220521分:XX7「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」+「脳には情報を統合する機能はない」+「無限関連」+さまざま:継続中「質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学」
220521分:XX7「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」+「脳には情報を統合する機能はない」+「無限関連」+さまざま:継続中「質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学」「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の誕生と進化」についての一考察」~「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない」+さまざま+「宇宙は永遠につづいていく・・宇宙が終末を迎えても(過去のと今回のが)次の宇宙が生まれる・・それが永遠につづいていく」なる追究の一部・・題して「無限大と無限小と反転」+さまざま」・・・(でいいかな? )」・・・「手を入れた○(X付きは「手を入れた」に同じ・・長いと困ることがあるのでそうしたナリス・・・)形式の記事について言えば、表題が変わった時点で読むと、読みやすくなるでせふ(途中で上略をなすこともアールスが)・・・……筆者はブログを多数もっているので、時間の関係でコメントに返信できません…悪しからず……筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。(――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす――――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。(――ちなみに・・・、筆者は警察と連絡を取りあっているのである――)・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日’18・今加筆中の#3は、#882である)筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。(・・・付記・・「転生はある、といった文章を読んで納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって(既述)」・・・)☆毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・さて、今回は・・・1月13日'18・の分が膨大じゃすたので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・☆グチを一言・・・読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。・・・つひでに・・・筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす(その後からそれらをなすこともある程度ある)。それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・――「オボシメシ」とは、新種のウメボシ・オボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――;・・・ついでに・・・「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている)、と思う。おまけに、「おむすび」だと、手で作らなくてもいい、ということもある。「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てはくるが――・・・☆☆☆――筆者も、カタいことばかり書かれた文書を読むのは苦痛であることもある。そんな時は「フニャケた」文章を読みたくなるもんだ。読者の方々も同じでせふ。筆者の書くものに、ジョークやユーモアの部分がなかったら、「こんなもん、読みたくねえ~」と、読まれない度合いが高まるでせふ。ということで、時々、ジョーダン・ユーモアを盛り込んだ「フニャケた文章」を書くのは、読者の方々のためでもあるし、筆者の息抜きでもありもうす――☆☆☆……筆者はブログを多数もっているので、時間の関係でコメントに返信できません…悪しからず……☆☆☆・・・豆知識・・・「プラスアルファ=+α・・(和製の言葉である)」のαはxの筆記体をαと見誤ったところからきているそうだ(plus something)・・(上略)・・・加筆用・・・・・・どこかに加筆・・・「宇宙は永遠につづいていく・・宇宙が終末を迎えても(過去のと今回のが)次の宇宙が生まれる・・それが永遠につづいていく」なる追究の一部・・題して「無限大と無限小と反転」+さまざま」・・・(でいいかな? )・・・以下これは、このセクションのずっと後ろに書くべき内容なんだが・・・結論をまず記そう・・・後ろの方にでてくる、「1+2+3+4+・・・=マイナス1/12」(三人の数学者が『一応』証明している)問題の「マイナス1/12」がどこからでてくるか、という問題なんだが・・・数学においては、線には幅がないという設定をしている・(数直線についてもそうだろう)・(点には位置だけがあって大きさはない、ともしている)。しかし、現実においては、幅のない線もなければ、大きさのない点もない。いちばん小さな素粒子を点とみなしても、大きさはある(揺らいでいるが)し、それを並べて線にみたてても、線に幅がでてくる。さて、そこで、線に「1/12π(単位なし!)」の幅があれば、その「マイナス1/12」を「見える形で理解」できる(上述にある「揺らぎ」があったとしても、その平均値をとる、とする)。……ということは、点(上述)の直径も「1/12π(単位なし!)」であるのかもしれない……(これで物理学における発散問題は解決するのかもしれない………もうひとつ、詳細に既述している「プラス∞と∞とマイナス∞は隣り合って並んでいる(プラスゼロとゼロとマイナスゼロは隣り合って並んでいる)」という数学理論において、「∞の絶対値は、不思議なことにゼロである(プラス∞とマイナス∞の絶対値はそれぞれ無限大だが)」によっても、物理学における発散問題は解決するのかもしれない………それと、詳細に既述しているように、その理論から言えば、宇宙がビッグクランチを起こしたら(起こすか否かも詳細に検討して既述)、ビッグクランチの実体-実態のもつ無限大の重力が反転して無限大の斥力になって、ビッグバンを起こす、のかもしれない……・・・参考・・・上述「(単位なし)」は、無理に単位を求めるとするならば、数直線・数曲線において、自然数が「1」増えた実態での、その間隔というしかない(これも「単位なし」、に同値みたいな感じなんだが? )・・・たとえば、「1」から「2」の間の間隔である・・不思議な単位だが・・・ここからなんらかの新しい数学の構築ができそうである(もう遥か昔の講義にでてきたことで、うろ覚えなんだが、それに関連しそうな数学で、濃度とかデデキントの切断とか、あったように思うが(要検証)、たぶんそれはここには関係ないだろう)・・・以上、参考・・・それはどういうことかというと・・・A・後ろの方に書いている、「1+2+3+4+・・・=ゼロ」の説明(詳細は後ろにある)においては、無限に長い座標線・数直線(数曲線)のゼロから出発して「1」ずつ増加していき、円を描いて、プラス無限大~無限大~マイナス無限大を通過し、マイナスの領域に入り、そして「1」ずつ減っていき、出発点のゼロにつながる、というイメージになっている。で、その論においては、「1+2+3+4+・・・=ゼロ」であるのに、数学界においては、「1+2+3+4+・・・=マイナス1/12」(三人の数学者が『一応』証明している)となっている・・・(どちらも驚異的な結論である)・・・その「ゼロではなく、マイナス1/12」はどこからでてくるのか、目に見える形で理解しよう、という課題に挑戦するところである。……さてそこでまず、細く長いテグス・(釣り糸・・昔はテグスサン(天蚕糸蚕)という蛾の幼虫の絹糸腺から作られていた・・テグスという名称はそこからきている。現在では、ナイロンで作る・・・(英語のラインの語源はリンネルの糸→線だそうだ・・ここでは、テグスの方がふさわしい))・を考える。その-ある意味無限に長いテグスが円を描き(上述「A」と後ろに詳述)、出発点のゼロ(テグスのはじめの端)が、終点のゼロ(テグスの終わりの端)にくっついたとする。(この解析においては、円を用いるのが当然に思える・・数学というのは、「思える」でいいのである・・ただし、それ以外の形状であっても、結論が同じになるのであればそれでいいと思われる)そこにおいて、そのテグスに幅がなければ、ピッタリとゼロとゼロが接合する。ところが、そのテグスに幅があれば、そのテグスの円としての最内側だけが、そこでくっつき、その外側は接合しない。で、そのテグス円の内径は、「2πr(rはテグス円の半径)」、テグス円の外径は、テグスの幅をxとして、「2π(r+x)」、である。B・ここに、2π(r+x)-2πr=2πxである。先に述べたように、そのテグスの最内側だけが、ゼロにくっつき、その外側はゼロには接合しない。そのテグスの幅の真ん中は、ゼロと「1/12」離れていることになる。そのテグスの幅の真ん中をその円曲線の中心-すなわちその円曲線の実態とみなすのは当然であろう。C・さて、そこで、そのテグスの最外側(最外径がゼロに再接近した実態)は、1/12×2=1/6、ゼロから離れていることになる(図を載せて説明したいところなんじゃすが、メンド草草・・・用紙には描いてあるんだが・・・筆者は世界一のメンドクサガリにして南アメリカ大陸に棲むナマケモノを凌ぐ-世界一のナマケモノ・・・)。そのテグスの幅をxとおいてある中で、上述「B」と「C」から、2πx=1/6x=1/12πとなる。すなわちそのテグス(数曲線)のもつ幅は、x=1/12πである。……ということは、数学における点(ののセクションの初めに説明)の直径も「1/12π(単位なし!)」であるのかもしれない……・・・単位については上述している・・・つまり、そのテグス(数曲線)がその幅をもてば、D・「1+2+3+4+・・・=マイナス1/12」となるのである。(・・・もちろんこれは、その「D」が正しいとしての論である・三人の数学者が『一応』証明している・・・)・・・\めでたしメデタシ目出たし/・・・\(◎_◎)/・・・・・・もちろん、この論が正しいのかどうかはわからない・・しかしひとつの数学としての世界になっている・・・・・・参考・・・どこかに書いたが・・・筆者の高校生時代、親父が筆者に「宇宙をこっちの方にどこまでもずっと行くと、反対側からでてくる・・それから、タンジェントカーブにおいては、描線が無限大に至るとマイナス無限大からでてくる」といったようなことを話してくれたことがあった・・それが筆者の頭にこびりついてしまったのだった・・・で、そのタンジェントカーブだが・・・「0~π」にひとつの周期を設定して、カーブの始点が「0」から始まって「π/2」において、無限大に至り、次に、「π」において、カーブ描線はマイナス無限大からでてくる。――そう解釈できる――(この検討は、直角双曲線ででも行なえる・・直角双曲線のひとつ「xy=1(y=1/x)(x=1/y)」で・・・)で、そこを詳しく見てみると・・・(実数の)二次元座標を考えて・・・X軸のゼロあたりを見ると、マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロが隣り合って並んでいると結論できる(どう見てもそう見える)。で、ここで、それをもとに、もっとも基本的な無限大について考えて見ると・・・1/-0=-∞、1/0=∞、1/+0=+∞、が隣り合って並んでいるように見える(下に参考)。――この分析は、うしろに述べる「自然数の無限の足し上げ」にも適用できる――・・・参考・・・・・・数学において普通は、ゼロで割るという操作はしないんだが、無限大関連では、それを為してもいいだろう・・・それは非常に解りやすいし、前例を乗りこえても悪くはない・・・しかも、この論は今までになかった数学の一分野でもあるし・・・・・・さらに・・・-0と+0について言えば、それらの絶対値は0でない(状態量の絶対値と呼ぼう)(その絶対値はゼロでない無限小である)。おまけに、後述するが(この項はあとで加筆した)、「1/0=∞」の絶対値について、非常に面白い結論がでてくる・・・・・・以上、参考・・・・・・さらに新たな参考をも含めて・・・――無限大は設定のし方によってその性質が相対的に異なってくる・・・たとえば、1/0と2/0は異なり、その比は1:2(後者が2倍)である、といったような具合だ・・1/0を基本無限大と設定・定義しよう。代数~数学では、上既述のように、なんらかの値をゼロで割ることは禁じられているようだが、無限という概念のもとではそういったことになる――・上述のタンジェントカーブや、直角双曲線での検討において、「明らかに0で割る個所がでている! 」ではないか・・・・・それと、そこに「大きさ無限小の隙間! 」も現われている(それが「無限」という曲者・魔物・魔術師の正体の大きなところだろう・・うしろの方で、そこらを詳細に検討しよう)――無限大という実態は、1/0や2/0などという実態にある、と言える・・・(・・・物理数学・数学において、無限大~発散がでてくるのは、基本的に、ゼロ分のなんとか――無限小分のなんとか――ゼロと無限小は異なるが便宜上そう記しておこう――がでてくるからだろう・・・であるから、この新しい分野の数学は使えるのではないだろうか・・・)――・そこにおいて特徴的なこと・強調すべきことは・・・「ゼロは符号をもたない」、ということである。ゼロはすべてをご破算にし符号「+(プラス)、-(マイナス)」をも反転させるのだ――そう見える――・・・・そう考えると、タンジェントカーブの説明がつく(上述の「直角双曲線のひとつ「xy=1(y=1/x)(x=1/y)」においてもそうである)・・・以上の内容で、感覚的にそれがわかる(数学については、どこかに詳細に記している)・・・以上について別な表現をすると・・・1次元座標において、プラス方向にもマイナス方向にも、無限につづく真っすぐな座標を考えてみる。すると、真っすぐであるはずの座標が、円になり、プラス無限大と無限大とマイナス無限大が隣り合ってつながってしまう、とも言えるだろう(――そうであるように見える――)・(・・・宇宙を1つの方向にまっすぐ行くと、その反対側からでてくる、という事象実態(相対論による)もそれに似ている・・・)。(・・・以上の数学的新しい理論――ゼロと無限大関連の数学についての新しいアイディアにもとづく――は、ほかのところでさらに詳しく述べてある・・・)――数学の進め方~構築というのは、そういうものである。ただし、それが現実の世界に対応しているか否かは別の問題である。――そこらについては既に詳細に記してある――・(数学については、どこかに詳細に記している・・以上の論もひとつの数学の世界になっている)――・・・さて、以上の数学を宇宙の空間と時間について適用していいのかどうかという問いも当然ある(――現実に対応しているかどうか、という問題――)・・・そういう問題は蹴っ飛ばしてほったらかしておいて・・・もの凄く美味しい世界に突入してみよう・・・つまり・・・以上の数学を宇宙の空間と時間について適用してみよう、ということ・・・(――物理学というものは、そういうふうにして、さまざまな数学を用いるものであるから、そこに問題はない・上述のように「そういう問題は蹴っ飛ばしてほったらかしておいて」いいのである・・・そういうふうにして、物理学は数学を活用してきているのであるから・・・――)少し前に遡って・・・以上の論を適用すると、空間について言えば・・・「こっちの方(ある方向)にどこまでもずっと行くと、反対側からでてくる」となる。時間について言えば・・・「永遠の未来は永遠の過去につながっている。永遠の過去は永遠の未来につながっている」となる。さらに、「宇宙は、(今回の)宇宙における永遠の未来に到達すると、新しい周期の宇宙に入る(過去の宇宙sもすべて含めてそう言える)」となる。(――それらが現実を記述しているかどうかは、別な問題である――)・・・さてここにもうひとつおもしろい論を加えよう・・・・・・それは、宇宙の永遠性や、意識~生物の永遠性などについて、適用できるかもしれない内容を含んでいる可能性があるので、やってみよう・・・その上記の数学理論を適用すると、以下のように、そういった難問もだいたい理解納得できる・・・まず・・・自然数を無限に足し上げていくと、どうなるか? という問いについて考えてみよう・・・「ある時点で、自然数に『自然に』マイナスの性質(符号)が入り、前に加算してきた数をつぎつぎとすべて打ち消してしまい、ゼロ(近くに)に収束する」、という信じられない結論を得ることができる。つまり、自然数にマイナスを付した数も、一種の、自然数の仲間なのだと、いうことになる。・・・ただし、初めに、マイナスの概念を持ち込んでいるところにはひっかかるが(離れた上に記してある「「1+2+3+4+・・・=マイナス1/12」を三人の数学者が(一応)証明している」において、一人の数学者は、「複素数」を用いている)・・・・・・ただし、「無限に足し上げる」のである。「無限」の中に「マイナス」の要素が含まれている、と解釈できる。無限だと、プラスも反転してマイナスがでてくるのだろう――先(前)に述べたが、「(実数の)二次元座標を考えて・・・X軸のゼロあたりを見ると、マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロが隣り合って並んでいると結論できる――。で、ここで、それをもとに、もっとも基本的な無限大について考えてみよう・・・「まず、既述の、(まず一次元座標で、ついで二次元座標で考えて)・・・1/-0=-∞、1/0=∞、1/+0=+∞、が並んでいるように見える。」を参照されたい――」・・・「無限」は「曲者」、「無限」は「魔術師」、「無限」は「魔物」、といったところだろう。つまり・・・ゼロと無限大は、プラスとマイナスという性質をもっておらず、そこに至り通過するとプラスとマイナスが反転する、ということなんだろう(どう見てもそう見える)。(・・・注・・・この理論によれば・・・ゼロの絶対値はゼロで、マイナスゼロとプラスゼロのそれぞれの絶対値はゼロではなく「状態量・無限小」である。マイナス無限大とプラス無限大の絶対値はそれぞれ、「状態量・無限大」である・・このばあい、∞表記はしない・混乱を招くからである・・つまり、「状態量・無限大」と「∞」は異なる定義のもとにある・・・・・・そう記述できる。で、単なる「∞」の絶対値については後述する(この項はあとから記した)・・・)・・・確かに、自然界にはプラスがあればマイナスもある・・たとえば、チョコレートを10個買って喜んでいて、毎日ひとつずつ食べるとしよう・・最初の日にはチョコレートが一個減る(食べたあとに)(食べた人のおなかの中にあるにはあるんだが、そういうことはここでは考えないナリス)(この日を1日目としよう)・・それをマイナス一個と表現できる・・そして10日目を過ぎると(10日目の食べた時点で)、そのチョコレートはなくなってしまって、ガッカリすることになる(これは、ゼロの発生である)・・(ここの日にち計算や記述はちょっとややこしい)・・・そしてまたアワテテチョコレートを買いに走ることになる(JK)・・・それらも、「質の法則」の中の「質の対生成」で説明がつく・・・たとえば、数(すう・・かず、でもいいが)が発生するにあたっても、「なにもないところ・空」、から生じるので、1とマイナス1、2とマイナス2が対になって生じる、足し合わせるとゼロになるように発生する、といったことである・・ただし、必ずしも同時に発生するとは限らない・・質時間回帰的に発生する・・・。(上述、チョコレートでのタトエにおいて、喜んだり、ガッカリしたりするのも、「質の法則」の中の「質時間回帰則」で説明がつく・・さらに体重が増えてガッカリすることも同じくそうである)ベクトルで説明しても同じようなことになる。なにもないところ・空、から、ベクトルが生じるとすれば、あるベクトルと、その反のベクトルが対なって生じる、といったことである(これは同時に、である)・・・。さらに、そこには質時間回帰の要素も入っている――このばあい、あとに詳しく記すが、自然数を無限に足し合わせると、ゼロあたりに収束する、という実態に質時間回帰の要素がある、ということである――・・・。(・・・付記・・・「(離れた上に記してある「「1+2+3+4+・・・=マイナス1/12」を三人の数学者が(一応)証明している」において、一人の数学者は、「複素数」を用いている)」についてもう少し詳しく言うと・・・――そこの計算にゼータ関数を用いるばあいは、奇妙な数学的操作をしたうえに、複素数を用いるのである――自然数を扱っているのに、マイナスの数、虚数、まで使うのである。・・・それが正しいとして・・「無限」には虚数まで入っている、と解釈するしかない――)直近上述ひとつのカッコ、と、その直前の一項の前に戻って・・・そこまでは、「トンデモ」である。(以下「 」内は最初に手抜きして書いたもの――「いくつかの無限級数において、無限に足し上げたその結果が、「ほぼゼロ(ゼロとマイナス1の間あたり)」に収束するという結論が、いくつかのやり方で打ちだされている・(――その中のひとつである-ここで取り上げている数式は、超弦理論にも適用されている――)・その結果を自分(人)に納得させるには、上記の理論と、直近上述の「トンデモ」な結論から、だいたい納得できるのではないだろうか? (――そこを精密には検討していないが――)・・・・・・」)以下、直近上述「 」内に加筆・・・ここらは(も)かなり前研究していたのだが、怠けて・(――筆者の得意技・・・筆者は極上のめんどくさがりであるし、書くべき内容があまりにも多いので、そうなるのはあたり前田君であり当然である・・・それに筆者はそういった研究にやり甲斐・生き甲斐を全身全霊で感じているので、研究をやっており、それをネット上に載せているだけだし・・・と弁解しておこう――)・手短か脚短かに書いたので、それに加筆しよう・・・・・・しかし加筆する前に・・・それに関連して心脳研究として、ついでに記すと・・・筆者は本論やそのほかについてのアイディアsをさまざまよく思いつく。それらを用紙に書き留めてある。そこでの思いつき~発想は、前から心に引っかかっていたもの、時々考えていた対象についてのもの、ひらめき、関係ない本を読んでいて思いつくもの(本の内容~読んでいるところとは関係ない)、などがある。さらに、書き留めていると新たなアイディアがでてくることも多い。で、それらをPCに打ち込もうと思ってはいるのだが、たくさんありすぎて、かなりの数のアイディアはまだPCには書き込んでない(あまりにめんどうだからである)。それから、用紙に書いたりPCに打ち込んでいると、新たな発想がでてくることも多い。用紙の書きつけやPCで読み返していても、新しいアイディアがよくでてきてさらに書き込む。用紙に書くにせよPCに書くにせよ、同時多発的にアイディアがでてくるばあいは、記すのに苦労する。・・・以上、心脳研究の一端として・・・・・・さてその加筆だが・・・加筆しようとして、さらに加筆を入れたので、わかりにくくなったが・・・その「さらなる加筆」の前に戻って・・・ところが・・・いくつかの無限級数において、無限に足し上げたその結果が――見た目は無限大に発散するはずなのに――「ほぼゼロ(ゼロとマイナス1の間あたり《だったと記憶する》に収束するようだ。・・・それ以外でも0あたり《わずかにプラスの値》に収束する結果になる無限級数もあったようだが? )」に収束するという結論が、いくつかのやり方で打ちだされている。たとえば、その中のひとつ・・・オイラー、リーマン、ラマヌジャンが、A「1+2+3+4+・・・=-1/12・(自然数を無限に足し上げるとでてくる計算結果)」という式(公式と呼んでいい? )を導き出している・(上述しているように・・・そこの計算にゼータ関数を用いるばあいは、奇妙な数学的操作をしたうえに、複素数を用いるのである――自然数を扱っているのに、マイナスの数、虚数、まで使うのである。・・・それが正しいとして・・・「無限」には虚数まで入っている、と解釈するしかない――)。――この数式「A」をここでの論の基本に据えることにしよう。その根拠として・・・自然数を無限に足し上げるというところに基本性を感じるし、それは超弦理論にも適用されているし、ということがある・・・まあ、その根拠としての決め手は今のところその程度であって、決定的ではないわけだが――――上述の「タンジェントθ」についての分析と、その「自然数の無限の足し上げ」についての分析について言うと、類似というか「最重要なところで同じ着眼内容と結論をもつ」・・・それを一言で言えば・『「1/+0=+∞(絶対値はプラス無限大)」~「∞(符号を反転する演算子で、かつ、絶対値0! (!を付したのは驚きを表しているだけのことである) )」~「1/-0=-∞(絶対値はマイナス無限大」』が隣り合って並んでいる(そう見える)という見立てによる論である・(無限大と∞の書き分けをすると既述しているが、めんどくさいので∞一本にした・・しかしあとでカッコして加筆した)・・これについてもうしろの方に詳述しよう・・・――・・・少し前に戻って・・・それA(結論は-1/12・・「1+2+3+4+・・・=-1/12」)は、先に述べた結論「ゼロ(「1+2+3+4+・・・=0)」とは少し差があるが、それら3人が導きだした結果(A)を、自分(人)に納得させるには・・・いくらか離れた上記の理論と、その下のあたりに上述している「トンデモ」な結論から、だいたい納得できるのではないだろうか? (上述の、テグスをだしている項などをも参照)で、その「差(ゼロと「-1/12」の差)」はどこからくるのだろう? (テグスをタトエとして、一応の結論を上述してあるが、それは、長い追究の結果でてきた結論である・・ここらあたりは、それ以前の追究の記述である・・つまり、カットバック的になっている・・よって、構成がワル杉ルのでアールス)・・・それはプランク定数関連~量子論をも思い起こさせるが・・・・・・そこにおいて思いつくアイディアsを挙げてみよう・・・*数(すう)の世界でも質時間回帰的な性質が働く・――これは「A「1+2+3+4+・・・=-1/12・(自然数を無限に足し上げるとでてくる計算結果)」がほぼゼロであることについてまずは言える・しかし、その「-1/12」がなぜ・どういう原理ででてくるかについて言えば・・うーむ・・わからない・・・(これについては、うしろの方で検討しよう(あとから、上に加筆した・・テグスをタトエとしてだしている項など)・・・*数(すう)といえども揺らいでいる*概念上の数(すう)といえども、「自然界または人間の心器と意識器(既述しているように、心器にとってすべては心的内容であり、意識にとって、すべては意識内容である)」に存在するのであって、実際は揺らいでいる*この世界に揺らいでいない存在はない*繰り込み理論との共通性*揺らぎによって「ゼロ」ではなく「-1/12」に収束するから宇宙・この世界の存在がある(ここで、絶対零度においても、原子などは揺れている、という事象をも連想した)。なにもないところから宇宙が対生成で生まれたと仮定すると・(ビッグバンからの宇宙生成や、それとタトエとしての水蒸気との関係などについては既述・・ここでは質の法則の中の対生成に着目)・、その収束が「ゼロ」であれば、かなり短い期間内に物質と反物質の完璧な対消滅が起こるが、「ゼロ」ではなく「-1/12」に収束するから(ここでの主題のひとつである)、「宇宙は存続できる。それは南部さんが考えた「自発的対称性の破れ」に対応している実態なのかもしれない。同じく、数(すう)といえども、足し合わせれば(ほぼ)ゼロになっているところから展開されてでてくるのであって、すべてを足し合わせると(ほぼ)ゼロに収束する。それがゼロではなく、「-1/12」であった。それは、直近上述と同じ理屈内にある。・・以上さまざま述べてきたが、その「-1/12」の値については、今の段階では未だその根拠が不明である。(離れた上に、テグスのタトエを用いて、考えられる結論――こう考えれば「-1/12」がでてくる――を記してあるが、それは長い追究のあと、その結果を加筆したのでアールス・・・よって、構成がワル杉ルのでアール・・・しかし、それ以前の思考の経過の記述も残しておこう、ということで、ここらにも手を入れているところでアールス)*ここでそれについて、いいかげんな思いつきを書くと・・・円を等分割すると、12に分割するのが最も美しいし、実用的である。アナログ時計の文字盤を見れば一目瞭然である(大きく分けてのことであって、「分」は除く)。一年の月も、同じく(偶然にも? ) 12である(――たぶん、時計の文字盤と同じような発想でなされたのだろう――・・・いやいや、昔の人には、手の指が6本プラス6本あったのかもしれない・JK)。それらは「1/12」の世界である。つまり「1/12」は美しい上に実用的な世界なのである(と考えてみる)。で、なぜそれにマイナスがつくのかと言うと・・・これもまたいいかげんな思いつきだが・・・この世界はプラスが勝ると、ろくなことがない・笑・・・・・・それを易経で言えば・・・陰があってこそすべてはうまく行く。陽が勝ると、破滅が近くなる。陽の強い突っ張りあった者たちだけがこの世界にいるとすると、世界のすべてはすぐにでもぶっ壊されてしまうだろう(易経は、そういうことも主張しているようにもみえる)(これは、昔書いた文章である・・笑えない)。――ここにおいて、一応(易経においては相対的になるところもある)・・・陰=マイナス、陽=プラスである――。「1/12」にマイナスがついた「-1/12」であると、直近上述の論理・原理でなんとかうまくいく。・・・とまあ、いいかげん、で、てきとうな思いつきを書いてみた(これも、ふにゃ論である)・・・(――「いいかげん」が「良い加減(ぴったり合う適切な加減――元もとの意味はこうだった)」で、「てきとう」が「適当(適切。適ってぴったり合っている・当たっている――元もとの意味はこれだった)」であるので、それをもって世界が壊れないよう祈りもうそう(上述の「ぶっ壊されてしまうだろう」を引き継いでの言ナリ・・それが妄想であることを祈り妄想・JK)――)さらに、そこらあたりの別な考察などなど・・を以下に記そう・・・で、「ゼロ」に収束することと「-1/12」に収束ことについて、少し分析してみよう・・・「-1/12」に収束するということは、ゼロ+「-1/12」、つまり、いったんゼロに収束するに充分で、そこに「-1/12」が加わったと解釈できる・・・つまり、マイナスが「1/12」だけ優勢であると解釈できる・・・と、まずは考えてみよう・・・? ・・・それとも・・・「1/12」の分だけマイナスが足りなかったという解釈もでてきそうである・・・・・・で、「マイナスが足りない」ということは「プラス」だということだ? ・・・ということは、プラスが「1/12」だけ優勢だということか? ・・・それとも、ほかに考えられることがあるだろうか? ・・・・・・ややこしい・・むかつしい・・・・・・(・・・難話休題で脱線閑話にはいって・・・ここらは「で」という接続詞がつづくが・・・・・・「で」といいうのは「それで」や「そこで」の略だろう・・「さて」「ところで」という意味をももつだろう・・・エイゴで言えばたぶん、「アンド」か「ナウ」か「ウェル」、「バイ ザ ウェイ」「ゼアー(原義)」あたりかもしれない(英語でつづるのはメンド草)・・・――「そこにおいて」という意味もあるだろうが(筆者はこのばあいは、「そこにおいて」と書く)。で、「それで」などという接続詞は使わない方がいい、とかなんとかいう文章を読んだような覚えがウロ覚えであるんだが、それは他人の意見であって、筆者は今のところ採用しない。それを書いた人物も一時期は「それで」を普通に多く用いていて、ある時読み返してみて、それに嫌気がさしたのではないだろうか(文章に限らず、いろんなところで、そういったことは起こる・・質時間回帰である)。文章において、近い個所で、それを多用すると幼稚な感じになるのは確かであるから、それは避けようと思う(どんな単語でもそうであるが)。・・・以上、脱線閑話・・・)・・・で(笑)、・・・マイナスが「1/12」だけ優勢と、プラスが「1/12」だけ優勢、そのどっちなんだろう? (意味としては反対になる)・・・・・・マイナスが「1/12」だけ優勢でプラスに勝ったプラスが「1/12」だけ優勢でマイナスを押し返した・・・これは間違っている感じがするが・・・そのどっちなんだろう?それら2つはイコールになるのか? ふーむ・・・・・・マイナスが「1/12」だけ多かった、というところだろうか? ふーむ・・・・・・上述の論理「易経で言えば」でいけば、「マイナスが「1/12」だけ多かった」となるだろうが・・・・・・・・・ここでも悩みは尽きない・・・普通、こういうのを悩みとは言わないかもしれないが・・・それなら煩悶は尽きないと言おう・・・煩悶もぴったりではなさそうかな・・・それは頭を悩ませる、と言っておこう・・・さらにこう言おう・・・頭を掻き毟りすぎて素敵なハゲになることがないようにしないと・・・冗談はともかく・・・ここはなにか考え間違いをしているところがあるような気もするが・・・・・・あ、そうだ・・・マイナスの座標にあって、ゼロに向かう実態は、プラスの実態だろう。つまり、マイナス1からゼロに至ることは、「プラス1を実行する」、ということだろう。で(笑・・少し前に「で」について記したので)(さて)、さらに考えてみると・・・プラスの座標にあって、「∞」を目指し、「∞」を越え、さらに「ゼロ」に向かう実態も、「プラスを実行する」、ということになる。「プラス1(1)」というばあい、座標軸上の一個所を指す。しかし、「プラス1を実行する」というばあい、それは、「状態子」、「実行子」、「実態子」、「操作子」、とでも呼ぶべき意味内容実態をもつ。で(笑・・また「で」だ)(さて)、いくらか長い上述について言えば(ハゲジョークの前まで)、マイナス1からプラス「11/12」を実行して、マイナス「1/12」に至る、ということだろう。そこにおいては、プラスが「1/12」足りない、ということだろう。それは、マイナスが「1/12」勝さった・まさった、ということに(と)同値だ。うん、これですっきりした。ここはつまり上述の、「・・・上述の論理「易経で言えば」でいけば、「マイナスが『1/12』だけ多かった」となるだろうが・・・」、と同じことだ・同値だ。(・・・再掲をまじえた参考を・・・「プラス1(1)」というばあい、座標軸上の一個所を指す。しかし、プラスの座標にあって、「∞」を目指す実態と、「∞」を越え、さらに「ゼロ」に向かう実態は、ともに「プラスを実行する」、ということだろう。「プラス1」と、「プラス1を実行する」は区別される・この小さな領域の数学においては・・・以上、参考・・・)さて、ここで遊んでみよう・・・「宇宙遊び」なんだが(・・・ここで連想・・・こどもの頃遊ぶ砂場も小さな「宇宙」なのはたしかだから、それも「宇宙遊び」と言える・笑・・・)・・・上述の結論「マイナスが『1/12』だけ多かった」を使って、オモティロイ試論を立ててみよう・・・ビッグバン説が正しいとした上で、そこで生じた物質的要素sは、マイナスが「1/12」だけ多かった、と考えてみる――これはこじつけだが・しかしそこ「マイナス1/12」にこの宇宙の本質がなんらかに現われている・表われている、のかもしれない――。よって、この宇宙ができ上がることができた、と。「正の物質要素(物質要素)」sと「負の物質要素(反物質要素)」sが同じ量だけ生じたのならば、それらすべては対消滅して、エネルギーになって物質要素sは正も反も消えてしまう。ところが、マイナスの物質要素sがそれだけ多かったので、この宇宙ができ上がることができた、と。そこにおいて、気になることがある・・・この宇宙がマイナスの物質要素でできているなどとは、おかしいではないか、といったことだ・・・ところが、A「マイナスの物質要素とプラスの物質要素における「マイナス」と「プラス」は人間が勝手に名づけたものである。つまり、ここでの論にある「負の物質要素s(反物質)」を、現在の世界の物質要素s「物質」としているのである、と、考えることができる」(以上、A」・・・これで何の問題もないだろう・・・――うーん、しかし、これにはちょっとひっかかるところがあるので、ここらについては、もっと考えてみよう・・・・・・自然数(プラス)の足し上げを無限に実行していくと、マイナスの数がでてきて、さらに、「マイナスが「1/12」だけ多い」ので、ゼロにならない、という結論に至っているわけである。それを解釈すると、マイナスの物質がプラスの物質より多いので、宇宙は存在できた、となるだろう・・・つまり上述「A」どおりである、ということになるだろう――。それからこうも言えるだろう・・・・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・加筆用(どこかに挿入)題して「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の誕生と進化」についての一考察」~「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない」さて、筆者の論sとその記述sは長々しいのが多い上に、さらに加筆し手を入れるので、非常に読みにくいし、構成や加筆手入れもむずかしいのでアールス・・・そこで、ここでは、詳細な記述を避けて、表題的な文章を連ねようと思うのでアール・・・言ってみればそれは概略の概略の概略、といったところナリス・・・・・・さてそこで・・・「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない・(プラスさまざま)」・・・これは事実である・・・このことによって以下が言える・・・・・・それは事実であって、このことからだけでも、心器というフィールド、意識器というフィールドが必須であることがわかる(まずは前者がそうなのであるが、そこから、後者も必須であることがわかる)心器というフィールドと意識器というフィールドが必須であるということについては、ほかにも、さまざまな面から、いくつもの証明らしきをなして既述している・・・・・・物質的世界だけでは、この世界は成り立たないのである・・・・・・次に・・・「「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」について述べよう・・・それは・・・、「この世界に意識がないと、この世界はないに等しい(物質の世界があっても、その世界を意識する存在がないと、物質世界~この世界はないに等しい)」「この世界には意識はある(事実)」1「意識の世界は情報の世界であり、意識の世界を盛り上げるためには、つまり意識できる情報を盛りだくさんにするためには、物質的な世界における生物をもつしかない(それ以外においては、そういった情報をほとんどつくれない)(ここには循環論法が紛れ込んでいるが、それでもそう言える)」それに加えて・・・2「意識と心の世界は(心器というフィールドと意識器というフィールドの世界は)、既述の「タトエとしての水蒸気」の世界である・・・それはカンタンに言えば、心と意識にかかわる情報の世界である・・しかも、その「タトエとしての水蒸気」が冷えて凍って・(そういう相転移をして・・現実における水蒸気(気体・・湯気は微小な水滴と水蒸気の混合物である)も冷えれば水滴~水になるし、さらに冷えれば氷になる、といった具合である・・気体~液体~固体と変化する)・物質~物質世界をつくる(物質の世界はない・あるのかないのかわからない、という論理も可能だが(既述)、ここでは、物質の世界はある、という立場に立とう・・そういう、心と意識にかかわる情報の世界から相転移して生まれた物質~物質世界は、上述「1」を満たすようになっているのは当然である」3「よって、さまざまな物質sは、「1」が叶うようになっている(意識の世界が広がるようにできている・・そのためには生物が必要である・・・)・(たとえば、物質sのさまざま、ミネラルsのさまざま、などなど・・ミネラルについて言えば、生物の生体において、さまざまに活用されている(驚く)(昔むかし、ミネラルsが生物においてさまざまに活用されているのを知って驚いたことがある)・・その他の物質s(系)から構成される微小~ある程度大きい~かなり大きい生物部品s(と呼ぼう)(生物成分sをも含めて)も驚異的な機能・働きをもっている(驚き))」以上に加えて・・最初に記した項目をもう一度検討すると・・・4「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない・・つまり、物質の組織である脳のほかに、情報にかかわるなんらかの存在がある・・それは、情報構造と情報の性質から言って、心器とそこでの情報、意識器とそこでの情報である(詳細に既述)」上述「1」と「2」と「3」と「4」から・・・繰り返しをも含めて言うと・・・5「この世界は、物質と物質的世界だけの存在ではない(脳には心も意識もない)それどころか、意識の世界が最優先される・・意識の世界(非物質的世界)がないと、この世界はないに等しい原初の生物が誕生し進化していくには、偶然では100パーセント-ムリであり(小さな進化や変化は別として)、そこには、知性体(いろんな操作もできる)と、そういった方面の情報がかかわるしかない転生(意識器が転生する)は永遠につづいていく(この世界の法則によってジサツは禁じられておりもうす)そして、すべては質時間回帰則(SJKの法則)のもとに質時間回帰していく」となる。・・・参照のための付記・・・意識器が転生する(転生するのは意識器である)・・意識器とは「自分は自分である」という純粋意識をもつところの、意識内容が発現し、それを意識し味わう「個的フィールド」である意識器とは、心器が構成した心的内容が心器から意識器に送り込まれ、それが意識内容となって発現する「個的フィールド」である心器は、脳と連携して、心的内容を構成する(心的内容論理活動=理活をなす)ところの、「個的フィールド」である心器の扱う情報は、デジタルでありエネルギーのツブツブたちであり、心器が理活して心的内容を構成する(それでないと理活できない・・詳細に既述)意識器では、心器が構成した情報(エネルギーのツブツブの集合体)が、アナログとなり波動化して、意識内容となる(波動情報でないと、意識し味わうことはできない・・詳細に既述)・・・さらに付記・・脳には心も意識もない(上述4などを参照・・・これについてはさまざまに論じて詳細に既述している)心器は転生しない心器は誕生する赤ん坊に、発生する心器のタネ(元)は、タトエとしての水蒸気の世界=上述「2」の世界に存在するただし、知性体となった心器(昇天した人間などの心器)は、人間に乗っかったり、一時的にかかわったりして、人間にチョッカイをだす・・・A「原初の生物が誕生し進化していくには、偶然では100パーセント-ムリであり(小さな進化や変化は別として)、そこには、知性体(いろんな操作もできる)と、そういった方面の情報がかかわるしかない」についての付記・・・生物の生体の仕組みを見れば、それ「A」は一目瞭然である・・生物の生体の仕組みはありえないほど精密にして精緻である(詳細に既述)(たとえば、生物の眼についてだけ言っても驚異的な事実がある(既述))さて、次なる付記は・・・脳と心器の交信について述べようエネルギーのツブツブで交信する(既述)今のところ、その第一候補を、赤外線(スペクトル)としている(詳細に論じ既述している)あるいは、超ひも理論で記述されるなにかかもしれない(既述)タンパク質や物質は、広範囲の温度において、赤外線スペクトル(スペクトルというのは虹のようなものである)を発する・・脳や身体にあるタンパク質や物質も当然、赤外線スペクトルを発する(既述)しかし、タンパク質や物質のエネルギー状態(温度をも含めて)によって、それらが発する赤外線スペクトルは異なる赤外線スペクトルは、さまざまな本質的な意味や内容をもてる(心脳科学-仮説において、これは非常に重要である・・詳細に既述)脳の活動によって、充分なエネルギーを与えられたタンパク質や物質は・(電位パルス(活動電位)が流れる時、発火する時(下に注)などにおいて)・さまざまな本質的な意味をもつスペクトルを発する・(エネルギーが充分でないと、欠けだらけのスペクトルを発し、心脳活動には利用されない-できないだろう・・・虫食いがひどすぎる書物は読んでも意味がほとんどとれないというタトエをここにだそう(そういうレベルにある虫食い本を、ここではタトエに用いている))注・・シナプス後ニューロンが「電位パルスを発射」(これを発火と通称するが実際は火を発していない・既述)する時・・・さて次に、タトエとしての水蒸気の世界(知性をもつ)と、ビッグバンから始まって、素粒子~物質~現在の宇宙ができあがった、というビッグバン宇宙論(現在における主流の宇宙論・・その骨格は一般相対性理論による)、それと、場の量子論、それらの間の整合性をとってみよう・・・A・場の量子論においては、場は、演算-計算力をもつ(物理学的にはそう記述される)(まるで知性をもっているかのようである・・既述)その演算により素粒子が生まれたり対消滅したりなどする(物理学的にはそう記述される)(場の量子論は未完成である・・適用できない領域がある)・・・場は、エネルギーと知性をもつ、といったところだろうか・・・(物理学においては、一般相対性理論と場の量子論、それらふたつの理論の融合は未完成である・・融合できないのかもしれない・・・物理学といえども不完全なところがある・・だいたい、心や意識を扱っていない・・・)次に、上述「ビッグバンから始まって、素粒子~物質~現在の宇宙ができあがった」、というところに着目してみようこの概念の活用と拡張、と上述「A」の融合、そしてその他いろいろを含めた(既述)概念が、「タトエとしての水蒸気」と「それの存在する場(フィールド)(個的場と全体場がある・・既述)・・それらは、心や意識をもつ」、という結論に至らせるのであるここに、「タネもシカケもないマジックは実在する・・その他超能力や奇跡は実在する・・それらを行うのは知性体(昇天した人間から離れた心器-心)である(詳細に既述)」、ということも付記しておこう・(それらは現在までの物理学では説明がつかない)さらに既述の、「この世界に意識がないと、この世界はないに等しい・・この世界に、意識の世界(非物質的世界)がないと、この世界はないに等しい(既述)」も付記しておこう・・・そして、「脳には心も意識もない、それでも、心と意識という世界があるのである(既述)」、をも組み込むと、本論のようになるのである・・・さて、本論によれば・・・、まあ、とにかく、人生は一回限り(よく言われるが)なんかではなく、人生は無限回限り(この「限り」はジョーク)なのである・・・(ジサツはこの世界の法則によって禁じられておりもうす)・・・そこに質時間回帰もある・万人平等化である・・・・・・苦しみながら人生を生きてゆき、楽しむときは楽しむ、これしかないのではないだろうか・・・・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・加筆用(どこかに挿入)(上略)・・・さて、永い間の追究によって、筆者が追究してきているテーマsにおける試論と結論がでてきているので、それを記そう・・・それは、以下に載せる「この世界のすべてを理解するための一試論」である・「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」:加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学(上略)加筆用(どこかに挿入):(「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」)…一応済み-構成には手を入れてないけれども…それにしても構成がまずい…この先も手を入れていこう……(このテーマの草稿には、手を入れつづけてきているので、読みにくさMAXナリス…一応手を入れおわった段階で「一応、済み」とでも記しませふ(忘れる可能性高しナリスが))(…このセクション(チャプターになってしまった)は(も、というか)構成がよくない…ゴチャグチャしている…落書きのようなものである・・・あとからあとから、なんやかんやアイディアsがでてきまくるので、加筆しまくることになるのであーるす・・よって、構成もよくないのであーる・・構成をよくする必要性も今はないことであるし・・・)(・・・後ろの方に、この課題追究における結論としての総まとめ的なコーナーを設けた・・・)・・・原初生物の発生(誕生)と進化についても筆者は考えてきていて(いろんなことを考えるのが大好物ナリス)、そういった内容をもつ文章を既にネット上に載せているのでアールス・・・さて、このセクション(チャプター)「原初生物の発生(誕生)と進化」について考察するための予備知識プラスαをここに落書きメモしておこう・・・現在存在する生物sのDNA・RNAの遺伝コードは、基本的に共通している・(当然のことながら、今までに研究された範囲内においてだが)・(酵母やヒトなどのミトコンドリアDNAにおいては、少し異なるところがある)・(DNAにおける塩基のチミンは、RNAでは塩基のウラシルとなっている…RNAは進化の裏を知っているのか? 原初生物の誕生と進化のウラシル…JK…「おい、ウラシル君、どうなんだい? 」…ウラシル君曰く「そこに知性体たちが関わっているからこそ、そういった事象-原初生物の誕生と大進化-が可能なのさ」…「ふむふむ…ありがとう、ウラシル君…やはりそうであったか」…ジョーダン-ナリス…)・そのコードにおいて、タンパク質を指定する3つの塩基sと各アミノ酸の対応関係は、偶然に生まれたとしか考えられない・(現在までのところ、その対応関係にはなんの必然性も見いだされていない…たとえば、ひとつのアミノ酸を指定するのに、最大6種類のコードがある…これは進化を進めるための仕組みになるのかもしれない? ……)…・(そこでは、前者と後者の発する赤外線スペクトルが関係しているの鴨duck・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・ジョーク部分を除いて、これ「赤外線スペクトルうんぬん」も筆者の発想だが、さてどんなものだろう・・・…ほかにも、既述しているように、「タンパク質などの発する赤外線スペクトル」が受精卵の「分化(いろんな組織sや器官sに分かれていくこと・・これについてはその機序がまだほとんど解明されていない)」にかかわっているのではないだろうか、というアイディアを筆者はもっている(かなり前に既述)。さらに、「タンパク質などの発する赤外線スペクトル(タンパク質以外の物質素子sもそれを発する)」が、心的内容-意識内容や意味の世界・非物質世界のさまざま・の元になっているだろう…そうでないとあらゆるすべてが成りたたない…、という仮説は(を)何度も記してきている)・(カッコから出て、その直前に戻って)……よって、原初の生物が進化して今日の生物sに至ったとしか考えられない、という結論に至る(ほかの根拠も後述)アミノ酸sには、それぞれ、鏡に映すと一致するところの・(一応、右手と左手のように・・一応というのは、右手を鏡にうつしてそれを見て、実物の左手をみてそれらを比較すれば、一応同じに見えるが、細部では異なるところがある、ということ(顔や身体も、左右では異なるところが多いというか-あるというか…)。アミノ酸のばあいは、その条件のもとで、異なるところはない(基本的に))・という二種類のアミノ酸sができる可能性があるが、どの種も(すべての生物が)、用いるアミノ酸sは、その二種類のうちの片方だけであるどの種も(ここでは動物)、受精卵の発生と分化の初期・一応生物としてひとまとまりの形状になった段階で、鰓裂(エラの裂け目)と尾(シッポ)をもっており(どの種も・ヒトも)、非常によく似た形状をしている…(マガタマにいくらか~かなり似ている)………魚、サンショウウオ、カメ、ニワトリ、ヒト、など、全部がよく似ている……これは公表されている有名な図にある……(そういった実態に類することは他にもいくつもある・・たとえば、魚の前ビレが進化して動物の腕になったとか…それを裏づける証拠・根拠は確実にある…)……その図を見ると驚く人が多そうナリス・・筆者も過去に驚いたのでアールス…………ヘッケルは「個体発生は系統発生を繰り返す」という説を唱えたそうだが、その説は大筋において正しいとされている…………以上、そこからも、原初の生物が進化して今日の生物sに至ったとしか考えられない、という結論に至る・(このばあい、動物においてだが、動物も原初に誕生した単細胞生物が元になって、そこから進化して現在に至ったとしか考えられない、ということは、いくらか上に記しているとおりである…後ろの方にさらに詳述しよう…)・・・小進化・(既存の生物の-任意の種(種というのは、オーザッパッパに言って、その集団の中で交配可能である-そういった全生物の集団を表す・・ここは短く記すと記述がむずかしいのでちょっとヘンな記述になっている・・最初にでてくる「その集団」とあとからでてくる「集団」は同じである)の範囲内でのちょっとした変化…犬についてはすぐ後ろに述べよう))・(小進化)は突然変異でなされるだろうが・(知性体の操作もあるだろう…すぐ後ろに述べる「犬」についての項を参照・・人間のもつ「知性」がかかわると、小進化は速くなり大きくなる)(同じ種の中で小進化した生物どうしが交配すると、小進化はもっと進むだろう)・(いろんな説明を入れたので読みにくくなったが、以上を約すと、小進化は突然変異と知性体の操作で起こる、となる)・「『原初の生物の誕生』と、大進化・(新しい種が誕生するという変化とか、新しい範疇の生物が誕生するといった変化…たとえば、魚類が両生類に大変身(水の中、には飽きがきたから陸に上がりたい? )、両生類が爬虫類に大ヘンシーン(完全に陸に上がりたい? )、爬虫類が跳んで鳥類に劇的変身(空を飛びたい? )、爬虫類が哺乳類に身を落として大後悔(図体のでかい恐竜の嘆き? )(JK)など)」・は、「設計図のような何かやデータ類と、なんらかの知性的操作-干渉」がないと起こらない…そう筆者は確信する(後ろに詳述)・(いろんな説明を入れたのでここも読みにくくなったが、以上を約すと、大進化は知性体の関与-操作がないと起こらない、となる)・・・・つひでに…ヒマ人コーナー・・・…直上の記述から連想したので…かなり前、ブログsに載せた替え歌、それプラスαを、心と肩の力を抜くために載せてみよう…♪オータマジャクシはクジラの子♪ナマズの孫ではないわいな♪そーれが証拠にカエル君 変身力を身につけて クジラに変身したんだぜ♪だーから オータマジャクシはクジラの子♪ナマズの孫ではないんだぞ♪…さて、プラスα…一方 クジラ君は…♪カエル君の変身事件を知って クジラ君も変身力を身につけたとサ♪そしてクジラ君は 「換える」ではなく カエルに変身したんだとサ…ここで妖精のアリエールちゃんとアリエーヌちゃんが笑いながら同時に声をあげて言うには…「これで、カエル君とクジラ君の交「換(換える)」条件が成立したんだわさわさワサビ-辛っ」・・・以上、ヒマ人コーナー・・・・・・参考・・・犬の種類の豊富さには圧倒されるが、そこでは種に変化がないので、それも小進化の範疇にはいる…人間の知性(知見をも含める)と人間による操作が加わって、そういう豊富さが急速に得られたのである…「知性と知見と操作」-これに関連する最重要な内容の記述――本課題その他における――を後ろの方に記している・・・・・・それに関連してついでに・・・減数分裂…「卵(らん)(卵子)または精子形成時に、その出発となる母細胞にある2本の染色体の数を複製して4本に一旦増やしてから、それら染色体sの遺伝子組み換えがなされ、組み換えられた染色体2本の2組をもつ細胞が、一組の染色体をもつふたつの細胞sに分かれ、それらが、最後に卵(らん)(卵子)あるいは精子として働くように1本の染色体をもつ4つの細胞sにまで至る…最初と最後では、染色体が2本から1本になることになる…つまりそういった意味において染色体の数を減らすのでこう呼ばれるのだろう…それは、卵(らん)と精子の遺伝情報の組み合わせのバラエティを極度に増やす仕組みになっている…それはつまり、種内の生物のバラエティをもの凄く増やす機序になっているのである・・」・における、バラエティの増やし方は、トランプのシャッフルと同じようにランダムに任せているようだ・(なんらかの制限のもとで)(そういった遺伝子組み換え率は、50パーセント以下? とかいう研究もあるそうだ? …ウロ覚えだが…)・(A・現在の遺伝子工学などについて言えば、研究者諸氏が以上のそこらにおいて見いだした有効な方法手段とそれ以外の事象(たとえばヴェクター(媒介者・運び手)などの存在・・といっても大自然が行なっている事象なんだが)にある手法手段をなんとか学んで、やっているのでアールス…CoヴァyCoヴァy)・(この記述でいいかな? )………さらに受精時にも、そういった組み合わせのバラエティが大幅に増える仕組みになっている(ここで、直近上述のカッコ内の記述を繰り返そう)。(ただし、そこでは種は変化しない…種が変化するとすれば、それは大進化であって(大進化と呼ぶ)、それについては、このセクションに記している)…もっとつけ加えると…mRNAは、DNAにある遺伝情報コードなどを、分別せずに-ある意味においてだが-読み込んでつくられているので・(そのままでは、リボソームにおいて使えない…関係のない情報まではいっているので)・それを細胞内で、遺伝情報とそれ以外の区切り情報などを識別して、遺伝情報だけを繋ぎまとめるという離れ業(大自然のなす遺伝子自然工学なる行為)をやっている(上述のカッコ内「A」を参照)……オトロティア…・・・……なんという大自然の不思議だろう! …以上の仕組みは、小進化のためにあるかの如しだ…これは後ろの方で説明するが-「それはまるで知性体が意図した上で操作してきているかのようだ」…そういった実態と事象実態は、偶然に任せていたら100パーセント起こらない、と筆者は確信する『原初の生物の誕生』と、大進化(新しい種が誕生するという変化とか、新しい範疇の生物が誕生するといった変化)、も偶然に任せていては100パーセント起こらない、そう筆者は確信する・・・参考・・・レオポン(雄豹(レオパード・パンサー)と雌ライオン間の雑種)とか、ライガー(雄ライオンと雌トラ(タイガー)の雑種)とか、タイゴン(雄トラ(タイガー)と雌ライオン間の雑種)など、は、種が異なる動物どうしの交配によって生まれるそれは、同じネコ科ではあるが種が異なる(but近い)動物たちの交配による誕生(種間雑種…異種間雑種)である…生まれたそれらの動物たちには、繁殖能力はない……そこからも、あたらしい種の誕生は極めてむずかしい事象である、ということがわかるだろう……ついでに…染色体地図(遺伝子地図)などをもとに、遺伝子工学的手法で、新しい種を創りだせるのかもしれない…(かくして、超人や神人や恐人が生まれたのであった…オトロティア…ジョーダン)……・・・以上、参考・・・で、原初の単細胞生物ですら、極限まで複雑な構成とシステムとでき上がりになっているのである・(そこにある、さまざまな成分s、素子s、生物部品s、細胞内小器官s、代謝やエネルギー供給の精巧な仕組み-システム、それらが有効に組み合って生物活動が進行する…それらを知ると驚きは極限にまで達し極限を越える)・…それが人間にまで至る途中の生物たちおよび人間の身体的全構成と-できあがりは、それを知ったら神々ですら驚き果て失神するに違いない(後半の表現はJKナリス…後半のジョーダン表現には目をつぶってくだされ)(…失神…神を失う? いやこのばあいの「神」は、動物や人間においての、「精神のような働き」を意味する(ウロ覚えだが)(精神にも「神」がはいっている……既述しているように、筆者の論においては、心器は霊界に移行すると「神=知性体」になる…失神とか神経とか精神とかいう漢字表現は、それを言い当てているのだろうか)……なんという大自然の驚異-不可思議だろう! ・・・以上、参考・・・・・・参考プラスα・進化についての・・・チンパンジーの胎児の頭骨とヒトの胎児の頭骨はよく似ている(首から上は全部似ている)ヒトの成体の頭骨は、ヒトの胎児のそれに近い(幼型性-ネオテニー、が高いというか強いというか)チンパンジーの頭骨は、チンパンジーの胎児のそれとは、大きく異なる(首から上全部が)(幼型性-ネオテニー、が低いというか弱いというか)…・・・成体の幼型性-ネオテニー、が高い方が、その先進化していく、という説があったと記憶する・ウロ覚えだが・・・とすれば、ヒトはこの先-進化していくことになるの鴨duckしれない・・(…ここで「怒鳴るどダック」が登場して、グワッグワッと怒鳴りながら、おいらたち「鴨duck」も進化していくんだぞ~と怒鳴るどダック、というオチ(…そう鴨duckしれない…)をつけてフニャケテおこう…するとここに、「怒鳴る子ダッコ」とのたまう「鴨duck」…この「鴨duck」は怒鳴りまくり、しかもやたらとまわりの者に抱きつきダッコされたがる、という話しだが…が現われて言うには「怒鳴るどダック」より「怒鳴る子ダッコ」の方が、もっと進化していてカッコいいんじゃじゃじゃ鴨duck~と怒鳴るのであったとさ…JK…)………上にチンパンジーの胎児とヒトの胎児について述べたが、それらの頭骨と顔の骨格は似ていて丸っこい・で、考えられる可能性として、その方が出産がスムーズに進む、というところから、丸っこいのかもしれない……このアイディアは、進化を進める何かが、目的をもっている、といった文脈をもつことになるが、一応記しておこう…で、ほかの動物たちのそれらはどうなのかを調べれば、そこらの結論がだせるかもしれない…しかしメンド草草…ほっとこう(長い顔のキリンや馬などはどうなんだろう? ・・キリンや馬は生まれたときは、長い顔をしている(と思う))……上述「進化を進める何かが、目的をもっている」について言及しておこう……このチャプターというかセクションは、「知性体たちが原初生物を誕生させ、そして(大)進化を進めていく」という、主旨にある…そこでは当然「進化を進める何かが、目的をもっている」…その何かとは知性体たちと知性体たちがもつ知性である、ということになる……ついでに…進化ならぬ「退化」という事象実態もある…それは質時間回帰の一種とも解せる…・・・・・・さて、いくらか前(「チンパンジーの胎児の頭骨とヒトの胎児の頭骨はよく似ている」の直後)に戻って・・・・・・ということは、後述の「猿人(原人よりサルに近い)、原人(ジャワ原人、北京原人など)」誕生のかなり前の段階で、ヒトの誕生のための準備がなされていた、ということになりそうである・・……ここからの記述は唐突ナリス・後ろの方にその解説があるナリサ-「そうやって、知性体たちがもつデータsや知見――まだまだ不完全――をもとに、知性体たちが、生物に干渉-操作を加え、試行錯誤しながら、ある段階からヒトを誕生させようと意図していたことが、上述の「幼型性-ネオテニー(チンパンジーとヒトの)」の件で、ミエミエのバレバレの丸見えになったのでアールス…ここの後半のオドケは除いて、この見解はジョーダン半分-本音マジメサ半分にあるナリス-マジに・・・以上、唐突な記述・・・(…で、そのうちに、ヒトの胎児の頭骨や顔面の骨格などは、ネットで見かける宇宙人の胎児のそれら・(それらがどんな形状なのか知らないが・・その宇宙人の頭骨と顔面の骨格が幼型性をもっているのなら、それに似た形状、ということになる)・に変化していくのでアールス…これは99パーセントを越えてジョーダンなのでアールサ…・・・しかし、ヒトも、この先永い時間の経過とともに進化または退化というか変化していくだろうから(現在の人間の状態をエンジョイしたいものナリス・・現在の地球環境はさまざま酷いことでもあるから・これは現在と未来への○○でアール)、宇宙人のそれらでなくとも、新しい形の胎児の頭骨と顔の骨格などになっていく可能性は限りなく高いだろう……超人または○○の誕生だろうか…)・・・・・・生物の目と、それにかわる受容器に関連して・・・目にかわる受容器などをもつ生物のそれには、感光受性色素斑、感光受性細胞、光受容器、腹足類の3種類の目、ピンホールの目(これには驚いた)、昆虫の複眼があり、さらに進化した-凸レンズをもつ目、がある(凹面鏡的反射を用いた目は、知られていないそうだ)人間の目は、可視光線の世界についていえば、しかも現在だけに限って言えば、極度に進化した形態と機能にある……どうやったらそういった進化が起こるのか考え込んでしまう-どう考えても、そういった進化は偶然では起こらないと筆者は確信する…「原初の生物の誕生」も「大進化」も偶然では不可能である(断定)(という感想しかでてこない)(それに関しては後ろの方に詳述しよう)・・・……「予備知識プラスαの落書きメモ」を一応終えることにして……さて、それ「原初生物の発生(誕生)と進化」についてさらに考えるにあたって、ここで、まず、考える材料としての落書きメモを並べてみよう(既述した内容sをも含めて)・・・・・・ここで、必要なので、まず、後ろの方に記している(過去にもあちこちに既述している)・「この宇宙-世界に意識がないと、この世界はないに等しい」(どう考えてもそうである…物質だけが存在して、意識が存在しないと、この世界を認識し意識する存在がないということになるので、そういう主張は成立する)(後ろの方に詳述)・という命題をここにも記しておこう(…それは、どう考えても、意識(意識器・意識体)とそれを補佐する知性(心器・知性体)が最重要、(意識器と心器は一緒になって働くが、それぞれ独立した別ものどうし・・あちこちに詳細に既述)、という主張になるのでアールス…)・・・さて・・・、知性空間(と名づける空間)・・タネもシカケもないマジックの存在(知性体たちが為す)が、そういった空間があることを証明・実証している・・(その空間を全体場と言ってもいい)知性空間にはなんらかの知性・・「知性体・心器」以外がもつ知性的ななにかも存在するかもしれない・・存在するだろう・たとえば、その空間の持つ演算力とか性質とか質時間回帰という性質とか、下に記す「A」とか・・・「知性体・心器」・・知性空間に存在する(それらは確実に存在する・・詳細に既述)「意識体・意識器」(それらは確実に存在する・・詳細に既述)・・・「意識体・意識器」における「質時間回帰」も、進化においてなんらかに働きそうである(たとえば、退化する、とか)・・・なんらかのデータsなんらかの設計図sA・なんらかの施工実施力(それを知性体がもつ・・後述&既述)・・・さて、ここでは、物質はある、という立場をとる・(意識のそとには何があるかわからない、物質はなくて、データベースとデータsがあるだけなのかもしれない、という立場については、既に何度も詳述している・・心器と意識器の存在と、そこでの情報と情報処理の在り方からそう言えるのであるが)・・・物質空間・・・物質空間にも、なんらかの演算力とか性質は存在する物質(詳細に既述)物質空間と知性空間は重なっている(ここらについても、後ろの方に詳細な解説あり…過去にもあちこちに詳述)B・原初の人間が何かを作るばあい、最初期には、データも経験も、それにおける知性も、原始状態にあるそこにおいても、知性が身体を使って、何かを作る・・原初においては試行錯誤がほとんどであろうす・・しかしそのうちに心器のもつ知性において、有効な初歩的な知性内容-が生じてくる-をもつようになる・・心器のもつ理活能力・知性によって・・・歳月を経ていき、人類の世代交代が多く成されていくと、人間のもつ、何かをつくるためのデータsも経験も、それにおける知性も、じゃんどん・(新語・・言ってみれば「滞りがなくて勢いよく」・・じゃんじゃん、と、どんどん、からの合成語・・・「じゃんじゃん」は鐘-シンバルのような-を叩く音からのことばで、「どんどん」は太鼓を叩く音からきている・・(ウロ覚えナリスが)・・つまり、鐘や太鼓を叩いて、それらの音を聞く人々に、勢いをつけようぜ、と励ましているイメージがそこにあるんだと思うナリス)・発達していく・・そこでの心器たちは設計書・設計図をもかける(書ける・描ける)ようになっていく・心器たちのもつ知見-ノウハウも増えていく・・・以上のことを考えると、どう考えても、知性的な何かが生物を誕生させた? とまずは思ってしまう(大進化も同じく知性的な何かが起こす…後述)しかし、いくらかは、偶然による物質の反応も、そこに参加しているだろう・・・X・・・…さて、ここで、知性体(心器)と意識体(意識器)について説明しよう…それについてはネット上に何度も何回も詳述してきているんだが・・・…まず、人間の心の世界での情報処理と情報構造からいって、「心器」というフィールドと「意識器」というフィールドが存在する、ということがいえる(その根拠については詳細に既述している)。で、脳~心器における心的情報は、A「エネルギー粒子モード心的内容情報スペクトル」という情報形態にある(ここでのスペクトルというのは、単位時間分の心的内容一コマを構成するエネルギー粒子sの一団である)。それとは異なるが、たんぱく質などの情報発受信物質が発信する情報も、B「一種のエネルギー粒子モード心的内容情報スペクトル」であるが、「A」と「B」とは階層が異なる。「A」の中には、多くの「B」を含む。「B」を「エネルギー粒子モード心的内容『起源』情報スペクトル」(『起源』を入れる)と名づけよう。起源を入れると意味がわかるし納まりがつく(その意味は既に何度もネット上に記している…この「エネルギー粒子モード心的内容『起源』情報スペクトル」が「人間や意識」にかかわる大きな大元になっている…非物質世界の基礎になっている…既述…)で、脳から心器にやってくる「B」sと心器が発する「B」sを心器が理活(心的内容論理活動)して(粒子モードの情報でないと理活できない…詳細に既述)、A「エネルギー粒子モード心的内容情報スペクトル」にまとめ上げ、心器が意識器に送り込む。すると意識器においては、その粒子モードの情報が波動モードになって意識し味わわれる(波動モードでないと、意識し味わうことはできない…詳細に既述)。意識器におけるその情報を、「エネルギー経時変化波動モード意識内容」と呼ぶ。さて、人間には「心器」と「意識器」が宿っている。で、人間が昇天すると、その「心器」は、その人間から離れ知性空間(あの世・霊界)に移行する…それが知性体である。知性体は人間に宿ることはできないが、人間に働きかけることはできる(のっかることはできる)。知性体は転生しない(転生できない)。意識器(意識体)は転生する…転生するのは意識器(意識体)である。・・・補遺・・・脳には意識や心は生じない…なぜなら、タトエとしての水蒸気(どこかに記している)が相転移して(カンタンに言えば、凍って)生じたものが物質であり、物質はキメが荒い-動きが鈍い…つまり、1・脳は物質の組織である2・物質はキメが荒く動きが鈍いよって、意識内容のような精妙にして緻密な実態をもてない…経時変化においても同じくそうである(滑らかではない)…よって、脳には意識や心は生じない…で、別なところで述べているように、タトエとしての水蒸気は、キメが細かく精妙にして緻密かつ経時変化も極めて滑らかである…よって、タトエとしての水蒸気からなる意識(意識器がもつ)は、物質とは異なり、キメが細かく精妙にして緻密かつ極めて滑らかな経時変化の実態をもてる(心・心器についても既述)…さらに、タネもシカケもないマジックが存在するということが、知性空間が存在し、そこに知性体たち(心器たち)が存在する(一般的には目に見えない)ということを証明・実証していると言える・・・以上、補遺・・・以上が、「X」であるが、ここでは、カンターンにしてオーザッパッパに略記した…ネット上には、それらを詳細に何度も既述している・・・…以上が「X」でアール・・・・・・「ついでに」・・・、生物の知性の発達-進化について考察することも非常に興味深いと感じる(これに関しては、心脳科学・仮説などの、他のチャプターなどに既述している)・・・・・・ついでに付記・・動物や昆虫なども、ある意味での知性をもつ…それらを何者が与えたのだろう…それは知性体たち以外にはない、と筆者は確信する・・・・・・以上、「ついでに」・・・・・・「ついでに」と「・・・X・・・」の前に戻って・・・、直上記述に反するが、「無限に永い時間を経る」と、偶然によってちょっとした単細胞生物-イイカゲンな-は誕生するかもしれない・・・いやそれはないだろう(後述)・・・いやいや、その条件のもとで、「生物にかかわる何か」は生まれるだろう(後述)・・・さて・・・・・・時間について言うと、どの時点においても、既に永遠という永い時間が経過しているのかもしれない(これに関する内容はどこかに載せている)(だからといって、どの時点においても、生物が存在すということにはならない。今回の地球における生物たちについて考えれば、それはすぐわかる)そのばあい、上述「B」において、人間たちの心器たち(これらは、人間に宿っている)以外の知性体たち(これらは、人間に宿っていた心器があの世-知性空間-に移行したもの)の存在もあるだろうし、生物誕生と進化における、なんらかのデータsなんらかの設計図sなんらかの施工実施力も存在することだろう・・・このばあい、生物の誕生と進化ははやくなされる・・・物質の中に、必然的に構成される生物的起源になる仕組みがあるのかもしれない・(これに関しては、ずっとうしろの方に詳細に述べている)で、遺伝子系とタンパク質にまでたどり着けば、そのあとは、滞りがなくて勢いよく(じゃんどん)進みそうだ・・いやいや、A・「エネルギー利用系や代謝の系など」の成立も実に難しい事象実態にあるので、それ「A」が成立した、という条件付きで、そう(じゃんどん進む)なのではないだろうかさて、人間は知性をもつ・・・鳥や動物、昆虫もいくらか知性をもつ・・巣を作るし(クモの巣もすごい)、食べ物のとり方も知っているし、などなど・・それらは脳だけによるのか、そこに心器があって、その心器によるのか? 外部にいる知性体たちが教え込むのか? (上にもいくらか記した)・・・さて・・・人間は心と意識をもつ上述しているが、人間は何かをつくる繰り返しをも含めて・・・、心、意識、生物の身体を何者がつくったか(心、意識の出現については、既にどこかに何度か詳述している・・うしろの方にも詳述)・・・さて、心器の種(元)、意識器の種(元)は、知性空間にもともと存在し、発芽し、生まれてきた・・何度もあちこちに詳細に既述(それ以外に在りようがないと筆者は確信する)・・そして、上述にある「人間(心器と身体をもつ)が何かをつくる実態」と同じように、知性体たちは、さまざまなデータsを集め、設計図をかくようになり、試行錯誤をも含めて、施工力をももって進んできた・生物の誕生と(大)進化において…と筆者は確信する・・・以上を総合する形態と実態で、原初生物の発生(誕生)が成され、大進化がつづいてきた…生物の身体は、上述を総合するような形で生まれ進化してきた…・・・で、「ニワトリが先かタマゴが先か」、という問題において、「タマゴが先だ」、という結論を既に記してあるが(その前にニワトリでない鳥は既にいた)、「生物の発生が先か、上述の知性的な何かの存在が先か」、という問題においても、「知性的な何かの存在が先だ」という結論になるだろう(下にも詳述)・・・・・・もうひとつ追加しよう・・・「遺伝子が先か蛋白質が先か」問題について考究してみよう・・・現在の、原初生物誕生や進化に関わる論などによると、原初生物の発生は、原始の海の中で、さまざまな有機化合物たちが、細胞として形成されて成された、となっている(実証はなされていない)・その細胞は原核生物と呼ばれる単細胞生物である・・その細胞――最初にできあがったそういった細胞に着目しているから、ここでは単数とする――は既に遺伝子系要素sもタンパク質sもエネルギー供給や代謝系など有している・・それは膨大な時間が過ぎたあとのことである・・・・・・もう少し詳しくいうと・・・、原始地球には、原初大気と原初の海があり、そこにはさまざまな物質sが存在していたで、A・原始地球において、それら物質sが、雷や紫外線、宇宙線や火山噴火、海底火山や熱床の熱、などによって化合し、化学的に複雑な成分sに変化・進化していったそれら成分sの中に、多くの、生物構成要素成分sがでてきた・・・以上「A」については、実験室でいくらか確認されているが、完璧にはいかない・・つまり、原初の単細胞生物をつくるに必要なすべての要素s成分sは生成されない・たくさんの種類の中のほんの一部の種類のそれらが少なく生成(合成)されるだけである・・月の石や隕石からも、似たような成分sが検出されているが、同じく要素s成分sの種類が少なすぎるし、それらの量(数)も少なすぎる・・・(後述の知性体とデータs関連の項を参照されたい)(以下これは、生物誕生についての現在ある仮説だが・・上にもそう断っていーるす)それら成分sが、原始の海の中で勝手に組み合わさり・・偶然によって組み合わさり・・(そういった物質的な仕組みがある程度あるのかもしれない・・既述&後述)・・生物の大元-原初単細胞生物が発生(誕生)し・(ひとつの説として、いやいや、それでは、原初の海の中に存在する-そういった成分sが薄まりすぎて、原初単細胞生物は生まれない、そこでは、粘土結晶が重要な役目を果たしたのだろう、という仮説を打ちだした学者氏もいる……他にも、黄鉄鉱の表面がもつ働きが、そこにおいて重要な役割を担ったのだろう、という説もある。しかし、そういった粘土や黄鉄鉱は、ほんのわずか何らかの働きをなすかもしれない(それらはわずかに知性的な何かを含んでいることを感じさせる…後述)が、そんな微小な働きによって、原初の生物が誕生することは100パーセントない、と筆者は確信する…しかも、上に述べているとおり、「(上略)原初の単細胞生物をつくるに必要なすべての要素s成分sは生成されない・たくさんの種類の中のほんの一部の種類のそれらが少なく生成(合成)されるだけである」「(上略)同じく要素s成分sの種類が少なすぎるし、それらの量(数)も少なすぎる」のであるし、原初の海の中などにおいて、それらの要素s成分sは薄まりすぎるので、原初の生物の誕生は(知性体たちとデータと知性体たちの干渉-操作がない限り)絶望の極致にある(あった)のである)・そこから生物として進化してきた-という説になっている・・・…付記…さて、いずれにせよ、原初の生物が誕生したとしても、その生物が繁殖するには、その生物の周辺に、その生物に必要な成分s物質sが(充分)存在することが必須である…で、現在の説においては、その原初の生物は、当初1個だったと考えられる…1個だったとすると、その生物がそういった成分s物質sを周りにいくらか撒き散らすとしても(撒き散らさないかもしれない…その生物が死んだら撒き散らすだろう)、それらはほんのわずかでしかないはずである・(その生物に必須なそれら成分s物質sは、種類も大きく足りないし、数も大きく足りない、ということは上述している)…しかも、その原初生物が繁殖できずに死んだら、あとが続かないことになる…やはりどうしても、そこら「原初生物の誕生とその繁殖の条件を満たすこと」にも知性体たちが参加していないとならないことになる…つまり、現在の説はやはり成りたたない、といえる……以上、付記…・・・さてメモする順序が難しいが・・・…「遺伝子が先か蛋白質が先か」・・・上に述べている、「人間が何かをつくるときのこと」を考慮すれば、遺伝子系が先かもしれない、と思える・・遺伝子系は、設計書・設計図的であるし、施工力もあるようだ(ただし、それ以外にも多くの生物的要素-成分sが必要である)・(その施工力にも大きな謎がある・それを端的に言うと、例えば代表として「mRNA」について考えると、「情報受け取り-移動-到着-密着などなど・・まるで眼と精密な移動力と実行力などが、物質に備わっているかのようだ」・どこかに既述・・うしろの方にも記述)・しかし、単細胞生物分裂においても、DNAとRNAも必要だろう・・最初期の単細胞生物は、RNAだけを用いていた可能性もある(DNAより、より単純だろうから)。しかも、単細胞生物をつくるに必要なそういったさまざまな有機物たち-そのほかが偶然に充分生じることも、在りえないほどの途轍もない事象だ(偶然ではそれらの種類も量も圧倒的に足りない)・・知性的な何かが働きかけないと、そういった事象は起こらないはずだ、と思ってしまう・・上にも述べたが、物質たちに、そういった機能・働き性質が、ある程度~なんらかに備わっている可能性もあるが(下の総まとめを参照)、それでも知性的な何かが関わらないと、そういった事象は起こらない(成分sについてすら)、と筆者は確信する・・・・・・さて、そこらのところを、もう少し詳細に考えてみよう・・・ここではとりあえず、知性体による干渉-操作はないものとして、偶然に生成(合成)される、という立場に立とう・・・RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物この中でどの生成がいちばん簡単だろうか・・・RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物の順番だろう-たぶん・・タンパク質とDNAの順番は反対かもしれないが、一応、こう並べておこう・・・もちろん、それらの前駆物質sが既に存在している、という条件-立場の中でのことである・・そういった前駆物質sの-偶然による生成も気が遠くなり失神するほど在りえないことである・・・で、RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物、は多くの元素sから成っているさて、ここで、RNA・Xiタンパク質・Xj、DNA・Xk、単細胞生物・Xl、と記し、ここでそれらの解説をしよう・・・Xは自然界に存在する元素全部を表すXi、Xj、Xk、Xl、にある添え字は、RNA(Xi)タンパク質(Xj)DNA(Xk)単細胞生物(Xl)それぞれを構成する元素sのそれぞれと、それら各々がもつそれらすべてを表すさらに、xXi、xXj、xXk、xXl、のxは、それら各々がもつ-それぞれの元素sの総数を表す・・・以上をゴクごく簡単に言うと…、RNAも、タンパク質も、DNAも、単細胞生物も、多くの種類の元素sと、それら元素sのソレゾレが無数に(といっても有限であるが)組み合わされてできあがっている、ということである(ここでは、原初単細胞生物が一番複雑で、使われている元素sの数も一番多い)・・・・・・参考・・・上述「原始地球において、それら物質sが、雷や紫外線、宇宙線や火山噴火、海底火山や熱床の熱、などによって、化学的に複雑な成分sに変化・進化していった」・・・この記述において、・・・一般的に言って、結合に要するエネルギーの小ささという化学的実態というものがあって、それが小さい方が結合しやすく、偶然において、結合しやすい傾向があると思われる・・たとえば、熱によって化学反応が起きるばあい、そういう傾向が高いと思われる・・・しかし、この記述内容には例外がある・・それをかんたんにこう述べておこう・・そこでは、元素が複数化合した分子も利用されるはずである・そのばあい、その分子を解離-分解して利用しなくてはならないケースsもでてくる・・たとえば、H2をHに、O2とO3などをOに、CO2をCとO2やOに、などなど、分解して利用する必要のあるケースsがあるだろう・・・・・・つまりそこを簡単に言うと、化学的法則の実態の中で、そういった反応は起こる、ということである・・その中でその結果としては、「元素sの結合」となっている・(これは、上述「Xは自然界に存在する元素全部を表すXi、Xj、Xk、Xl、にある添え字は、RNA(Xi)タンパク質(Xj)DNA(Xk)単細胞生物(Xl)それぞれを構成する元素sのそれぞれとすべてを表すさらに、xXi、xXj、xXk、xXl、のxは、それぞれの元素sの総数を表す」に対しての注である)・・・・・・・であるから、上述の「元素」を「構成要素」と置き換えた方が、記述が簡単になる・・・再掲になるが・・・RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物の順番に自然発生しやすいと仮定しよう・・タンパク質とDNAの順番は反対かもしれないが、一応、こう並べておこう・・・・・・さて、ここで、そういった謎「原初生物はどうやって誕生したのか、それがどうやって進化してきて、人類に至ったのか」を追究すべく、ひとまとまりの極めて長い文章を考えてみよう(結論は、それらは偶然によってはありえない、である)…それを代表してまずは長編小説でいこう・・・言語を代表して、100音素s・または文字s(代表して文字としよう)の言語としよう(上述の元素総数に近づけて)A・小説(一応、極限まで長い超超長編としよう・・下の「B」「C」に対応させて)は、紙の上では、それら文字sから成っている(その内容は、人間の心器・意識器の中にある・・人間の心器(知性)が身体を用いてそれを書く)で、文字sと小説の内容は単なる(人間においては意味のある)対応関係にあるだけである・(さまざまな言語sによる超長編小説を考えてみれば、「対応関係にあるだけである」の意味がよくわかると思う)・・A2・ここでの重要な内容のひとつは、ランダムに文字sを置いて(偶然に従って文字sを置いて)、小説を目指しても、永遠に小説は生まれない(普通の永さの小説ですらそうである)、ということである・(無限の時間が経過すれば、駄作中の駄作として、意味がよくはわからない(ほんの少しはわかるところがある)作品は生まれるかもしれないが)(AIを駆使すれば、いくらか~ある程度まともな小説が生まれそうである…それは、AIという知性が関わるからである(しかしそんな小説は、ありふれていて人気はでないだろう)…そういった組み合わせにおいても、「知性」の存在が有効なのである、ということになる)で、上述のB・「Xi、Xj、Xk、Xl、にある添え字は、RNA(Xi)タンパク質(Xj)DNA(Xk)単細胞生物(Xl)それぞれを構成する元素sそれぞれとすべてを表すさらに、xXi、xXj、xXk、xXl、のxは、それぞれの元素sの総数を表す」・においても、単なる(生物としては意味のある)対応関係にある・・ここでも、上述「A2」と同じようなことがいえる…つまり、それらは偶然では決して生成(合成)されない・生まれない・(・・・参考のための再掲プラスα・・「以上をゴクご簡単に言うと…、RNAも、タンパク質も、DNAも、単細胞生物も、多くの種類の元素sと、それら元素sのソレゾレが無数に(といっても有限であるが)組み合わされてできあがっている、ということである(ここでは、単細胞生物が一番複雑で、使われている元素sの数も一番多い)」・・よって、それらは偶然では決して生成(合成)されない・生まれない)・・・C・さらに「RNAとDNA」と、「タンパク質」の関係も、単なる(生物にとって意味のある)対応関係にある(その「意味のある」を何者がどうやって見いだしたのだろうか(既述の知性体、データ、設計図などを参照)・・この課題についても既に追究してネット上に載せている・・これも非常に難しい謎・問題である)・・ここでも、上述「A2」と似たようなことがいえる・・つまり、偶然に任せていたら、「RNAとDNA」も、「タンパク質」も、原初単細胞生物も永遠に生まれないということがいえる(下にもっと詳細な内容を記している)・・・上述で、「単なる(~~~意味のある)…それは、基本的に単なる対応関係にあるのだが、別な次元で捉えると意味がある、という意味にある」という記述の意味内容は深遠である・・・上述の「A」「B」「C」は、ここで目指している特定の意味において「そっくりな内容」をもっている・・この文言の意味内容は、非常に奥が深い・・・・・・付記・・・「A」と「B」には、異なるところがいくらかある・・「A」では完全なランダム配置が可能だが、「B」においては、結合できる配置と結合できない配置がある・・「C」においても、これと似たようなところがある・・・…さて・・・…かなり上にも異なる表現で記しているが、ここでの課題と謎解きと結論は、「原初生物はどうやって誕生したのか、それがどうやって(大)進化してきて、人類にまで至ったのか」…その結論は、「それらは偶然によってなされたということはありえない」、である…そう筆者は確信する……・・・・・・しかも、心脳科学-仮説などの本論によれば、「たんぱく質そのほか」は心的内容情報発受信物質だろう、ということになっている(どう考えてもそれ以外にはありえないだろう)。そこまで考慮すると、知性界(知性体やさまざまなデータが存在する-知性空間(霊界)の特性-性質)と、物質界(物質世界にある物質たちの特性-性質)の間に、みごとにできのよいつながり-チームワーク-できのよい整合性、がある、と認めざるをえない(そこの謎解きをも後述しよう)・・・この意味内容は、ほかの多くの領域においても、活用される、というか、通用する・・それは大自然界の奇跡的実態であると言える(すべてが解き明かされたとしても、「奇跡的」という形容は残る)・・・・・・さて、以下、それぞれの年代には、いくつかの説sがあるので、それぞれの年代は、だいたいそんなところである、という認識が求められる・・・・・・A・最初の単細胞生物が地球上に誕生したのは、化石の研究から35億年以前とされている。地球の誕生は、46億年前あたりだとされている。・・その当時、遊離酸素(現在の空気中にあるような酸素)は存在しなかった(酸素はすべて何かと結合-化合していた)・・・、さてそこで・・・以下の3種類の原初的生物が、以下の順に誕生したとされている…1・発酵型単細胞生物・(無呼吸・・酸素なしで何かを分解してエネルギーをえる・・(酸素以外の何かと別の何かを化合させてエネルギーをえるという形態もあったのだろうか? …メンド草…調べてないナリス)・・この記述でいいかな? )…2・光合成型単細胞生物・(酸素発生型光合成単細胞生物(原初単細胞生物の仲間)・・O2放出・・現在では、植物の葉っぱなどの緑色の部分(葉緑体・(葉緑素を含む……葉緑素といえば、昔はカイコの糞からも抽出していたとかいうことだったとウロ覚えしているナリスが(カイコは桑の葉をムシャムシャ食べる)、その当時、葉緑素を「ヨウリュ糞」と呼んでいたという話しは聞いた覚えも読んだ覚えもないのでアール……葉緑素入りの何とか、とか、その他、葉緑素は大活躍しているナリサ))・がそれをなすというのは有名な話しナリス……海藻類の中には、葉緑体をもっているのに、緑色でなく褐色や紅色に見えるものがあるが、それは、葉緑素以外にそういった色素を含んでいるためである……葉緑体においては、明反応と暗反応とがあるということナリス…昔学んだようなオボロ記憶があるが…調べると面白そうなんだが、時間が足りなくなるしメンド草草・・…しかし調べてみた……(…調べてみてよかった…こんな超複雑な素子sと体系と仕組みが偶然によってできあがることは絶対にないと確信)…:それを抽象的にしてカンターンに言うと……明反応においては、光合成を行なう場所にある素子sや物質sを用いて、光のエネルギーを化学エネルギーとして利用しやすい物質と、糖を生合成するのに必要な物質を生成する…その際、酸素が発生する。…暗反応においては、生成されたそれらと、そこらにある物質を使って、ブドウ糖(など)を生成する……それらの過程を通して、二酸化炭素のもつ炭素は、糖の中に入れられる・固定される……「6CO2+12H2O →C6H12O6+6O2+6H2O」…その説明:「6CO2(二酸化炭素分子6個)+12H2O(水分子12個)→C6H12O6(ブドウ糖1個…光のエネルギーが蓄えられた…二酸化炭素分子6個も入った)+6O2(酸素分子6個)+6H2O(水分子6個)……(酸素発生&二酸化炭素にある炭素は全部ブドウ糖の中にはいって固定される&水を生じる(この水は生合成反応の結果でてくる))」……「ブドウ糖(グルコース)=C6H12O6」……(この記述でいいかな? )…酸素発生はないが、ほかにも、細菌では、紅色の細菌が2種類(大きく分けて)、緑色の細菌が一種類(大きく分けて)いて、光合成をやっているんだそうな…しかし、それらの細菌の光合成では、酸素の発生はないそうだ(一般的な光合成とは、仕組みがいくらか異なる)……・・この記述でいいかな? …しかしそれでもそれら細菌君たちは、二酸化炭素の分解固定-炭素・炭酸の固定にがんばっているのでアールとは、彼らの言い分であるそうな…JK……ここは、もっと調べるべきでアールスがメンド草草……)……(この記述でいいかな? )…おまけ…葉緑体は独自のDNAをもち(ミトコンドリアもそうだ)、もとは独立した原核生物だったと考えられている(ミトコンドリアもそう考えられている)・・…さらにおまけ…ミトコンドリアは母親からもたらされる。父親からは伝わらない。…ということは、女性が原型になっているということになる。ほかにも、女性が原型になっているという根拠sを筆者はいくつか既述している・筆者の考究の結果として…なぜそんなことを考えるようになったのかについては、何回も既述しているナリス)・・・3・呼吸型単細胞生物・(大気中にO2が増えてきていたので、O2を活用…酸素を活用してエネルギーをえる・・それはさまざまに進化して動物に至る…)以上、「1」「2」「3」の順に発生したとされている(納得)(あとから加筆しまくったので、読みにくくなったナリス)…それにしても、「1」にせよ、「2」にせよ、「3」にせよ、そういった仕組みをもった原初的生物たちが、偶然によって誕生することは100パーセントない、と筆者は確信する(それらのメチャクチャな複雑さに着目するナリサ)(それに類することは後ろの方にも記そう)・・・さて・・・それらは単細胞生物といえども、内部構造(細胞膜をも含める)は途轍もなく途方もなくトンでもなく複雑である…細菌(単細胞)(バクテリア)ですら、1000種類以上の酵素(タンパク質など)を活用する(…人間になるとその複雑さは極限に達し極限を越える…現在までの歴史において…)・・偶然に任せていたら、無限年たってもそういった単細胞生物は(単細胞生物ですら)生まれないだろうと感じる(そう断定する…筆者はそう確信する)・・数十億年とかで偶然にできあがるとは思われない(……絶対に誕生しない、と断定する・・ここらあたりは、もう、科学的には進めないだろう…「科学的」という実態もいいかげんなものであることがあることであるし・・・)・・・参考・・・こういう論調の記述を2つ読んだ覚えがある:「生物の誕生や進化(大進化)という事象は、砂漠の中で激しい砂嵐が長期間続いて、それがやんでみると、そこに何か凄いものができあがっているようなものだ…ひとつは、ジェット旅客機だったかな? …もうひとつは、コンピュータだったかな? …」…それらにおおいに納得したので、その論調を借りて筆者もそれに類似した文章を書いたことがある・まったくもってそのとおりだと思う・・・・・・で、ある程度のところまでいくと、タンパク質の特性が、進化をはやめる(早める、速める)、という可能性は考えられるものの、偶然にタンパク質やRNAやDNA、生物内において必要な成分s、代謝機構関連素子s、細胞分裂関連機構素子s、生体内システムなどができあがる確率はゼロだ―無限の時間が経過しても―と思われる・(いや、そう断定する・筆者はそう確信する・・科学とか「科学的」とかいう実態もこんな感じ-姿勢にあるし、そんな感じで進んできているのである(科学は多くの成果をあげてきているが))・・・・・・上にも下にも他のところにも書いているように、知性(知性体)とさまざまなデータsがないと、偶然によってそういったものたちが生まれることはないと思われる・・いや、「ない」と断言しよう・・この文言は科学的精神からはずれるとされるだろうが、科学なる実態はこんなもんである要素がある程度多い・・・・・・で(年代についてはいくつか説sがあるが)・・・、そこから進化が始まり、目を見張るようなさまざまな生物たちが生まれでてきつづけて、B・400数十万年前に、リスに似た生物(だったと思う…ウロ覚え)が生まれ、そこから枝分かれして、いろんなサルたちが生まれ、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、が枝分かれして生まれでてきて、そこの大元の幹から、猿人(原人よりサルに近い)、原人(ジャワ原人、北京原人など)、旧人(ネアンデルタール人など)、新人(現代人と、それよりいくらか古い人類(クロマニョン人など))と、進化してきた・(上述「大元の幹」の中にある生物と、そこから枝分かれして進化の袋小路にはいった生物(いくらかは変化・進化する)、という観点-実態があるだろう)・猿人は、400万年前ごろに出現原人は、160万年前あたりに出現C・旧人は、20万年前ごろに出現D・新人は、35000年前あたりに出現上述「A」の「35億年以前」から、上述「B」の「400数十万年前」までに、膨大な時間が過ぎているしかし、「C」から「D」への時間は短すぎると感じる・・いや、まてよ、原初の単細胞生物が生まれるよりは、タンパク質とDNA-RNA系の特性によって、進化がはやくなるのかもしれない・・・さらに知性体が参加し操作-干渉するから、はやく(早く・速く)進化がなされるのだろう・・ここでも、偶然-ランダムによって、猿人から新人に進化する確率はゼロだと筆者は確信する・・種の進化において、突然変異-偶然-ランダムに任せていたら、不適格なものだけしか生まれてこないだろうと筆者は確信する・・・ここでの結論として・・・、偶然に任せていては、原初生物の発生には、無限の時間がかかる(だろう)……よって、ほかの何かの働き(もうすでに上にもいくらか記しているが)を考えざるをえない…・・・付記・・・・・・付記中の付記・・・この「付記」の中に、筆者が迷っている記述がある…そこで、さらにいくつかの文献を読んでみたが、それらもアイマイミーではなくてアイマイな記述になっていて、スッキリしなかった…で、ムリに結論をだすとすると、X「『超長期の停滞』というのは、大進化と小進化の両方についてのことで、大進化の方により大きな重点がありそうだ」、というところに至った……そもそも、そういう説のもとになっている「化石の歴史研究」といっても、研究に必要な対象すべてが完璧に揃っているわけではないし、そこにはイイカゲンなところもありそうであることであるし……ということで、一応、上述「X」をここでの一時的にして暫定的な結論としておこう……で、いくらか離れた下に「補遺」を記すだけで、「この件における記述」には手を入れないでおこう…手を入れないでもいい記述にしておいたことでもあるし(ほかのところには手を入れるのでアールス)……・・・以上、付記中の付記・・・壮大なスパンとなる化石sの研究を通してわかったこと、とされている知見にこういうの(A)がある…A「大進化が起きたあと、超長期の停滞があった」…これ「A」は、進化における漸進説…それをオーザッパッパに言うと、大進化も漸進的な小さな変化の積み重ねで起こるという説(この記述でいいかな? )による説明が困難となる…なぜなら…そこにある「超長期の停滞」…つまりそこでは漸進的な変化なり進化なりも少ししか起こらない期間が超長期に及ぶのである(これは化石の歴史研究の結果にある知見であるが要確認)・(この説明でいいかな? …「超長期の停滞」というのは、小進化についてのことなのか、大進化についてのことなのか、調べ上げることができてないのでアール…さまざまを読んだ限りでは、まずは小進化についてのことだと思えたナリス…未熟なり…これから先調べて、この項などに手を入れよう……いやまてよ、大進化についてのことかもしれない、と思いなおした……いや両方かな? …未熟なり……やはりこの先調べてこの項などに手を入れよう……しかしそこらをも包含する説がこのセクション全体の主旨なのでアール…ここでの迷い「小進化についてなのか、大進化についてなのか、両方についてなのか」という迷い(メンド草草と手間を省いた結果の迷い)はどうってことはないとも言える……)・…つまり、そこは漸進説での説明がまったくつかない…つまり、漸進説の実態が働いていないではないか、となる(その間大進化も起こっていない)……ただしそこでは、超長期の間に、少しの変化・突然変異はいくらかは起こっていたのだろう(普通に起こっていたのだろうか? 要確認…上述参照)…・・・補遺・・・漸進説に対立する説が、断続平衡説である・・それは、オーザッパッパに言えば、種の急激な分岐が起きたあとに、長い停滞期が存在する、という説…これは化石の歴史研究の結果にある知見である…であり、上述「A」のもとになっている・・・ここで言う「種の急激な分岐」というのは、進化においてはかなり短い期間に大進化が起こる(このばあいは、新しい種が誕生する)、という意味に筆者は解している……さて、そこらの説明らしいのを物語り風になしてみよう・・・…知性体A「よくがんばって大進化を成し遂げたぞ~ しかし疲れたぜよ 当分怠けて暮らそうぜ~」…知性体B「ここから先の大進化には、なんと言っても、データと知見が少なすぎるのさ 今回の大進化の結果誕生した生物をよくよ~く観察して、データを集め知見を広げ、将来の大進化に備えようぞ しかしそれには膨大な時間がかかるのさ」…知性体C「後世の学者氏たちが名づけたんだが…カンブリア爆発ってのがあってだな、カンブリア紀に新しい種たちと個体数が爆発的に増えた時代があったのさ。あのときの知性体たちの活躍は、それはもうもの凄かったのらさ。それは知性体たちの間で語りグサになってるのさ」 ……すでに述べていることであるが、小進化は突然変異と知性体たちのいくらかの操作で起こるのだろう…………種の変化・進化といった事象実態は(大進化の実態)、DNAの中にある「種を司る枠組み」の変化・進化をも含んでなされる・・しかも、それ以外にもそういった変化・進化に必要な要素sはいろいろある・・…そういった事象は「知性体たちのもつ-あるいは集めたデータや知見」をもとに知性体たちが進化させる対象に干渉-操作をなさないと、100パーセント起こらない…偶然-突然変異では、100パーセント起こらない…そう筆者は確信する………で、種の大進化(ここでは、ひとつの大進化で新しいひとつの種が誕生すること)は、ひとつの個体の生殖細胞に起こり(知性体たちが起こし)、それが拡散していく、のではないだろうか…その可能性が最も高いと思われる…まずはそう思ったが、いやまてよ、それだと交配が成立しない可能性が高いし、交配が成立しても、離れた上述の「レオポン、ライガー、タイゴン」などの例のように、あとが続かない可能性が極めて大きいだろう。よって、ここで直近上の記述をひっくり返してしまうが、その可能性「ひとつの個体のうんぬん」は非常に低い、という結論に至る。…そこで、次なる可能性の検討にはいろう・・・雌雄ふたつの個体たちの生殖細胞たちに、新種への変化が起こって(知性体たちが起こし)(それらが交配する確率は非常に低そうであるが・それらが離れていれば)、拡散していくのかもしれない…いやまてよ、つがいになっている雌雄ふたつの個体たちに、その変化を知性体たちが起こせば、新種へと変化(進化)する…この可能性は極めて高いだろう。…あるいは、知性体たちが、対象になっている群(むれ)あるいは、対象になっているその種の全部(ほぼ全部)に干渉-操作を施すのは大変だろうから、対象になっている種の中の、可能な限り多くの個体たちの生殖細胞たちに干渉-操作を施すのかもしれない・その後拡散していく、と…・・・以上、付記・・・・・・参考・・・『原初の生物の誕生』と、大進化(新しい種が誕生するという変化とか、新しい範疇の生物が誕生するといった変化)(たとえば、ヒトのもつ目への進化もここにはいるだろう)、も偶然に任せていては100パーセント起こらない、それは、知性体たちのもつデータと知見と知性体たちのなす干渉-操作によってしか起こらない…そう筆者は確信する(後ろに詳述)・・・・・・以上、参考・・・さて、知性体たちは、物理・化学の法則の実態を破ったりコントロールしたりできる…既述しているが、タネもシカケもないマジックがあることがそれを証明実証している…(何度も既述)(…さて、これは単なる付け足しなんだが・・・、本説にある「原初生物の誕生と大進化は、知性体たちがいなければ絶対に起こらない」という主張は100パーセント正しいと筆者は確信している…これをもとに論ずれば、「知性体たちは絶対に存在する」ということにもなる…)・・・繰り返しになるが、強調しよう・・・知性体が参加し操作-干渉すれば、生物の誕生と進化は大幅にはやまるはずである(早くなり速くなる)(既述、ネット上にも既述)(既述している、イヌの種内変化の多様性においてもそれはわかる)(下の総まとめを参照)・・・さらにもう一回・・・下の総まとめを参照・・その中でも、「以上を総合すると・・・この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている」などを参照されたい・・・・・・さてそこで・・・、X・『宇宙が消滅と誕生を繰り返してきていて、「宇宙が消滅しても、知性空間は消滅せず、そこに知性体たちと、さまざまなデータsは存在する」、と考えないと、上述のような事象は起こらないだろう・・知性体たちの参加-干渉-操作がない偶然だけでは、そういった「原初生物の誕生と大進化」という事象においては、無限に永い時間を必要とするだろう』(どの時点においても、無限の時間が既に流れてきているのだろう・・あるいは、そうでなくても、知性体たちは試行錯誤を為せる・・かなり下の総まとめを参照)・・・この「X」を補強して断定調にしよう・・・X☆-「その知性空間には宇宙の誕生と消滅の繰り返しを乗り越えて、知性体たちと、さまざまなデータs(不完全ながら)が存在する(知性体たちが記憶している…あるいは、知性空間に記録されている)・(どの時点においても、既に無限の時間がたっている・・あるいは、そうでなくても、知性体たちは試行錯誤しながら、データを得ることができるし、原初生物の発生と生物の進化を進めることができる)」(・・そう筆者は確信する…)・・・以上これは、上述「X」の表現を変えた、結論としての記述である・・・・・・ここで転調して、喜劇が始まる・・・ここにおいて、アリエーヌちゃん(girl)、と、アリエールちゃん(girl)、との間で戦いが始まるのは必然なのだろうか? …直近上の発言を聞いた二人は…アリエーヌちゃん曰く「そんなことはアリエーヌなんだわさわさワサビ-辛っ」アリエールちゃん曰く「それこそアリエールなんだわさッサほいサッサ…じゃなけりゃ、すべてにおいてツジツマがあわないんだわさッサ」……ということで、ここで二人の間で激論が戦わされることになったんだとサ………で、ここで、アリちゃんたちが喜んでたくさん現われて、「蟻エーヌちゃん、がんばれ! 」「蟻エールちゃん、がんばれ! 」と、エールとエーヌ? をおくり、応援合戦まで始まったんだとサ…………さて、どちらの言い分が正しいのだろうか? …つまり、どっちが、「原初の生物の誕生とそれ以降の生物の(大)進化」、それと「宇宙の永遠性」、について、この世界の真実を言い当てているのだろうか? アリエーヌちゃん、か、アリエールちゃん か、? …………ここに第三者と名乗り…しかも「わたくすは自分がアホかリコウかバカか知らんのじゃがじゃがジャガイモ」とのたまう人物…、そういう人物が登場してのたまうには・・・「それはじゃなあ、ワサビを食らって涙を流したアリエーヌちゃん、の負けで、気楽に『ほいサッサ』と余裕のあるアリエールちゃん、の勝ちにきまってるじゃんジャンジャン…しかしもっとジャンジャン論戦をしなされ……そういうことジャじゃがたらいもポテト…じゃがナアじゃがいも、んんん? わたくすは何を言っておるんじゃ、やはりわたくすはバカアホじゃということが判明したわけじゃがジャガタライモ、んん? あ、そうじゃ、蒸したジャガイモにバターをタップリつけて食べるとうまいんじゃじゃジャガイモ……アリエーヌちゃんも、アリエールちゃんも、ほれ、この蒸しジャガイモバター塗り、をたくさん食べて、その論戦に励むのじゃじゃじゃジャガタライモ…」、だとサ……それでもって、この戦いは永遠に続くのであったとサ……で、「永遠に続く、ということは、アリエールちゃん、の勝ちを匂わせているではないか」、と、第四者と名乗る人物がのたまう……しかし不思議なことに、ここで、アリエーヌちゃん、と、アリエールちゃんが、にこにこしながら、握手を交わしたのであったとサ……ということは、…その結論は闇の中に消えてしまった…ということなんだろうか? ……で、闇の中に消えてしまったと思われたその結論を吟味しよう、と言って現われた第五者と名乗る人物が、その結論をムシャムシャ食べながら吟味したのであったとサ……で、その第五者による吟味された結論は、「ああ、美味い、これこそ世界最高の美味じゃ…」だったとサ………そのあと、第六者、第七者、第八者……と、そういうふうに名乗る人物たちが永久に現われ続けてきて、ついには、「世界は無限じゃじゃじゃ~」と感嘆する人物まで現われてきたんだとサ…そして遂には、無限の時間がたったあとに現われた謎めいた人物が、「世界は無限じゃじゃじゃ~ジャガイモ…その証拠はジャガイモの存在じゃじゃじゃ~」、…とのたまったとサ……ということで、アリエー○ちゃんの勝ち、ということになったんだとサ……ここに謎の妖精たちが現われて……「へっ! 」「そんなバカな! 」「うひひひひ~~! 」「ぎゃはははは~~! 」「ぷーっ」だとサ…………しかし、ここで謎の知性体Xと名乗る存在が現われてのたまうには…「ほほう、妖精か…妖精ってのはじゃな、知性体の仲間なんじゃ…我われ知性体の仲間なんじゃらほいさっさ……これで知性体の存在がさらに裏づけられたというもんじゃ…わはは……もっとも、タネもシカケもないマジックというのがあって、それは知性体たちが働いて実現しているということは周知の事実なんじゃがな……そういった知性体たちが、「原初の生物の誕生とそこからの大進化」、を司っているということが、これで明白になったわけじゃじゃじゃ、ジャジャジャジャ~ン……しかも宇宙は永遠に続いてきたし、これからも永遠に続いていく、ということも明らかになったわけじゃ……さらにじゃじゃじゃ、意識をもった人間のような生物は、途絶えることはあっても、必ず新たに誕生し、意識は永遠に生まれ続いていく、ということもはっきりわかったわけじゃがいも……ここまでのすべての論を総合すると、『意識は永遠に転生する』という事実をも論証し証拠立てているわけじゃじゃじゃ~…で、その中で「質時間回帰」つまり「科学的カルマ」の遂行が永遠になされていくのじゃじゃじゃらほいさっさ~…それらがすべての意識たちがもつ運命なのじゃじゃじゃ~……ジャジャジャジャ~ン…運命ってのはじゃな、弁当の好きな? ベントーヴェンの交響曲第五番「破綻調(困った運命は破綻させよ)(ハ短調)」・「シーマイナー(仕舞いなー)(困った運命は仕舞いな~)(Cマイナー))」・が運命における変転の存在の予兆を表現しておるとおりなんじゃじゃジャガタライモ~…さてと、ポテトサラダでも食うとするぜよ、ほいさっさ……」…ここにまた謎の妖精たちが現われて囃したてるには……「へっ! 」「そんなバカな! 」「うひひひひ~~! 」「ぎゃはははは~~! 」「あほほほほ~ 」だとサ……・・・以上、転調しての、喜劇-終わり・・・・・・以上、これがここでの結論でアール…多くを占める後半のジョーダンなんかは除いて・・・・・・ここまでの一応のマトメと付記・・・ここまでの結論として・・・○どんなに永い時間が経過しようとも、偶然-ランダムでは決して生物(ここでは特に原初の生物に着目)は生まれない新しい種の誕生についても同じくそうである よって、知性空間が存在し、そこには、知性体たちとさまざまなデータsが存在することが裏づけられた・・このことは、タネもシカケもないマジックがあり、知性体たちは物理-化学の法則の実態を破ったりコントロールしたりできる(既述)、という実態と重なるしかも、生物をつくり上げ進化させるには、知性空間にさまざまなデータsがなくてはならない・・A-知性体たちがそれらのデータsを収集し知性空間に記録する…あるいは、B-自然に記録される…あるいは、C-知性体たちが記憶する…としか考えられない・(この2つあるいは3つ「AとC」または「AとBとC」は、それぞれの内部において、「かつ」の関係にある可能性もある…たとえば、「AかつC」…「または」の関係も当然ありうる「AまたはC」と…)・・・ということは、宇宙は誕生と消滅を繰り返しながら、永遠に続いてきている・(無限に永い時間を経てきている、あるいは、無限に近く永い時間を経過してきている・・この前者だろうと思われる)、という実態もある、ということになる・・そうでないと、そういったデータsは存在しないし、生物の誕生も進化も起こらないのである(生物が誕生したあとは、突然変異でちょっとした変化は起こるが)・・・・・・このセクション全体(とそのほか)から、そういう結論に至る・・・(加筆)それらの謎と課題については、5年以上前から考究して筆者はネット上に載せてきている(世界哲学などの中に記している)。その研究と、ここでの研究内容をつき合わせ、結論をだすと、上の長々とした「転調しての喜劇の項」のずっと上にある-…「X」「X☆」…である・・・・・・上にもあちこち、他のところにも何回も述べているのでこれは繰り返しになるが・・・、知性空間(と名づける空間)・・タネもシカケもないマジックの存在が、そういった空間があり、そこに知性体たちやさまざまなデータが存在することを証明・実証している・・・(付記・・知性体たちは、対象を認識-識別できる…赤外線スペクトルその他を媒体として…)・・・・・・以下は総まとめ的になっている・・・・・・その前にもうひとつ、重要というか必要なことを記そう・・以下この初めの方は何度もどこかに記している・それらプラス新しい内容をも記そうということ・・そして、結局、以下は、この課題における結論としての総まとめになる・・・○○○「この世界・宇宙に意識がないとこの世界はないに等しい」・(どう考えても、物質より、意識の方が重要である…どう考えてもそうである…物質だけが存在して、意識が存在しないと、この世界を認識し意識する存在がないということになるので、そういう主張は成立する)「この世界に意識は存在する」「よって、意識の大元である意識器は存在する」「ということは、当然、心器(知性体)も存在しなくてはならない・・なぜなら、心器がさまざまな情報を集め理活を行い、その結果の心的内容を意識器に送り込んで初めて、意識器によって意識内容が意識され味わわれるからである(詳細に既述・何度も)」「であるから、必然的に、意識器(意識体)、心器(知性体)の存在する場があるはずである(何か所かで詳述している)」「その場を知性空間と呼ぼう」…参考…タネもシカケもないマジックの存在はほんとうにある。それらマジックを為すのが知性体たちであり、知性体たちは物理的-化学的法則の実態を破ったりコントロールできる、という事実も、そこからわかる……知性体たちは、一般的には目に見えない……「さて、心と意識をもつ生物sがいないと、意識内容の増加と発展・変化がない・(知性空間に存在する知性体たちが、物質の世界なしに新しい心的内容-意識内容をつくろうとしても、それはほとんどムリである…なぜなら、その条件のもとでは、心的内容を形成する情報が少なすぎるからである)・(大自然がつくった人間ですら、さまざまな無数の心的内容-意識内容――意識内容となる創作物sなど――をつくり上げてきている…それは、人間の身体が物質世界に置かれ、そこで活動し、人間のもつ心器の知性が、さまざまに働くからである)」「意識内容の増加と発展・変化がないということは、意識にとって、この世界の魅力はなくなっていく-ことに等しい(心器と意識器がこの世界に飽き飽きして倦んでしまって、心器と意識器が生存していくための魅力がゼロになる)。 そこで当然、意識内容の増加と発展・変化をもつために、この世界・宇宙は、生物をもとうとする」「さて、以上を総合すると・・・この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが「生きていけるように」できている(そこにはマイナス面もあるが)・(「当然なことながら」と直上に記したが、そこを考えてみよう・・・まず、確かに実際にそうなっている・・その実態をもたらしたのは、いったい何だろう? 知性空間のもつ演算力だろうか? 宇宙のもつ意志のような何かによるのだろうか? ・・・それについては上にも一部記している・・・それらをも含めて、こういった類いの問いsについては、さまざまに考察してあちこちに既に記している・・・上に記した『この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている』(さらに詳細に後述)・ここでの結論はこの「 」内の初めに記したこの『 』内の内容で満足することにしよう)」・・・直近上の項をさらに深めた項がある…それは、いくらか下の「X」以下の「A」「B」「C」である・・ここの、近い下にも「A」があるが、その「A」は、別な内容をもつ(…読みやすくするために、符号としての、A、B、C、を多用するので、そういうことになるのでアールス…)・・・さて、「知性体たちは、生物についてのさまざまなデータsをもつ(上に記述)・・知性体たちは、生物を構成する原子sや分子sを、それらが放つ電磁波(赤外線など)や電磁波(赤外線など)スペクトルなどによって、認識・識別できる・・そして、A・「知性体たちは、物理・化学的法則の実態を破ったりコントロールできる(既述)」・・・知性体たちは、既にもつデータsをもとに、あるいは、試行錯誤しながら、原子sや分子sを認識-識別し(赤外線スペクトルなどをもってそれは可能)、(それらを集め)、その「A」の施工力・実行力でもって、まずは、単細胞生物に必要な生物部品sや小器官sや成分sを構成し、生物としてのシステムを組み上げ、単細胞生物をつくりだす(原子sや分子sを結合させるにあたって、一旦分解して結合させるケースsもある)(そういった単細胞生物をつくり上げることも恐ろしく大変だろう・・よって上述のような永い年月がかかる)・・そして、知性体たちは、データsや試行錯誤のもとに、生物を進化させていく(そこでは突然変異も起こる)・・そして極めて長い時間を経て意識が宿る生物が生まれたのである・・・」…参考…遥か上に記している・「原初の人間が何かをつくり、そこから発展していく様子の項(略記)を参照されたい……それをオーザッパッパに言うと、人間が何かをつくるばあいも、人間の知性が必要であり、原初は原始状態にあるが、ずっと後になると、人間はさまざまなデータと知見を見いだし、明細を書き設計し設計図を描くようになっていって、より高度な何かをつくっていくようになる、ということナリス」…そうであるから、直近上述なるこれは、「既述しているように、知性体たちの活躍がないと、原初生物の誕生もないし、そこからの進化(大進化)もない」、という確信(断定と言ってもいい)の根拠になるのでアールス……以上、参考…○○○・・・以上の論述をもとに考察すると・・・生物が誕生し、現在の人間にまで進化(変化、劣化かもしれないが)してきたということは、「知性体は存在する」、「宇宙は永遠に続いてきている・・途絶えることはあっても、意識のある生物は永遠に生まれつづいていく」、…「意識器(意識体)(人と言い換えてもいい)は永遠に転生してきたし転生していく」・(これについてはほかのチャプターと、その根拠をも参照)…、という結論に至る・・・・・・さて、もうここまでくると、そうとうな上に記している「遺伝子が先か蛋白質が先か問題」は考えなくてもよいことになるだろう・・しかし一応結論をだしておくと、上述の論考からいって、RNAが先だろうと思われる・・・X・・・上述「元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている」について、さらに考えてみよう・・・上述の「○○○」と「○○○」の間に記した記述内容もここに参加する・・・・・・たとえば、「さまざまで多くのミネラルsを生物たちはさまざまに活用している」、という事実をもここにつけ加えておこう・・・ここで、「加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学」・の中に記している「タトエとしての水蒸気」を持ちだそう…『「A・タトエとしての水蒸気」は情報をもてる・・そして、「B-物質たち」は、その「タトエとしての水蒸気」が相転移して生まれた』・・・・・・その中で、さて、C『この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている(詳細に論じたあとの結論)』・(ここでの「A」「B」「C」は、ここでだけの印である)・以上の「A」と「B」は密接に関連しているはずである・・「A」は情報をもてる・・「A」から生まれた「B」にも情報がはいっている・それが物質sのもつ性質となる・・よって、「元素sや物質sの性質も、生物sが(を)構成でき、生物sが生きていけるようにできている(マイナス面はあるが)」と考えられる・・・上述Cはこれらによって説明がつく・・・(・・・しかし、だからといって、知性体たちの参加なしで、原初の生物の誕生や進化(大進化)が起こるというレベルにはその実態はまったくない・・・)・・・・・・さらにかなり上に記している項の一部を再掲しよう…「「この世界・宇宙に意識がないと、この世界はないに等しい」・(どう考えても、物質より、意識の方が重要である)「この世界に意識は存在する」「よって、意識の大元である意識器は存在する」「すると、当然、心器(知性体)も存在しなくてはならない・・なぜなら、心器がさまざまな情報を集め理活を行い、その結果の心的内容を意識器に送り込んで初めて、意識器によって意識内容が意識され味わわれるからである」「であるから、必然的に、意識器、心器(知性体)の存在する場があるはずである(何か所かで詳述している)」「その場を知性空間と呼ぶ」「意識をもつ生物sがいないと、意識内容の増加と発展・変化がない」「意識内容の増加と発展・変化をもつために、この世界・宇宙は、生物をもとうとする」、「知性空間はなんらかの知性的な演算力をもつ」以上、それらまでをも総合して考えると、「元素sや物質sの性質も、生物sが(を)構成でき、生物sが生きていけるようにできている(マイナス面はあるが)」のは当然である、という結論に至る・・・・・・さてここで、筆者にとって興味深い話しを記しておこう・・このセクションなどをもとにして・・・さて、筆者はあちこちで、以下に記すこういった謎sと設問sを追究しているナリス(あちこちに既述)が、それについての結論がここででてくるのでアールス(モチのロンで仮説ナリスが)・・・その謎sと設問sという内容をカンターンにしてオーザッパッパに記すと(具体的にはあちこちに詳述しているので、参照あれかし)・・・「精神的な実態と物質的な実態の間にはキワメテ精密な対応がある」たとえば、人間はさまざまなA心的内容やB物質的構成物をつくる(それらは心器が主導する)がそこにある対応(例外はある)誰かが何かのBをつくったとして、多くの人たちは、それを見たり聞いたり用いたりすると、Bをつくった人の心的内容(このばあい意図など)を感じること(例外はある)人間のもつさまざまな特性・・C笑顔を発する人と、Dそれを見る人のもつ心象(心的内容の一種)は多くのケースで一致すること(DがCを嫌っているとそうではないことが多いが)このばあい、顔という物質の組織のもつ形状と変化(表情)と、心的内容が精密に対応していることほかの表情sにおいても、まったくもってそうであること(表情は脳と心器がつくる)人間の男女においてもそうである肉体の形状やその変化(立ち居振る舞いなどをも含めて)と、それを感じる心性(心器の性質)が精密に対応していること(このばあい、男と女の性的心性は反対になるケースがほとんどであるが、それでも男も女も異性の心的内容がわかること・・例外はあるが)(例外はある)人間は物質の性質などを追究できること(学問の一種)(心器が行う)哲学や形而上学を導き出す大元になるたとえば、ギリシア哲学における、プラトンとアリストテレス、の主張の違いも、この説で理解できるだろう非物質世界と物質世界の関係についても、結論をだせるさまざまな哲学についても、分類できるだろうし、批判もできるだろうさまざまな形而上学についても、分類できるだろうし、批判もできるだろうまだまだある・・・この世界の成り立ちと、この世界のあらゆるさまざまについて、説明をつけることができる・・・このばあい、このチャプターのさまざまを組み込んでの論となる・・・題して・・「この世界のすべてを理解するための一試論」A・上述「○○○「この世界・宇宙に意識がないとこの世界はないに等しい」以下のすべてをも組み込む(このチャプター全部を、組み込むと言ってもよい・・さらには、筆者の追究成果として記してきたすべてを組み込むと言ってもよい)それから、何度も強調して詳述している・・情報発受信物質の発受信する起源情報スペクトル(可能性の最も高いのは、赤外線のもつ情報スペクトルだろう)をここにも入れるそして、詳細に既述しているように、心器のもてる心的内容と、意識器の中で発言する意識内容に、この世界のすべてが反映される・・文明度が低いと、その低さに応じた内容になり、文明度が高まっていくと、その内容も豊富になっていくで、文明度がマックスになった時点で(そんな時点は来ないと思うが)、この世界・この宇宙のすべてが、心器と意識器の中に発言し理解されたことになる・・・たとえば、詳細に既述しているように、相対性理論や量子力学も、実験結果のデータをも含めて人間たちの心器sの中に生じたのであるほかの学問sもそうであり、学問以外の「文化・文明を構成するすべて」も、同じく人間たちの心器sの中に生じている(過去をも含めてこう記す)・・・それらをつくる過程もそうであるし、できた成果をエンジョイする-あるいは反エンジョイするのもそうである・・・上の「A」の中にあるように、タトエとしての水蒸気の系は知性・心器・意識器をもつそして、そのタトエとしての水蒸気が相転移して(カンタンにいえば、凍って・・凍る程度は何段階かあるが)物質世界が生まれたのであり、物質の中にそういった知性的な情報がはいっているのであるよって、当然、物質のもつ性質や物質が発受信する「(起源)情報スペクトルにも、そういった知性的な実態がはいりこんでいるのであるさらに、自分の意識器(自分という意識をもつ主体)は永遠に転生していく(心器と意識器についても、ネット上に詳述している)その中で、それぞれの意識における質時間回帰が永遠に続いていく(これについても、ネット上に詳述している)それから、質の対生成、質のもつれ、(直近上述の質時間回帰)、(それらは、質の科学(仮説)の中にある)をもここに追加しておこうさらに、筆者の追究結果であるさまざま(ネット上に載せている)をもここに追加しよう・・・以上で、「この世界のすべてを理解するための一試論」となるのであるが、以上にあるすべての要素sを頭(心器)の中で有機的に組み上げて理解するのでアールスそこはそれぞれの方々の努力にかかっているナリス(加筆)・・・この項も書くのがキワメテむずかしい・・・・・・このセクションにも記しているように、そういったことは、タトエとしての水蒸気が心器と意識器を構成し(それらの大元まで知性空間に存在したししている)、そういったタトエとしての水蒸気(知性をもつ)が相転移して物質が生まれたのであるから、知性的な性質が物質に入り込んでいること人間や人間の脳は物質の組織であるが、脳と心器が連携して、「精神的な実態と物質的な実態の間にはキワメテ精密な対応がある」という実態になること・・・(加筆)・・・ここに、生命エネルギーについて記すべきであるが、それについては、詳細に既述している・・・・・・関連ある付記・・・・・・まずは、ほかの長々としたチャプターから引用しよう(タンパク質などの発する赤外線スペクトルについての考察その他からここまで考察が広がってきたのでアール)・・(上略)「さてここで、現実の工場を考えてみよう・・・どこかの工場内で、人間が働き、自動化された機械装置などが動いている、としよう。人間は、光や音などによって、対象を認識し、作業、操作や加工、移動、などを行う。いってみれば、人間は無線通信-交信をなしながら働いているとみなせる。そういった実態がないと基本的に人間は(も)働けない。自動化された「非接触センサー付き」の機械なども同じである。センサーで、対象の位置を把握しながら動く-働く。そこでは、音、光、電磁波、赤外線、(後者3つはまとめて呼ぶと電磁波なり光子である)などを用いることができる。それがないとそういった自動機械は働けない(接触センサーという小さな装置もあるが)。(…付記…昔の自動車や機械-装置類は、電子制御になっていなかったが、現在では、電子制御だらけになってしまっている…大自然と知性体たちが創った人間の知性が、ここにまで至らしめたのである…しかし、電子制御やインターネットに依存していると、そのうち、~~~2つ以上の~~~)上述の工場の実態事例を参考にして・・・生物における受精~発生~成体化~成長、生物の個体(成体)、生体内でのさまざまな代謝、などにおいてもそういった点-実態における事情は同じである。よって、先に述べた内容・(ここには載せていない…上の(上略)の上にあるのであるから略されている…そこをカンターンにしてオーザッパッパに説明すると、生物の体内や細胞内などにおいても、同じような交信がなされながら、生物生育・生体維持などの活動がなされているはずである)・は、そうである可能性が高い、ということになるだろう(――一応、それは仮説としておこう――)。さらに、そういった体系において、情報発受信物質が、情報を発したばあいも、受けたばあいも、その物質の状態は変化する、という事象実態もなんらかにして有効に活用できるだろう…以上は、成体をはじめ、受精~発生~成体化~成長、などにおいても仮説として当然適用できる。さらに当然、脳の形成~脳内での実態などにおいても、以上は仮説として適用できる。くわえて、心脳においては、情報発受信物質の情報発受信の実態やその内容が、心脳の現実――非物質的で豊穣な「心と意識の世界とそれらの内容」――をつくりあげている(これも仮説だが――あちこちに詳述している)。以上、そうであってこそ、成体の存在、受精~発生~成体化~成長、などの実態が成立するはずである。さらに、そうであってこそ、「心脳の現実」――非物質的で豊穣な「心と意識の世界とそれらの内容」が現出できる(現出される)のである(これも仮説――既述――)。(下略)」…以上の引用にある、「受精~発生~成長~成体化、生物の個体(成体)、生体内でのさまざまな代謝、などにおいてもそういった点~実態における事情は同じである」について説明しよう…それはつまり、たとえば、「tRNAは、目的のアミノ酸をどうやって探しだし捕まえ」、「どうやってリボゾームを探しだし」、「どうやってそのリボゾームに至り」、「どうやって目的のmRNAを探しだし」、「どうやってそのアンチコドンをmRNAのコドンにくっつけるのか」、といった壮大な謎の解明をするにあたっての参考考察の記述である。そこでは、まるで、「tRNAは、目と手と知性と脚をもっている」かのようである。以上は、そういった追究をしている部分の最小の文章をほかのチャプターから引用したのである(略されている部分に加筆した)。そこにおいての、仮の結論は、「赤外線スペクトルなど」を用いているのだろう、である。…そのチャプターは既にネット上に載せてあるので、参照されたい。(加筆)・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・(加筆)・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・加筆用(どこかに挿入)手を入れた13脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない・(プラスさまざま)・・・・・・それは事実であって、このことからだけでも、心器というフィールド、意識器というフィールドが必須であることがわかる(まずは前者がそうなのであるが、そこから、後者も必須であることがわかる)心器というフィールドと意識器というフィールドが必須であるということについては、ほかにも、さまざまな面から、いくつもの証明らしきをなして既述している・・・・・・なんでも雑記メモ:以下をどこかに入れたいんだが、入れる個所を探し出すのがあまりにもメンド草草の大草原なので、ここにメモ・・・これは本論における重要事項sの確認のため・・・*心器が、心的内容と時間情報・空間情報を統合する――それらはキレギレ-バラバラな情報になっており・(感覚器官sから脳にはいる情報もそうである)、心器がそれらを統合する――脳においてそれらはバラバラな個所sで情報処理される――心的内容も時間情報も空間情報もキレギレ-バラバラになって(して)扱われている――(これは再掲になるが)・・・それはもの凄いことだ・・信じられない・・・感覚情報も、体験(経験)情報も、時間情報も、空間情報も、キレギレ-バラバラ情報になっていて――脳にはいってくる情報はすべてそういった情報形態にある・脳内での情報・情報活動も同じくそうである――、それらが「脳のアチコチ」で、「いくらかの時間差をもって」情報処理されている――そこでは「統一性ゼロ-総合性ゼロ」にある・・結局、脳はそれらの情報を統合できない・「それらを統合する機能-場所は脳にはない」・・・「心器というフィールド(詳細に既述)」がそれらの統御-統合をなせる・・しかも心器が着目している内容に関する情報sを心器が選択し取り入れ、それらを統合する(理活する)・・・つまり、それらの情報の中から心器というフィールドが着目している情報sを取り入れ理活し(心器のもつ働き)「意識器というフィールド(詳細に既述)」によって意識し味わえるような形態にまとめあげる・・・――(それでも、その段階ではキレギレ-バラバラ-デジタルつぶつぶ情報(心器においては、エネルギーのもつ粒子性の世界にある・・粒子だとさまざまに扱えるが、波動だとそういったふうには扱えない)である――ここで重要な着目点として・・・、心器には理活する能力はあるが意識し味わう能力はない・・そういった形態の情報は意識できないし味わえない(詳細に既述)・・しかし統合する操作はできる、という事象-機能がある・・・そして、そこでできあがったキレギレ-バラバラ-デジタルつぶつぶ情報(エネルギーのもつ粒子性の世界にある)を意識器というフィールドに送り込む(ここでは簡略に記す・・詳しくは既述)・・すると意識器においてその情報が波動化し混じりあい、超絶精妙にして精密な-エネルギーの波動となり、それを意識器が意識し味わう・・粒子だと意識し味わうことはできないが、波動だと意識し味わえる(詳細に既述)・・・・・(たとえば、なんらかの機器の画面から発される映像も発される時点では、キレギレ-バラバラ-デジタルつぶつぶ情報、であるが、空間に出ると、波動化して混じりあう)・(詳細に既述)・・・――脳にはそういった精妙な混合波動を受けて意識し味わう機能・場所はない――・・・ひとつの着眼において言うと・・つまり、(実)時間も空間も、意識器において生じるといえる・・・で、意識の外(そと)にはなにがあるかわからない、という論も詳細に既述している・・・それを、カンターンにしてオーザッパッパにいえば、意識器にはいってくる情報も、心器にはいってくる情報も、脳にはいってくる情報も、それらすべては、エネルギーのなんらかの形態にあるだけであって、それ以上のことはわからない、ということナリス・・・脳や肉体それに外界は物質の組織または物質である、という認識は一般的であるが、実際のところ、「意識にとって」、その実証はできないのでアールス――そこには、なんらかのデータベースとデータがあるだけである、という立場も成立するのでアール、ということナリス――・・・・・・強調付記・・・意識内容は連続している(連続体である)・・場面転換という実態はあるが・・・脳での情報処理においてはキレギレ-バラバラ情報を扱っており、それを統括する機能も場所も脳にはない・その上に、連続している(場面転換はある)意識内容も脳においては生じない=キレギレ-バラバラ情報を連続する情報に変換する機能も場所も脳にはない。そこからも、「心器というフィールド」と「意識器というフィールド」の存在sが必然的に導きだされる・・・以上は、物質の組織なる脳における情報形態とそのほかのさまざまな根拠sから導き出される結論である・・詳細に既述している・・さらにタトエをもってわかりやすくという立場で詳述もしている(食材~料理~それを食べて味わう、などのタトエをもっても説明している)・・・・・以上につけ加えると・・・、「タネもシカケもないマジック」が実際にあることが、「心器というフィールド」の存在を実証していると言える・・そこから必然的に「意識器というフィールド」もなくてはならない、という結論にも至る(上述のように、脳には意識し味わう機能-場所はないのであることでもあるし)・・それらについても詳述している・・・・・・付記・・・過去において、「心器」と「意識器」における「情報エネルギー素子(仮にこう名づけよう)」・(たとえば電磁波のような存在・・心器においては、エネルギーのもつ粒子性を扱い、意識器においては、エネルギーのもつ波動性が発現する)・を、超ひも理論で説明できるのではないか、と考え、ネット上に記したことがあるが、ある時点で、それを、とりあえず「赤外線」にした・第一候補として――・・・なぜなら、幅広い温度範囲において、物質から赤外線は出ているし、体温あたりにおいても赤外線は出る上に、物質によって、発する赤外線スペクトル(スペクトル・・わかりやすく言うと虹のような存在)が異なるからである・・この赤外線スペクトルが正に有効-有益に働くだろうと思う・・・詳細に既述している・・・・・・ただし、赤外線に対応するというか、赤外線が変換されるというか、赤外線よりもっと精妙にして緻密なエネルギー素子があるのかもしれない・・・既述の「タトエとしての水蒸気」がそれなのかもしれない、ということもつけ加えておこう(超ひも理論からも候補が出てくるかもしれない)・・・・・・参考・・・以下、これは、かなり以前に学んだ記憶内容にもとづいて記すので、まちがいがあるだろう・・いつか訂正するかもしれない・・(そうとう前にネット上に詳しく記したが、今では忘れている所sが結構多い・・今回はその内容をカンターンにしてオーザッパッパに記そう・・重要なことなので)・・・脳にある細胞であるニューロンs(非常に多い)・(ニューロン=神経細胞・・・ひとつのニューロンは、細胞体と多数の樹状突起(かなり多くある・・そこにシナプスがある――シナプスは刺激に応じて化学物質放出と受容をなす・・それよって細胞体(ニューロン本体)に刺激を伝える――)・と1本(ほとんどが1本)の軸索(電線のようなもの)からなる)の働きについて・・・――新生児はニューロンs間のつながりが非常に少なく(だったと思う・・うろ覚え・・あとで訂正する鴨)、成長するにしたがって、学習するにしたがって、ニューロンs間のつながり(軸索電線による配線というとわかりやすい)が多くなっていき、成人あたりになるとその配線の多さがさらに増えている(高齢者になっても配線は行われる)(この表現でいいかな? あとで訂正する鴨ダック)。で、ここからは、そういった配線の多い状態の脳について記そう・・・・・・付記・・・ニューロンはなんらかの事態に対応して軸索配線を変えることもなす(これにもタンパク質がかかわっているのかもしれない)・・・まず、ひとつのニューロンに着目しよう。そのニューロン(ニューロンA)には、多数のニューロンsから軸索配線を通じて電位パルスs(活動電位・・・パルス=脈)がやってくる。そのニューロンAにおける軸索配線の接続個所――シナプス(樹状突起にある)――によって、それら電位パルスsの効果は異なる・・そこには2種類のシナプスがある・・興奮性シナプス(複数ある)と抑制性シナプス(複数ある)である。1つの興奮性シナプスに電位パルスが一つやってくると、そのニューロンの本体(細胞体)は、興奮度を1ランク上げる。1つの抑制性シナプスに電位パルスが一つやってくると、そのニューロンの本体(細胞体)は、興奮度を1ランク下げる。そういう事象が続いていき(ごく短い時間だが)その細胞本体の興奮度が閾値を越えると、発射用電線(軸索)に電位パルスが発射され、それとつながったニュ-ロン(ほかのニューロンである)がそれを受ける。・・その事象は肯定と否定の多数決のようなものである・・・・・・参考・・・最新の研究では、ニューロンは記憶をももつ、とされている・・・本論においては、早くから、記憶はタンパク質が担うはずである、としている(既述)・・ニューロンにもタンパク質は多く存在する・・・以上、参考・・・そういう実態にある脳であるが、上述しているように、それら情報を統括しまとめる機能と場所は脳にはない・・「心器というフィールド」だけがそれをなせる・・・しかも、「意識内容は超絶精妙にして精密な-エネルギーの波動であるしかない(連続している・・詳細に既述)」わけであるが、脳にはそういった精妙な混合波動を受けて意識し味わう機能・場所はない・・意識器というフィールドだけがそれをなせる・・・上述の「・・・強調付記・・・」をも参照されたい・・・・・・メモ・・夢、心、意識、などの項にいれる・・メンド草なので、ここにメモ・・・眠っているときも、ニューロンsは活発に働いている(目覚めている時と、活動の分布や状態は異なっているが)(これは既述しているが、新たに、思考-追究の対象になりそうだと感じたので、ここにメモ)・・・・・・メモ・・これは生物の進化の項に入れる・・メンド草なので、ここにメモ・・・脳幹(動物の生命維持の中枢)・・魚類から哺乳類に至るまで、その構造にはほとんど違いがない・・・・・・それはなんという奇跡的な実態だろう・・その仕組みとその成立経過両方において・・・・・・物質的な試行錯誤からだけでは、そういった実態は100パーセント生まれないと筆者は確信する・・・既述の「この世界のすべてを理解するための 一試論」~「原初生物の発生(誕生) と進化」についての一考察」を参照されたい・・・(読みにくい書き方だなあ・・で、少し手を入れた)・・・以上についてはさまざまにして詳細に既述しているが、これだけでも、「脳だけでは、心と意識の世界を築けないことがわかる」・・・もちろん、「心器と意識器というフィールドs」がどうしても必要なことは、その他の根拠sをもって詳細に何度も記している・・・・・・付記・・・既述の「この世界のすべてを理解するための 一試論」~「原初生物の発生(誕生) と進化」についての一考察」(この進化は主に大進化のこと)の内容や既述のさまざまにもとづいて考えると、「唯物論の系統の考え方」では、どうやってもそういった内容に手をだせないでせふ・・・・・・そこらにおいていちばんカンタンな例をひとつ挙げると、「タネもシカケモないマジックが実際に存在する(これは事実ナリス)」ということを唯物論の系統の考え方でどうやって、説明するのだろう・・・☆仮に、唯物論の系統の考え方で、それらすべてを説明できたとしたら、それは本論と一致するでせふ(本論は多岐にわたる膨大な内容をもっている・・それと一致するということナリス)・・・・・・そうなったばあい、そこにおいて、人類は新しいステージに立てるのでせふ☆・・・・・・しかし、そうは言っても、質時間回帰(詳細に既述)という実態があるので、人類にとって理想的な世界になることは決してない・・仮に理想的な世界になったとしても、それは最初期の数週間ぐらいだけであって、すぐに、それ以前の苦労や悩み苦しみ多き状態になってしまうのである・・・人類はおのおのが蓄えた質時間を消費し、新たに質時間を蓄えながら生きていくのでアールス・・・・・・それから、通常の質時間回帰(わかりやすい)とは別に、特殊な質時間回帰(わかりにくい)という事象もある(両方とも質時間回帰である)・・その例sとして、混乱し暮らしにくくなったどこかの国(日本からは非常に遠い)を、よくしようと奮闘してきた人物が○○された、とか、アフリカのどこかで地域改善のために努力してきた人物が、現地人から、「威張るな」と言われたとか、その人物とは別の人物であるが、同じく地域改善のためにがんばってきた人物が事故にあって亡くなった(アフリカのどこか)、といったような事例も多い(ほかにもなんやかんや-いろいろサマザマある)・・・・・・さて、このセクションにきわめて関連ある話題をほかのセクションからひいてみよう・・・(上略)意識器(自分という純粋意識をもつ)・・意識し味わう個人的意識のフィールド(場)・・それは他と区別され、自分という意識をもっている(これは、「医学的に意識がある」というばあいの「意識」に最も近いといえるが、それだけではない)(脳にはそういう能力-機能-場所はない)心器・・脳においては、キレギレバラバラな情報を脳のアチコチでしかもいくらか時間を異にして扱っている・・脳にはそれら情報を統御-統括する能力-機能-場所はない(脳全体にもないし部分にもない)・・それら脳における情報を統御-統括する場所が、心器というフィールド(場)である(詳細に既述しているように)物質の世界は、精神的な世界に比べて、荒く非精妙な領域にある(詳細に既述)・・物質の組織である脳は、同じくそういう実態にあるので、精神的な世界を構築できない(心の世界のデジタル情報をキレギレバラバラには扱えるが)・・既述している「タトエとしての水蒸気」の世界は、最も柔軟にして精密精妙な世界である・・そこに「意識」「心」などの世界がある・・「タトエとしての水蒸気が凍って(相転移して)できた世界が物質世界である・・(「タトエとしての水蒸気>>>水蒸気>水>氷、と記せばわかりやすいかもしれない・・このタトエでは、物質のほとんどは水や氷だといえる)・・・以上は、心脳における情報形態から、そういえるということナリス・・・(下略)・・・同じくほかのセクションから・・・(上略)・・・その前に一言・・・・・・こういった内容をもつ文章sを読んで、納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって・・・さて、で、ほとんどの人たちはこう思ってゐるでせふ・「自分が自分であるのは、自分の『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族~家系、人々(身近~遠い)との関係、自分の属している団体・組織~国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意識。心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』による。それらが自分にほかならない」――・で、ほとんどの人はそこからさらにこう感じているでせふ・「だから、自分が死んだ後、それらがまったく同じ人間であるところの自分がまた生まれてくるなどということは絶対にありえない、絶対にない。よって、転生なんかあるはずがない、転生はない」――・ほとんどの人はそう考えそう感じているでせふ――漠然と、にせよ――・だがしかしところがどっこいどっこいしょ・・心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)を適用して考えると、それらはすべて間違いである、という結論にいたる・・・心脳科学(仮説)において定義される「意識・意識のフィールド・意識の主体」――それは上述の普通一般に用いる「意識」とは異なる。心脳科学(仮説)での「意識」は上述の普通一般に使う「意識」に含まれているにはいるが、その上述の「意識」にはさまざまな意味がごっちゃに混ざっているので、それらを正確に分離して、それぞれを正確に定義して用語をあてて用いないと科学的に扱えない。しかも、普通一般には「意識」を、心脳科学(仮説)のいう「意識」の意味には用いていない。――それらについては既に詳細に記している――。さてそこで、心脳科学(仮説)において定義される「意識~意識のフィールド~意識の主体」――「意識の主体」を「自分という純粋意識」と呼べばわかりやすいかもしれない――において、「意識のフィールド」と「自分という純粋意識」は異なる。「意識のフィールド」は「意識の器=意識器」であり物理的な存在であり、そこにある働き~機能~性質である「意識」が「意識の主体」=「(自分という)純粋意識」である・――それが自分と同じ人が自分の死後生まれたら、それは自分の転生(自分という純粋意識なる主体の転生)なのである(その転生は必ず起こる、ということの説明もさまざまに既述している)。・・・参考――「自分という純粋意識」とは、何もかも忘れて、なにかに没頭していても、やはり自分は自分であると感じる・・・そこにあると言ってもいいだろう――・・・:以上、参考・・・さて、参考の前に戻って・・・そこをいくつかのやり方で概算~概念計算~推測・思考すると、「自分の死後、自分――自分という純粋意識――は必ず生まれでてくる」、という結論におちつく。それ以外の結論はでてこない。・・・その考え方や計算とは・・・(下略)・・・同じくほかのセクションから・・・(上略)「『自分という純粋意識』について、ある特定の方面から追究」DNAが完全に同じでも、完全に同じ個体に成長することはない。たとえば、一卵性双生児で説明すると、それら二人は完全に同じ個体になるということはない。どこか違いがでる。――それら二人において、すべては非常にそっくりではあるが、それでもいろんな違いがでる――。・・・そこから、そういった二人の「意識の主体(意識器にある、自分という純粋意識)」はどうなんだ、同じなのか違うのか、という謎と設問がでてくる。ここでは、まず、「肉体ですら同じではないのに、それらが同じはずはない」、ということも言える。つまり当然、意識器も(加えて、心器にある、心の働きも)それぞれ異なると言えるだろう(これだけではふにゃ論だが)。それについては、既述の本論の本体などで、それとは別な論理sで論述している・――それを手短かに言えば・・・それらふたりの意識器が同じであれば、二重の意識状態になる・大自然はそういうことを避けているはずである・・・ごくごくごくごく美味しい飲み物を飲んで、ではなく、ごくごくごくごく稀に特殊な事例があるかもしれないが・・いやこれもないだろう・・・・・・どの意識器も自分という純粋意識をもっており、その意識器は大宇宙に存在する「意識器の種」のような存在から生まれいでたものであり、それは各々ひとつであるはずである・・・「すべての種sや卵sから生まれいずる生体に完全に同じものはないではないか(一卵性双生児ですら異なる)」・・・詳細に既述――。・・・で、その結論も・・・「違う、異なる、同じではない」、である。「心器」についても同じ結論に至る。・・・「心器」のばあいは、「心器」が居る場所が異なるだけで違ってくる(心的情報処理の内容や状態が異なる・一卵性双生児においても、同じ人物が移動して別な所に行っても)。まあ、とにかく、意識器(にある、自分という純粋意識)が自分であり、自分の意識器と異なる意識器は他人の意識器である・・・そういう結論になる。しかし、そこにも謎が残る。意識器において、なにがどう違えば自他の区別が発生するのか、という謎である(――既にどこかで詳細に論じている――)。(下略)・・・同じくほかのセクションから・・・(上略)・・・「すばらしき、完璧な映画館――大宇宙世界劇場・・・人生劇場」・・・(――抜粋・再掲――)・・・こういうシステムを考えてみよう:「すばらしき完璧な映画館――世界劇場――」である。それがどういうものであるかというと・・・その映画館で映画を観る態勢にはいると、特殊な装置によって、まず、自分の記憶すべてを、映画を観ているあいだ完全に忘れてしまうのである。自分の年齢・性別や肉体などについての記憶まで忘れてしまう。つまり、自分が何者なのか完璧にわからなくなってしまうのである(そこは暗いので自分の身体も見えない)。思考力までなくなってしまう。そこにあるのは自分の「純粋意識・意識の主体」――「自分という純粋意識」――だけである。そこにおいて、映画が始まると、特殊な装置によって、自分が完璧にその映画の主人公(あるいは登場人物)になってしまう。記憶から思考力までその主人公(あるいは登場人物)になってしまう。自分の身体もその人物だと思い込んでしまう。そういうシステムの「すばらしき完璧な映画館」である。で、その映画は、主人公(あるいは登場人物)の一生を描いたものだとする。その映画を観ている間は、自分はその主人公なのである。そして、その映画が終わって、次の別な映画に移ると――転生にあたる――、今度はその映画の主人公に自分がなってしまうのである。・・・そうやって自分の経験がずっとつづいていく。・・・まあ、いつも主人公になるわけではなく、脇役になることの方が多いわけではあるが――つまりこれは、劇的に素晴らしい人生をおくることになるのは稀である、という意味である――それが、上述「――それぞれの要素の存在確率(発現確率)~存在期待値(発現期待値)(ここでは、期待値という概念を拡張して用いている)に応じて――」の意味である(そういう意味実態の中にある・そのシンボルになる)――で、そういう意味ではそうであるが、常に自分が主人公(先の「主人公」とは意味範疇がことなる)である、というのも事実~確かである――。・・・・・・転生という事象実態は、そう説明できる。・・・心脳科学(仮説)(と質の科学・仮説)を基にすると、そういう結論に至るのである。・・・・・・(――注:表題にある「すばらしき、完璧な映画館――世界劇場――」といっても、そのシステムが完璧である、といっているのである。すべての人s【意識の主体s】において、それぞれの一回一回の人生は完璧ではまったくなく、不合理・理不尽なさまざまなできごとsが起こる。――それは質の対生成と質時間回帰による・・質時間回帰によって、前回の生とはかなり反対のような人生をおくることになる――)(――参考のために加筆・・・心器には自由意志・意思がある――)・・・・・・ところで、「すばらしき、完璧な映画館――世界劇場――」での上映内容を創るのは何者だろう・・・それは、知性であり心器であり、質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ・質時間回帰則、である。「質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ・質時間回帰則」のもとに、知性と心器が加わって、そういった上映内容が創られる。(――既述している「外界なるデータベース」も、もちろんそれに参加している。というか、こちらの方「外界なるデータベース」が、そこにおける大きな主体だろうが――)・・・参考・・・質時間回帰則の許す範囲内で質時間回帰則に反するように見えるさまざまな事象・実態・事実が生じるが、結局は質時間回帰する。(「質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ」もその中に納まる)。つまり、質時間回帰則は厳密に働くが、そこにはアソビがあって、キッカリと一直線には進行せずに、行ったり戻ったりしながら質時間回帰していく、ということである――それでも厳密に質時間回帰する――。・・・それについては、ワウフラッターその他をたとえとして、既に詳述している――そのリンクを貼りたい張りたいが、めんど草草なので、まずはめんど草取りをしてから・・・つまり、めんど草かり、をして、めんど草がり・メンドクサガリ、を克服してからリンクをはろう・・・、というつまらないジョークに落とし込んで締めておこう・・・日本語のクオリア・qualiaは豊穣なり・・・・・・以上に関連する参考(抜粋・再掲)・・・・・・いくらか前にもどって・・・つまり自分とは「意識し味わう主体」である自分の「意識」であり、それ以外のすべては、痴漢可能ではなく置換可能であってどうにでもかわりうる――変わりうる、替わりうる、換わりうる、代わりうる――のである。おまけに、「心~心器」も変化する上に置き換えることができるし置き換えられる(――心脳科学(仮説)における定義の「心~心器」には意識し味わう働きがない――)。しかも、それら置換可能な要素sは、転生していくと、正反対のそれらに置き換わっていく。正反対のそれらだけではなく、どの要素sにも置き換わっていく――それぞれの要素の存在・現実・事象実態確率(――一種の頻度である――)~存在・現実・事象実態期待値(――質時間の総量である。それは質時間回帰に至る・をもたらす――)に応じて――。「自分という意識」以外は、そうやって、置き換わっていく。先に述べた要素s『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族~家系、人々(身近~遠い)との関係、自分の属している団体・組織~国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意味での意識である・心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」「意図」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』がそうやって、置き換わる、あるいは変化する、そういうことになる。それが質時間回帰である。端的にいうと、それらすべての要素sは、「体験」「経験」「記憶」「才能・能力」という範疇にはいる――肉体的要素その他すべてもそこにはいる――。さらに端的にいうとそれらすべての要素sは「経験」という範疇にまとめていれることができる(もっというと、その「経験」は「心的情報~心的内容→意識内容――結局は『意識内容』」――それらをまとめて「(心・)意識における情報」といえるのであるが、そう記すとかん違いされる可能性があるので、そこまでは書かないでおこう)。つまり、多数存在する個別的な意識sのそれぞれの意識における「質時間回帰」というのは、「どの意識も(すべての意識が)あらゆるすべてのさまざまな経験をまんべんなく経験していくことである――経験におけるそれぞれの要素の存在確率~存在期待値に応じて――そこには、ある体験をしたら将来必ずその正反対の体験を同じ量体験する、今の自分とは正反対に将来必ずなる、という法則も含まれてしまう――」ということである。とにかくすべてが質時間回帰する(――ここにはある意味というか確実にというか恐ろしい内容が含まれているが、明文化しない――)。(加筆)さて・・・人生において、自分という人間について言えば、一生変わらないのは、「自分という純粋意識と面影だけである(ケースによっては、面影すら確認できないこともある)」・・誰でも、自分は自分だと思う――意識する――でせふ・・・しかしそれは、現在までの経験や育った環境によるのでもなく、自分の姿かたちによるのでもなく、他人との関係によるのでもなく、自分の才能や能力によるのでもなく、記憶によるのでもなく・・・・記憶について言えば、思い出さないものがほとんどであり、忘れていることは膨大にある・・・「自分という純粋意識」について言えば、「記憶が自分は自分であるということを担保することはない」・・・にがく苦しい思い出をしょっちゅう思い出すとしても、そうである・・・それから、自分が上げた業績などによるのでもなく、そのほかさまざまな思い出によるのでもない・・・思い出を思い出して回想するのは、普通であるし、その「思い出という記憶が自分だ、という立場はよくわかる」が、その立場においては、その思い出の記憶がなくなったら、自分は自分でなくなるということになる(そういったケースにおいては、自分の拠り所がなくなって、さびしい、わびしい、苦しい、といったことになるケースが多そうナリスが)・・しかしそのばあいでも、「自分という純粋意識」は変わらず、それが自分なのである・・たとえば、記憶を入れ替えることができるようになって(プラナリアなどにおいては、学習内容を移植できるそうだ・・うろ覚えナリスが)、自分の記憶を他人のそれに入れ替えて回想したとしたら、それ以前の回想とはまったく異なってくる――その他人を自分であるとすることになる――・・それでも、「自分という純粋意識」だけは変わらないのである・・・・・・どこをどうとっても、どこをどう考えても、「自分という純粋意識」が自分なのでアールス・・・・・・「自分という純粋意識」については既に、このセクション以外において詳述している・・・・・・上述(ほかのところにも記しているが)の、「すばらしき、完璧な映画館――大宇宙世界劇場・・・人生劇場」をも参照されたい・・・(下略)・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・加筆用(どこかに挿入)・・・遺伝子とタンパク質の対応、そのほかにおける謎・・・・・・以下に関する内容の一部は、何か所かに既に書いているが、非常に重要なので、さらに追究を深めていこう・・・(で、そのあとになって、さらにこのテーマについての追究が進み(正しいかどうかは知らないが)、それをネット上に載せている)・・・DNA~遺伝子sは、「人間における性質の情報」、や、「生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報」、をまったくもっていない(――ここで意味している意味でそう言っている。以下でその意味がわかってくる――)(ここではまずは人間について述べている)。そこにおいては、遺伝子は単にタンパク質に対応しているだけである。つまり、遺伝子→RNA→タンパク質、というふうに対応しているだけである。その対応関係で生体におけるタンパク質が生成(生合成)される。・・・参考:・・・遺伝子ひとつはDNAの片鎖にある小さな1区画である、そうここでは定義する。DNAにある区画sには、遺伝子でないものもある。DNAというのはそういった区画sをたくさん持つところの1つの巨大分子である:以上、参考・・・さて、そこにおいて・・・そこでの塩基s(核酸塩基s)や塩基以外の素材sはどうやって選ばれたのだろうか? ・・・それは一言で言えば、その役割において最も適切であったから、ということだろう。しかも、それ以外に適切な素材はなかったのだろう――あるいは次善の素材はあるのかもしれないが(参考・・・RNA)――。そうであるにしても、それらは試行錯誤で選択されたのだろうか――気が遠くなるほど長い年月をかけて選ばれたのだろう(それまでは、知性体や生物は気が遠くなって気絶していたのだろう・・・不発ジョーク・濡れた花火ジョーク)――。そこにおいて、「試行錯誤で選択」といっても、それらの有効性をどうやって確認判断するのか? 試行錯誤の段階においては、その判断基準はない。それは、生物の生体全体を創りだすことにおける(ここではとりあえず人間を対象としている。それは生物全般についても同じことだろう)、ほんのほんのごく小さな初めの、しかも小さな小さな一部であって、評価判断基準はない――生体やそこに至る部分などは、どこにもない上に、それらに関するデータなどもどこにもないのだから・・・そういう可能性というかケースのもとでここではこれを論じている――。次に、そこに評価判断基準がある可能性について論じよう。そのばあい、その評価基準はどうやって生まれた? どこから来た? 気の遠くなるような長年月をかけて、その評価基準がでてきた? どういう仕組みで? 以上、そこにおいて、ありうる可能性は・・・1・その双方(物質的素材の選択、評価判断基準の成立)とも、試行錯誤だけででてきた2・それになんらかの知性がかかわってでてきた、つまりなんらかの知性がなんらかに選び取った3・なんらかの知性だけでそれはなされた4・それら「物質的素材の選択、評価判断基準の成立~それらが試行錯誤でなされた、それらになんらかの知性がかかわった」そこの配合の程度の異なりは無数にありうる5・そういったことに関するなんらかのデータなどがどこかに既に存在した――そのデータなどの完全性とデータ量は、少し~たくさん~すべて(完全でありすべてのデータが揃っている)、あるいは、それらの間のどこか、というふうに考えることができる。6・「5・」と、「4・」までのすべてを絡めると、さらなるややこしいばあい分けがでてくる――それは・・・そこに知性とデータが関わり、データを基に知性がさらに生物発生~進化における先に進んだ・・・そのばあい、その知性はそれらを先取りできるほど高く進んでいる、ということになる――そんな知性はなにから・どこからでてくるのか? どこから来たのか? ――。(加筆)(――以上の論に類似の論は既に記している――)(加筆)さて、そこにおいて・・・遺伝子だけではタンパク質の生成(生合成)はできない、という事実がある。タンパク質など、情報発受信物質の起源情報スペクトル(仮説)が、「人間における性質の情報」、や、「生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報」、の、ほとんどすべてを担保しているだろう・・・そうでないと、人間におけるあらゆるさまざまは何も成立しないように思える(これは主観だが・・まずは主観からすべてが始まる)。それ以外では、知性体――個性をもった局所場――~知性のフィールド――主に非局所場・個性のない全体場――からの情報、それに、環境~周りからの情報などが、「人間における性質の情報」、や、「生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報」、の担保に参加しているだろう。人や動物、生物、などとのやりとりもそれに加わる――つまりその担保に参加する――。・・・以上によって、「DNA~遺伝子sは、『人間における性質の情報』、や、『生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報』、をまったくもっていない」という意味が説明される・・・そこから生まれるタンパク質などが、『人間における性質の情報』、や、『生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報』をもたらす(もっている)のである・・・(加筆)以上の内容から、「遺伝子が先か、タンパク質が先か」、という謎と設問が当然ながらでてくる・・・(――それは、「どちらが先か問題」の範疇にもはいるだろう(さまざま既述)――)まず・・・生物にとって、最重要なのはタンパク質でありそうだ、と言える。それは生物学における常識でもあるといってもいい。・・・もちろん遺伝子やその他も重要だが、遺伝子のできあがりよりも先に考えるべきことがあるので、ここではそう記しておこう。まず、そこにおいて・・・偶然に、「遺伝子」としての「デオキシリボ核酸の小さな一片(普通に言うDNAは巨大分子だ。その中の小さな一区画が遺伝子である)」ができ上がり、そこからタンパク質が生成され、そのタンパク質が生体において有効に働く、という可能性・確率は偶然においては極めて低いだろう。――無限回に近い試行を繰り返せば可能ではあるが――(・・・ここからは既に述べている部分もあるが・・・)で、そこにおいて、偶然ではなく、超絶に優秀な知性による介入があれば話しは別である。その知性が超絶性を発揮して、そこらのところを見通して、「偶然」ではなく「必然」でそれを行ったのであれば、そこは成立する。しかしそんな超絶した知性が初めから存在するのだろうか? ――初めから、というのは、それまでに生物は皆無だった、という条件のもとでのことを言っている――そこにおいて、生物に関するさまざまなデータベースがあれば、知性も初めての生物の発生という事象を実行しやすいだろう。「初めて」の時点で、そんなデータベースがあったとすると・・・、1・過去に生物は存在した。そこからのデータがなんらかに保存されていた(不完全、あるいは完全)。そのデータを知性体が活用した(完璧な知性の知性体、あるいは非完璧な知性の知性体が活用した――その知性はどこからきたのか――)――直近上述このケースでは、上述の「それまでに生物は皆無だった」に矛盾するので、その意味は、その時点では全宇宙に生物は皆無だったが、それ以前に生物が存在したことがある、ということになる――――そういった知性はどうやって発生したのか、という謎と設問もでてくる――2・「1」というデータなしで、超絶な知性がそこらを(すべて、あるいは一部)見通してそのデータベースをつくった(完全、あるいは不完全)(完璧な知性の知性体、あるいは非完璧な知性の知性体)3・「1(不完全)」と「2(完全)」を併せて、生物が発生した4・「1(データベース不完全)」と「2(不完全)」を併せて、そういう条件のもとで考えて・・・そういうデータベース(不完全)をもとに、非完璧な知性の知性体が、生物を発生させた5・上述における元sの組み合わせがいくつかある。それらの条件のもとで生物が発生した・生物を発生させた・・・以上において・・・、データベースが「不完全」と「完全」、知性体が「非完璧」と「完璧」、それらの組み合わせを記述しつくしてないが・・・めんどうなので今は記さない・・・これは「5」のことを言っている・・・・・・まだほかにも書くべきことはあるが、省略・・・(――ややややややこしい――)(以上において、過去形を使うか現在形を使うか迷ったが、過去形にした。現在形にした方が書きやすそうだが)(――以上に関しても、似たようなことを既に記してある(いる)――)それから・・・筆者は「発生においては、近傍にあるタンパク質などの情報発受信物質からの発信が必要なのではないか」という仮説を立てている(既述)。なぜなら、そうでないと、発生や分化は不可能であるだろうからからだ(と思われる)。そこらのところは未だ解明されていないようであるから、推測でそういう仮説を立てている。そこから言っても、タンパク質などの情報発受信物質の役割はきわめて大きいと思われる。・・・付記:――発生に知性体がかかわっている可能性もある――・・・であれば、というか、つまり、知性体の知性による「干渉・操作」と情報発受信物質のもつ性質と実行力、さらにそれらに加えて「試行錯誤」、それらが生物の誕生と発生をももたらし進化をも進めている、と言えるのではないか(詳細に既述)・・・(――これ以外には考えつかない――)・・・――以上に関連した内容を既にどこかで論じている――・・・硬すぎる話しのあとは・・・さて、ここらでふにゃけよう・・・ふにゃふにゃ・・・とめどなき宇宙・大自然の真理・法則・・・それを追究する筆者はバカとアホの一種である・・・でもまあ、そんなアホバカが一人はいてもいいと思う・・・さて、アホウドリと馬と鹿が群れる大草原・・・そこにはさまざまな花々が咲き乱れ樹樹にはいろんな果物が実っている・・・花々の香りにむせ返り好きなだけ果物を食べる・・・やがて眠くなって大草原で大の字になって眠り込む・・・夢をみる・・・空には月がふたつある・・・でもそこは地球なんだ・・・片方の月から飛行体が降りてくる・・・中からでてきた人物が筆者にネックレスをかけてくれる・・・目が覚める・・・そのネックレスは今も筆者にかかったままだ・・・ということでもあればおもしろいんだが・・・でもまあ世界は神秘でできている・・・世界は神秘と不思議と奇跡でできている・・・それはある意味オトロティ・・・しかしそれ以外の意味では救いである・・・(加筆)・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・加筆用(どこかに挿入)・・・理活における、「最も根本に存在する原理・論理」とはなんだろう・・・心器と心脳における「理活と発想・創造(理活⊃発想・創造・・・理活=心的内容論理活動」において、「最も根本に存在する原理・論理」とはなんだろう・・・・・・――「理活」=「心的内容情報論理活動」――・・・それに関連した追究内容を既にネット上に載せているわけだが、さらに研究してみよう(再掲内容をも記す)・・・・・・この研究もまだまだ途上にある・・・以下の記述は、つながりの薄いアイディアsの羅列となっているところもある・・・ごちゃごちゃしているところもある・・・重複もある・・・(ややこしいので、大げさに言えば・・・頭を抱えてのたうち回っておるす、という気分ナリス)・・・(――研究記載用の用紙sには、図や線・曲線と記号などを書いて・描いているんだが、PC上でのその再現は時間がかかりすぎる・・・写真をとって載せればいいんだが、めんど草草・・・困ったもんだ――)さて・・・まず、心器と心脳における「発想」について考えていこう・・「理活」より「発想」の方が研究しやすいと思われる。「発想」を研究することは、「理活」を研究する参考になる――基本は同じか似ているだろう――。・・・・・・「理活⊃発想・創造」、「理活⊃自由意思」である。過去に、「心器の自由意思」の原理は、統計的にしか扱えないだろう、と記したことがある。「発想と自由意思」はいくらか~かなり関連があるので、このセクションは「自由意思」の研究の参考にもなるだろう。・・・それでも「自由意思」は統計的にしか扱えない(しかもわずかにだが・・既述)、というところが大きいだろう・・・・・・さて、それらについてまずはラフスケッチをなしてみよう・・・理想的には・・・無数にある要素s・因子s――心的内容の――(以下、要素s)を心器がすべて見渡して、勘案・斟酌して、心器が必要だと認めるものsを選びだす(――フルイにかける・・フィルターを(に)かける。フィルタリング――漉しわけ、漉しとり、をなす――)。そして、それらを有効に組み合わせ結合する、ということになるだろう。以上、それは理想であり(以下に記す「4・」のケース)、現実にはそう単純・かんたんにはいかない。つまり・・・・・・その「フィルタリング」と「組み合わせ結合すること」は、「なんらかの意味があるように」「なんらかに有効に」「なんらかに有意義に」といった実態でなされる必要があるわけである。そこを心器が見通せるかどうか。そこらをばあい分けして考えてみよう・・・1・見通せない。試行錯誤してなす(結果からフィードバックする)。2・ある程度見通せる。その上で試行錯誤して行う。3・かなり見通せる。その上で試行錯誤してなす。4・完全に見通せる。試行錯誤はほとんどしないか、全くしない。(――ここらには後から加筆した部分があって、文章としての構成は、さらに未熟になった。推敲するのは先の話しである・・・とにかく、本論全体を通して言うと、内容が膨大すぎるし記述量も膨大なので、処理するのに手間と時間がかかりすぎる・・・メンド草草メンド草・・・たくさん生えたメンド草をお浸しにして食べてみよう・JK・・・メンド草はホウレン草の一種であってほしい・笑・・・そういうことがあるのなら、メンド草草を生やすのも悪くはない・JK・・・)上述、「1」「2」「3」「4」における「見通す」ことが、知性「心器のもつ知性・理活能力」に期待されるところの非常に重要な能力である。ここでは、それがどういう実態をもつのか追究しているところである、という面も大きい。上述、「1」「2」「3」「4」における「試行錯誤」をなすのも、知性「心器のもつ知性・理活能力」である。「試行錯誤」においても、「どう試行するか」を知性「心器のもつ知性・理活能力」が考えながら進んでいくことになる。そうやって、「試行錯誤」で進んでいき、知性「心器のもつ知性・理活能力」が、でてきた結果を「評価しフィードバック」しながら、かつ、取捨選択しながら進めていくわけである。・・・さらに、最終的には、でてきた結果のそれらについて、はなれた上述「それらを有効に組み合わせ結合する」ことを行うのであるが、それも、知性「心器のもつ知性・理活能力」がなす。――偶然だけで、そういった新しく有意義な情報ができ上がるか? いや、偶然だけではそういった情報は絶対にでき上がらないだろう。どうしても知性が必要である・・・生物の発生(誕生)と進化について論じたところにも、それと似たような内容を書いている。それら両者は共に片方を考える参考になる・・・ただし、生物の発生(誕生)と進化においては、無限の歳月のうちには、知性なしでそれが起こる可能性はある。上の情報のばあいはそういうことはない。かなり短い時間の中で、そういう新しく有意義な情報ができ上がるのであるから――・・・さて・・・上述と離れた上述にある、「見通す」と「見渡す」の間にはかなり重なるところがあるが、「見通す」の方がより高度である――「見渡す」は、「さまざまな対象sを見る」ということであり、「見通す(見透かす)」は、「対象sを見渡した上で、なんらかの知的判断をなす」ということである――。その「見通す」の追究の前に、いくらか遡って、まず・・・「必要な要素sをすべて見渡す」、について考えてみよう。「必要な要素sをすべて見渡す」、といっても、実際には、すべてではなく、それらの要素sの一部しか見ることはできない・・・しかも、何が「必要な要素s」なのか、初めの段階ではわかっていない、と言える。つまり、その、必要な要素sの「選びだし」も、現実には、なかなか大変である、ということである。・・・参考・・・ここらにおける、「知性」=「心器のもつ知性・理活能力」について言うと、それはいわゆる「洞察力」「勘」と呼ばれる、非物質的な事象実態をもつ能力が主体となっていそうである・・・参考から戻って・・・その「選びだしの原理」は、情報発受信物質で起こる共振だろう(それ以外には今のところ見あたらない・筆者の思考においては)(ディープラーニングの実態も参考になりそうである――まだ断定できないが、ディープラーニングの実態も共振の一種なのかもしれない? ・・・データ・サンプルデータに共振して重みづけをなす、とか――)。そこにおいて、情報物質Aと情報物質Bが共振したとする。その共振は、可能性として、ひとつの振動によってでも可能である。もちろん、複数の振動sを共有していれば、それらでの共振も起こる。で、情報物質は、起源情報スペクトル(複数の情報スペクトルを発受信する)をもつ。ここで仮に、情報物質Aが出発点にあるとしよう(ここでは「理活と発想・創造(理活⊃発想・創造)」の解明を目指している)。そこでは、どうやってその情報物質Aを初めに持ちだしたか・取りだしたか、という問いが立つ・・・・・・初めにいくつかの情報sに心器は着目している(出発点情報s)、としよう――それが普通だ。そこには問題認識(気づき。気づきは心内問題把握になる。・・・既述したとおり、本論では問題意識という表現は用いない)もあるだろう――。ここで、情報物質Aが発する、ひとつか複数の振動(s)に情報物質Bが共振したとしよう。(以下、情報物質を省略して単にAとBと記す)するとBが選択される(と考える)。そこで、Bに充分なエネルギーを与えると、Bの起源情報スペクトルを得ることができる(複雑な共振によってでてくる複雑な情報スペクトルを得る)。つまり、新しい情報(ひとつの単位情報)を得ることができた(できる)ことになる。Aのもつ振動sとBのもつ振動sのうち、ひとつか複数の振動(s)は共通であるが、それ以外の振動sは共通でない・共有していない。――そこで、その共振を、部分共振と呼ぼう――・・・注:起源情報スペクトル、またはいくらかの情報スペクトル要素sの一団を単位情報と呼ぼう・・・出発点情報s(最初に心器がもつ、いくらかの情報スペクトル要素sの一団s)は複数あるので、以上の「部分共振」の連鎖で、多くの単位情報sを得ることができる。そこで、フィルタリング(漉しわけ、漉しとり)をなす。そのフィルタリングの原理は・・・「共振で得られた単位情報sにおいて、なんらかの単振動(ひとつか複数)をもたない単位情報sを捨てる」、「共振で得られた単位情報sにおいて、なんらかの単振動(ひとつか複数)をもつ単位情報sを取り入れる」、という事象実態がまず考えられる(――今のところそれ以外は見あたらない――)・・・ただし、そこにおいて、捨てられた単位情報s――つまり、出発点情報sと共通な要素をほとんどまったくもたない単位情報s――の中には、新たな情報を創ることにおいて非常に有益な単位情報(s)が含まれているだろう。・・・それを見つけだすのは、試行錯誤か、心器のもつ洞察力だろう・・・(ここも研究対象になる)・・・。1・その「なんらかの振動(s)(出発点情報s)」はどうやって決める? それを決める情報はどこから来る? それを決めるポイントは何か? その原理は? ・・・・・・・・・参考:充分発達した「心器」は「知性」をもっている。その「知性」は、学習と経験から得られた・・・とまずは考えられる(――先験的ななにかもそこにはあるかもしれない。大自然が用意した「心器~知性の枠組み」という実態もある・・・これも研究対象である・・・ややこしい・・・――)。その「知性」が「理活」をなす。その「理活」の原理は、ある程度しか解明できない可能性が高い。特に、既に述べているように、「自由意思・意志」の原理は、ほとんど解明できないだろう――統計をとると、いくらか確率的な実態がわかる、という程度だろう(既述)・・・物理学においてもそういう領域がある・・・(既述)――・・・いや、まてよ・・・「発想」の原理を適用すれば、「ある程度」は「自由意思・意志」の原理も解明できるかもしれない――それでも「ある程度」である――。・・・それに、「自由意思・意志」と「発想」は似ている要素を共有してはいるが、異なるところが大きい。「理活⊃発想」「理活⊃自由意思」である。「自由意思」と「発想」との関係は、基本的に包含関係にはない、と思われる。そもそも、「発想」においては、「自由意思」の要素は非常に少ない・・・ただし、研究・新しいなにかの創造においては、自由意思は必須である・・・ややこしい・・・・・・・・・ここで、謎と設問を:2・単振動(ひとつか複数)に部分共振した情報物質にエネルギーを与え、全体共振にする仕組みは、どうなっている?・・・(加筆)さて、参考から戻って、離れた上述の設問:1・その「なんらかの振動(s)(出発点情報s)」はどうやって決める?それを決める情報はどこから来る?それを決めるポイントは何か?その原理は? に進もう・・・まず、それは、問題認識(心内で対象についての問題を把持すること・・本論においては、「意識」の定義がはっきりしているので、問題意識とは言わない・・・)からでてくる、と言える。――問題認識とは、いくつかの単振動の集合、か、情報スペクトル(と、その認識。ここもむずかしい。あとで「と、その認識」を加筆したが、なにか「もやもや」したところがある。情報スペクトルだけではなく心器の働きも加わっている)であり、新しく出てきた情報(単振動の集合、か情報スペクトル)に心器が共振する――問題認識は今の状態・状況をもたらした、情報からでてくる。今の状態・状況をもたらした情報をどうやって認識する? 共振によって認識する(ほかになにがある? )。・・・参考:心器は対象情報と共振できる・共振する・・・・・・重要事項:心器は、不必要な単位情報(s)を捨て、必要な単位情報(s)を残すか取り込む能力をもつ。それはフィルタリングでもある。それによって、フィルタリングをなす。・・・心器は・・・上述のふたつの項目s、「部分共振による情報増加」と「不必要な情報sをできるだけ捨て、できるだけ必要である情報s(だけ)を取りだす『フィルタリング』」を必要なだけ繰り返す。必要なだけ繰り返した結果、その段階で心器が「よし」とした情報s(単位情報など)だけが残る。それら情報sを心器が勘案斟酌しながら組み合わせて構成し(心器にはそういう能力がある)、目的の情報(この情報というのは集合名詞。複数だが記述上は単数)を得る。できあがったその目的の情報を心器が吟味し(心器にはそういう能力がある)、「よい」か「まだ不満足」かを判定し、「不満足」であれば、その情報を分解し、上述のプロセスを繰り返す。――そこでは、共振以外の手法で、なんらかの情報sを加えることもあるだろう。誰かにアドバイスを受けて、とか、あらたに発想が湧いてきて(これも研究対象である・ややこしい)、など。(――心器は発想能力をもつ――それをここでは追究しているわけである――)。その結果の情報を心器が吟味して、それが満足のいく情報であれば、「完成」または「一応の完成」となる(そこではいろんなフィードバックが起こる・・・これも研究対象である・ややこしい)。以上で、心器のなす「発想」についての概観を述べたことになる。――上述だけでは、筆者の心器は「まだまだ不満」状態であるが――これからも追究していこう――。(加筆)さてここで、心器における発想についての「具体的な理解」という展望を開くために次のような提示をなしてみよう・・・発明と小説のプロットの発想では、かなり様相が異なるだろう。で、発明においては、重要なポイントというものがある。もちろんそれだけでは、発明は完成しないのだが、新しい重要なポイントが発想できたら、あとは、既存の知見や技術のさまざまを用いて組み立てることになる。その組み立てにも発想が要る。小説のプロットにおいては、同じものか似たものだけが集まっても、新しい筋書きは生まれないのは明白である。そこではさまざまな多くの要素sが(自然に・当然ながら)必要となる。そこでは、さまざまなまったく異なる~異質の要素sも当然必要となる。そういった異質の要素sは、初めに述べた共振からでてくるものとそうでないものがあるだろう。(直近上述その「そうでないもの」とは、どういった機序で出てくるのだろう・・・これも研究対象である・・・)(加筆)さて、そういった「選びだし」も、その発想も、それらの結合も、「経験による、経験を経た」知性によっている――発達した心器はそういう能力をもつ――つまり永い歳月を経ると、有益な情報実態と存在が生まれてくる、ということなんだろう(――ただし、そういった経験を経なくて、ぱっとインスピレーションとして与えられる情報もある・・たぶん、多くのばあい、インスピレーションというのは、知性体がもたらすのだろう・・あるいは、その人物が永年苦労を積んできているなら、その人物の心器がそういう能力を発揮するのかもしれない・・それにしても、インスピレーションにおける有用な知見の出どころはどうなっているのだろう・・それについては、ほかのところで論じている――)。離れた上述の内容よりもさらに具体的にそれらを定式化できるものだろうか。・・・さて、繰り返しの要素もあるが・・・初めの問題認識(普通は問題意識と言うが――心器による問題把握と把持――)課題設定の機序求めるなにか、の情報形態(加筆)以下これは繰り返しの要素もあるが・・・選びだした要素sを組み合わせ結合する心器がその能力をもつわけだが、その原理は・・・(加筆)さて、ここで、上述を引き継ぐものの、別な観点・立場から・・・心脳科学(仮説)における、情報スペクトル要素と情報スペクトル、情報スペクトルのh(t)展開、に着目しよう。(これについても詳細に既述している)(加筆)さて、「ここまでの記述だけでは不満だ。それに構成も冴えない」と筆者の心器は主張し、あらたな展開をはかろうとして・・・次のような文言sを打ちだす(そう、筆者の心器が発想する)・・・(その中には過去に書いた部分もあるが)・・・さてそこで、ジグソーパズルを基に「発想」などについて考えてみよう・・・そこにはまず、全体としての絵――ひとつの絵(イラストや写真をもそう呼ぶ)――がある。それが、厚紙(プラスティック板や金属板などでもよいが)に描かれている(印刷がほとんどだろう。手書きだと超高級だ。手書きのジグソーパズル・・・受けるかも――)。それが、多くの小片(ピース)に切断されている。その切断は、恣意的になされるものがほとんどだろう。――たとえなんらかの規則のもとにそういった切断が行われていようが、その切断は絵柄(絵)における情報との本質的関係はない(そういう本質的関係のある切断方法はない・・ないこともないだろうが)。たとえ、絵柄において、ひとまとまりになっている部分絵(たとえば、ひとつのキャラクター)をそのまま丸ごと残して切断したとしても、そのことは同じである。そこには、絵柄の小片s(ピースs)の、絵柄sによる関係厚紙の切断曲線による関係ジグソーパズルの切断とそれにともなう絵柄の切断などがある・・・その切断は恣意的になされ(そうでないものもあるかもしれないが)上述しているように、そこに絵柄との本質的関係はないだろう関係があるような切断は、絵柄をもとにする・・そこにおける切断からでてくる厚紙の小片s(ピースs)の曲線は、関係がない~関係がある(絵柄と厚紙のピースの曲線について)、その程度はさまざまだろう。(加筆)さて、ここで、上述の内容を整理しながらさらに考えていこう・・・完成されたひとつの「絵(写真、イラスト、絵など)」があるとする。その絵を要素sに分解する。――そこでは・・・、まずは、1・ひとまとまりの像に分解する、または、2・くふうして分解する、あるいはさらには3・ランダムに分解する、そういったことなどが考えられる。(ジグソーパズルではランダムに分解されている――例外があるかもしれないが)まずはその1「ひとまとまりの像」に分解したピース(小片)において・・・そのひとつひとつ(ピース)と、情報スペクトル――単数――を考え、ピースひとつが、ひとつの情報スペクトルに対応する、とする(――単数、複数、の記述もかんたんでないケースがある)・・そこでの対応関係を考える。それぞれの対応――そのピースsすべてと情報スペクトルsについて言及している――があるとして・・・で、ここからは、心器と意識器での事象について述べることになるが・・・それら情報スペクトルsすべてを、心器が意識器に入れ、重ね合わせが起こる、あるいは、重ね合わせは起こらなくとも混在させる、と、最初の全体の絵(ジグソーパズルの)h(t)に「なる」か「ならない」か? 物理数学的原理からいって、ならない、だろう――それらピースsそれぞれに情報スペクトルsが対応していて、それら情報スペクトルsを、直近上述のように-そうやっても、最初の全体の絵には「ならない」だろう――。・・・そこにおいて、そう「なる」にはどうあればよいか? それは、「h(t)」で扱うしかないし、そう扱った中(上)でも、そうは「ならない」――物理数学的には――つまり、意味ある映像の断片を、重ね合わせるなり混在させるなりしても、最初の絵にはならない――。・・・という結論が一応でたので、今度は別な方面を追究しよう・・・(――ここらの文章をもっとすっきりさせたい――)(ややこしい・・・椰椰湖詩異・・・ここですべってころんで転調して・・・湖のほとりに椰子の樹が生えていて、それを見ながら詩をつくる・・・異なる詩がいくつもできる・・・空は青く澄み切っていて・・・と、まあ、これくらいふにゃけないとやっておれん・・・ふにゃけついでに・・・香具師の実ではなくて、椰子の実を、ココナッツというわけだが、ここにココナッツがココノッツあるナリス(実際は細かい砕片――たしか、ファインとか言う――なんだが――香りがいい――同じく、ココナッツミルクもあるが――)とかなんとかダジャレルのもいとおかし・・・つひでに・・・春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて・・・以上、なんやかんや脱線連想ゲーム的だが、これも、心器・心脳の発想の研究にもなっていて、いとおかし・・・)。(加筆)・・・参考:創造工学や発想法関連における内容で、つぎのような概念sがあるようだ・・・「方向性(方向感、方向観):なにかの発想や創造を目指していて、結論にまではまったく至っていない初めの段階にあって、追究者の心にある漠然とした手がかりのような心的内容で、羅針盤のような役をはたすなにか・・それがないと発想や創造において手もつけられない。ただし、分野によっては、方向性をまったく持たずに、大量のデータを眺めているうちに、方向性をいだくようになる、というやり方もある」(――以上、筆者の勝手な解釈と解説――)「切断:まとまった情報を、複数(いくつかの情報要素s)に分ける」(これも筆者の勝手な解釈と解説)「手:情報要素と別な情報要素が、自然につながりやくっつきを求めてくるところの、情報要素sにあるなんらかの要素s」(これも筆者の勝手な解釈と解説)たしかにそれら三者とも必須であって、それらがないと何もできないだろう。インスピレイションにおいても、それらは必要だろう(稀にそれらなしでインスピレイションが起こることはある)。――インスピレイションにおいては、上述「手」の必要性は小さそうだが――。(加筆)メモ・・・スペクトル同調スペクトル同調素子起源情報スペクトルを、PFM(パルス頻度変調)のパルスsに変換する素子・手法PFMのパルスsを、起源情報スペクトルに変換する(戻す)素子・手法(加筆)メモ・・・PFM(パルス頻度変調)同調PFM同調素子その原理は・・・共振か? ・・・共振だけではない? ・・・基本的に・・・共振とは、周波数(振動数)が同じであるから起こる(ごくわずかズレていても起こる? )・・・そこにおいて・・・、発信元が単一の周波数を発信するか、複数の周波数を発信するか・・・、それを受ける任意の対象が複数の周波数振動をもっているかどうか・・・、単一周波数のケースと、複数の周波数のケースとの間にある違いはなにか・・・周波数のズレという実態があるかどうか・・・そのズレがあったら新しいものがでてくるか・・・(――考えるべき内容がさらに広がった・・・むずかしい・・・むつかしい・・・むかつしい・・・むかむか・・・とばかりは言っていられない・・・さらに深く研究していこう・・・――)それに加えて、それ以外の原理があるか? パターン共振似たもの共振・・・近い周波数の素子sが不完全共振する、ということはありそうだ・・それ以外にあるか? (加筆)パターン同調パターン同調素子その原理は・・・共振か? 直近上述に同じ(加筆)次は音楽で考えてみよう・・・音楽の演奏音響を情報スペクトル化したもの(フーリエ変換的に)その中のスペクトル要素sと音楽のそれぞれの部分s(部分といってもいくつも考えられる。楽器のパートの一部、音色の一部、など)との対応は、解明できない音楽における情報スペクトルとh(t)展開(心脳科学・仮説用語を援用)(加筆)さて、次は、視覚からの映像情報の脳における情報処理について・・・――筆者は脳科学の最新の知見をすべて知っているわけではないので(勉強中であるが)、以下、そういった知見について、不正確なところやまちがっている個所などがあるはずである。・・・そういう状態ででも書くのは、次のような考えからである:「発想を得たら、書いておかないと忘れてしまう」「時代と世界が風雲急を告げているので、ネットが不通になったりするかもしれず、いつ書けなくなるかわからない。できるだけ早くウェブで公表した方がいいだろう」「そういった知見の知らないところを補う書き方ができるだろう。さらには、脳科学における未知の領域sについても、心脳科学・仮説をもとに推測ができるだろう」「将来、訂正すべきは訂正し、さらに構成加筆すればいい」「質の科学~質時間回帰則を、より多くの人たちに知っていただきたい」:・・・・・・(――脳における情報処理の原理は、基本的なところではまだわかっていない。脳における情報処理を情報工学的・人工知能的に利用するにあたって、経験的にある程度の、近似的なやり方、なんらかの模倣したやり方、などはなされているが――)。(――上にも述べたが・・・この小セクションには、筆者の勉強不足からでてくる、間違いがあるだろう。その上で、脳の機能などと心脳についての感想を述べると・・・「タンパク質などの情報物質が発受信する起源情報スペクトルが、主役・大役を担っているに違いない」ということになる。これは、本論で、ずっと言いつづけてきた仮説である――)さて・・・脳においては、映像情報の中にある複数の範疇sに属する情報要素s(属性、特徴)を、分解した形態でバラバラに扱う(音や感覚情報についても同じである)。で、脳には視覚情報を処理する野(部位)が複数ある(視覚野)。それぞれの部位は、映像情報にある、それらの範疇の中のどれかの範疇内の情報要素sを、それぞれ扱う。(・・・参考・・・目も耳も感覚器官も、アナログ情報をデジタル情報に変換する・・・脳においては分解されたデジタル情報を扱う・・・これらについてはどこかに詳述している・・・)・・・・・・以上、わかりにくい記述なので別な叙述をしてみよう・・・・・・目と脳は、映像情報を、それを構成する映像要素sに分解して扱う(脳は分解された情報を扱う)。その映像情報要素sは、それぞれが複数の範疇のどれかの範疇に属する。それぞれの範疇の映像情報要素sを扱う脳の部位sは、それぞれ特定の範疇として決まっている。・・・・・・・・・これもわかりにくいので別な表現をしてみよう・・・・・・目と脳は、映像情報を、それを構成する映像要素sに分解して扱う(脳は分解された情報を扱う)。脳はその分解されたバラバラな映像情報要素sを扱う。バラバラな映像情報要素sといえども、それぞれが、どれかの範疇s――属性・特徴の――に属する。範疇Aの情報要素sは、脳の部位A――視覚情報を扱う――で扱われる。以下、BだとB、CだとC、・・・といった具合に、である。――以上、わかりやすく記述すべく、言葉のクオリア・qualia研究をかねて記してみた――以上に関連して・・・脳における情報処理の研究はまだ途上にあり、そこにおける情報処理の原理はいまだ解明されていない。脳の視覚野については、ある程度研究がなされてきているが、そこにおける情報処理の原理もいまだ解明されていないと言える。(目についても同じだろう・・これについても詳述している)。そしてそれらについての現在までの研究による知見についての筆者の学習はまだまだ途上にある。そうではあるが、本論とそれ以降で述べているように、「心脳は情報スペクトル要素~起源情報スペクトル要素~情報スペクトルを扱っている」――「脳においては、心器とのやりとりには最終的に情報スペクトル要素~起源情報スペクトルを用いる」――という仮説は正しいだろう、と、最新の知見を学ぶほどに、筆者は認識を新たにする。(――この「起源情報スペクトル(タンパク質などの情報発受信物質sが発受信する情報スペクトル」についてはあとになって発想した――)・・・さてここで、眼での情報処理について:眼は、網膜が受けた視覚情報を、脳並みに複雑な情報処理をして、効率的に「情報量を減らし」、それを脳へと送り込んでいるようだ。その機構と情報処理の解説については、いくらか読んだことがあるが、これから充分に学びたい、といったところである(――たぶん絶対まだよくは解っていないのではないか――「たぶん絶対」とは、今まで脳科学に接してきたところから出てくる率直な感想と推測があって、そこからの率直な表現である――)。眼から脳へ送られる、その情報は電位パルス(活動電位)の集団となっている。つまり、電位パルスsが次々と眼から脳へと送られる(パルス頻度変調。PFM)。(――繰り返しになるが、その方面の現在までの知見について筆者の勉強は不足している――)・・・以上から考えられる推測を、いろいろ羅列していこう・・・眼にあるタンパク質などの情報発受信物質と、脳にある同じ情報物質を対応させる。そうすると、網膜が受けた視覚情報を大幅に減らした形態で、脳に送り込むことができる。そこの在り方を想像してみるに・・・網膜が受けた視覚情報を、ひとまとまりに適切に区切って、あるいは、それに加えて、視覚情報を組み合わせて、ひとまとまりでひとつの単位情報とする。そのひと単位の情報を、情報物質のどれかの起源情報スペクトルに対応させる。その情報物質をAと呼ぼう。すると、「網膜が受けた視覚情報を情報処理してひとまとまりに区切ったところの単位情報の情報量」>>「それを対応させた起源情報スペクトルの情報量」、ということになる。そういう在り方が可能である。以上をもっとも効率よく行う。(――眼が最初にできたとき、それを実現するその方法と遂行力がどこからきたか、という、本スレッドであちこち論じている、謎と設問がそこにはある。その謎と設問をも含んでいるとみなせる論述は既に何か所かに記している――)。ここでは、その眼にある情報発受信物質Aと同じ情報発受信物質Aが脳にある、という設定である。さてそこで、眼から、情報処理したその電位パルスの一団を脳に送り込んで、脳にある情報発受信物質Aを指定するか起動する在り方として、(加筆)1「一定小時間内におけるパルス頻度をもつ電位パルスの一団A」それと「情報発受信物質Aの起源情報スペクトルA」そこにおける相互変換の在り方――といっても一種の対応であるが・・・いや、それには複数の在り方があるだろう。そこには本質的に同じケースのばあいもある・・・つまり・・・――そこの対応の在り方には「便宜的」と「本質的」の2種類がある便宜的なケース:形式的に対応させて用いる(スパースコーディングに似ている)本質的なケース:対応させるのであるが、対応ではなく同じ情報になっている(スパース:少ない、まばらな、点在する。機械学習のためのニューラルネットにおいて、スパースコーディングが用いられる。それは、コード化する基本要素sをできるだけ減らして、できるだけ、資源を少なく効率的に用いる実用的手法である。それでいて精度も程よく達成される)。・・・それとは別に・・・その電位パルスの一団Aと⇔その情報スペクトルA――双方向に直接変換する在り方はあるかそういう、1「素子的ななにか」か、2「ニューラルネットワーク的な情報処理機構」、があるか(加筆)メモ・・・スペクトル同調スペクトル同調素子起源情報スペクトルを、PFMのパルスsに変換する素子・手法PFMのパルスsを、起源情報スペクトルに変換する(戻す)素子・手法(加筆)メモ・・・ニューロネットワークでのエンコード方式そのデコード方式(加筆)・・・つながりがわるいが、これをここに入れておこう(このセクションの最後尾あたりに入れたいのでアルスが忘れそうだし待つのもメンド草なので)・・・心器の好み~好き嫌い(それらも理活(心的内容情報論理活動)・心の働き、の中にある)はどこからでてくるか・・・さて、以下、これは、「脳」における実態であるが(現在までの知見)・・・「扁桃体」:好きor嫌い、快or不快、という感情的情動的判断の主体のようだ。大脳皮質などから扁桃体にやってくる「見聞情報、匂い・味覚情報、その他の感覚情報」などについて、好きか嫌いか判断する働きをもつ。海馬:新しい記憶が長期記憶として定着するまでの、一時記憶の機能をもつ。で、扁桃体は海馬のとなりにあり、そういった「好きor嫌い、快or不快」を判断した情報を海馬におくる。海馬はその「好きor嫌い、快or不快」の感情・情動情報とともに「見聞情報、匂い・味覚情報、その他の感覚情報」などについての一時記憶をたくわえる。感情・情動が大きく揺さぶられた情報は、強く記憶される(長期記憶として別な部位に送られ強く記憶される、といわれている)。そういった脳における扁桃体と海馬そのほかの特性が心器の理活の特性にも組み込まれるのだろう・・・心器というフィールドは、脳の扁桃体と海馬そのほかを包んでいるのだろう・・・そこらの機序も追究していこう・・・むかつしそうナリスが、本セクションの追究テーマの中にある・・・・・・参考・・・脳と心器の関係については、既に詳述している・・・(加筆)・・・さて、しばらくこのセクションから離れて・・・意識器と心器そのほかについて述べよう・・・それらについては、もう、昔からネット上に記してきているんだが、再確認のためにカンターンに記すと・・・意識器(自分という純粋意識をもつ)・・意識し味わう個人的意識のフィールド(場)・・それは他と区別され、自分という意識をもっている(これは、「医学的に意識がある」というばあいの「意識」に最も近いといえるが、それだけではない)(脳にはそういう能力-機能-場所はない)心器・・脳においては、キレギレバラバラな情報を脳のアチコチでしかもいくらか時間を異にして扱っている・・脳にはそれら情報を統御-統括する能力-機能-場所はない(脳全体にもないし部分にもない)・・それら脳における情報を統御-統括する場所が、心器というフィールド(場)である(詳細に既述しているように)物質の世界は、精神的な世界に比べて、荒く非精妙な領域にある(詳細に既述)・・物質の組織である脳は、同じくそういう実態にあるので、精神的な世界を構築できない(心の世界のデジタル情報をキレギレバラバラには扱えるが)・・既述している「タトエとしての水蒸気」の世界は、最も柔軟にして精密精妙な世界である・・そこに「意識」「心」などの世界がある・・「タトエとしての水蒸気が凍って(相転移して)できた世界が物質世界である・・(「タトエとしての水蒸気>>>水蒸気>水>氷、と記せばわかりやすいかもしれない・・このタトエでは、物質のほとんどは水や氷だといえる)・・・以上は、心脳における情報形態から、そういえるということナリス・・・ここで脱線して・・・この間、本シリーズの大本関連の一セクションにおいて書いていたら、「兎に角」という当て字表現がでてきたので、「兎に角・・新しくできた成句「兎も怒れば角を生やす」」と落としこんだんだが、それよりも、「兎も怒れば角と牙を生やす」の方がいいんじゃないか、と思い至ったのじゃらすた・・・――つひでに日本語のクオリア・qualia研究を・・・直前の「じゃらすた」について・・・まず、「~~であるわい→じゃらい(である→じゃ。るわい→らい。あわせて、「じゃらい」、という変化)」それに「です、ます」の略形の「す」をつけて丁寧にしたつもりにして「じゃらす(語呂をよくするために「い」は省く。「じゃらいす」、でもいいが)(「です、ます」の「す」を付すための語形変化はしない)」ということじゃらす・・さらにそれを過去形および完了形にして、「じゃらすた」なんじゃらす・・・・・・つひでに・・・「です」は「でありもうす」の略形であり、「ます」は「もうす」の変音&略形、じゃろうす――・・・つひでに・・・「じゃ(である)」は「だ」とか「や」とも変化する」・・・・・・・・・さて、話しを戻して・・・・・・以上からは少し離れるが・・・・・・情報発受信物質による発受信方式においては・・・その情報物質Aに充分なエネルギーを与えると、情報スペクトルAを発信するその情報スペクトルAを離れたところにある別な情報発受信物質A(別な、といっても同じものである・・たとえば、同じタンパク質。よって、Aを付している)が受信するこのやり方だと、混信をおこす可能性がある――かなり離れて神経線維でつながっているところにおいては(たとえば眼と脳)、情報発受信物質による発受信方式は、必ずしも必要ないだろう――(加筆)「一定小時間中におけるパルス頻度をもつ電位パルスの一団A」を眼でどうやって生成するかについて考えてみよう・・まず・・・情報発受信物質Aに充分なエネルギーを与えて発信させた(心的内容)起源情報スペクトルAを活用する、と考えてみようその起源情報スペクトルAを「一定小時間中におけるパルス頻度をもつ電位パルスの一団A」に変換する「素子的な何か」か「ニューラルネットワーク的な情報処理機構」があるか田舎ではなく否か(方式も含めて)(――難話休題で閑話に突入して・・・田舎ついでに・・・「田舎」ってのは、田んぼの周りに建物がある、という意味での当て字なんだろう、たぶん――それくらいしか思いつかない――。そういう当て字はけっこう多い。わけのわからん当て字にはハラが立つこともある。・・・当て字が多いと外国人の日本語学習熱は醒める・冷めることになるだろう。できるだけ当て字は減らしたいもんナリス。漢字の専門家は非常に非常に少ない。それら専門家の方々が漢字の専門家ではない人々にあまりの負担を強いるようなことを(後略)・・・人間、やるべきことは他にいくらでもあるのであるから・・・・・・で、つぎは当て字をからかって遊ぼう・・・その、「田舎」をフル音読みするとでんしゃ・電車になる。つまり、田舎には電車が走っているわけである・笑。となると、田舎は都会なんだ、ということになるではないか・笑・アホ論理。アホ論理と言ったが日本語の漢字の体系があまりに多量の記憶を強いてくるので――常識はずれだ――、そっちがよろしくないと思う(ここは穏やかに書いているが実際は・・・)。・・・それに当て字というのは結局そういうもんだ(上述の遊びのようなもんだ)――――それに記憶を増やすと思考力が落ちる――。・・・ついでに・・・都会がでてきたので・・・この先、都会は暮らしにくくなっていきそうである,Because the world is the wild warld.なんにせよすべては質時間回帰していく。・・・さて、本論のひとつ「質時間回帰」に戻ったところで、閑話休題――)・・・さて、かっこつけたカッコから確固として抜けでて・・・さらに今度は、「情報発受信物質Aの起源情報スペクトルA」を「一定小時間中におけるパルス頻度をもつ電位パルスの一団A」に変換する方式と「素子的ななにか」か「ニューラルネットワーク的な情報処理機構」について・・・つまり、そこにおける相互変換の方式と「素子的ななにか」か「ニューラルネットワーク的な情報処理機構」、にあるかどうか考察してみたい・・(加筆)・・・いくらか前とここらあたりは、今のところ構成が非常にむずかしいので、構成はそのうちにするということにして、考えられる内容を並べているところである・・・重複もあるが、なんというか、表現がむずかしくて重複に見えるところもある・・・(むずむずするくらいむずかしい・・むつかしい・・むかつしい・・むかむか・・)・・・(ややこしい)(加筆)上にたくさん書き込んだので、以下これは単なる迷子メモになってしまった・・・少し前に戻って・・・それが眼で行われると、2「ニューラルネットワーク的な情報処理機構」だろう、それが脳で行われると、(推測研究中)(ややこしい。むかつしい)(・・・ややこしい・椰野湖思惟・・・意味不明・・・「ややこしい」で言葉遊びをするのはむずかしい・・・これで二回目だが・一回目は「爺爺袴姿衣」だった・・・で、「椰野湖思惟」をムリにこじつけると・・・椰子の樹のある野原に湖があって、そのホトリで思惟にふけっても、ややこしくむずかしいものは、やはりややこしい・・・これくらい遊ぶと、ストレスも解消に向かう、と思うことにして・・・と、筆者の心脳の実態を暴露して、ここでの言葉遊びから離れよう・・・)(加筆)・・・参考:情報発受信物質Aに充分なエネルギーを与えると、起源情報スペクトルA(KJSA)を発する・・・(・・・付記・・・・・・1「体温における熱エネルギーによっての発信」と、2「充分なエネルギーを与えたばあいの発信」との間にでてくる差異について追究しよう・・ここは盲点だろう・・・たぶん、「1」においては、不完全な発信(起源情報スペクトルにはならない)で、「2」においてはじめて完全な起源情報スペクトルが発信されるだろう・・・)(加筆)・・・ここで気づくことがある・・・離れた上述における眼での情報処理は、一種のスパースコーディングになっているとみなせる・・・その「一種のスパースコーディング」において、「情報発受信物資の起源情報スペクトル」を活用しているかどうか、という問題、基本的にそれはなされそうだ・・・(心脳においては、それをなしているケースとなしていないケーがありうる)・・・参考:たとえば、スパースコーディングが、仮に脳においてなされているのであれば、それは、「起源情報スペクトル」を用いれば容易く実現できるだろう、と思われる(――さて、漢字の問題だが、なんで「たやすく」を「容易く」とするのか。「容」は「た」とは読めない。意味は同じだがそういうことをしてはならないと思う――人々を愚弄しすぎているような感じと漢字――「五月蝿い」なんかもおかしすぎる――人間には漢字や単語の学習以外に、やることが山ほどあるのだから、そういったところは簡略化した方がいいと思う・・・筆者は文章を書くことにおいて、漢字で遊ぶことがあるが、それは遊びであって、辞書などには載らないからそこに問題はない・・・)。仮にそうであっても、起源情報スペクトルは、それ以外にはるかに重要な情報――人間にかかわる「非物質的な情報と物質的な情報」のほとんど全てを担保しているだろう(詳細に既述)・・・(スパース:少ない、まばらな、点在する・・・機械学習のためのニューラルネットにおいて、スパースコーディングが用いられる。それは、コード化する基本要素sをできるだけ減らして、できるだけ、資源を少なく効率的に用いる実用的手法である。それでいて精度も程よく達成される)。・・・(加筆)ここからの「ニューラルネットワーク~ディープラーニング」についての記載は、その分野の勉強がまったく足りていないので、いくらか背伸び! をして書く。であるから間違いも多いことだろう。――で、そういう姿勢で進むと、勉強せざるを得なくなるし、さまざまな発想もより豊かになっていく――・・・さて、今度は、ニューラルネットワーク(多層パーセプトロン、または、多層パーセプトロン+α・つまり多層パーセプトロンにさまざまな工夫sをこらしたもの)と、それを用いたディープラーニングについて、考えてみよう・・・ニューラルネットワークは、脳の一部を模した概念実態・実体である。それは、ディープラーニングにおいて、効果を発揮する。それは、近年目覚しく発展している分野である。脳における実物のニューラルネットワークの各素子(ニューロン)は、入力も出力も電位パルス(活動電位)であり、その電位パルスの頻度(FM変調)が情報の構成要素のひとつとなる。脳においては、情報スペクトル要素sの発受信が行われているだろう、という仮説については、既に何回も述べている。(加筆)さて、上述しているように、ニューラルネットワークとディープラーニングについても、筆者の勉強はまだまだ足りない。このセクションに書くのに必要な程度すらそれを学んでいない。しかし、それは、ここのテーマ「発想と創造」の追究において参考になりそうなので、それについて今もっている知見と心脳科学(仮説)などをもとに推測しながら、その原理と具体を考えていこう。そういう方針で、ここでは、ニューラルネットワークとディープラーニングを参考にしながら「発想と創造」の追究をなしていこう・・・・・・以下、まちがいがあるだろうが、以上の姿勢で書いていこう・・・この先も勉強をつづけ加筆訂正していこう・・・ニューラルネットワークニューロンなどをモデル化したパーセプトロン(昔なされた)それらを脳を模して多層にするそれにさまざまな工夫を加えるいくつものやり方と方式があるそれをニューラルネット(ワーク)と呼ぶようだ入力#1層に並ぶニューラル素子s(と呼ぼう)そういった層が#1から#Xまである(出力ニューラル素子は、普通はひとつか? )それらの間の配線最終出力ニューラル素子(s)それらにおける重みづけ(脳のニューロンがそれをやっている・それを模した)各データの処理がそれぞれ一通り終わるたびに、重みづけが変化していく(=重みづけを変化させていく=それが学習~目的とする結論に至るだろうところの最も高い確率を探しだしていく? そしてデータを読み込むたびに、その確率を補正していく? ――確信はないが、今のところそういう理解をしている――これからも学んでいこう――)――そこでは、有効な関数やフィルタが用いられている――そこにもたせるフィードバックのようななにかそこにもたせるフィードフォワードのようななにか入力#1層への入力のための大量のデータの準備と、入力のためのそれらのデータの処理必要に応じてさまざまな関数sを用いるその他以上をプログラム化して、GPU(CPUでは効率が落ちる)をもつコンピュータで情報処理するしかし、そこにおいて、どういう学習結果がでるのか人間にはわからないし、そこを筋を追って具体的に理解しようとしても理解することはできない(――となると、本テーマの参考になるだろうか? ――困惑――; なんらかの参考にはなるだろう)(ただし、最近では、そこらをある程度理解できるようなプログラムがでてきているようだ)(下略)☆☆☆by西山浩一(C)(春楽天・世界人)研究者も西山浩一Copyright(C)All rights reserved.