テーマ:心の病(7311)
カテゴリ:受け入れる
昨日、彼は休みだった。体調が、最近、良くないので、会えるかわからないと言われていた。 診察で、セロトニンの結果を聞いてショックだったので、会いたかった。 それで、電話して(検査結果の話などは出さずに)、会うことになった。 おクスリを受け取ったときに、ちょうど、近くについたと電話があって、無事会えた。 少し、ゆっくり話がしたかったので、スタバに行こう、とわたしから言って、 今日は、特別なので、わたしのおごりで注文。 検査の結果を話した。 鬱病の難しい仕組みは知らないと思うけれど、 わたしは、ノートに、脳、脳細胞、シナプス、神経伝達物質の関係を書いて、 SNRIの仕組みも話した。 そして、セロトニンの数値が悪いこと、そして、治療方法が無いことを、話した。 黙って聞いてくれていた。 そして、彼は、静かに【なんくるないさ】と言ったのだ。 (彼は、若いヒトには珍しく琉球方言話者) 茶化すでもなく、ほんとの、静かで重い、なんくるないさ、だった。 それまでの、思考の方向性をクルっと変える、静かな言葉だった。 アナタは、死のうと言うのも無いし、だから、死ぬ病気じゃないよ、 一生懸命がんばっているし、なんくるないんさ、、、ということだった。 聞くと、彼のお兄さんの友だちが、鬱病で自殺したらしい。 確かに、 わたしは自殺念慮は数回あるが、絶対に死なないと決めているから、自分で逃げてきた。 そう思えば、そうだな、と思う。 なんくるなるだろう。 これから先、彼とどうなろうと、このときのこの言葉の優しさは、覚えておきたい。 Blogならclick! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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