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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:介護医療関係
これは以前NHKでもドキュメントが放送されたアメリカの脳科学者、ジル・ボルト・テイラー博士自身の闘病記。
37才で先天性の脳血管奇形からの出血による脳卒中で、左脳にかなりの損傷をうけたものの、数学者である母親とのリハビリにより自立した生活に戻るまでの記録です。 既にテレビで、一見すっかり回復したようなジル博士と、彼女の手術直後の写真も見ていたものの、本書にはその過程、特に脳卒中が起こっているときの自身の状態の客観的・主観的観察、その状態で試みたこと、そして母親とのリハビリについて非常に詳しく書かれており、脳卒中患者家族で、自分も当事者となるかもしれない私にはきわめて貴重な情報を提供してくれます。 彼女はその朝、明らかに普通ではない脳の痛みを感じ、身体機能が切り離されるような異常を感じながらも、出勤準備の運動やシャワーを浴びようとします。その後、麻痺した左脳の影響下と思われる恍惚感と闘いつつ、助けを呼ぼうとしますが、既に文字が読めない状態になっており、ようやく電話がつながっても、言葉を発することはできなくなっていました。 やっと同僚に助けられ、総合病院のICUで脳卒中の診断を受けた彼女は、驚いたことに5日後には一時退院し、約2週間後の手術のための体力回復のために自宅で母親と過ごしました。アメリカの医療制度では入院は最低限といいますが、危篤を脱したばかりで大手術を待つ患者の退院もあるのです。 しかしジル博士にとっては、病院でのリハビリよりも適切なリハビリがここで開始されたということです。脳が非常に疲れやすいため、当初は6時間寝て、20分だけ目を覚ますといったところから始め、睡眠周期を尊重しながら、その合間に起きて、手や身体を動かしたり、頭の中のファイルへのアクセスルートを新たに構築する努力を続けたといいます。 あくまでも彼女自身の脳の疲労度に合わせ、無駄なエネルギーを使わないよう、始めはテレビも電話も制限したそうです。それは人の話を理解するのに唇を読む視覚的手がかりに依存していたからだといいますが、まずは脳を癒し、そしてできるだけ早く神経系を刺激する、という戦略だったようです。それによって脳の可塑性を最大限引き出すようにしたということのようです。 こうして文字や計算をはじめ生活機能を一から学習しなおし、会話もYes/Noで応えられるものではなく、脳内検索を行なうような選択肢のある質問で脳トレをするように行なわれました。睡眠は海馬の情報を整理するために、ここでも重要だったといいます。 彼女は6ヵ月後には飛行機に乗って同窓会に出席し、その1ヵ月後には当時理事をしていた全米精神疾患同盟総会で5分間のスピーチを、周到な準備の末成功させています。 37才という若さと、もともとの脳の優秀さ、そしてはっきりとは分かりませんが、恐らく私の母のトマ女さんよりは脳の損傷部分も小さかったものと思われますが、決して軽くはない脳卒中からの脳科学者自身による極めて貴重な回復の記録であることに違いはありません。 奇跡の脳 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.04.05 18:00:46
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