「オボシメシ」とは、新種のウメボシ・オボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――;・・・ついでに・・・「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている)、と思う。おまけに、「おむすび」だと、手で作らなくてもいい、ということもある。「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てはくるが――)☆☆☆加筆用(どこかに挿入):(このセクションから「検討課題1」と「検討課題2」が生まれた・・・本セクションに密接に関連する課題として)・・・以下、これは、既に記している内容を多く含んでいるが、以下に述べる「観点」において、「心」「意識」について、それを解明するところの論述である・――その観点とは・・・「心と意識は脳という物質の組織に生じるか、それとも霊魂と呼ばれるような存在に生じるか」・・・言い換えれば、特定の意味においてだが、「心と意識は唯物論内にあるか、それとも唯心論内にあるか」という観点である・・・それは設問でもある――。それは本論において非常に重要なところである。多くの人たちも、「心」と「意識」について大きな興味をもっていると思われるので、ここに新たに論じてみよう・・・まず初めに、脳全体または脳の一部に、「心」、「意識」、が生じるという立場に立ってみよう。つまり、ここでは、既に何度も述べているところの、「霊=心器・心のフィールド」、「魂=意識器・意識のフィールド」、はない、という立場に、まずは立つのである・(・・・そこに、「霊」と「魂」をあてるのは、それが妥当であるからである――既にある、馴染みのある言葉の活用において――。それについては既に何回も解説している・・・)。言ってみれば、心や意識の世界も唯物論的事象の中にある、という立場に、ここではまず立つとしよう、ということである。さて、1・そこにおいて、脳の活動、脳のニューロンs活動、は刻一刻と変化しているわけである。2・そうであるのに、「自分という心」、「自分という意識」、は変わらない。・・・付記・・・たとえ、記憶喪失になっても、それらは変わらない・・・自分という心、自分という意識、は変わらない。記憶喪失というのは記憶を失っているだけである(「だけ」と付したくないのであるが、付すしかないので困る。「記憶だけを失っているところである」とした方がいいのかもしれない。――記憶喪失状態は大変なことであり困ったことであるのはよくわかる――――ややこしくなるが、ここでは、「自分という心は変わらない」は省いた方がいいのかもしれない。「心」については、少しややこしいところがあるのでかん違いを生むかもしれないからである。記憶喪失状態になっても、思考力が以前のままであれば、そして本論における「心」について理解しているのであれば、「心は変わらない」と言えるのであるが。「自分という意識は変わらない」については、本論における「意識」について理解しているならば、誤解のしようがないので、そのままでいい――:以上、付記・・・・・・別な付記・・・「記憶だけを失うことがある」という事象はきわめて不思議なことである。そこから、心脳について、何らかの・重要な解明ができそうである。記憶喪失になる以前の脳と、そうなったあとの脳に、重大な変化がないとすれば、なおさらそれは不思議なことだと思える。たとえば、記憶には「心器が大きく関わっている」といった結論がそこからでてくる可能性もある。さらに・・・、目覚めたばかりの時は、思いだそうとしても思いだせないことが多いし(いくらか経てば思いだせるが)、真っ暗な部屋で目覚めると、ごくごく稀に「ここはどこだ? 」と思うこともある(これは筆者の体験であるが・・・これは一時的な記憶喪失状態に似ていると思える)。――この「別な付記」の内容から検討課題が生まれる・・・それに関連して既に別なところに述べた内容と併せて考えることになるが、それは将来の課題としよう「検討課題1」・・・:以上、別な付記・・・・・・参考・・・「心」と「意識」の定義は本論のそれらを適用する。本論においては、「自分という心」と「自分という意識」が、脳という物質の組織全体、またはその一部に生じようが、「心器というフィールド」、「意識器というフィールド」に生じようが、どちらでも成立する構成をとっている・・・:以上、参考・・・ふたつの付記と一つの参考からでて、このセクションの本題に戻って・・・それ・上述「2」をどう説明するか・・・それは、「ひとつの脳だからである」、「ひとつの脳における事象であるからである」、という根拠・論拠からは、それを説明することはできない。なぜなら、上述「1」という実態があるからである。3・しかも、眠ると、普通、心も意識も眠る。しかし、眠っていても、脳の活動・ニューロン活動は盛んである――起きているときとは、それはかなり様相が異なるものの――。4・「1」と「3」という実態があるので、「2」であることはない、という結論に至る――ここでの立場「唯物論」においては――。そこの説明をさらに深めてみよう・・・まず言えることとして・・・そこにおいて、変化するのは、「心的内容」と「意識内容」であって、「心」と「意識」の生じる器(たち)は変化しない――この命題の真偽の確認も必要であるが、すでにあちこちに述べている根拠を適用して、「真」だとする(・・・いちいち全部書くのはメンド草草メンド草・・・)。ついで言えることとして・・・脳という物質の組織は、常に変化している。脳内での物質代謝、脳・ニューロンsの活動の度合いなどは常に変化している。脳のニューロンsの活動も常に変化しているさらに、7年? 経つと、脳は物質的にすべて入れ替わる――脳の構成要素すべて~脳全体――が入れ替わる、という実態がある。くわえて、脳の一部が損傷しても・欠けても、自分という意識に変わりはない、ということもある・(欠けると意識がなくなる、という部位・脳の、はあるが・・・ここから、その部位に意識がある、とか、そこは「心器」か「意識器」につながる部位である、といった解明もできそうである――これについてはかなり検討して既述しているが、これもさらなる検討課題になる「検討課題2」――)。以上、それらを総合すると、唯物論の立場において、上述「2」であることはない、という結論が必然的にでてくるのである。つまり、脳という物質の組織に、「心」と「意識」が生じることはないという結論をここでは得る・うるのである。以上からの結論として、「心器というフィールド」と「意識器というフィールド」は存在する、というところに至るのである。(加筆)・・・ほかにも、本論の中で既にさまざま述べてある内容もその結論を支持している・・・(加筆)つづくピックアップコーナー(上略)さて、そうやって、最低周波数が、その例えの「1.1Hz」だったとしよう。その最低周波数を「1(Hz)」とする。そこから、物理学用の「秒」が決まる。その秒は現行の秒とは長さ(経過の長さ)が異なる。日常生活に使う現行の秒はそのまま用いればよい。しかし、物理学や電子工学などにおいては、新しいその秒を用いた方が合理的である(変更にあたっては、いろいろめんどうなことが起こるだろうが)。これで、晴れて、時間単位・秒と電磁波が結婚できる・・・、というのはたとえであって、晴れて、電磁波の周波数は自然数となる・・・めでたし目出たし・・・(◎_◎)めで鯛目出鯛・・・\(これでも鯛なんだゾウ)/___/}◎__ }~~ \}\(ブサック鯛じゃないん鯛)/・・・ところで・・・めでたし愛でたし愛でたし・・・と言えば・・・V(Uの方がいいが)WxYZ(2つの足s・フィートのつもり)・・・アルファベットのここの部分は・・・偶然なのか・・・作者がそこまで考えて創ったのか・・・興味深い・・・笑・・・そんなことを考える筆者は・・・SKB48・・・笑・・・・・・カタいことをマジメに考えたあとは、こうやってフニャけるに限る・・・・・・ふにゃけコーナーからでて・・・で、その新しい秒と、現行の秒の比を求めれば、換算はかんたんである(手早く計算するばあいは、極ごく極めて小さい端数はでるだろうが)。そこから、プランク定数の値が定まる。光速の値も異なってくる。ほかにも、値が変わる単位もでてくるだろう。(――以上、この結論は、またさらに変更するかもしれないが・・・ほんとにややこしい課題なので――)参考・・・*(最小)エネルギー量子(プランク定数×1(Hz)~それの自然数倍のエネルギー量子)、があるということは、エネルギーは無限に薄まったり拡散したりすることがない、ということを意味する。そこは、アナログではなく、デジタルの世界である、とも言える。で、プランク定数の値が、不確定性によって、変動するという可能性があるかどうか? (これは、エネルギーと時間の間の不確定性とは別な話なんだが)・・・それは、あるかもしれないし、ないかもしれない、と無難にまとめておこう・笑。*(素)粒子や電磁波の世界は、ある意味、定在波的な実態にあるのだろう? (例外はある? )。そこから、デジタル性がでてくるのだろう? (定在波的存在sと、それらが粒子化した存在s、それらがこの宇宙を形成しているのだろう? ・・・この文言は「超ひも理論」を思わせる・・・)*しかし、そこから、電磁波の最低周波数は1Hzであるとか、電磁波の周波数は自然数になっている、という結論はでてこない――現行の秒(偶然によって決められた)のもとでは――。*現行の秒が、偶然によって決まり、その秒のもとで電磁波(光子)の周波数が決まり、そのもとでプランク定数の値が定められている。秒→Hz→プランク定数である。最初に、現行の秒のもとではなく、周波数が自然数になるところの、物理的に固有の秒にもとづいたプランク定数の値がわかっていれば、そこから、物理的に固有の秒がでてくるのであるが(なんかヘンな論理だが、こう書くしかない・・・その秒を知らずに、そのプランク定数の値がわかれば、という意味である)、物理的に固有の秒がわからないから、こうやって苦労しているのである。・・・以上、参考:筆者の最新の結論は以上――上述(以下、最新の結論)、以下――である。この先、またまた結論を変更するかもしれないが・・・(この課題はとにかく、ナゾナゾしく、ややこしいので)・・・・・・しかしともかく、電磁波の周波数が自然数となる秒の値という実態はある。それ以外の定義の秒では、電磁波の周波数は自然数とはならない・・・どう考えてもそうだと思える・・・・・・さてここで、今までの悪戦苦闘~科学泥仕合から離れて、同じ課題の解答のひとつとして以下にすっきりと書いてみよう・・・秒の長さは未定のままで進む――現行の1秒から離れる――最低周波数の電磁波の周波数を1と定める――超超長波だ・そんなのが発生するのかどうか、という問題もあるが、概念でここを構成すべく先に進もう――(それをどうやって計測するのか? )そこから、プランク定数の値も決まる――それは、現在のプランク定数の値とは異なってくる――それをh”としよう――で、その1Hzの電磁波のもつエネルギーは、「h”×1(Hz)」である・それを「h”’」と記そう(いちいち、h”の絶対値をエネルギーの値にしたもの、と説明をつけるのがメンド草草なので)そして、電磁波の周波数が1Hz上がるごとに、「h”’」のエネルギーが加わるさてそこで、そこから物理学や電子工学用などのための「秒」の長さが決まるそれは、1Hzの電磁波の検出から始まるあるいは、離れた上述のやり方で決まるもしくは、1Hzの電磁波のもつエネルギーを測定することと、それらを絡めるあるいは、電磁波における最低エネルギーを知ることから秒の長さが決まるひとつのやり方は、「あてる電磁波のもつエネルギー」割るその振動数=「h”’」であるしかしこれも現行のやり方では、現行の秒をもちいているそこで、光電効果から、1Hzあたりのエネルギーを知る光電効果の起こりやすい金属に電磁波(光子)を当てる1個の電子が跳びだしたとする「あてる電磁波のもつエネルギー」-「金属から跳びだすのに必要なエネルギー」が、跳びだした電子のもつ運動エネルギー跳びださないように阻止電圧をかけるなどなど~~~しかし、これも、現行の秒を使って振動数を決めている時間とエネルギーの関係に関するすべての数式を吟味してみるのも参考になるだろう・・・・・・しかしやはり、直近上に羅列したそれらのどれをとっても、現行の「秒」がでてくる・・・(加筆)・・・ここでもやはり、すっきりとはいかなかった。結局、いくらか離れた先述の「今のところの最終結論」を記述し、そのすぐあとで、「めでたし目出たし・・・(◎_◎)」と盛大に祝った(笑)、それ、が、「今のところの結論」である。(・・・大宇宙・大自然は人間にさまざまなナゾを突きつける~~やーい、やーい、人間ども解いてみろ~~と・・・人間はそのナゾを解こうと一生懸命になる・・・さまざまな領域のナゾたち~「科学・人文・社会・生産・産業・商業・企業・生活・学問・芸術・生きていて遭遇するすべて・などなど~におけるナゾたち」・・・大宇宙・大自然はナゾナゾの名人であり人間の先生でもある~・・・しかしそれにしても~人間はちっぽけなり~・・・大海に漂う笹舟~それが人間~・・・それでも人間は負けない・・・永遠につづく転生もあることだし・・・)(加筆)(下略)(上略)ほかにも、心脳における現実・実態、心脳における科学的な難問s、心脳や心・意識についての哲学的難問sについて、心脳科学(仮説)で答えることができる・説明解説できる・・・それらの多くをも既述している。さらに、さまざまなたとえや実例・事例を挙げ、それらが心脳科学(仮説)の正しさを強力に支援し担保していることを既に記している。くわえて・・・、・・・既述と重複するところもあるが・・・心脳についての哲学的問題sや難問sさらにはパラドックス、おまけに物理学における難問やパラドックスなどを、心脳科学で説明なり「解決する」という記述論述も既に多数なしている。・・・以上、ということでつまり・・・、心脳におけるさまざまな現実sすべてを、哲学的問題をも含めて、☆『心脳科学(仮説)で(ほぼ)すべて説明解説できる』☆のである。同じく☆『物理学上の難問やパラドックスについてもそうである』☆。そういう観点からいっても、心脳科学(仮説)は心脳を正しく記述していると言えるだろう・・・☆『一般的にはそういう実態にある論を正しいという』☆わけだ。☆『現実によって検証されているといえる』☆のであるから・・・。・・・以上、詳しくは、心脳科学(仮説)本体と「加筆形式#1~2~3」などをみていただきたい・・・・・・以上は、心脳科学(仮説)の概略・・・(加筆)(つづく)1014分ここから加筆(――ここにも後日加筆した・・・上にもの凄~くたくさん加筆したので、下にでてくる「上述」が離れ杉杉離れ杉・・・困った困った・・・ここからは「問題集」なんだが、さて、どうしようか・・・――)さて、では、問題集・設問集にいきませふ・・・今回の設問s(ここはシリーズものなので、「今回の」を付してあった・・・そのまま残しておこう)・・・以下、そういう問いsを立てることができる(重複したところもあるが)・・・それらの問いと問いへの解答と、それらにふさわしいイラストや、それらの周辺などに関係すると思われる内容を伝えるイラスト、を象徴として描くこと。・・・補足:このシリーズの設問sの答えsなどを、筆者は「いくらか~けっこう・(この表現はひとつの単語ではなせないようだ。「まれに~たまに~時々」とその平均的な頻度を表現する副詞・連用修飾詞も同じくそうだ。誰かいい単語を開発しないものだろうか? ・・・以上、日本語のクオリア研究のひとつ・・・)」どこかに書いている・ネット上やその他sに。その中には、充分なものs、不充分なそれら、書き散らかしs、などがある。まだ答えなどを書いてない設問sもあるが、それら全部の設問に答えをだして書ける自信・確信がある:以上、補足・・・・・・以下、教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けている・・・ネット上をも含めて筆者が書くものにある教訓的な内容はすべて、まず筆者自身に向けているのである・・・*いくらか離れた上述・(後日加筆・上に凄くたくさん加筆したので、もの凄~く離れてしまっている・遥か上に載せた哲学的な論sなどのことである)を引き継いで、まず、哲学的な問いになるが・(――これが最優先だろう。それはクオリア研究の一環でもあるし、クオリア研究の基盤をしっかりさせるためにも必要だろう――)、人間は何のために、仕事をするのか・さまざま研究するのか、人間とはなにか、生物とはなにか、考えること。ならびに、意識と心、生物、宇宙・世界、はなぜ存在するのか考察すること(試案のいくつかは既にネット上に載せている)。*さらに、人間はどこから来てどこへ行くのか・(――この表現は誰かによって過去になされたものだ。たまに目にする。たぶん外国語からの訳ではないか? そんな感じがする・・・シャレた表現であるるる《「るる」は強調とジョーダン・・・ほかにも、シャレた表現だだだ、というのもある・・・遊びも心脳には必要であるるる・・・》――)、肉体はどこから来てどこへ行くのか、「心器~心」はどこから来てどこに行くのか、「意識器~意識」はどこから来てどこへいくのか、それぞれ考え記すこと。*今まで~今において、自分は何をやってきたのか・やっているのか、自分の人生の中での、その意味・意義、その位置づけ、その評価、などを考え述べること。さらに、仮説の論であるところの「質の科学~質時間回帰則」を指針とするとして、これからどういう方針で人生を歩み進んでいけばよいのか考えること(質の科学~質時間回帰則を信じない方でも思考訓練と書く訓練になるでせふ)。*自分はなにをやりたいのか、考えること。*精神・魂が干からびた人間・――これはかなり抽象的なたとえの表現内容をもつが、どういう具体的な内容をもつか自分で考えた上で――そういう人間にならないためには、どうあればよいか・どうすればよいか考えること。さらに質の科学(仮説)を適用してその答えを導きだすこと(質の科学を信じない方でも思考訓練と書く訓練になるでせふ)。*考えて納得する「倫理・道徳」として・・・まず「質時間回帰則」を打ちだし前提とし、「自分と人類が存続していくためにはどうあればよいか」という問いかけを投げかける(自分と人たちに)。そこから、「考えて納得する『倫理・道徳』」がでてくる。そこらを解説すること(質の科学を信じない方でも思考訓練と書く訓練になるでせふ)。*(付記・・・上述もそうだが、以下ここからの、多くの内容が、まるで量子論における多くの量子sのもつれのように、交錯・錯綜し輻輳し、もつれ合った、長文章の超複合設問である。量子コンピュータを創り上げ、アルゴリズムをも創り、その問題を解くことができるだろうか? でもまぁ、量子コンピュータでは、解ける問題は限られている。しかも、評者さんたちによる、現在の量子コンピュータsについての展望においては、「心的内容~意識内容という、人間の心や意識にとって、最高レベルの内容」には着眼していない。それらの対象内容と技術は、現在の普通のコンピュータと同じく単なる電子工学の規格・仕様・技術レベルにある・それに、アーキテクチャー・プログラム・論理学・数学・物理学・さまざまな学問s・なども絡んでいる。「心的内容~意識内容の世界」はそれとはまったく異なり(心理学や精神分析などとも異なる・ほんの一部似かよったところはあるが)、精緻~精妙~至高な、精神的内容の次元にある《精神的=心的+意識内容的。精神的内容=心的内容と意識内容を併せた内容》)。*直近上述の「カッコ( )内(付記)」も「*設問のひとつ」に含めよう「上のカッコ( )(付記)内の文章についての感想を記すこと」(質の科学を信じない方でも思考訓練と書く訓練になるでせふ)。*以下も上述からのつづきである・・・*「そういうふうに用いることのできる量子コンピュータをつくることができるか、そのアルゴリズムをつくることができるか、その展望を記すこと」*・・・以下またまた、カッコづけで、枝分かれsや脱線sや付加項sとジョーダンなどが多く、しかも長すぎて非常にわかりにくいが(しかしテーマはほぼ一貫している)(上述といくらか重なるところもあるが)、以下のそれらについて考えること:*人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きている・生きていくのか考えること・(「そういった問題設定に意味はない」、とか、「生まれてきたから生きて行く」、とか、「死ねないから生きていく」、「死ぬまで生きていくだけだ」とか、「自分が生まれてこようと意図して生まれてきたのではない」、「なんで生まれてきたのか、生まれてこなければよかった」とか、「そういう問いに答えはない」とか、「自分だけのために生きることがすべてwww(――これに関しても一昔前最古ブログに書いた――多くの人は死ぬ前に、もっと多くの人たちにいいことをしておけばよかった、と後悔するそうだ。あるいは、もっと思いきって行動していればよかった、と悔やむそうだ――)」とか、「楽して楽しむことだけがすべて」、とか、「いい思いをすること・快・快楽だけがすべてwww」、とか、「そういった本音(――本音といっても、飽きがきたりするうえに、時期がすぎれば違ってくることが多いが。それも質時間回帰である。人生のある時期からは、質時間のプラスの貯えがないと侘しすぎる生活実態に陥る。それ以前~若いときには人はそれを知らない――)」を乗り越えた答えをだすことに挑戦すれば何かが拓けてくるのではないだろうか(・・・・・・「べつに何も拓けなくてもいい!」という立場もあるだろうが。しかしそれでは後がとんでもなく大変だWWWW。そのうち「いい思いや快・快楽」の「まさかさま・真逆・正反対」の思い・体験をすることになるのだ! WWWW それは、まだ仮説である地獄の最深部《この世での現実をも含めて。この世での現実は仮説とはいえない》《地獄の実在の証明【らしき】に関しては難しいながら一応既述しているし、多くの宗教sがそれ「地獄」を説いている、仏教もキリスト教もその他の宗教sも》で超超長期のたうちまわることである! 《仏教もキリスト教もその他の宗教sもそう断定している》WWWW それはそのモットー「いい思いをすること・快・快楽だけがすべて」、に完璧に反する!WWWWWWWWW なんという大宇宙最大最強の逆説! WWWW 「世界は逆説でできている《つまり質・クオリアの対生成と対消滅とその結果、それと質時間回帰でできている》」のである(それらは仮説であるが)。「いいとこ取り」は絶対にできない。百パーセントできない。断定する。断言する《これについては、その検証がなされていない現在においては【実はなされているんだが】、「そうでないと不条理だ、まったく納得がいかない、という立場からの言だと見てもいい(そういった観方についても多く既述している》。で、ほとんどの人たちがそれに賛成するだろう。人類の多く~ほとんどが、「そうでないと、おかしすぎるメチャクチャだ!」と叫ぶだろう(しかも歴史を見ればそれは「正しい」と一目瞭然である)(――以下これは筆者の言ではなく質時間回帰則の言である「マイナスの質時間を膨大に積み上げている者どもは反対するしかないが、WWWWWWWWW!!!! じゃが、反対しても無駄である、無駄な抵抗はやめろ!!!!!! WWWW 無駄な抵抗はさらにますます質時間のマイナスを積み上げる結果となるは必定である WWWWWW じゃが、マイナスの質時間のコレクションが趣味なら止めても無駄か WWWW しかし、あとが極限まで恐ろしいのじゃ、覚悟しておけ!!!! WWWWWW」以上、筆者の言ではなく質時間回帰則の言である《本スレ全部が、基本的に、その対象s内容sがもつ論理s・駆動力sによって書かれている。それらは筆者の豊かな痴性ではとても書けない内容sばかりである》・・・・・・)・・・・・・。*繰り返しになるが直近上述のややこしく長い一節についての感想と論考を記すこと。・・・まだ上述につづいている・・・いくらか遡って加筆すると・・・「しかし、それを事実・真実だと知っている知性も存在する」。それに、ほとんどの宗教sがそれを説いているので、それを否定することは、それら宗教sとその開祖s、ひいては、否定している本人をも否定し侮辱冒涜していることになる。それは果てしなくも夥しくもの凄い挑戦である。素晴らしい! 「一般的・普通の唯物論」に凝り固まっていると、本人が途轍もなく大損することになる。あとがとんでもなく大変だ。【ちなみに、心脳科学・仮説によって、「普通一般でない『唯物論』」で心脳の現実のすべてを説明することができる】》。・・・ちなみに以下は「前の説明の、より詳細な解説にもなるが」:「本音」ということばから連想するのは、特に最後者の2項目「楽して楽しむことだけがすべて・いい思いをすることだけがすべて」といった類の主張についていうと、「一方通行『いいとこ取り(直近で述べたとおり)』」ということだ。そこでは、「質・クオリアの対生成と対消滅」と「質・クオリア時間回帰」を完全に無視している。それをたとえていうと、「権利(含・既得権益)に伴う義務と責任」、「資格に伴う義務と責任」、ついでに、「権利の一種であるとみなせるところの権力や権威(高い立場《あとで低い立場・正反対の立場に100パーセント落ちる、逆転する》)、それらやそれらに似た実態s《いろいろある・恐怖やBKとかATやDSとかOIやBLとかKHやIBとかNZやUGなどを基になんやかんやなどなど》に基づくさまざま《それらは便宜的に与えられているのであり【絶対的ではまったくない】【あるいはGDしたのであり】かつそれらは「一時的で儚い」事態・実態・状態にあるだけである。そこでは「質時間回帰」が当然「極めて厳しく」発動する。いい思いをした分、それによって利益を上げた分、義務と責任を回避した分、他s・他人sにマイナスや害、負の快など、を与えた分、質時間回帰が極めて厳しく激しく途轍もないことになる》に伴う義務と責任《人類・人間sを○○した者どもはacmamonigel○○○○》」、それらを無視している、そういったことを思わせる。しかし、そこでは、「そんなことは知ったこっちゃないwww、そもそもそんなことは考えたこともない、だいたいそんなことがあるはずがないwww」(それをチセイ痴性のもとにあるという。世界・時代・人類は痴性の黄金期をとっくの過去に迎え、その中にある。筆者もその中にいる。ただし、このスレを書いているのは豊かな痴性の持ち主の筆者ではなく、その対象内容がもつ論理・駆動力である)、というのがそれらの立場だろうがWWWWWWWWW《以下「W」が永遠に続くWWWWWWWWW》=つまり「質時間回帰(則)!(――かんたんにいえばカルマだ。カルマとだいたい同じであるところの、科学的に証明される科学的カルマである――)が永劫久遠に続く。つまり、それらの立場にある者どもの将来は恐ろしすぎるということだ。恐ろしいの最上級・極限極致である。だからといって恐怖しすぎて逃げたり隠れたり気絶したり自殺してもなんの救いにもならないWWWWWWWWW 死んだらそれで終わりではない!!!! 100パーセント償わされる・支払わされる・償わさせられる・支払わさせられる!!!!!! この記述をトンデモだ基地害だと笑い飛ばすほど、さらにその後がよりいっそう恐ろしいことになるWWWWWWWWW ・・・基地害→既知害――既知は害をもっていることが多い。それらの者どもは他人sに極限まで甘えている、甘えすぎているのだ。世界は「いいかげん」にはできていないWWWWWWWWW 100パーセント「良い加減」にできているのだ。つまり完璧に質時間回帰するのである(――断言! 断定! ほかの余地はない!!!! ――)(――ちなみに:加減というのはプラスマイナスという実態を実施するという意味だ。それが良いというのは釣り合うということである。つまりそれは「質時間回帰」という概念実態の中にある。「いいかげん」というのはそれが反転した意味になった表現だ、質の対生成と対消滅、それと質時間回帰によってそれも説明がつく。たとえば、「やばい」「てきとう」などの両面性も参考になる。《――筆者は、感嘆符「!」と「W(笑い)」はほとんど使わないできているが、ここでは下品に思いっきり多用した。なぜなら、強調しすぎても強調が底なしに足りないからであるWWWW!!!!!! ――》《参考:それらは、「いちばん上にいて」=「いちばん上にいると思っていて」=「いちばん上にいると勘違いしていて」=「知性皆無=豊かな痴性=クオリア・質時間回帰でジゴクノサイシンブニオチル」ということに気づかないのである。「いちばん上にいると思っていると、そのうち一番下にいることになる」のである。質・クオリア時間回帰である。世界は完璧にできている(――(質時間回帰則についての参考:「人生においてさまざまがそのうち正反対になる」という物語(いろいろある)がある。その中のひとつとして王子とコジキという物語がある。それは世界・人間の真実である――これは、「入れ替わる」という事象だけについて言っている。入れ替わったあとの人生劇は、それぞれの人物の貯えた質時間によって変わってくる――。つまりそれ「入れ替わり」は、質時間回帰則を正しく表現しているということだ。質時間回帰則は、時間を組み込んだ対称性の法則の本拠地だろう。人間に関していえば、それは、すべての「意識器=人」が時間をかけて完全に平等になるという法則である――)》《――結局、世界・人類が滅びるのは、双対性、相補性、質の対消滅s、相打ちs、潰し合いs、による、といえるだろう。それらも質時間回帰【則】のもとにある――》《・・・参考:人生における最大の不幸とは、使う以上の○をもつこと、と、それを目指すことである、という側面がある・・・》《――平等、公平、も、時間を組み込んだ対称性と双対性によって保証されているといえるのだろう――》《・・・ここらも工夫した表現記述にある・・・》《上で、ローマ字を用いて伏字にしたところsがあるが、そのまま日本語で書く気にならなかったからそうした》。《・・・ついでに:女性性と男性性も、双対性と相補性の中にあるのだろう。女性性は波動性、男性性は粒子性、といったところだろうか。もちろん人間の個々においては、男も女もそれらの両方をもっており、それらの割合が異なる、という実態をもつだろう・・・》《・・・再び:陳腐な言は、カルマや地獄は道徳・倫理のための虚言だというが、それはまさに腐った言(腐・陳《陳:述べる、古い、などの意だったと思う・・・》)であって、そういう言の者どもは将来がとんでもなく恐ろしく大変なことになるのである・・・》《・・・それ「権利などに伴う義務と責任」といった内容の中にある前者と後者も双対性の一種の中の「相補性」の中にあるのだろう・・・》《・・・質時間回帰の一種:エンジンの出力を耐性限度を越えて上げすぎ回していると、そのエンジンはぶっ壊れる。現在の世界にはそういうたとえで表現できる○sや○○sや実態が多すぎる。それは、一種の、痴性の暴走である、ともいえる。その結果、世界・人類は終焉を迎えることになる。Dkkahhnguchabecha・・・》《・・・ただし、世界のほとんどがそういう中にあってもごく稀に天使のような方はおられるだろう・・・》《――いつものようにごちゃぐちゃとした記述になった。カッコの用い方も乱れた。すっきりと書こうとすると、かなり同時多発することのあるアイディアsを忘れてしまうので、そういうことになる。清書するには時間も体力も短時日には足りない。清書は先のことである――》・・・)*繰り返しになるが直近上述の長い一節についての感想と論考を記すこと。・・・まだまだつづいている・・・(・・・仏教をもとにしてもうひとつつけ加えよう:そういった権利・権威・それらに類する恐ろしい実行力の類s、それらを持ち行使できるケースsにおいて、大きく分けてふたつのパターンがある。そのふたつのパターンもさらにふたつに分かれる。ひとつは、仏教のジャータカ? (・・・ジャータカじゃったか? だったと思う。ブッダの前の生sの物語・・・)にあるように、前の生s(・・・普通、前世という。単数も複数もそう呼ぶだろう? わかりにくいので、「前の生s」とする・・・)で、大きく桁外れな質時間のプラスを積んでいるケース;そういった人物はスケールの大きなリーダーにふさわしいし、リーダーになる資格も権利もある、といえる。そうではなくて、前の生sにおいて、質時間のプラスを大きくは積んでいない人物は、そういったリーダーになる資格も権利もない。なったところで、すぐに墜落沈没する。そこからのふたつのパターンというのはこうである。そのどちらにおいてもいえることだが、リーダーとして営為している間に、プラスの質時間を積むか、マイナスの質時間を積むか、というふたつのケースである。前者であると、リーダーでいられる期間がより永くなり、後者だと、それはより短くなる。以上は、リーダーについて、だけではなく、成功するか失敗するか、うまくいくかその反か、楽しくいけるかその逆か、など人生のすべてにおいて、そういえる。(・・・ちなみに某氏は「努力しても無意味」と主張しているが、それはきわめて特殊な本人の経験からの言であって《ほんの少数の人sにはそれは当てはまる。なぜ当てはまるのかについては既に述べている・・・一言で言うと、質時間の蓄積の程度による》、一般的にはまったく成立せず、そういう主張は社会に重大な害悪をもたらす《その某氏はそれに気がつかないのだろうか? ・・・ほとんどすべての人たちにおいては、努力が必要である・・・本人は努力していると気づかない・思わないケースも多いが・・・》。それらについてもすべて、質の生成と個々についての質・クオリア時間回帰で説明がつく・・・):・・・以上、仏教をもとに、多くの人たちが興味をもちそうな? 内容を記してみた)*繰り返しになるが直近上述の長い一節についての感想と論考を記すこと。・・・まだまだつづいている・・・*以上、カッコ付けの加筆が長くなりすぎたが、それらについても考えること(・・・読みにくいこと夥しくもはなはだしい・・・)。――これでここのさまざまな加筆は一応FIN――:。・・・まだなおつづいている・・・*そういった哲学的問いと思索、それと自然科学とを結びつける思索や考え・概念・内容などを展開すること。・・・以上、多くの内容が交錯錯綜し、もつれ合った、超絶複合設問である・・・。*以上長い上述についての感想や解答、論考などを記すこと。さらに、そこにある論理について考究し述べること。*このスレ(千項以上つづいている)を読んで(――さらにできればネット上の筆者のすべてのエントリーを読んで――)、自分の哲学を打ち立てること。*このスレッドの内容や設問にミスや間違い、いいかげんな個所s・不完全なところsがあるはずである。それらを指摘し正す記述をなすこと。*世界的宗教sや永く継続してきている宗教sの教えsが必ずしも一致しないのはなぜか、質の科学(仮説)などをもとに考え推測すること。*「甘い汁には毒がある」という新しい諺を、質の科学(仮説)を適用して解説すること。しかも、その毒はすぐに作用するものとある程度~かなり~そうとう時間が経ってからその毒性が発現するものがある。そこらを質の科学(仮説)~質時間回帰則をもとに解説すること。さらに、そこらをこのスレッドの中で述べたホコリ・チリ・新種のホタルに結びつけて論ずること。*「知能テストはスピード競技である」という命題について解説すること。また、それに関連して自分の体験などを述べること。*「試験の成績がいいということは、単に事務処理能力・事務的処理能力が高いということにすぎない」という文言の説明をなすこと。*「ちやほやされて育つと、後が大変である」「成人してからも、ちやほやされる期間が長いと、後が大変である」という諺風の文言を、質の科学(仮説)~質時間回帰則を用いて解説すること。*作家・北杜夫さんの著作から、このサイトに非常に関係がありそうな話題をひとつ探しだしてそれについての感想を述べること。また、それに質の科学(仮説)~質時間回帰則を適用して論を張ること。*「大昔、アフリカで、キリンの首がまだ短かった時代に、キリンたちが樹木sの葉っぱを食べつくして、葉っぱはもう樹木の高いところにしか残っておらず、そこのキリンたちは全員飢え死にした・・・」、というイソップ物語風の寓話(それが事実かどうかはわからない)についての感想を書くこと。さらに質の科学(仮説)~質時間回帰則からその物語を考えてみること。*「パンダの胃腸の構造は肉食獣のそれだそうだが、今やササの葉を食べて生きている。腸内細菌・微生物群がササの葉を利用してさまざまな成分sを作り出すので彼らは生きていけるのだそうだ。そういう細菌・微生物群を獲得したパンダのみが生き残り、そして今に至ったと考えられるそうである」――この文章の内容についての感想を記すこと。さらに、質の科学(仮説)~質時間回帰則を適用してそれについて考えること(肉食獣全般に及ぶ内容でなくてもいいでせふ)。*霊魂があっても、霊魂はなくて意識は脳の機能・働きのような実態であっても、「転生はある」ことの証明のような内容になる論理をもつ文章を記すこと(ネット上に複数既述しているので、それを探し出してもいいし、それ以外の論理展開での内容でもいいでせふ)(その検証は別の問題である)。*転生はある、と確信したとしても、自殺は禁じられる。なぜ禁じられるのか複数の考え方のもとにその見解を述べること。さらに、質の科学(仮説)を適用して解答すること。*脳にある論理――ニューロンsなどにある論理~関係性など――について追究すること。*心器における理活について考察すること。*心器における理活の参考になる事例を挙げること。*心脳~知性における想像力について考えること。*「論理」とはなにか考えること。*「数学」とは何か考察すること。*「数学」が「現実の一部の領域」を近似的に記述できるのはなぜか追究すること。ならびに、その「現実の一部の領域」と、「それ以外の領域」について、あるいはそれらの関係について、述べること。*「タンパク質などの情報物質が、あらゆるすべてのさまざまを担保しているのだろう」という命題を詳しく演繹敷衍展開すること。*「タンパク質などの情報物質が、あらゆるすべてのさまざまを担保しているのだろう」という実態が一応正しいとして・(――別に正しいと仮定しなくてもいいが。しかし、それは正しくないと仮定するとおかしなことになる・心脳の現実が成立しないことになる――)、それのもつ情報量と、遺伝子sとそれらの総体プラスアルファであるDNAのもつ情報量とを比較して、前者のそれ「タンパク質などの情報物質がもつ情報量」が桁外れに多いことを示すこと。その結論からなにが言えるか述べること。本設問にある付記「(別に正しいと仮定しなくてもいいが。しかし、それが正しくないと仮定するとおかしなことになる・心脳の現実が成立しないことになる)」について解説すること。*「理活」に関係のありそうな数学について考察すること(――たとえば、状態ベクトル、テンソル、さまざまな演算子、行列。流体力学。一般相対論。行列力学。・・・行列については既述――)。*現実の中で「理活」に関係のありそうな事柄・事象を探しだすこと。さらにそれを基に理活の形式を抽象的に記述すること。ならびにそれに対応しそうな数学~数学形式を探しだすか創りだすこと。*心脳科学(仮説)にある「経時変化波動モード意識内容h(t)の中にあらゆるすべてのすべてがある」、という命題について解説すること。また、心脳科学(仮説)にある「心的内容情報スペクトルの系の中にあらゆるすべてのすべてがある」、という命題について解説すること。さらに、その後者にある論理や理活を数学的に扱えるかどうか考え記すこと。ならびに、それがある程度できたとして(完璧にはできない。形式的か統計的にいくらかできる程度である・既述)、その結果、どういうことになるか、どういう利点と弊害がでてくる可能性があるか、などについて考え述べること。*「心器」における事象はある特定の意味でハイゼンベルク描像に似ている、ということについて解説すること。*「意識器」における事象はある特定の意味においてシュレーディンガー描像に似ている、ということについて解説すること。さらに、「意識器」における事象は、量子論的確率の世界ではない、ということについても併せて論ずること。*(本文中のどこかに載せている)以下の記述を読んでそれについて詳しく解説すること→「参考:シアノバクテリアは、光合成をなす。その機序は本論にある仮説s――仮説sの中のいくつか――に重なるところがある。それは・・・葉緑素~葉緑体が光合成をなすにあたって、葉緑素が感応反応する周波数より高い周波数の光については、まずタンパク質がそれを受け、より周波数の低い光を次の別種のタンパク質に送り(受振と発振と受振)、そういった事象を何回かおこない、葉緑素が感応反応する周波数の光にして葉緑素に送り込む。そこで葉緑体が光合成をおこなう。そういう機構になっている。(――その逆があるのかどうかまでは知らない。既述のラマン散乱そのほかから言ってありうるが――)まさにそれは本論における仮説sのいくつかに重なっているではないか。(・・・筆者はそれを知って感激した・・・)」。*心脳~知性における創造力について論じること。*心脳~知性における想像力について論じること。*生命について論ずること。*生命エネルギー(あるとして)について試論を述べること。*意識エネルギー(存在するとして)について考察すること。*「利点・いい面、と、弊害・悪い面」はすべてにおいて常について回る・その多くが時間的ズレを伴って。その原理を述べること。ついで、質の科学(仮説)を適用して論を張ること。*質時間回帰則は、時間を組み込んだ対称性の法則だともいえる。その解説をなすこと。*「快楽の報酬」という文言と「質の科学(仮説)」を併せて、そこから論を展開すること。*「快楽と安楽の報酬」という文言と「質の科学(仮説)」を併せて、社会sと世界情勢についての論を展開すること。*人類の理性・(――理性とは、元々は「人間のもつ知性のうち、理屈に適った性質を発揮する知性」という意味だろうが、ここでは知性の中の道徳的・倫理的な性質を担う知性としよう。道徳的とは、自分~小団体~中団体~大団体~社会s~国家s~人類~世界、の存続をもたらすところの性質をもつ知性内容に属すること、としよう――)。それ「人類の理性」が「少ない・劣化している・ない」、となると、人類は○○。今現在人類はそこの崖っぷちに○っている。○○の瀬戸際に立っている人類。あと○年前後以内に人類は・・・・で、カントは確か「私の中にアプリオリ・(アプリオリ:先験・先天・固有。単に先験という訳が普通だろう?)(先天先験・後天学習獲得問題もそこには含まれそうだ)に存在する道徳律(倫理)? といったようなことを書いていた?」、と記憶するが、その「道徳律」が「変化しないか・(――なにごとでもそうだが、人によって、時や時期によって、異なるし異なっていく。そうではない何かもあるだろうが)」・「遂行されるか」、という検討課題もあるだろう。それが遂行されなかったらないに等しいとまでいえるケースもでてくる(――たとえば人類の○○――)。以上、ここの設問内容から「人類の理性と道徳・倫理の在り方と実践、ならびにそこから予想される結果」に関する内容にかかわる概念・考え方をひき出し、それをもとに、そこから予想される結果などを考察し記すこと(――それはハイゼンベルク描像における実態をある特定の意味で連想させる――)。さらにそれらと「自由意思・意志(既に何度も述べた)」を絡め、人類の未来や自分の在り方~社会の在り方などについてさまざま考察し記すること。*「自由意志・意思」と「決定論」、「自由意志・意思」と「量子力学・量子論」との関係について考察すること。*「自由意志・意思」と「論理」との関係について考えること。*「自由意志・意思」と「創造」との関係について考えること。*「自由意志・意思」と「想像」との関係について考えること。*「数学」と「論理」、それらと「自由意志・意思」との関係について述べること。*「いい思いをすること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナス(の結果)を書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「いい気になること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて解説すること。*「傲慢になること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「威張ること」は、自分の「運命のノートの未来にマイナスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「苦しむこと」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて解説すること。*「努力すること」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*「人にいいことを為すこと」は、自分の「運命のノートの未来にプラスを書き込む」という命題を質の科学(仮説)などにもとづいて説明すること。*以上、運命のノート関連の実態(仮説)において、それらプラス面に伴って、同時にとは限らないがマイナス面があることを解説すること(――質の対生成と質の対消滅、それに質時間回帰による――)。*以下これは運命のノートの内容を導き出す根本法則のひとつであるが、「他人に為したとおりを将来必ず同じだけ自分が受けることになる」という法則・(――質の科学・仮説からでてくる。ただし、転生がないと完璧にはそれは遂行されない。そういう傾向がある、という程度に終わる。で、転生については、霊魂はあってもなくても転生はある、という「概念による証明のようなもの」はある――)についての感想や事例sを述べること。*運命のノートの未来に「マイナス(の結果)を書き込んだ=マイナスの質時間を積んだ」、と思ったら、それを打ち消す程度の「プラスを書き込めばいい=プラスを人に与えればいい=マイナスの快を受ければよい=プラスの質時間を積めばいい」、ということがいえる・・・・解説を少し・・・ここに記している、プラスやマイナスについていうと、それは結局、質時間について述べているのであるが、質時間にはさまざまな多くの種類があるので、マイナスの質時間の記録を打ち消したいばあいは、基本的に「同じ種類の」質時間のプラスを積むことが必要である・・・以上、解説・・・。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる。ここで設問として・・・上にある「マイナスの快(――そこから、プラスの快という概念実態・描写記述内容も当然でてくる――)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間などについて、解説すること。それを整理して記すと、【「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナス】となるが、それらについて解説すること。さらに、「質時間にはさまざまな多くの種類がある」ということについて解説すること。*質時間回帰則から、言葉にしたり書いたりすることを憚られる内容sがでてくるが、それについては具体的には何も記さないこと――なぜならガックリくるからである――。この「それについては具体的には何も記さないこと」についての感想を記すこと。くわえて、この設問について抽象的に解説すること。*次の文章についての解説をなすこと。「宗教sの言う『死後の裁き』について・・・『死後の裁き』を行うのは、『神』ではない。『質時間回帰則』が『死後の裁き』をなすのである。そこにおいては、『意識体』と『知性体』について、それぞれの理解と認識も必要である」*食料の生産――1次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに、質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*飲食物の生産――2次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。くわえて、質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*飲食物の流通販売提供など――3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*衣服の生産流通販売――1次産業~2次産業~3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。さらに、質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*住宅や都市・生活基盤の生産製造工事流通販売維持など――1次産業~2次産業~3次産業で――に携わっている人たちがいないとしたらどういうことになるか考えること。ならびに、そこからわかることを述べること。ならびに、質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*「人間は一人では生きていけない、生きていけるとしてもごく短時日である」、そこからわかることを述べること。さらに、質の科学(仮説)を適用してその解説をなすこと。*「質時間回帰則が世界を見張っている」、この文言について解説すること。*アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言は、「完全な決定論」の表明であるのかどうか考えること。ならびに、その言と自由意思・意志との関係を論じること。*・・・アインシュタインはすべては物理的に決定論で記述される、と主張している(それは過去のことであるが、歴史的な内容を書くばあいは、現在形・現在完了形などで書いてもよい)ように一応思える。しかし、たとえばそれだけでは、「神は神の自由意思・意志に基づいて行為する」、という可能性の領域を否定しているとはいえない。・・・人間についていえば、アインシュタインは、決定論の立場に立っているように見える、自由意思・意志はなくて、法則どおりに進む、と。・・・そこで、「神の自由意思・意志」までもが決定論内にある論理に従うのか否かという謎と設問もでてくる。以上とその謎と設問について考え記すこと。*・・・上述を引き継いでさらにつづけよう・・・で、アインシュタインはたしか、「スピノザの神を信じる」と言ったと書かれていた? と思う(ヘンな文だが、記憶している事実過程にもとづくと、こう書くしかない。「うろ覚えであるが、そういう文章を読んだことがある」、という意味である。「アインシュタインはたしか、『スピノザの神を信じる』と言ったそうだが」と記すとすっきりするんだが・・・これは、日本語のクオリアの研究にもなる)。スピノザの神というのは、端的にいうと、「大宇宙、大自然、森羅万象、すべてに神が宿っており、それら万物が神である(汎神論)」という主張 ? だったと思う。それは神道の主張と同じようなものだろうか ? そこらに関する感想と考えたことなどを記すこと。 *・・・で、アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という立場は、「森羅万象は法則に則って機械仕掛けのように運営されていく」、と、まずは理解してしまう。そこでは、「神には自由意思・意志はない」あるいは、「神の自由意思・意志とは法則だ――それは自由とは思えないが――。神が自由意思・意志で法則を決め実現させている、運営している、とすれば、なんとか神は自由意思・意志をもっている、と記述はできるが。(しかし仮にそうでも、神のそれにせよ人間のそれにせよ、自由意思・意志は、なんらかの制限・制約のもとにあることは否めない。『自由(or+意思)には制限・資格・責任・規格などが伴う(などが伴われる)。よって、自由(or+意思)における可能性は絞られる』『生命が生まれ存続できるところの、大自然の規格・仕様、そこからの大自然としての設計と、それらの実行・実働・実践、という実態があり、そこにも大きな制限・制約がある』などといったことも考えられる)。(カッコの直前に戻って)あとは解釈のし方や好みの問題だ・・・」、ということになる。そこらあたりについて考えること。また感想を述べること。*・・・それらに関連してちなみに・・・「人間の自由意思・意志については、否定ですか? 天国のアインシュタイン先生・・・そう単純にはいかないと思いますが」。このカッコ内の文言について論考すること。*以上のように、自由意思・意志が存在するとすれば、以下のケースのもとに、自家撞着というかパラドックスというか矛盾というか、が発生する。それというのはつまり・・・、さる人物(猿ではない・JK)が筆者に言ったが、「自由意思の仕組みが解明されそこが完全に論理的に記述されたら、それは「自由」意思ではなくなる」、ということである。ここらも仮定の世界にあるが、そういう側面もある、ということである。ただし既に述べているように、そこは原理的な原因・理由で解明なされないだろう。そこらあたりについての感想や考えたことを記すこと。*以上、決定論と非決定論、自由意思・意志の有り無しに関連して、ハイゼンベルクの不確定性原理の主張する「位置と運動量、または時間とエネルギー」は同時に正確には決定されない、という内容・――後述があるのでここではまだ実態と記さず「内容」と書く。それはハイゼンベルクの理論である――に似た面があるかもしれない、という連想を生むが、それらは基本的には異なる・・・それはそこに実際に意思・意志があるか否かという謎と設問の世界である。人間の心器にはそれがあるが(もちろんそれは仮説である)、量子場にそれ「自由意思」があるかどうかは・・・宗教や神学では、神の意思・意志がそこにはある、と主張するかもしれないが・・・わからない。・・・大自然すべて森羅万象が神であるという汎神論においては、そこにある法則性も神である、とするだろうが・・・。以上、についての感想を記すこと。ならびにその謎と設問について考え述べること。*さらに以上それらに関連してちなみに・・・ハイゼンベルクの不確定性原理を記述する不等式は、小澤の不等式で厳密化・――観測によって対象に与える変動と観測精度の限界による誤差、それと量子ゆらぎによる実態を区別して新たな項を2つ加え、左項は3項となった。ハイゼンベルクはそれらをはっきり分けてはいなかったという形跡があるそうだ――されたわけだが、それの詳細については、ここでは省略する。ここの部分についての感想を述べること。(・・・ちなみに:近年、日本の研究者を鼓舞する事態が増えてきている・・・)。*以上に関連してついでに書いておこう・・・自由意思・意志が発揮される領域として、決断・――さまざまな情報sを収集し考え研究し勘案斟酌して決断すること――、自分の中のマイナスな面をださないように努めること、自己教育、創造~新しいなにかを創り上げること、などがある。もちろんそこでは、既存の情報sや内容s、現実に既にあるさまざまを活用した上で・――このことsは自由意思・意志を否定しない。それを否定するようだと、自分の誕生まで自分自身の自由意思・意志で成し遂げていなくてはならない、というところにまで行き着く。そもそも自分を生み出したのは自分ではないから自由意思はない、と。そういった不可能な領域は自由意思・意志とは100パーセント関係ない――、自由意思・意志を発揮し進んでいくのである。ここの部分についての感想と論考を記すこと。・・・以上において、参考までに・・・自由意思・意志についても、過去にかなり多くあちこちの記している・・・ネット上にあるそれらを探しだして整理すること(興味があるなら、ということですが)。*筆者がネット上に書いている膨大な文章sをわかりやすく整理すること(興味があるなら、ということですが)。*直近上の設問の前口上につけ加えて・・・参考・・・いや、現在の自分の心器の大元は永遠の過去(あるいは宇宙誕生時のあたり)から存在していた可能性はある。その心器の大元が、「生物に宿りたい」と思い、努力した結果が現在の自分の心器となった可能性も否定できない(進化なり適応する、と)。現在の自分の肉体の方の誕生についても同じような在り方でなされた可能性もある(生物の発生と進化については、既に詳細に論考し記してある)。・・・ここらあたりはいくつかの場合分けが必要であるが、それは省略する・・・・・・基本的に「自分」という存在は現在の自分の「意識器」である、ということは既に詳述している。「意識器」は「心器」とは異なり、知性や自由意思などはもたない、ということについても既に詳述している、ということをつけ加えておこう・・・さて、以上の「参考」に関連して既に詳述してある部分sを拾い上げ、論文的にまとめ上げること(興味があるなら、ということですが)。*以上、アインシュタインの「『神はサイコロを振らない』という言は」から始まった謎と設問のシリーズの総まとめとして、それらの内容のどれか~全部について、考えたことや感想を記すこと。*アインシュタイン関連の設問が続いたので、その延長線上にある内容として本文中の次の文章を載せよう。『参考:新しい時空の理論:「ツイスター+ひも=時空の謎解き?日経サイエンス2010年8月号」から引用:「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」・・・以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている(既述)――。たとえば、上述「時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない」について言えば、意識の中に時空は存在する、としか言えない・心脳科学(仮説)においては、ということなのであるから、それは当然だと理解できる。(時間と空間についての筆者の論は、これ「新しい時空の理論」を参考にはしていない。筆者の論は、心脳科学・仮説から必然的にでてくるのである。筆者のその論を立ててずいぶん経ってから、この論「新しい時空の理論」を筆者は、ついこの間知ったのである。それらふたつの論sは出発点も論の展開もまったく異なる)・・・以上、参考・・・』以上について感想を述べ、それから論じること。さらに、「以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。」について解説すること。*(注:以下、この項目では単数複数の使い分けができないところがある・他sとの関係で。さらに、冠詞と冠詞的な形容がすっきりと決まらないところがある)近似的に現実を記述できる理論は複数ある(ことがある)――なんらかの対象のその実態をそう表現・叙述できることがある――。そこにおいて、そういった対象も時や時期によってその様相が異なってくることが多いのは当然であるが(質時間回帰の一種による、とみなせる)、そこらを織り込んで・組み込んで(盛り込んで)その規則などを記述することは不可能であるし(tを盛り込んだ記述の不完全さ)、それを考慮しなくても、そもそも、対象を完璧に記述することは不可能である――どんな対象においても、複数の領域sをもつ上に、そこにある要素sすべてを記述することは不可能であるし、一応いくらか記述したとしても、そこにある規則などは不完全にしか記述できない・あるいは記述できない、のである。百歩譲って、どんな対象も近似的に記述できる「と表現できる」、としよう。近似的に記述するということは、対象に存在する現実と記述の間にズレがあるということである。そこにおいて、少しズレただけで未来は不確定になる。たとえば、ほんの少しの角度のズレがそれを伸ばすとズレが大きくなる、といった実態がある。その例からだけでも、そういうことがいえる――それらをすべて盛り込んだ記述はできない――それに関しては既にかなり述べている――。以上から、自由意思・意志の存在の担保、決定論の回避、などがでてくる、という面もある。以上の記述についての感想と意見を述べること。*このところの一連のチャプターs、その他さまざまs、などを読んで、世界情勢・社会情勢などを交えて、物好きでアホな痴性の持ち主である筆者の考えるところや意図などを推測想像し端的に短く記すこと(この設問項目は、飛ばしてくだされ。ただし飛ばさないで考えると、思考力や推察力、国語力などの鍛錬にもなりもうす)(ただし先述したとおり、このスレを書いているのは豊かな痴性の持ち主の筆者ではなく、それら対象内容sがもつ論理・駆動力じゃす)。*以下これはいくつも飛ばした上、にある設問とは無関係・・・上に多く加筆したためわかりにくくなった・・・であるが・・・そして繰り返しにもなるが・・・自由意思・意志や決断、運命のノートをよりよくするための言動、自己教育、創造、などの鍵である『心器の理活』についてさらに深い追究をなすこと。ならびに、現実におけるそのモデルs――『心器の理活』のモデルになりそうな事例・事象・実態s――を探し出すこと。*質の科学(仮説)~質時間回帰則から、倫理・道徳を導き出すこと。*質の科学(仮説)~質時間回帰則から、義務と責任の存在を導出すること。*ほとんどのことにおいてそうだが、なんにつけ、「人によって異なる、同じ人でも時や時期によって違ってくる」、と、ネット上に筆者は過去に何度も書いているのだが、その命題を質の科学(仮説)~質時間回帰則、あるいはその他の原理、から説明解説すること。 *論理とは何か、説明すること。さらに、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*関係性とは何か、説明すること。さらに、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*規則、法則、とは何か、説明すること。くわえて、それと心脳における理活、自由意思・意志との関係を論じること。*両眼視野闘争、気づき、変化盲、閾下知覚、運動誘発盲、などについて、心脳科学(仮説)にもとづいて解説すること。*心脳科学(仮説)を手短かにわかりやすく要約すること。*心脳科学(仮説)をもとに、哲学上のさまざまな課題・問題に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、心脳の現実におけるさまざまな問題・課題に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、世界・森羅万象におけるさまざまな問題・課題・謎に回答・解答すること。*心脳科学(仮説)をもとに、認識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、意識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、無意識について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、笑いについて論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、感情について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、時間について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、空間について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、外界(自分の心と意識の「外・そと」の世界~物質世界と非物質的世界)について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、脳神経科学における仮説を分別すること、ならびに、それらに説明をつけること(脳神経科学=脳科学)。*心脳科学(仮説)をもとに、脳神経科学において確立した知見sを説明解説すること(脳神経科学=脳科学)。*心脳科学(仮説)をもとに、「直接認識」の可能性について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、「直接意識(認識とは異なる・認識は心器が行い、意識することは意識器がなす)すること」の可能性について論じること。*心脳科学(仮説)をもとに、既述「(参考:心脳において、仮に、情報物質sが交信しているとしよう。しかも、超弦理論で記述される未知の量子sを心器が扱うことができるとしよう。するとどういうことが起こるか。実に興味深くおもしろい事象が起こりうることになる。《既述》)」の内容に関して、どういうことが起こりうるのか考えること。*質の科学(仮説)を端的にわかりやすく短く記述すること(前にも似た設問を立てたが、改めて)。*本スレッドにある、すべての設問をすべて拾い上げ、並べ記すこと。*質の科学(仮説)にある「質時間回帰則(科学的カルマ)」の原理は複数ある。ネット上に既述しているが、それらを記すこと。さらに、回帰する量sや実態sを、現実の世界から探しだして記すこと(人間~団体~社会~国家~世界~自然界の中に)。*「質時間回帰則」は、「時間を組み込んだ対称性のひとつ」である、といえる。そこを数学的に述べること。ならびに、「質時間回帰則」は、「時間を組み込んだ保存則」である、といえるかどうか検討すること。さらに、そこにある原理を記すこと。くわえて、そこにある対称性についても論じること。*質の科学(仮説)をもとに、恵まれた地域においては、どういった事象と事態が発生することになるか、その事象と実態ならびにその原理を記すこと。*質の科学(仮説)をもとに、こどもを甘やかす・こどもが恵まれている地域においては、どういった事象と事態が発生することになるか、その事象と実態ならびにその原理を記すこと。*質の科学(仮説)をもとに、世界でもっとも○○である○○について解説すること(ネット上に既に記している)。*現代文明は、ゴミや廃棄物などを大量にもたらす実態にあるが、そのいい面と悪い面について論じること。さらにそこに質の科学(仮説)・質の対生成対消滅・質時間回帰則を適用して考察すること。*「世界中を新種のホタルsが無数に飛び交いまくる」というきわめておかしな文言を解釈すること。*質の科学(仮説)をもとに、○○が起こる原理と原因・理由を説明解説すること(ネット上に既述)。ならびに、これからは世界中、バッタバッタバッタ、バッタだらけになる、というおかしな文言を解釈すること。*ネット上のあちこちに、「他人は将来の自分である」と書いているんだが、それを質の科学(仮説)~質時間回帰則で説明すること。さらに、それと「運命のノート」との関係を述べること。*「The river of suns、人類全員、みんなで渡れば怖くない」という奇妙奇天烈ヘンテコリンな標語を解釈すること。ならびに、それと質時間回帰則との関係を論じること。*現代社会・世界における人間は、マイナスの質時間を積み上げやすい環境にいる。さまざまな文明の機器や発達した衣食住、趣味や快楽などを受けることのたやすいさまざまな現実、などなどによって、人間はほっておけばマイナスの質時間を積み上げる傾向の度合いが非常に高い。「自分は恵まれていない」と思っても、そうでないケースが多い。そういう世界に暮らす人類をこの先待ち受けている事態は何か、考えること。ならびに、その事態と質時間回帰則との関係を論じること。* 以下の文章を解釈すること:「人類の質時間回帰と歩を一にする大気の質時間回帰;地球全球の大気の流れ:日本を通る大気の流れとして、だいたいの基本として(ときどき例外的になるが)、東に向かい、1・そのまま東に、かつ2・東に進んだ後北東~北~北西へ、かつ3・東に進んだ後南へそして西へそして東南アジア~インド南方あたりから南半球へ(ヒマラヤがあるからか?)そしてオーストラリア方面へ、と、なっているようである・・・・で、高度によって流れは異なることも多い。そして季節によっても変動する。さらに細かく分岐の行く先があるが、それは乱流・揺らぎということであり、しかも時々以上すべてが乱れたり揺らいだりする。それから、北半球ででも南半球ででもそれぞれ3タイプの大気循環sがある。それらによって、それぞれの半球の大気は撹拌されている。そして赤道あたりでの南北ふたつの大気循環sによって南北両半球の大気は混じり合う。それらのメカニズムによって南北両半球の大気はかなりはやく(速く、早く)入り混じる。以上がなにを意味するかというと・・・・」。*世界情勢・時事関連(そういった対象の件は時とともに古くなるが);以下の文章を、質の科学(仮説)~質時間回帰則やその他にもとづいて解釈すること:「イソップ物語のアリとキリギリシャ・その2:アリの車がガタガタになって蓄えが零れ落ちていく←かなり前に書いた「イソップ物語のアリとキリギリシャじゃなくてキリギリス、イソップは古代ギリシャ人、ギリシャはキリギリス、アリはどこのドイツだ?」(どこの、を今回加筆。めんどくさくて省略したのを覚えている)」*質の科学(仮説)によれば、「快楽や楽、楽しみや喜び(プラスの快)」を受けると、プラスの質時間が消費されるあるいはマイナスの質時間を積み上げることになる、となる。マイナスの質時間を積み上げた人間が世界に増えればどうなるか考えること。*「自由意思・意志(自由イシ)」があるか否か論じること。ならびに、自由イシがあるという立場にたって、自由イシと質時間回帰則の関係について述べること。さらに、自由イシが質時間回帰則に打ち負かされない在り方を論じること。*自由意思・意志と自由意思・意志による決断の在り方についても既述している。そこらを考察すること。*自由意思・意志で、自分の人間性のマイナス面――これは結局、周り・社会~ひいては自分との関係になるが――を表にださないことができるかどうか考えること。ならびに、それを実践することを心がけてみた結果とその感想を記すこと。*自由意思・意志で、自己教育を行ってみて(自己責任で)、その結果と感想を記すこと。*心脳科学(仮説)、質の科学(仮説)、それらの科学的内容について感想を述べ評価すること。*「言葉が意識である」という主張における意識とは、心脳科学(仮説)によると、「知的操作感」である、という記述内容を解説すること。*人文的な論議は収拾がつかなくなる・――ケンカになることが多い――――感情的な要素が入っていると、もう、フニャフニャグチャグチャのドロドロ《意味内容があやふやで噛み合わない~意味不明~混乱混沌~不毛》になること必至必定である――。その結果どうなるか・・・経験から推測して(帰納しそこから演繹して、その他、など)、あるいは単に推測して、抽象的にあるいは具体的に、それ「結果」を述べること。さらに、そこにある原理を記すこと。ならびに、質の科学(仮説)でそこを説明すること。*再設問:このスレを読んで、自分の哲学を打ち立てること。*さらに繰り返しをも含めて・・・在りうる「論理」(科学や数学におけるそれとは限らず、社会的な・人間的な論理、それらを含めて)について追究すること。さらに、それと質の科学(仮説)~心脳科学(仮説)との関係を考えること。*このスレッドは千を越えて書き続けられている。その題材sの領域は、科学~哲学~論理~遊びを含めて考えるところの世界の謎sについての領域s(=森羅万象スペースファンタジア問題)、などである。それらを読み取り分類して端的にわかりやすく記すこと。*このスレにおける過去の設問sを読み返し、それらに対する新たな答えsを考えること。*このスレッドについての感想を記すこと。*この世界・宇宙についての感想を記すこと。ならびに、この世界・宇宙に対しての望みなどを述べること。*一番の根本として・・・繰り返しになるが・・・哲学的な問いとして:人間は何のために、仕事をするのか・さまざま研究するのか、考えること。ならびに、人間とはなにか、人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きている・生きていくのか考えること。*質時間回帰則から、文字にすることが憚られる・ことばにしたくないような内容がでてくる。そこらを抽象的に述べること(「それについては、明文化すべきではない」、という答えを蟻が食べてしまった、ではなく、そういう答えは在り・withジョーダン・・・すべったついでに、転んでバナナジョークを・・・カタツムリは紙を食べる。で、「それについては、明文化すべきではない」、という答えを書いた用紙を、カタツムリが食べてしまった、ということは蟻ではなく在り・・・もう一本バナナジョークを・・・蟻の中には、キノコを栽培して食べるという農作蟻がいるそうだ。凄いもんだ。で、先の答えを書いた紙に、そういった蟻たちが、キノコを植え付け、できたキノコを食べる、ということは蟻で、結局、先の答えを書いた紙を蟻が食べてしまった、ということは在りということになり、ここでは、「在り」と「蟻」とが同値になる、とみなすとオモシロイ・それにしても、すっきりせず苦しいジョ-ダンなり・・・)。*心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(――超弦理論をそういうふうに構築できそうである――)。(・・・筆者は、超弦理論を、筆者の研究に必要な程度学んだ・・・)。そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるでせふ(――人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない――)。それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(――超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となるだろう――)。以上について、解説をなすこと。*さまざまなことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところを解説すること。*以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっている。1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略)・・・:2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」(――ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」――)3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(――映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある――)」4:(――ここまでは哲学であり、筆者はそれが好きだ――)5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るし、この先も居つづけるだろう(――途切れることはあっても《一応これも記》――」(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)6:「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から現在まで存在してきているし、未来にも存在しているだろう」(現在までについて、これは事実だ。未来について言えば、現在から、数秒後~数分後~数時間後~数日後など、時間が経つと、それが存在していることがわかるので、そうやって確認できる限りにおいて、それも事実である)7:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)8:「そこでは、質の対生成、『質のもつれ・からまり・融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)9:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、筆者はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」10:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。・・・さてそこで、以上についての感想と説明を記すこと。さらに、それ(感想と説明)と質の科学(仮説)~心脳科学(仮説)との関係を述べること。*以下この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかるのでこう書く:推測による「脳における情報構造と情報処理機構」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説s体系しかない、今のところ。(――推測による「脳における情報構造と情報処理機構」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている――)推測による「脳における情報構造と情報処理機構」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造と情報処理機構だが)・・・仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。以上についての感想を述べること。*推測による「『脳における情報構造と情報処理機構』からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説s体系しかない、今のところ」、という文言の内容について解説すること。*「心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説s体系しかない、今のところ」、という文の内容について解説すること。*「『リベットの実験事実』を説明できるのは、心脳科学なる仮説s体系しかない、今のところ」、という命題の解説をなすこと。*「この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学という仮説s体系しかない、今のところ」、という命題について解説をなすこと。*「話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる(この活動の主体も「一種の心」と呼べる)。しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心(心器のもつ心)が、その活動を監視し指導する」という文章の内容について解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。そこを解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。そこを解説すること。*「心脳科学(仮説s体系)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。さらに、心脳科学(仮説s体系)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる」そこらを説明すること。*「心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。この表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。『意識内容そのものに知性が介入できる』という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる」以上、そこらあたりを解説すること。*心脳科学(仮説)によると、心器、意識器、という局所場sがそれぞれ想定される。そこを解説すること。そこにおいて、ユングの仮説「集合無意識」を適用して、すべての心器sという局所場sが属する「非局所場(大局場、全体場)」が存在するという仮説の説明をなすこと。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。それについて、説明なり、その哲学なりを述べること。*心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。それをなしてみて記すこと。*心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。一元論と二元論には、それぞれ定義がいくつかあるので、自分なりの定義をまず述べ、それからその統合について解説すること。*心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。まず、唯心論と唯物論の定義を述べ、それからそれらの統合について論ずること。*学問について言っても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)によって、そこらのところをもすっきりと把握できるだろう。それについて解説すること。*心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(的論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。それをなすこと。*不可知論にもいろんな立場がある。それについて説明すること。*カオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、それを超えた(越えた)立場も成立する。そこを解説すること。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる。それをなす試みを行い、その過程を含めて記すこと。*心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。それを記すこと。*心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。それをなすこと。*心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。その内容を述べること。*心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。その解説をなすこと。*心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。それを述べること。*心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。それを記すこと。*心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。それを試みること。*心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。それをなすこと。*心脳科学(仮説)の中で、心脳科学(仮説)の検証のための実験sについてかなりな程度言及している。それらをまとめて記すこと。*筆者は大学時代に、大学のキャンパスで宗教の勧誘にあったことがあった。筆者はその男に説明をほとんどさせず、筆者の「世界哲学、質の科学、質時間回帰則など」を説いてきかせた。その二回目では、図書館のロビーでさらに詳しく説いた。するとその男はそれ以降二度とキャンパスで見かけることはなくなった。以上は、そういった世界哲学などの研究(かなり初めの段階で「世界哲学」と名づけた)による効用のひとつであるともいえる。ここで設問だが、それに類似した体験を述べること。*「To be honest,or not to be honest:that is the question.」について説明すること。さらに、質時間回帰則をそこに適用してさまざま説明すること。*押し付けでない、「考え理解し納得に向かうところの新しい倫理・道徳」として・・・「質時間回帰則」の検証と理解、「人の多くは、死ぬ前に、『もっと多くの人にいいことをしておけばよかった』『自分がほんとうにやりたいことを思いきってやっておけばよかった』などと思い後悔するのだそうだ」などといった実態を知ること、・・・などが考えられる。以上の内容についての感想や提案を述べること。*以下の文章の中に、質の科学(仮説)の内容を見いだし、それについて解説すること;・・・「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。その成り行き:その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。さてそこで:その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。付記:Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。・・・With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded・・・Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.Now, in such situation ,Im going to correct it.With corr.:Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.I love the "earthic".You know it?...All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”...(I call languages on the earth "earthic",you see)......Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.Its only my conclusion.And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism......from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.」*本スレにある設問sの中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。*心脳科学(仮説)の中から、もっとも重要だと思う内容を採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。*質の科学(仮説)の中から、もっとも重要だと思うものを採り上げて(複数可)、もっとも重要だと思うその理由――採り上げた理由――を述べること。・・・以上、そういう出題をなすことができる。(下略)☆☆☆西山浩一(世界人・春楽天)