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カテゴリ:生活
今日午後、近所のお店で買い物を終えて家族で出たところ、私たちの隣りに停めてあった車のドアを大きくばたんと開けて、私たちの車のドアにぶちあたっているのを目撃しました。
夫がすぐさま車をチェックしてみると大きなくぼみがはっきり見えます。おまけにペンキもはがれているではありませんか。その女性はその場に居たので、「自動車保険とあなたの連絡先を教えてください。」と夫が言いました。そしてドアを再び開けて降りて来ようとした矢先、また車にドアをドンと当てるではありませんか。すでに乗車していた私にも、はっきり衝撃が伝わりました。 しかし その女性は「私じゃないわ、この箇所はドアが当たる場所にマッチしていない。いちゃもんつけてお金を取ろうって言うの!」という内容のことを怒鳴り続け、あちこちに電話をかけ「ちょっと信じられないでしょ?こうこうしかじかで この男の人が私がやったと言うのよ!カメラ買って証拠を取ってやるわ。どこにもくぼみなんて無いんだから!」とまくし立てています。 そして挙句には「ポリスを呼ぶわ!!!」と。 10分後パトカーが来ました。降りてきた二人のオフィサーは簡単に事情を聞き、すぐに車をチェックしました。 その凹みとキズはは明らかで、1秒もしないうちに、「あなたのドアのこのペンキの二箇所のマークと、凹みのできたこの箇所は完全にマッチしているね。君がぶつけて ここをへこませたのですよ。」とオフィサーは彼女側の非を確認しました。しかし それでも納得できないこの黒人中年女性。まだまだ まくし立て続けます。誰がどうみてもわかる凹みであり、オフィサー二人も彼女のドアのペンキの跡と私たちの車の剥がれたペンキの色、形、位置が完全に一致すると証言しているのに、です。 書面にこちらの住所、保険会社の記録を書き、先方も同じことをし書面を交換することをオフィサーの仲介でしましたが、わたしはそれでも良い気分にhはなれません。きっと考えすぎかと思いますが、この女性はもしかしたら嫌がらせにくるかもしれない、誰かをよこして脅しにくるかもしれない・・など強迫観念が頭をもたげます。彼女は隣町に住所があるようですが、きっといつまでも「私じゃない、凹んでもいない」というに違いありません。 オフィサーは苦笑いをして一言「クレイージー」。もし彼女がまだこれから難癖つける場合は連絡を、ということで別れました。 お金の問題ではありません。実際目の前で二度もぶつけているのをちゃんと目撃されていて なおも頑としてやってないというばかりか、こちらがお金でもふんだくろうとしているかのような態度は とても許せるものではなく、彼女の人間としての低俗さを感じます。相手の車はぼろぼろでくぼみもさびもたくさんあって、少々のキズはたいしたこと無いのかもしれません。しかし、やったことには責任を取るべきです。ましてや相手を責めるのは はなはだ盗人猛々しい・・・この一言に尽きます。 不快な午後になりました。凹みそのものはタッチアップ程度のたぶん100ドルくらいの修理になると思います。それよりも相手の態度がやはりどうしても許せません。彼女はきっと我々が見ていなければ 当然さっさと逃げていたことでしょう。これまでも これからもきっとそうなのでしょう。 本当に 悪い相手に出くわすことは予想できないことで、これは日本でも外国でも同じです。避けることは不可能です。けれど、人間としてするべきこと、正しいことは自分や自分の家族だけは守って生きたいと思ったのです。 アメリカに暮らし始めた頃、ある人に忠告されました。「たとえば事故をしても先に謝ってはだめよ。あなたに非が無くても、そのひと言であなたの負けなのだから。」しかし、それと今回のこととは少し意味が違います。謝らないことと 自分の非が明らかであり、我々の車はただ駐車してあっただけで実際に何もしていないのでありながら、我々を逆に攻めるその姿勢。実はここに今のアメリカの暗い影がはっきり見えるのではないかとふと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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