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テーマ:タイ(3327)
カテゴリ:タイ旅行記
ナコンナーヨック中心市街地をすぐに抜けたソンテオは、
サラブリー県と結ぶ国道33号線スワンナソーン通りを北西に進んでいきます。 途中で左折して入ったのは、ナコンナーヨック・バスターミナルでした。 こんなところにあるんだー。 ターミナル内をぐるっと一周します。 このバスは、北西の町バーンナー(บ้านนา)行き。 その他にサラブリー行きのロッ・トゥーも停車しています。 利用客の姿がそこそこ目に入りましたが、寂れている感は否めませんね。 再びスワンナソーン通りに戻って直線道路を進んでいきます。 車がなんて少ないんだ! 立派な道路なのにもったいないですよー ^_^;) しばらく進んで、交差点で一時停止。右折して、 これまた立派なこの道に入り、山へと向けて北上し始めました。 実はこれも旧日本軍が作った道路なんです。 終戦でこの地に抑留された日本兵たちは、山や村に日本風の名を付けて呼んでいました。 この道は「千早街道」と呼ばれていたそうです。 「千早」が付く地名はちょっと調べてみると、福岡と大阪にあるんですね。 きっといずれかの地出身者で編成された部隊が命名したんでしょう。 緑に囲まれた気持ちのいい直線道路です。 右手は田園地帯。 ワット・プラーンマニーに慰霊碑を建てた第37師団は、こちら側を「大和村」、 道を挟んだ西側を「敷島村」と名付けて復員までこの辺りにいたそうです。 遠くに見える山々もきっと日本風の名で呼んでいたんでしょうね。 この頃には乗客は私一人に。 そうこうしているとゲートが近付いてきました。 プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校の校門です。 ソンテオは校門先の検問で一時停車。兵士がこちらにも一瞥します。 ギロッと睨まれるのかと思いきや、ニコニコと可愛い笑顔で見送ってくれるじゃないですか。 ということで、ソンテオに乗ったままで陸軍士官学校の敷地内へ~。 ここ、ものすごく広いんですよ。おおよそ南北3km×東西2kmもあります。 はい、ナコンナーヨックの市街地よりずっと広大な敷地だったりするんですね ^_^;) これはあくまで私の推測ですが、この陸軍士官学校の地も 元は旧日本軍が駐屯地用地として整備した場所なんじゃないでしょうか。 千早街道が真っ直ぐここまで伸びていることからきっとそうだと思います。 さて、まず最初に行きたい場所はこの道沿いにあるんですが、しばらくしてソンテオは右折。 やはりそう上手くはいきませんか。慌ててベルを押して下車します。 時刻は、13:26。 町から25分とは結構遠いですね。 元の「千早街道」に戻ります。 看板によると2km奥に寺院もあるようですが、 私はそこまで行かずに500m先の廟に行こうと思います! うっそうとした緑に囲まれて気持ちいいキャンパスですね。 私が到着する直前まで雨が降っていたようで、なんともラッキー。 おしめりがあったお陰で涼しくなり歩きやすい気温です ^^ <交通費> ソンテオ:18バーツ ここまでの合計:168バーツ ※旅は2013年8月16日(金)に行いました。 <参考> 『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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