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昨日のM8.8の三陸沖の地震が起きた時は、車で帰宅途中で信号待ちをしている時に激しい揺れが始まった。車に乗っていたので道路が波打っているののかと思うほど激しい縦揺れが続いた。商店街の人々も慌てた様子で店から出てきて、空を見上げている姿が印象的だった。たぶん、電線や電柱、または駅近くのホテルの揺れを見ていたのだと思う。揺れている間は車を停めていたが、揺れが収まると急いで帰宅した。駐車場に車を停めると、道には近所の人たちが子供を連れて外へ避難していて、激しい揺れだったことが確認できた。家へ入ると、一人で留守番していた父も地震に驚いたらしく興奮気味。すぐに火元のキッチンと風呂をチェックした。しばらくすると再び揺れが来て、家もミシミシと音を立てている。後でこれが茨城沖の地震だということがわかる。揺れが収まったので2階の部屋へ行くと、データを保存したMOが棚から落ちて床に散らばり、高く積んだ本のタワーも崩れてしまっていた。
帰宅してからはテレビで地震情報を見ていると、母が人工透析に行っている病院から連絡が来た。病院は人工透析を中断させ患者を帰宅させることにしたようだ。電話の内容は、介護業者やタクシー会社に電話が通じないので、車で迎えに来て欲しいということだった。急いで車で向かうと道路は渋滞。歩道からはまだショックのためか、元々危険を察しない性格なのかフラフラと車道を歩く者もいて危ない状態。海岸近くの病院へ着くと、ロビーにいた看護師さんが長椅子に座っていた母を支えながら連れてきてくれた。人工透析は地震のため、2時間しかできなかったらしく、残り2時間は日曜日の朝ということになった。ロビーのベンチには、車椅子の患者たちも座っていて、送迎業者やタクシーに連絡がつくまで待たなければならないということだった。送迎業者は、こういう時こそフル稼働しなくてどうするんだという怒りを感じる。夕方6時頃に、停電にはなっていないがテレビ放送が突然切れた。8時半頃には回復したが、インターネットも繋がらず、情報がまったくわからない状態になった。ネットで調べると、久里浜方面は停電になっていたらしく、僕が住んでいる周辺ではやはりテレビが繋がらなかったようだ。 昨年ブログで吉村昭さんの「三陸海岸大津波」を読んだことを書いた。この文庫本は明治29年、昭和8年、昭和35年の大津波、そしてチリ地震津波の恐ろしさを現地取材をし書かれた文庫本。文庫化する前は「海の壁」という題名だったらしい。実はこの本、自分的には2010年に読んだ本のベスト3に選んでいて、年賀状にもそれを発表したほど。自分にとっては、今回の大地震はとうとう来てしまったかという第一印象だった。本のすごいところは、そのそういった過去の歴史を身近に感じることができる事。またその舞台となる大自然が造りだした地形は時間が経ってもあまり変わらないという事。過去に被害を受けた地形は今も変わらぬまま存在しているという事を忘れがちになる。昨年、この本を読んでいたので、今回続けて起きた地震と被害のニュース、映像を驚きよりも、好きな作家である吉村さんの警告を思い出し、冷静に見てしまう自分がいることに気がついた。また、テレビで報道される津波の映像を見て、波にのまれてしまった多くの方たちの姿も予想することもできた。だが、何よりもやりきれない気分になった。過去の災害の歴史と地形を知っていれば危険な場所だとわかっていても、そこに住む人たちにとっては愛着のある土地から離れられないがわかる。ところがそういった人間の気持ちなど関係なく自然の猛威は襲いかかる。それはあたりまえのことだが、感情のあるヒトとしてはそれがやりきれない気持ちにさせるのだ。吉村さんの著書「関東大震災」も細かい取材で、過去の歴史的な災害を知らせてくれるお奨めの文庫本。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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