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テーマ:タイ(3327)
カテゴリ:タイ旅行記
もう1年近く前になっちゃいましたが、
カンチャナブリーの市街へ旅をしてきました。 というのもタイ字新聞で興味深い記事を見かけたもので。 実施日は2016年5月27日(金)。 その頃は戦勝記念塔周辺のロッ・トゥー乗り場がまだ 強制移転されてなかったので、私はBTSで戦勝記念塔駅へ。 南側出口近くにあったロッ・トゥーのターミナルから カンチャナブリー行きに乗ります。 移転後の今だと南バスターミナル発なんでしょうね。 チケットは120バーツ也。 07:01に出発しました。 07:52にナコーンパトムの国道4号線沿いロータス手前の 乗り場にいったん停車してチケット確認がありました。 半券をもぎ取って返されます。 08:24にはバーンポーンで一人が下車。 08:54にもまた停車しました。 すると道路脇にいたバイクの女性が歩み寄って来て 助手席の窓からビニール袋に入った食事を運転手に手渡します。 「何?」 「ゲーンソム。50よ」 運転手さん、いつもこの女性にお任せで朝食を 作ってもらって買ってるんですね(笑) そして、 終点、カンチャナブリー・バスターミナルに到着しました。 時刻は09:16。 目の前には、 カラフルなローカルバスがずらーっと並んでいて壮観! カンチャナブリーのバスターミナルは活気があって いつ来てもワクワクしますね。 早速ターミナル正面から西へと歩きます。 カンチャナブリー市街地のメインストリート、 セーンチュートー通りに出ました。 向かいの正面にはカンチャナブリー地方警察署が。 そこをちょこっと右へと歩くと、 警察署の角から奥へと伸びる道が。 あそこだ。横断歩道を渡ってあの道を進みます。 すると、 カンチャナブリー県柱廟が道のど真ん中に鎮座しておりまする。 場所は、ここ(グーグルマップ)。 お参りしておきましょうか。 ここのラックムアン(県柱)は、ラグビーボール状の 面白いかたちをしてますね。 ネットで詳しい情報が見つからなかったんですが、 カンチャナブリーの町が現在地に移されたのが1787-1817年のようで、 その後ラマ3世の命で恒久的な町に整備されたのが1831年でした。 県柱廟が建てられたのも、その1831年。 元々のカンチャナブリーの町はアユタヤ時代からもっと北の方にあったんですが、 1767年のアユタヤ陥落数年前にビルマ軍によって破壊されて住民もあらかた ビルマへ強制連行されてしまっていたようで。 そんなことから、ラタナコーシン朝(チャックリー朝)になってから、 ビルマへの戦略的な面と、ラーチャブリーとの交易の利便性から よりメークローン川下流の現在の地でカンチャナブリーの町が造営されたのです。 県柱廟の先に、1831年に同時に造られたものが見えました。 カンチャナブリー城門! 場所は、ここ。 2006年に修復されたこともあって綺麗な姿で 残っていて嬉しいですね~。 前に座ってらっしゃるのはラマ3世です。 で、残っているのは城門だけじゃないんですよ。 城壁もしっかり残っています! 思わず狂喜乱舞してしまいました(城壁マニアなもんで 笑) どうもこっち側が城内のようですね。 で、 こちら側が城外。 大砲が5門、外のメークローン川を向いて並んでいます。 この右手の城壁沿いには、 タイ文字で「カンチャナブリー」とのオブジェ(?)が。 観光の記念撮影にいいですね ^^ さて、この城壁に沿った道沿いに古い商店街があるので、 歩いてみましょう! <旅費交通費> ロッ・トゥー:120バーツ ここまでの合計:120バーツ <参考> ศูนย์มานุษยวิทยาสิรินธร "จารึกหน้าศาลหลักเมืองกาญจนบุรี" baanjomyut.com "จังหวัดกาญจนบุรี" ※旅は2016年5月27日(金)に行いました。 つづく ※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ 『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。 そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。 旅の参考になれば幸いです。 ★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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