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義母は24年前の9月頃から物忘れがひどくなり、3ヵ月後の12月にガスのつけ忘れ、次男がまだ幼稚園と思って迎えに行って見たり、[中学生になっていたのに]夜中に食事をしたり奇異な行動が目立った。義父に「おかしいから病院に連れて行きたい」と言っても「俺の女房を馬鹿にするな」かばっていた。 12月22日。決定的な事が起こった。玄関だと思って二階の窓から出ようとして顔を何処かにぶっつけておおあざを作ってしまった。休暇で家にいた私は顔の手当てをするからと義父に言って知人の医師にお願いしてCTの検査をしてもらった。今までの奇異な行動をメモをしておいたことが医師の参考にもなったのである。 立派な?認知症と診断された。坂道を転がるように進行して家族が振り回された。日中は義父が見ていたが目を離したすきにいなくなり主人と私の職場にも電話があり困ってしまった。考えた末の対策は義父がトイレや外出の時は部屋の鍵を閉めること。夜になると台所にいきガスをいじったり米を沢山研いだりするので台所にも手の届かぬ場所に鍵をつけた。家中の窓や玄関はサッシの鍵なので義母は開けることを知らないので良かった。 当時はデイケアもなかったので自宅で入浴させ土曜日の昼に私と一緒に入った。私が誰かも忘れていて、毎日のように倅の嫁になってくださいと言っていた。義父は怒鳴ってばかりいるので「この人は帰って欲しい、他所の家に来て怒鳴ってばかりいて」主人の事はもう忘れていた。あんなに可愛がっていた孫2人の事もうつろな目でみていた。 一緒に風呂に入って小さくなった義母の背中を流す時、この背中におんぶされて育った息子たちの事を思うと何故かいつも涙が出た。正気のうちに感謝の言葉を義母に言っておけば良かったと後悔した。腕白坊主の2人を怪我もさせずに育ててくれたことを。3年後家族に囲まれて自宅で亡くなった。息子たちと私は大泣きしてしまった。 この二つの鍵は地震でも壊れなかったので主人か私がこの鍵が必要になるかも知れないからこのままにしておく。鍵を見る度優しく子供が大好きだった義母の事を思い出している。供養になっていると思いながら。 台所のカギ 義父母の部屋[今は私の部屋]
いつも捨てようと思いながら捨てずに置いたものを今日は整理始めたら義母の介護記録のメモが出てきたので思い出を手繰ってみた。
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