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カテゴリ:その他
27日から在宅で平凡な日常なのでブログのアップも久しぶりです。ブログ友の所には訪問していましたがコメントも残さず素通りしていました。 31日の事。13時半から16時までサンラックで新潟いのちの電話主催自殺予防キャンペーンの一環として心の健康講演会があったのでさつき工房のボランティアの一人として参加した。多分200名くらいの参加者だと思う。(津軽三味線演奏もあったから?) 1.講演は新潟いのちの電話 理事長及川紀久雄(新潟薬科大学名誉教授)のお話は「心と薬の話」薬は運動と栄養によって効き目があるなどわかり易いないようだった。 2、津軽三味線演奏とトーク 三味線奏者として活躍中の息子さんがうつを経験しながらも母の支えと音楽を糧に生きる意味を取り戻した過程を演奏を交えながら話した。また親子の共演もあり素晴らしい演奏に耳を傾けた。 大学を卒業して大手のサラリーマンになってからうつになり演奏者のお母さんが心配して「無にして帰っておいで」と言ったので退職をして家で3ヶ月ブラブラしていたが子供の頃からいじっていた三味線を弾いていた。いまは竹山流の三味線奏者として国内外で演奏活動を行なっている。 親子のトークの中でうつの辛さなども伝わりウルウルする場面があった。 11月1日の事。今日は長岡のリリックホールで13時半から16時まで精神保健福祉研修会があり関心があったのでボランティアの一人として家族会の方と一緒に福祉バスで行ってきた。 人が「回復する」とは。どういうことか~家族・当事者・精神科医としてお伝えしたい事。 講師 やきつべの径診療所 夏苅郁子医師 講演内容からーー 10歳の時お母さんが統合失調症で強制入院、家庭が崩壊し学校時代はいじめに怯えた子供時代は悲惨だった。不遇な運命を見返ししてやりたいと思い医師となった。しかし復習は人を幸せにしません。 医学部入学後に摂食障害、リストカット、大量飲酒や自殺未遂を起こし母校の精神科にかかり当事者となった。「我家の母は病気です」の中村ユキさんの漫画と出会うまで母の事は封印しました。精神医療に従事しながら精神疾患への偏見を抱えていたのは私自身だった。ユキさんの勇気に後押しされて4年前に母や自分が精神疾患の当事者だった事を公表した。公表したことで精神科医療のあり方について深く考えるようになった。母の病や家族の崩壊を受容し、一人の人間としても医師としても回復していく過程を示し「回復とは何か」「支援とは何か」を皆様と共に考える機会にしたい。そして人が回復するのには締め切りはありません。精神疾患への偏見がなくなり人生への希望が生まれる事を願います。 ご夫婦の診療所 作るときは精神科と言う事で地元の反対に合い大変だったがいまは近くの方も寄ってくれたり学校帰りの子供が診療所の前で遊んでいる。 休憩なしの2時間だったが自分の事もさらけ出して話をされるので聞き入ってしまった。 31日、1日と精神疾患の治るきっかけは必ずあることを知り傾聴する事の大切さ、してもらう嬉しさ、救いに少しでもなりたいと思った。
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