カテゴリ:0歳時代・回想録
日記を始めて3日。
読み返してふと我に返ってみたところ、「いきなりほのぼの成長日記もよいのだけれどの序章というかプロローグの意味も兼ねて、出産や今までの育児について書き留めておかないのはもったいのでは?」と思い至った。 というわけで今日からしばらくは過去にさかのぼって現在に至るまでを振り返ってみようと思う。 (実は私の出産はシリアスでした…。天と地ほどの差が出るけれど昨日までの能天気な日記から打って変わって硬派な文章になることをお許し願いたいと思います) ***** 私の出産は難産道強靭という理由で帝王切開だった。 私の母は私の時と弟の時の二回に渡り子宮口が硬いままでなかなか産まれず、そのうちに胎児の心音に異常が生じたため緊急帝王切開をしている。 担当の先生には「お母様と体質が似るので、もしかしたら帝王切開かもよ」と言われていた。 「じゃ、私も切るのかなぁ・・・」とうっすらは考えていたものの 「難産道強靭なので切りましょう」と宣告された時はショックだった。自然分娩の感動に憧れを持っていたのに…。それに実際身体に傷を負うということはかなり覚悟のいることで相当悩んだものだ。でも、新しい命には替えられない… 「先生わかりました。では帝王切開でお願いします」 1週間ほど悩んだ末に告げた。34週くらいだったと思う。 そして相談の結果、普通の妊婦さんよりも早い37週に手術を行うことになった。 手術の日は母が決めた。おじいちゃまの月命日にしたいと強く希望していたためだ。 2003年4月21日 手術の日が確定したと同時に私のお腹の中の赤ちゃんの誕生日が決まった。 4月19日 入院 4月20日 21時から絶食 4月21日 10時手術室へ 生まれて初めて手術着を着て点滴を受けながらストレッチャーに乗せられ運ばれた。これから赤ちゃんに会える!のにそんなおめでたいことなどまるで無関係かのような「純・手術を受ける人」状態であった。 なのに手術室にかかっているBGMはR&B系のゆっくりとしたバラード。「そうだよなぁ、どっか治す手術じゃなくてこれから赤ちゃん産むんだもんね、リラックスしてねってことか」とは思ったけれど、なんだか場違いな感じもした。 手術に立ち会う先生や看護士さんがひとしきり挨拶をして、手術は始まった。 腰のあたりに麻酔。 まずその痛さにびっくり!思わず腰が引けてしまう。 「そんなんじゃお母さんになれないわよ!我慢して!」そんな声が飛んできた。 足先からだんだん痺れていって胸のあたりまでじーんとポカポカしてくる。 頭がボーっとなって息が苦しくなっていく。 空気が薄く感じて呼吸がハァハァと浅くしかできなくて、本当に苦しい。気持ち悪すぎてどうにかなってしまいそうだった。 そうこうしているうちに水がゲボっという音を立てた。 手術室の皆さんが口々に 「女の子ですよ!」 「おめでとうございます!」 と言ってくれている中、こんにちは赤ちゃんの歌が流れた。 でもなかなか赤ちゃんは近くに来てくれない。ただホラー映画の怪物の声のような苦しいギャーギャーという泣き声しか聞こえてこない。 その時、何かがおかしい…と感覚的に察していたような気がする。 胎脂がついたままの赤ちゃんをやっと見れた時、彼女はとても苦しそうで目が助けて!と言っていた。「なんでもうママのお腹から私を出しちゃったの??」そんな風に訴えているように見えた。 そのあとは記憶がない。 次にある記憶はもう病室で、いったい何時間経ったのか時間の感覚さえ分からなくなっていた。 今でもどのくらい意識がなかったのか思い出せない。 私の赤ちゃんは肺に羊水が入って多呼吸となり、生まれて何時間もしないうちに救急車で都立の病院に運ばれてしまったとのことだった。旦那がひとりで付き添っていると言う。 また目の前が真っ暗になった。 結局生まれた我が子をこの胸に抱くこともなく、一生のうちで一番感動するはずだった一日が終わった。 4月21日午後 りーたん(胎名ぴよちゃん)緊急搬送の後NICUへ入る ***** ~産後編~に続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月25日 10時38分42秒
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