カテゴリ:0歳時代・回想録
(きょろのひとりごと)
昨日出産を回顧しながらの日記を書いていて思ったのですが、1年経ったからこそこんなに冷静に客観的に書けるんだよね。 まるで他人のドキュメントでも書いているかのような気分でした。 トラウマにもならず、明るく生きている今に改めて感謝です! しかし人間は忘却の生き物というのも言いえて妙だなぁ…。 ***** 担当医の先生からの状況説明によると、帝王切開の場合、赤ちゃんがびっくりして羊水を飲んでしまうことが多く、その状態にも軽いものから重いものまである。肺にまで羊水が入ってしまったりーたんの場合はどちらかと言えば重い方。しかし幸い出産した週数が早かったため、羊水が濁っていなかったし肺が乾けば大丈夫…とのことであった。 NICUでのりーたんの様子は、仕事が明けると毎日娘に会いに行ってくれた旦那からの報告と(彼は毎日、りーたんの入院している病院と私の病院、両方に顔を出してくれていた)彼が逐一デジカメで撮っている保育器に入ったりーたんの写真、それからNICUのスタッフの方が毎日書いて下さる育児ノートで知らされてきていた。 唯一彼女のぬくもりを感じることができる物は、保育器に入り鼻にチューブを付けられた我が子の苦しそうな表情の写真…それしかなかったが、麻酔が切れお腹の傷の痛みとの戦いが本格化していた私を勇気づけてくれた。宝物だった。 4月22日 2903g (出生時は3078g) 口からミルクを飲むを呼吸の負担になるため、チューブでミルクをもらう。保育器の酸素濃度は高め。 4月23日 2785g 胎便がまだ出ていなかったため浣腸。保育器の酸素濃度は高め。 私の両親も毎日NICUに見に行ってくれていたので、仕事が終わってから来てくれる旦那よりも早くりーたんの様子を聞くことができた。 「今日(23日)と明日(24日)が峠って言われた」 と泣きながら母が教えてくれた。 この日はじめて実は命が危ない…ということを悟った。 思い返すとこの二日間は言いようもない不安と最悪の憶測で胸が押し潰されそうだった。 そして私の状況をよく知らない看護婦さんの 「おっぱい調子どうですか?よく吸ってくれてます?」 の声かけでぷつんと何かが切れた。 堰を切ったかのように涙があふれる。泣くまいと思っても止めることはできなった。 どのくらい泣いただろうか?限界まで泣いたところでふと気づいた。 「私がりーたんの回復を信じなくてどうするの?母親じゃない」 辛かったが一生懸命信じようと自分を勇気づけ二日間を過ごした。 例の写真にほほを寄せながら。 「私もがんばってるんだからママもがんばって!」と言われているような気がした。 担当の助産婦さんも気分転換のためにエッセンシャルオイルでフットバスをして下さったり、そんな私を励まし続けてくれた。 そして4月25日 面会時間になって母が病室に駆け込んで来た。 「NICUを出てGCU(集中治療室よりも軽い治療室)に移れたって!!」 「え?どういうこと?」と分かっていない私。 「だからもう大丈夫なんだって!ぴよちゃん助かったんだって!」 その後、嬉しくて嬉しくて神様ありがとうを繰り返し、母と抱き合って号泣した。 生命力が強いのか、それからの回復は早かったようで、 4月26日 2646g 呼吸が落ち着いてきたため、酸素を少し減らして口からミルクを飲む。とても上手に飲めているとのこと。 4月27日 2691g 私に外出許可が下りたので、お腹の傷をいたわりながらりーたんに面会に行く。 保育器に入ったりーたんははだかんぼでチューブをいっぱい付けられていた。でも元気に身体をバタバタしていた。 「生きてくれてありがとう!がんばってくれてありがとう!」 保育器の穴から手を入れてちっちゃな手に触れた。 その時、ママって分かってくれたのかどうなのか私の指をギュっと握ってくれた。 なんか胸が熱くなって泣いてしまった。 4月28日 保育器を出てコット(ベッド)に移る。 旦那がだっことおむつ替えをする。緊張したけど嬉しかったとのこと。 4月29日 この日も面会に行く。 そして… 生まれてはじめて我が子を抱くことができた。 でも抱き方が分からなくてぎくしゃくな抱き方しかできない。 なんかくすぐったくて「え?私がだっことかしちゃっていいの?」などと自分の子供なのに思った。 りーたんは泣きもせずおとなしく抱かれている。 そしてミルクを飲ませた。 これから毎日こんなことができるんだ…。 はじめて母親になった幸せを実感して、やっと心から微笑むことができた。 4月30日 私のいる病院に転院 生まれてから10日ぶりに一緒の生活がはじまった。 10日遅れの授乳レッスン、沐浴指導、そして3時間おきの授乳室での授乳…。 急にバタバタと忙しくなって睡眠時間も少なくなり、やっと他のママ達と同じサイクルに。 昼間は同室してもいいので、コットで眠るりーたんをまじまじと見ることができる。 ぼーっと幸せな瞬間。 いろいろあったけど、一番がんばってくれたのはあなた。 ママはそのがんばりに恥ないように立派なママになるからね。 これからずーっとずーっとどうぞよろしく。 5月3日 退院 生まれてすぐ搬送されるイレギュラーな出来事があって、旦那は一皮むけたように父親らしくなっていった。 仕事が忙しい中、りーたんと私の両方に毎日会いに来てくれて本当に感謝! また、毎日来て励まして痺れた身体を一生懸命さすってくれた父と母にも改めて感謝を表したい。 私の病院の先生、助産婦さん、りーたんの病院の先生、スタッフの方々、お見舞いに来て下さったみんな、皆様ありがとうございました! きっといろんな方々の助けがなければ今はなかったに違いない。 そしてそして。 がんばって生きてくれた我が子のことをいつも忘れず、 「生まれてきてくれてありがとう!」 の気持ちをずーっと持ちつづけていかなくては…。 初心忘るべからず。 ***** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月26日 08時40分19秒
[0歳時代・回想録] カテゴリの最新記事
|
|