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カテゴリ:生活
尼崎で起こった脱線事故は、アメリカに暮らす私にも大きな動揺と悲しみをもたらした。親であり子である自分にとって、ご遺族の悲しみと怒り、苦しみはいかばかりかと思うだけで、数日間何も手につかない状態だった。惨状はあまりに生々しく、遠い日本で起こった事故だとはとても思えない状況だった。残念ながら、同窓生も数人亡くなった。
その後の調べで、運転士に課される責任とそれを遂行できなかったため課される「日勤」について事実が明らかにされてきた。大量の命を預かる運転士の責任が、パイロット、バスの運転手と同様に、重大であるということは周知のことではある。しかし、このいわゆる「日勤」は、自殺者も出ていると報道されているが、見せしめに等しいものがあると読んでいて思った。ていの良い「いじめ」とも取れるような信じがたい体質がある様子だ。 普段日本に暮らしていると、電車が定刻に到着し、出発することは、あたり前だと思っていた。少しでもダイヤが狂うと、乗客は騒ぎ、駅員に詰め寄ったりすることもある。 以前 首都ワシントンから帰宅する際、アムトラックを利用したことがあった。その日定刻になっても始発駅であるにもかかわらず電車がホームに入っていなかった。事故があった様子はない。30分経ってやっと、車庫から入ってきたが、その後また客や荷物を積み込むために時間がかかり、結局遅れは1時間弱にもなっていた。その時、私は夫に「日本ではありえないことだよね。1分単位でさえ遅れることって滅多にないもの。」と話したことを覚えている。 私は定刻に到着し、定刻に出発するあの日本の電車を、あたり前だと思っていた。今回の事故で、その裏でどれだけの人が努力をし、一生懸命動かしているかということを知った。 子供たちによく話すことがある。 「世の中にはあたり前のことなんて何一つない。誰かがどこかで一生懸命働いて努力しているから、たとえば毎日朝が来てエアコンやヒーターのかかった快適な温度の家で目覚めることができている。電気だって水だって、電話が通じることだってあたり前のことではない。自分が生きているその周りには、あたり前のことは何一つないことを覚えておいてほしい。」 日曜も祝日にも夜中にも、どこかで誰かが働いている。だから、こうやって毎日が動いている。それをとかく人は忘れてしまっている。私も これからいつもどこの見知らぬ誰かに感謝して暮らしたいと思っている。そして、太陽や雨や土や空気にも、そして地球に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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