097090 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ヴェーダがわかりたい INDIA A to Z

ヴェーダがわかりたい INDIA A to Z

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

laxmi_

laxmi_

Calendar

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

2007.10.11
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
      チベット風のご挨拶♪



こんな例え話を聞いたんです。

『砂浜に何千と打ち上げられているヒトデを、海に返してあげようとする老人がいました。
それを見た少年が、「そんなを事しても砂浜に打ち上げられた全部のヒトデを海に返すことは無理だし、海に帰したヒトデも結局は打ち上げられるかもしれないから、おじいさんのやっている事は無意味でしょう?」と言ったところ、
老人は、「確かにそうかもしれないが、私がこうやって拾い上げて海に返してあげているヒトデにとっては、意味のある事だよ。」と言いました。』

どこにフォーカスするかで、見えて来る世界が全く違ってしまう事ってよくありますよね。
もしかしたら起きている事は全て完全に中立で、そこにはどんな意味付けも可能なのかもしれません。
幸せの青い鳥のお話にもあるように、幸せ(満ち足りた感覚)とはなるものではなくて気づくもの。
そんな気づきのコペルニクス的な展開(天動説→地動説、目からウロコとも言います)は、きっとどの瞬間にも存在しているのでしょうね。

たまには短く、読んで下さってどうもありがとうございます♪





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.10.11 10:18:40
コメント(32) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X