どんなに「思って」いても
今日は中1の「努力集計」。そしてクラス分け。「君たちは、今度から○○します、とか、努力します、とか・・・・そういうことを言うけど、実行が伴わなければ、それは、思っていないことと同じなんだ。」まあ、簡単な「認識論」なのですが(笑)。この学年は、例年より優秀なので、ちょっとサボれば、すぐに変動する。そのとき、どうするかだ。「誰か他の人のせいや塾のせいや学校のせいにしているようでは、進歩は無い。自己反省を厳しくすることができるかどうかが本当の勇気があるかどうかということだ。」「努力集計」は、2~3ヶ月に一度の「説教日」かもしれない(笑)。ということで、今日10月6日(月)の授業は、【中1努力集計⇒中2英語⇒中3社会】。「正当に選挙され」ない国会議員によって、世襲の総理がまた誕生している。行く末も見える(笑)。地位に恋々とすることは、結局「自分の利益」しか考えないということであり、「正義」の視点が欠落している。(「正義」は「曖昧言語」だけれど)もっとも、昔から言われるように、「正義感」の欠けた政治家を選んだのは、そうした国民に他ならない。たかが子どもの学習と言えど、その学習方法が「正義」かどうかは峻別されなければならない。勿論、「指導する」(カッコつきですよ~)側にもそれは言える。「テストにあるからじゃないんだ、世の中で生きていくつもりなら、公民の学習は真剣にやりなさい!」中2ではAクラス問題集の宿題確認。「質問はないの?」と聞くと、T君から、「 With a little practice, you will be able to learn how to use it. 」の文の質問が出た。完全に中2の範囲は越えているので、テキストを参照しながら説明。「もうそれだけなの?それじゃ聞くよ。」と言って、例えば、「 I'm going to stop her eating them. 」を、「はい、E君、訳してごらん。」それでも何となく訳せる。この問題集は面白い。(笑)3号館の金木犀が香り始めた。しみじみと秋を感じる・・・。「忙しい」と書かないようにしようと(密かに)決意してから、もう随分時間がたつ。(意識しないうちに書いたかも?)数少ない読者が「忙しい」という言葉から何を連想するだろう?少なくとも、心地よいものではないだろう(苦笑)。言葉には敏感でありたいと思う。