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なんと、お久しぶりでございます。
私、7月の4週から8月末まで、母の介護で九州の実家にずっと帰っております。 母は4月から胃潰瘍と腸閉塞気味ということで入院して、病院内で夜中に転び、骨折して動かせなくなったのですが、医者の治療に納得がゆかなかったので、リスクを承知で転院の計画を進め、転院先も決まったので、環境が変わる母を考えて、毎日様子を見ることにしたのです。 私の仕事はパソコンとネットがあれば、基本的に可能なので、上司の許可をもらって、病院のすぐそこにレレレのレオパレスを短期で借りて、仕事しながら、平日は昼休みとアフターファイブに病院に行き、母の食事の手助けとかしてます。 でも、週末の昼には地方ならではの安くて美味しく、雰囲気もそれなりにオシャレーなお店で、ゆったりお昼を楽しめるような余裕も生まれました。 しっかし、世の中色々経験するもんです。 前の病院は、薬与えて寝てればいいみたいな個人医院で、症状は多少の変化があるものの、全体的にだんだん弱ってゆくのをなすすべもなく見るしかなく、食事も進まず、医者からは誤嚥(ごえん)があるので、早い段階で胃ろうといって胃に穴をあけてそこから栄養をとることを勧められてました。 栄養不足なので、中心静脈になり、それでも弱ってゆく感じでした。 本来中心静脈というのは、口から栄養を取れなくなった患者のために体の中心を流れている大きな静脈に栄養を点滴して、これで1年くらいは延命できるというような種類のものなんです。母は水羊羹などは美味しいと食べれて、食事も半分は食べていたので、静脈点滴がまるで効果ないのは、どうしてだろうという感じでした。 そして、通常、母のように動けない患者は2時間毎に体の位置を変えてもらえるはずなのですが、それも個人病院できちんとしたシステムがなく、床ずれになってしまったのです。 看護婦見習いをしている親戚のこに聞くと、こんな短期で床ずれが出来るなんて有り得ないとか言われました。 せめて車椅子で病院内を散歩させたいというと、動かすと危ないとか言われたり。 ここにいたら危ないという気持ちに皆がなってきて、受け入れてもらえそうな病院があったので、転院の話をしたら、なんと、その医者が転院のための紹介状を書くのを断ったのですよ! そんな医者がいまどきいるのかと、まわりもビックリ! 紹介状がないと、転院先も受け入れが難しいとか言われるし。 医師会に相談したら、退院して、入院ということにしなさいとアドバイスを受け、退院を決行することに。 その前に転院の話をせずに、セカンドオピニオン用だと称して、レントゲン写真とか症状とかを出してもらい、転院先に提出したり。 退院も拒否されるかもしれないので、事後報告で連れ出そうと、最初は考えて、中心静脈とそのポンプのはずし方とか、研究してみたり、その数週間、わたしはストレスで胃がキリキリ痛みました。こういう胃の痛みって、始めての経験でした。 転院するために静脈点滴の針をはずしてもらい、今の病院ではとりあえず経口で食事をとることになり、点滴がなくなることを皆心配したら、あら、最初の日から食事が美味しいと、それまで自分の手で食事しなかった母が、自分の手で食事を始めたのに、皆ビックリ。 前はスープ状だったのを、おかゆとミンチ状にしたおかずで、味も合うらしく、しかも、デザートが必ずつくようになったのも母の喜びです。 完食するようになって、果物が好きな母のために、今は梨をミキサーにかけて、シャーベットにしたものを毎日持ってゆくようにしてますが、美味しいー幸せそうです。 万田酵素という30品の穀物や果物の発酵食品も大好きだと言ってくれているので、それも食後に食べさせてます。 まだ、頭はぼんやりしているとこがありますけど、食べるということがかなりエネルギーを使うようで、食後と夜は気持ちよく寝ています。 床ずれも体位を定期的に変えてもらえるのと、栄養状況が改善されたら、すぐに良くなったのには驚き。前は拭いたり、薬を塗ったりしても良くならなかったのにね。 点滴の針と皮膚の痛みがなくなったのが、食欲回復の大きな要因のような気がします。 ただ、来月に私が一旦東京に帰るので、その精神的影響が心配です。 なんとか東京に連れてこれないかと、考えている毎日です。 それでも、前の母の状況を考え、仕事しながら母を看れることを考えると、外人の上司で良かったと感謝の毎日です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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