カテゴリ:●読書
「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 下巻」を朝まで徹夜して読んだのでクリスマスまでには読み終わることができた。久々に「本を読んだ」という充実感があり、大変だったけれど読んで良かったと満足感に満たされた。第十部は、国民から人気があり「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という名セリフを残すまでのマッカーサーとトルーマンの、そしてジャーナりストたちの真実への戦いも描かれている。第十一部は、現在の北朝鮮と韓国の国境・38度線に位置する二五五高地攻防の1953年春のポークチョップ・ヒルの戦いの記述を最後に休戦へと進む。また、朝鮮戦争休戦後から今日までのロシア、中国、北朝鮮、韓国のことも書かれていて、この戦争も世界にとって大きな分岐点だったことを改めて知ったのでした。 日本でも、朝鮮戦争時は国連軍が戦場で使う弾薬、武器などを製造し朝鮮特需で戦後の経済復興の助けとなったことは歴史の授業で習ったはず。というか、学校で第二次世界大戦から教えなかったとしても教科書には書いてあるはずの史実だ。それによりアメリカ軍は物量作戦ができたし、ポークチョップ・ヒルの戦いでは、初日の砲撃で3万7655発、二日目は7万7349発の砲弾を撃ち、軍事史に残る砲撃最高記録を樹立したのだろう。また、日本では朝鮮特需だけではなく、朝鮮戦争での犠牲者(戦死者)もでている。危険な機雷処理任務などを行う海上保安庁の特別掃海隊が派遣され国連軍に貢献している。このことは、歴史や軍事マニア以外は日本人はあまり知らない。 最後に、中国共産党嫌いの僕でも好きな人物・彭徳懐(ほうとくかい)のことを書いて終わりとしたい。僕がこのブログで今まで中国批判を書く時に、「中国共産党」と党名で書いているのを気がついた人もいるかもしれない。なぜ中国と乱暴にひとまとめにして書かないかの理由は、好きな中国人もいるからという簡単な理由。彭徳懐のことは、6・4天安門事件の頃に知り合った上海人の王さんから教えてもらった。天安門事件の時に、自国の仲間が殺されているのに日本に留学している自分が情けないと悩んでいた王さんを励まそうと鎌倉観光案内したことがあった。その夕方、飲み屋で涙しながら中国政府を批判し、胡耀邦の支持を訴える王さんが、その時に彭徳懐の話しもしてくれたのだった。この「ザ・コールデスト・ウインター」の第十一部にも、この貧しい農家出身の彭徳懐の休戦後の悲しい最後が書かれている。毛沢東が掲げた農業の増産を実現させる大躍進運動時に、彼は農民たちの苦情を真剣に考え、毛沢東に意義を申し立てることで軟禁されてしまう。さらに紅衛兵の130回もの拷問・尋問により死亡してしまう。本文の文章のまま書くと、紅衛兵に殴られ、肋骨と両肺を砕かれ、しばしば気を失ったが、彼は屈しなかった。「わたしはなにも恐れない。わたしを撃てばよい。君たちも先は長くはない。尋問すればするほど、わたしはますます不屈になる」。かれは尋問する相手に向かって叫んだものだった。 下巻目次(続き) 第十部 マッカーサー対トルーマン 第48章 マッカーサーは前面戦争へ突き進む 第49章 解任 第50章 議会公聴会での対決 第十一部 結末 第51章 歴史が評価を決める 第52章 戦争の終結 第53章 遥かなり朝鮮半島 (地図25:1953年7月27日 休戦後の朝鮮半島) エピローグ なされなくてはならなかった仕事 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 25, 2010 10:30:31 AM
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