カテゴリ:自分のこと
久々に心に熱いものを抱きながらわくわくの今日、1通のメールを受信。
宇宙ステーション関連のプロジェクトへの参加依頼。 驚きつつ、揺れる。 宇宙・・・研究者としての私の出発点。だった。 ・・・元ボスと当時のプロジェクト関係者にしか今の自分を伝えていない自分に気付く。 言えないでいる自分に気付く。 決断したと思いつつ、未練が私を覆っていたことに気付く。 時を同じくして今朝娘のお稽古事につき合って見学しながら思った。 ここは私の住める世界か? 私と同じ道を歩いていた人が果たしてこんなところにいるのか? 違う道を歩み続けてきた・・・ある意味日陰の道(笑) おしゃれも無縁、自分の外見を磨く暇などない、興味をもつ時間的余裕もなかった。専門課程に進んだ時点で卒業していた。 その日の内に帰れることもなく、ほとんどの時間を研究室で過ごした。 24時間の仕事。ライフワーク。育児も24時間。自分も24時間。 道を決めた時に捨ててきたもの。捨てられたもの。優先順位の低いもの。 ここにいるお母様方とは相容れないものがあっても当たり前かもしれない。 セットポイント自体大きな開きがあるような気がしてくる。 でも、発想の転換に必要なことは、そのセットポイントを切り替えること。まさに中枢神経系で自然に行われていることだ。 それも自然と身についているので、かなり受容領域は広くできる、はず。 スポーツにしても研究にしても、いつも自分と戦っていた。 ずっと戦ってきた気がする。 ・・・今は「戦いは嫌ですぅ」なんて母の集団の中にいる。 本音?(苦笑) 研究者としての道を選んでから自分を訓練し切磋琢磨した。 その道を歩んだ自分が今の私。ベースがそこに設定されている。 だからこそ、子供に与えられるものがあると信じた。今もそうは思う。 身にしみついたもの、これまでの経験から子供へ社会へ還元すべきものがあると思う。 科学的思考力、感性、創造性は必ずどの道でも必要なものと思う。 未知のものを捉える感性こそが全てのものに要求されるからだ。 一部ではすでに豪語されているが、まだまだジャンルが違うからと受け入れられない方が多い理論だろう。 ある意味隔絶された世界に生きる研究者だからこそ、母となって外の世界へ出た意味をかみしめた。 でも、自分が捨てきれない?のか? 自分を捨てなければできないこと、なのか? 弱気?逃げ腰?未練?わからないものが私をつらぬく。 試練か・・・ 神様はいつも私を試される(苦笑)。 そんな時、子供が察知する。 「ママ、ぼくのこと好き?」「ママのこと大好き」 そして、きっと私は明日返事する。 研究やめました、と。 なぜやめたのか、そしてなにをしたいのか、を語って明日に向かう、のだ。 ふり返ってしまうのはなぜか? 研究者としてまだまだやらなければならないことがあった。 少なくとも後20年は前を向いている時だった。 だけど、それからでは、、ある程度悟った後では遅いこともわかっている。 それは何人もの先輩達が経験している。 ジレンマを知っている。 ちょっとここでつぶやいて立ち止まったら、また進めるかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.20 16:16:12
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