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テーマ:タイ(3327)
カテゴリ:タイ旅行記
降り立ったのは、ノーンプラードゥック駅。
今回の旅の最初の目的地です。 正式名は、ノーンプラードゥック分岐点。 英語でも「NONG PLADUK JUNCTION」と書かれています。 ノーンプラードゥック駅、と言われてもピンと来ないかもしれませんね。 旧日本軍が建設した泰麺鉄道はご存知かと思います。 その始発駅が、ここなのです。 ノーンプラードゥック駅自体も日本軍が新たに設置した駅。 日本軍の手でこの駅に泰麺鉄道の0キロ・ポストが打ち込まれたのが 1942年7月5日ですので、その前に駅は開業していたんでしょうね。 泰麺鉄道の開通は翌43年10月25日でした。 戦後の1963年6月にはこの駅を起点とするスパンブリー線も運行を開始したので、 現在では、泰麺鉄道の一部を引き継いだ西線(ナムトック線)とスパンブリー線 2路線の起点駅になっています。 それを示す看板も駅ホームに立っていました。 さーて、線路北側に建つ駅舎を抜けて外に出てみると・・・ 見事になんにもなーい! 事前に知ってたとは言え、残念感満点なのは否めません ^_^;) 駅前には小さなよろず屋が一軒。 あとは民家が数軒立ち並ぶのみです。 少し歩いたところから駅舎を望むと、 中央から左に見えるクリーム色の建物が駅舎なんですが、 大木数本の緑に覆われて、知らなければここに駅があるなんて気付かないほど。 日本軍がいた当時はこちら側ではなく、線路の南側のやや西寄りに 日本軍の兵舎と捕虜収容施設が立ち並んでいたようです。 『泰麺鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年 に当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)が 掲載されています。 それとグーグルマップの航空写真を比較してみると、当時の日本軍施設は 跡かたも無く消え、現在では田んぼになっているのが分かります(矢印の一帯)。 施設の姿は完全に無くなっていますが、日本軍の残した物は ほんの僅かながら駅近くに残っているようで。 ノーンプラードゥック駅前に住む、当時日本軍施設で働いていたタイ人のインタビュー記事 (タイ語)によれば、日の丸の国旗が残っているみたいですね。 あと他のサイトで見たんですが、この方の家には他にも 日本語の書かれたコンクリート柱片も残っているようです。 この方の話によればノーンプラードゥックの日本軍施設は連合国軍機の爆撃に 何度も遭ったもののほとんど命中しなかったんだとか。 でも一度、待避線に停められた貨車を病院として使用していたところに 爆弾が命中して多くの看護婦が亡くなったそうです…。 私は日本軍の面影を残す物に触れることはできませんでしたが、 ここに来たということだけで、もう十分。 さて、何も無いところに長居するのもなんなので、先に進みましょう。 次に来る列車は、恐らく間もなく到着の西線ナムトック行きなのですが、 私は南線バーンポーン方面へ行きたいんですよね。 そうすると、次の列車は11:05。 ただ待って時間を潰すんなら歩いちゃえ(笑) 線路に並行して伸びる道をひたすら西へと歩くことに。 ゴールデン・シャワーの並木がなんとも綺麗! などと感動していたら、道はこの先未舗装に…。 このはるか先まで埃っぽい道が続く光景に、早々とウンザリしてしまいました。 強烈な日差しが刺さる首の後ろがヒリヒリしますし。 なんだこの木の折れ方は? 強い嵐でも来たんですかね。 殺伐とした風景に花を添えています -_-;) <交通費> 歩いただけなので:0バーツ ここまでの合計:43.5バーツ ※シリラート病院―トンブリー駅のソンテオ運賃は7バーツだと バンコクバスマニアさんから教えていただきました。ありがとうございました。 訂正した金額で合計交通費を計算し直してあります。 ※旅は2013年4月30日(火)に行いました。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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