エルナークラム / Ernakulam
コチのシナゴーグ急速に近代的な大都市に変貌しつつあるエルナークラムは南インドのケララ州のコチ(旧コーチン)の玄関口、有名なバックウォーター(水路)もここから南下して行きます。Hot, hotter, hottest. という気候の表現しかないと言われる南インドのケララのモンスーンは、まるでバケツをひっくり返したような凄まじい雨と止んだ後の強烈な太陽熱で地球温暖化現象のはるか以前からスーパー温室効果。日本では梅雨と表現されるモンスーンはご存知の通り雨季の事、その語源はアラビア語のモウスィムで季節という意味なのだそうですよ。大陸は暖まりやすく冷えやすく、海洋は暖まりにくく冷えにくい。そのため夏季には大陸上の空気の方が暖かくなり上昇気流を生じてそれを補うために海洋から大陸へ季節風が吹き、逆に冬季には海洋の方が暖かくなるので大陸から海洋へ季節風が吹きます。モンスーンの季節風が海側から吹くと湿った空気が内陸にもたらされて強い雨期になり、逆に大陸側から吹き込むと乾燥した空気がもたらされるために乾期になります。この働きでモンスーンは乾季と雨季のある気候を形成し、全体としては湿潤な気候をもたらすためにその影響下の地域は稲作の好適地となるのです。インドから紅海沿岸にかけての地域では、古代からモンスーンの季節風を利用した海上貿易が行われていました。古代ローマの時代になるとそれが【ヒッパルコスの風】としてローマ帝国でも知られるようになり、【海のシルクロード】の発展にも寄与しました。(海のシルクロードつながりで良かったらこちらもどうぞ~。)夏季にアラビア沿岸からこのヒッパルコスの風に乗って帆船で出帆すれば誰でもあっという間にインド西海岸に到着、冬季には逆風の追い風を受けて難なく帰還も出来るという何とも楽ちんで便利な航海航路。http://plaza.rakuten.co.jp/laxmi1320/diary/200708130000/古代からの貿易港の1つに南西インドのケララ州に位置するマラバール海岸、通称ペッパー・コースト(胡椒海岸)があります。アフリカ西海岸のアイボリー・コースト(象牙海岸)のように、多種多様なスパイスの原産地でもあるケララの胡椒がマラバールの港から出荷されたのでこの名前がつきました。その昔ケララ・ペッパーと言えば肉の長期保存を可能にしその味覚向上にも貢献、ヨーロッパ人の食生活を豊かに変貌させた金銀のように珍重される宝物だったのです。コロンブス出帆の目的も実はインドの胡椒、最初に辿り着いた大西洋の島々をインドと勘違いしたのでそこは西インド諸島という名前で世界中に知られるようになりました。マラバール海岸の主要都市にコチがあり、この町は大まかにはアラビア海に突き出た半島部分に位置するフオート・コーチンとマッタンチェリー、空港や観光局のある人工の島のウィリンドン島、内陸の都市機能を司っているエルナークラムの4つの地域に分類されます。コチは暑くて埃っぽいインドの乾燥地帯からの旅人達を、エキゾティックな歴史的風土と強い湿気を含んだ海風が優しく癒してくれる港町。外洋に面した半島部分には聖フランシス教会(ポルトガル人によって建てられた教会、コチで永眠したヴァスコ・ダ・ガマの遺体も埋葬されていたが後にポルトガルに持ち帰られたので今はその墓石を残すのみ)、ダッチ・パレス(元々はポルトガル人がコーチン王のために建てた宮殿、後にこの地を支配していたオランダ人が総督の館として使用した)、チャイニーズ・フィッシング・ネット(ユニークな形体と構造の漁の仕掛け網)などなど。ヴァスコ・ダ・ガマが交易所を設けた事によってコチはインドで最初のヨーロッパのセットゥルメントになり、ポルトガル→オランダ→イギリスと支配者が変わっても絶えずその影響を受け続けました。ユニークなのはポルトガルでの迫害を逃れてやって来たユダヤ人達が建てたシナゴーグ(ユダヤ教会)、彼らの多くはイスラエルの建国と同時にパレスチナへ帰還したそうですが未だに数家族がその周辺に居住しているのです。このジュ-・タウンと呼ばれる一角は今も南インドの香辛料貿易を一手に担っている地帯、辺り一帯にはいつもスパイスの香りが立ち込めています。地元の生活に溶け込んでいる色白のユダヤ人達、ブルーの絵柄の中国製タイルが一面に貼られた床、たくさん吊り下げられているベルギー製シャンデリア、渋くも美しいシナゴーグの内部は遠い昔の歴史を感じさせてくれる貴重な生きた遺産です。この付近は有名な骨董街なのでボルネオ沖の海底から発見されたベトナム製陶器な~んていう海のシルクロード感覚満載の掘り出し物の宝庫、そんな玉石混交の小さなアンティーク・ショップが立ち並ぶちょっとエキサイティングな場所。昔も今も地球中は国境のない海洋でつながっている、古代からの筋金入りの港町は懐が深くで受容性も高い、そういった住民達の感性が旅人気分を居心地良く快適に包んでくれるのです。インドにおいては珍しくキリスト教が盛んなケララ州は、良い意味でのヒンドゥー教のカースト制度から自由な風土。以前から数字的には最も貧しい場所の1つだったわりには農業の必要もなく常時供給可能な(つまりどこにでも勝手に鈴なりに生っていて食べ放題の)ココナッツやバナナのおかげで飢える心配が全くないせいなのか学校教育がくまなく浸透、生き生きとリラックスした妙に人懐っこい人々が印象的なのどかな場所でした。そしていつの間やらインドでは唯一の識字率100%の州、先進国並みの医療設備が整い幼児死亡率はインドで最も低く平均寿命は最も高い、インドで最も生活水準が高くて進んでいる社会に発展を遂げていたのです。穏やかで素朴なケララはインドで1番美しくて清潔な州という事が最近では諸外国人にも発覚、それに加えてスパイスやハーブの宝庫でもあるジャングル地帯の植物から生まれたアーユル・ヴェーダのメッカと来ているのです。長~い歴史の中で裏付けられた深~い自然医療に対する意識や知識には当然多くのツーリストが殺到、でも先祖代々地元民のお墨付きのベスト・プレイスだけは何故か昔のまんま~。今でもケララの各地では制服を着て学校に通う子供達の目はキラキラ、利発で元気いっぱいなその微笑ましい姿を見ているとこちらまで楽しい気分になって来ます。子供達を大切にしている土地柄って健全で暖かい、それって愛や心の豊かさの基本形ですよね。驚いた事にはケララのキリスト教は日本のように16Cの大航海時代以後に、聖フランシスコ・ザビエルなどのカトリックのイエズス会の宣教師によってもたらされたヨーロッパ経由の新しいクリスチャ二ティーではないのでした。イエス・キリストの直弟子の使徒トマス様(聖トーマス)、インドではサン・トメとか又は単にトメとも呼ばれていますが、イタリアのミラノのサンタ・マリア・デレ・グラッツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ作の【最後の晩餐】のイエス様の向かって右横にもバッチリと描かれている12使徒の1人がお伝えになった由緒正しい本家本元のイエス様の教えがルーツ。コチからバックウォーターを約50km南下したコッタヤムの近くには、やはり古拙漂う美しい中東のシリア風教会なんていうのもあるのですよ。チェンナイ(旧マドラス)で亡くなった使徒トマス様の墓所の上にはサン・トメ聖堂が建てられ、教会内の小さな博物館には彼の手の骨のかけらや彼を射抜いたという鏃などが展示されています。ちなみに日本からインドに戻った聖フランシスコ・ザビエルも再び中国を目指す途上で他界、死後何年も腐敗する事がなかったと言われるその遺体はマラバールよりも北部に位置するインド南西海岸のゴアのボン・ジェスー教会に安置された銀の棺の中に埋葬されています。あまり知られてはいませんがイタリアのローマにあるジェスー教会の奥の間にはひっそりと、その後ヨーロッパに帰還した聖フランシスコ・ザビエルの片腕だけがクールなデコレーションを施されてと飾られています。何故かイタリア人は偉大な聖職者の遺体をカッコ良く装飾して陳列してしまうのが大好き、そして遺体がパーツしか残っていない場合にはそのクリエイティヴィティ-にはさらに拍車がかかるみたいなのです。ちょっと不謹慎なのですが芸術的でスタイリッシュで妙に陽気なこの手の展示を数限りなく見続けていると、ホラーな恐怖感を通り越して何となく笑えて来てしまうから不思議ですよね。