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テーマ:介護・看護・喪失(5317)
カテゴリ:家族として
ブロガー失格の私は、トマ女さんが亡くなって1ヶ月以上たった今、やっとご報告する気持ちを整えているところです。
いろいろな情報や元気を頂いた先輩ブロガーの方々は、大切な方の旅立ちを、遅れることなくきちんとご報告されていましたが、私にとっては、介護生活が思いのほか早く途絶えてしまったことが受入れ難く、心やいろんなことの整理なしには、こうして文章に綴る勇気が持てなかったのが正直なところ。 トマ女さんがくも膜下出血で突然倒れた5年半前、その時にも随分悲しかったけれども、リハビリに支えられ、何とか前を向いて頑張ってきた。一度本当に悲しんだから、その後はトマ女さんからの贈り物の時間だと思って、後悔しないように過ごそうと努めてきたのだけれど、トマ女さんは結局、肺炎を短期間に繰り返し、長い長い呼吸が苦しい時間を経て、力尽きてしまったとでも言ったらいいのだろうか。 穏やかな、安らかな最期を迎えさせてあげるという、目指していたことができなかったことが、どうしても後悔として残ってしまった。 患者を亡くした家族が、病院に何らかの不満感を持つことは少なくないとも言われるが、穏やかに死を迎えさせてあげることが、こんなにも難しいことだったとは…。病院という機構の難しさは、ある程度分かっていたつもりだったが、私はなんと無力だったことか…。 そしてここ数年、トマ女さんと一緒に過ごした時間が多かったため、このぽっかりと空いてしまった時間と空間はあまりに大きい。ある程度心の準備はしていたはずだというのに、想像以上の喪失感をどうすればいいのか…? これまで時間が取れなかったのも、きちんとアップできなかった理由なので、もう少し頑張って介護のこと、看取りのこと、時々考えていけたらと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.06.16 02:11:25
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