てら姉さんのブログで、「頓服(とんぷく)」のことが書かれていて、懐かしいなと思ったら、自分も昔からある日本独自の和漢方・お百草を飲んでいるのだからおもしろい。この百草丸、僕が生まれる前から我が家の常備薬となっていたが、昔は御嶽山へ行かなければ手に入らなかったのだろうか。意外と百草丸を知らない人が多い。高校の修学旅行で九州へ行った時も、腹の調子が悪いという友達に、持っていた百草丸をあげたが存在を知らなかった。小さい丸薬というか粒なので、他の薬とちょっと違うイメージがあり、表面が苦いというのも個性的。頓服のほうは、昔は富山の薬売りが家に来ていたので、木でできた薬箱に常備薬として必ず入っていた。薬売りは毎月来ていたと思っていたが、母に訊いたら年に1度だったらしい。子供の頃は、薬屋さんに紙風船をもらって喜んだ記憶がある。てら姉さんのブログでそんなコメントを書いたら、他の方が農家の人たちが薬売りの行商をしていたと書いていた。なるほど、そうだったのかと一つ勉強になった。
昔は薬屋さんだけではなく、大きな籠を背中に背負った花屋さんも家に来た。今でもそのおばさんの顔は覚えていて、当時の横須賀では珍しいほど頬が赤くて田舎の人という雰囲気だった。その花屋のおばさんには僕よりも少し年下のお子さんがいたようで、うちの母が機械で編んだが、僕が成長したので小さくなって着れなくなったセーターをプレゼントしていたのも覚えている。昔はこういった行商の人との交流が多かった。行商の人も出されたお茶と菓子で一休みして、世間話などしていたものだった。そういえばサザエさんに登場するサブちゃんのような御用聞きも来ていたしね。醤油などは、店の人が家に来て、空きビンに移しかえていた。今思うと、昔は老人の方でも生活しやすいような手助けシステムが善意で行われていたようだ。こういった日本人ぽいシステムも、大阪万博が終わった頃から失われていったのかもしれない。
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