テーマ:韓国!(17288)
カテゴリ:つぶやき
正しければそれを声を大にして叫ぶ。 「みんな」を味方につけて正義を押し通そうとする。 結果、影で傷つく人がいるということには たぶん永遠に知る由もないんだろう。
大義名分のもとに 少数の(あるいはたったひとりの)人間が傷ついたとしても 傷つけた当事者はもちろんのこと、 その他大多数の人間(「みんな」)はそれを知る由もない。。
前回、村上春樹の本の魅力について ちょっと触れたけど 彼の本の中に出てくる 『暴力』について言及している部分というのは 私に示唆を与えてくれている。
私が韓国でこれも充分『暴力』の一種だ。。と 常に感じているものがある。
《大義名分・大多数を味方にして少数派を認めない暴力》である。 (どこの国だってあるにはあるんだけど)
『暴力』というコトバの概念が 彼の本を読んだこと、 そして韓国暮らしを経験したことによって ずいぶんと広義に、また立体的になってきたような気がする。
私は数日前から この大義名分暴力に遭っている。。 正直言って、物事は多層的で多重的で 多様性を帯びているということが わからない民族を相手にするのは すっごく疲れることである。。。
この種の暴力は外からやってきた外国人には よぉく理解できるし、ありありと実感できるもの。
そして、その暴力に憤り しばらくは対決姿勢をとりながら 悪戦苦闘してそのうち、観念して怒りもどこへやら。。。 なんて経験が在韓経験者にはきっとあるもんだ。^^
しかし韓国国内でずっと暮らしてきた韓国人たちは 韓国社会の中で韓国人同士で暮らしながら 実はその種の暴力によって苦しめられても それに気づかずにただ自らに非があるという発想しか出来ず そのうちコトを無難に終結させることが多いんじゃないか。
まあ、いったい何があったのかは 全く伏せて今日はお話してるので 今日の日記、ちょと意味フメ~かな
でもさぁ。。。 村上春樹の小説が韓国でどれだけ人気あるって聞いたって 私は韓国人がどこまでこの作家のメッセージの真髄を 読み取ってるのかすっごく疑問。。
どうせ先進国日本のトレンディー小説くらいにしか 思ってない人多いんじゃないか。。。
だって日本の評論家の中にすら そういうこと言う人が過去に何人かいたんだから。。
要は韓国でも日本でもだけど 正当性とか正義とか 役割から逸脱しないとか決まりや規則を守るとか そういう価値観を美徳だと思って生きてる人間には 村上春樹はつまんないでしょう。。。
そして何らかの有益性や意味・意義のないものを 軽視する傾向にある人間にも。。 (これは韓国人そのものだと思う)
私は日常で誰かに(あるいは何かに)傷つけられたとしても そのおかげで村上春樹の小説がますますリアルに読み込めて 同じような経験のある村上ファンとより深く共感出来るんだったら この自分の方向性、 全然間違ってないはず。。って思えるのよね。
村上春樹の小説は私にとって こういう、自分や社会を見つめるベクトルを見定める ひとつの指針になっているといえそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年09月07日 20時42分38秒
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