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カテゴリ:生活
これは、言わずと知れたジャン=フランソワ・ミレーの『晩鐘』に手を加えたものだ。 この作品に於いては本来、夫婦は、今日も幸せを与えてくれた神の恵みに感謝しているのである。 そして、この幸せが永久に続くことを祈っているのである。 しかし、 人間って奴は、我儘な生き物だと思わずにおれない。 幸せって奴は、『青い鳥』ではないが、近くにあるとなかなか実感できないし、見えないものなのである。 僕らは、単調な日常の中にこそ幸せはあり、その幸せを感謝すべきなのに、もっともっと素晴らしい世界があると信じ、そこから抜け出そうとする。 もし、ミレーの描いたこの夫婦が、単調な日常からの脱却を神に祈っているとするならば、この作品の意味は大きく変わってしまうだろう。 その意味において、キャプションの果たす役割は大きい。 作品の内容を大きく変えてしまうからだ。 まあ、先日のやらせ放映にも通ずることだが、人間って奴は常に今の自分からの逃避を考えているものなのだ。 納豆を食べた位で、スマートになれるのなら苦労は無いこと位、前々から皆知っていた筈だ。 それをテレビが、それらしく放映すると鵜呑みにし、飛びついてしまう。 元々、人間は権威に弱い生き物なのだが、それでは現代に於いてはテレビは権威を獲得したということなのだろうか? 僕は、テレビは殆ど見ないのだが、たまに付けてもせいぜいニュース番組を見るのがせきのやま。 テレビを見ている時間に、CDを聴いていた方が、よっぽど楽しいと思うのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 9, 2007 11:37:20 PM
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