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昨年の夏に自分が1カ月入院した時から、母の透析のため病院へ送迎するのは業者に頼んでいる。そちらは解決しているのだが、母の透析日のスケジュールも地震や停電の為、日にちがズレてしまっている。またこういう時に限って、母の腕の血管が詰まってしまうという事になってしまい、木曜日17日にカテーテルで血管を膨らましに病院へ連れて行った。朝8時ちょっと過ぎに家を出ると県道26号線にはガソリン給油待ちの車がズラリと路肩に並んでいた。ところがよく見ると運転手が乗っていなくて、路上駐車させて順番を確保しているようだった。その時、とうとう車の給油ランプが点いてしまったのだった。自分が乗っているスイフトは、燃料計の針が三分の一くらいになると「あれ?」と驚くほど急激に下がるという癖がある。だから今も、その癖のおかげで急に給油ランプが点き始めて、ひやひやものである。ところが以前、慌ててガソリンを入れると意外と残っているので「脅かすなよ^^;」とホッとした事がけっこうある。でも、それはガソリンスタンドが開いていた時の話しで、今は本当にひやひやである。
共済会病院でも節電を行っていて無駄な照明は消されている。母が治療中は、テレビの置いてある談話室で持参した本『恐竜はなぜ鳥に進化したか』という今までになかった新化仮説の本を読んでいたが、そのうちウトウトと眠ってしまったようだ。どうも自分は病院に来ると、安心して眠たくなってしまう性格らしい。看護師に名前を呼ばれて、母の治療が終わったことを知ったほど。11時頃に病院を出て、再び給油行列が並ぶ県道26号線を通ると、あいかわらずの大行列。自分のように注油ランプが点き始めた者と違い、なかにはガソリンが半分以上入っている者も並んでいるのだろうか思うと、なんかやりきれない気分になってくる。今は、いざという時のために残り少ないガソリンを残して、愛車は駐車場でじっとしている。 自分の家は横須賀の中心地なので、計画停電はされないようだ。それはそうだろう。中心地は交通量も多いし、市役所・警察署・大病院、さらに自衛隊と米軍基地まであるのだから大変な事になる。その代わり、計画停電時間になると自分が入っているJ-comの通信関係がすべてストップしてしまう。その間は、テレビはもちろん電話、インターネットも止まってしまい情報がまったくわからない。情報といってもテレビは同じような事の繰り返しで、不安をあおっている。節電協力のために、自分も部屋の電気を消して、両親と一緒に居間で読書をしている。買っておいた菓子類を両親と一緒にのんびりと食べるのも久々だ。で、やっぱりこういう時は、戦時中の話となる。子供の頃からよく聞かされた話だが、こういう時なので我慢する気持ちを維持するためにはとても役に立ち、教訓となる。それともう一つ、テレビ、インターネットが無い生活でも、夜静かに本が読めるのはありがたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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