テーマ:心の健康、体の健康(4)
カテゴリ:徒然なるままに
昨日から目に見えて体調急降下の花子。
今朝やはり発熱。様子をみつつ、熱が38.2度になった頃、あ~これはきっと(インフルエンザ)B型だー・・とお医者さんへ。 Bかも、と言いつつ(かかりつけ医だけに言える)症状の主訴。検査結果を待った。 ドクターの声・・「出たよー。出た出た!」(←嬉しくないんだってば!) 案の定Bだってんですが、(はっきりして)良かったねと言わんばかりの声に、むっ。太郎もいるので感染ると困るんですっ(ぷりぷり)、と。 まぁ、ドクターの言いたいこともわからなくはないんだけど。。 発症してすぐは結果があいまいになりがち。発症して1日経ったくらいがはっきり出る。ウイルスもがんがん増える頃。 帰る頃ちょうど熱も上がり始め、39度。体調は最悪に。 夫に知らせ、花子を寝かせ買い物に走る。今は食べられなくとも、相手はウイルス、一瞬のスキを見せるだろうから食べられそうな物を3日分くらいは取り揃えておいた。 夫帰宅。それを見てしゃべるしゃべるしゃべる。 普段は10聞いても1くらいしか答えない、聞かない奴。 これは何作るの?こんなの食べれるの?今日は何食べたの?これ(君がいないとき)どうすればいいの?花子はどうなの?べらべらべら・・・一気に聞く、しゃべる。 あー結構、おろおろしてやがる。。。 思い出した。 熱に強かった私、小学校5年生くらいの時に39度2分くらいで起きあがれないくらいのダメージを受けたことがある。 風疹だったか、インフルエンザだったか定かではない。 いつも恐い父がきしょく悪いほど優しくて心配までしてくれて当時流行ったルービックキューブ@初代を探して買って来てくれた。 大ブレイクしただけにどこでも売り切れだった。どこで入手したのか、聞く元気もなかった。 もちろん、そんな状態だからせっかくのソレをする力などどこにもなかった。 が、(欲しがっていたソレを前に気力のない私を見て)父はガツーンとショックだったそうな(ずっと後で知った)。 その様子からこれが*やっぱり*最後のプレゼントになると思ったそうだ。 #最初のプレゼントでもあった・・・ #39度の熱でもバスケの試合に出た私だったからなぁ 3日ほど起きあがれず、何も口にできず、すごくやせこけたのを覚えている。久々にトイレに立った時についでに目に入った鏡の中の自分は別人だったことも。 自分的には意識ははっきりしていて、熱のせいか苦痛もそれほど感じなかったので、とりたてつらかった記憶はないのだけど。 私が随分大きくなって(もしかしたら成人してからかも)から、その時、娘が死ぬ!何かしてやらねばと思って仕事そっちのけでルービックを探し回ったらしいと笑い話に聞いた。友人という友人をたどったらしい(笑)。 それが冥土の土産に娘に用意したものだった・・・ その後、*自分が*はまっちゃって貸してくれなかったこともついでに思い出した。そう言えば、私より、自分の方が欲しがってなかったか?<ルービックキューブ まぁ、いいか。あんな父を見たのは初めてだったんだし(笑)。 そんなことを思い出した今日だった。 夕飯時、ちょっと元気になった花子、「みんなと一緒のお夕飯食べたい」 えーーーっ!?と思ったが、まじでぺろりとたいらげた。 恐るべし!明日は明日の風がふく、ですかね。。。 発熱するまで自覚症状なしってのがまた、、、母には先んじてわかるもんですね(笑) ちなみに次に、父がくれたプレゼントは・・・次に発熱した時(やっぱりこれが最後と”また”思ったらしい)に買ってきてくれたレコード「We are the world」だった。当時大ブレイク。。。これも”お供え”が済んだら、自分の部屋に持ってってずっと聞いてましたっけ>父 私は4年に1度大病をしたんだったなぁ。社会人になってからそのジンクス?は消滅したのでした。。。 ■やりたいことのために・・・ む・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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