世界で一番美しい少年
12月のことですが、“ビョルン・アンドレセン”の人生を描くドキュメンタリー映画を観ました。私の世代では、美少年といえば、この人は絶対外せないお方。ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」(1971年)のタジオ役で出たきり、ぱったり映画界から消えていまい、その後の情報も聞きませんでた。死亡説もあったしね…その辺も、タジオのミステリアスな雰囲気そのまに、凍結保存された感じかも。「ベニスに死す」から半世紀、何があったのか明かされる…これは観なくては!「世界で一番美しい少年」パンフの表紙 美しいドキュメンタリーは、母親を探す幼児の声(たぶん本人)で始まり、現在と過去を行きつ戻りつしながら、綴られていきます。両親を幼い頃に亡くし、母方の祖父母に育てられた彼は、ステージ祖母の言うがままに、あらゆる子役のオーディションを受けさせられ、そんな中でのタジオ役への抜擢。ヴィスコンティ監督が発した「世界で一番美しい少年」のレッテルはあまりに大きくて、それ以外は認められない俳優人生。当たり前の大人への成長も、劣化としか見なされない…その頃、ステージ祖母の命令で来日も。相当ハードなスケジュールをこなしたらしい。監督が興味深いと思ったのか、日本での活動に結構時間を割いているので、搾取側としての印象を強く感じてしまいました(苦笑)。日本が“嫌な思い出”の地になってないかと心配しましたが、映画公開時期のインタビューを読んだら、結構気に入ってるらしい(笑)。苦労が懐かしさに変化したのかな。この映画撮影で来日した際、池田理代子さんに絵を描いて貰ったそうで、とても喜んでいるようでした。(映画の中でも、オスカルのヴィジュアル・モデルが彼であることを作者自身が語っています。)「…私のようにこんな素朴な人間が、漫画のキャラクターのモデルになっていたなんて、本当に何も知らなくて。…」ですと。素朴な人だったんだ…(笑)。今は風貌も変わり、白い髭とロン毛の仙人というか、ロックミュージシャン風。それなりにカッコいいと思う。 「ベニスに死す」撮影で使われたタジオの衣装 日本にありました「ベニスに死す」については、私はリアルタイムでなくて、たまたまTVで見たのが最初で、きれい過ぎて女優さんかと思いました。“ハンサム”という形容では合わない感じ。当時ハマっていた少女漫画は、いわゆる「24年組」全盛期で、耽美なヴィスコンティ映画の影響は相当あったと思います。今よりもずっと欧米、特に古い時代のヨーロッパへのへの憧れが強い時代でした。