冷えた朝.とこの中でぬくぬくと7時まで寝坊した。Nさんほか5人で10時半から長岡に映画を見に行く。帰宅は3時だった。
友人5人とも弟がいるので終ったあとの話題には事欠かなかった。私には4人の弟がいて長女である私は弟の事は幾つになっても心配している。特に実家を継いでいる弟は義妹が亡くなったので可哀想と思い何かにつけて電話したり我が家に呼んだりしている。吉永小百合の姉の気持ちが良くわかる。
義父の12年目の命日、夕食に恵方巻きを作るので仏前にそれを上げる積もりだったのに午前中に方丈様が来られてたので仏前にはお菓子しかなかった。主人だけだったのでお茶もださないので申し訳なかった。主人もお酒を仏前に上げておくからと言っていながら忘れたとの事。
主人いわく「10年以上もたったから生き仏が優先だ、こんな寒い日に亡くなるのが悪い」と言う。12年前の今日は大荒れで東京や真鶴からの親戚の方は列車が遅れたり大変だった。頼みの実家の弟や甥も雪で高速でこられなくなり普通の道で5時間もかかって来てくれた。毎年命日になると主人はこのことしか言わない。夜中の3時息子2人と主人と私と4人で座敷でシンミリと死を見届けたことを思い出す。眠るように逝った、95歳の義父。
明治生まれ軍国主義頑固一徹の義父、何時も怖いと思っていたが、掃除が大好きで何時も片手にほうきを持っている姿をなぜか思い出す。脳梗塞で半身不随になり自宅介護の末半年でなくなった。介護も大変だったが今は懐かしさだけになった。